ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2013年08月


  訴え
 
 
朝の光に砕かれ 
昼の陽射しに焦がされ 
夕の蓄熱に蒸されるとき 
何処かで屍が唸り 
病人が「もうか?」と 
寝返りを打つ 
 
水を浴びて溺れ 
油を浴びて膨れ 
粉を浴びて乾き 
火が燃え上がり 
燃えるものを崩してゆくが 
都合よく人々は 
落下しながら現状を喜ぶ 
 
炭の街に灰の人たちが 
眼と口を開閉して 
訴えようと水に向かうが 
水は遥か彼方で濡れることを忘れる 
 
 
(2013年08月18日)
 
 
 
 

 
 通り過ぎようとして
 何気なく目に止まったものが、
 私をこの世に引きとめる。
 それは些細なことで、
 遊びと言えば遊びだし、
 考えていると言えば考えていて、
 かといって首と頭を90°傾けても
 日々の暮らしが変わるわけでもないのに。
 
違うことをやっていて出てきた変な整数方程式か
覆面算のようなものですが、
一般的に解こうとすると、結構めんどくさかったです。
 
 
問題1: A,Bを整数として、7A+1=10^B を解き、
    また、解が無数にあることを示せ。
 
 
解答例1:
 
まず一見して、A=B=0 は解。 -------------------------------------(1)
 
整数 A<0 ならば、左辺<0、右辺>0 となり、
また、B<0 ならば、右辺は正だが整数とならず、
どちらも与式は成立しない。
つまり、AもBも正の整数である。
 
与式より、 7A=10^B-1 → 7=(10^B-1)/A
 
ゆえに、逆数を取って、 1/7=A/(10^B-1) ---------(2)
 
※(よかったら、「無限循環小数」参照・・)
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n202560
http://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/8512343.html
 
(2)左辺、1/7=1÷7 は実際計算してみると、
  0.142857・・・
つまり、142857 を繰り返す無限循環小数。
ということは、(2)は、
 142857/999999=142857/(10^6-1)-----(3)
ということになり、(2)より、
 A=142857,B=6 は解の1つ。
 
しかし、(3)は、
  142857142857/(10^12-1)
とも書けるので、
 A=142857142857,B=12 も解の1つ。
 
これを考えていくと、解は一般に、任意の正の整数を n として
ここだけの表記の仕方で申し訳ないが、
 
A=「シグマ(k=1からn)(142857×10^(6(k-1))」   ----------------(4)
B=6n                          -----------------------(4)
ということになる。nの任意性から解は無数に存在する。
 
したがって、(1)と(4)が解ということになる。
 
(他に解があったらアドバイスくださいませ・・)
 
 
問題2: 十進法表記で3桁の正の整数、
 
       ABC=B^C-A
 
 
解答例2:
 
与式より、 ABC+A=B^C  ---------------------------------(5)
 
十進数3桁 ABC より、Aは、0ではなく、1~9
Bが、0,1、では成立しない。Bは、2~9
Cが、0では成立しない。
Cが、1では、与式右辺=(1桁の整数)-(1桁の整数)
これでは左辺の3桁にはならない。Cも、2~9
 
(5)左辺は、999+9=1008 を超えない。
 
以上の条件で、3桁~1008のB^Cを探してみる。
あとは単純作業・・与式と(5)を見ながら、
Aが1~9のどれになりうるかを考えながら・・
 
なお、ABC と、ABC+A とを比べてみると、
百の位が変わるのは、つまり、
ABC+A の百の位が、ABC の百の位 A より増えるのは、
ABC の十の位 B が 9 で、 C+A≧10 のときだけであるが、
その場合、ABC+A の十の位は 0 になっているはずである。
それを考えに入れて計算を進めると、次に示すように
百の位の変化はないということになる。
 
 B^C = ABC+A、  ABC、
 2^7 =  128    127 (正解) --------------------(6)
 2^8 =  256    254 (×)
 2^9 =  512    507 (×)
 3^5 =  243    241 (×)
 3^6 =  729    722 (×)
 4^4 =  256    254 (×)
 5^5 =  625    619 (×)
 6^3 =  216    214 (×)
 7^3 =  343    340 (×)
 8^3 =  512    507 (×)
 9^3 =  729    722 (×)
 
以上より、A=1,B=2,C=7,のみが答えとなる。
 
一見して、127=2^7-1 を思いつく人もいるだろうけど、
ここでは、他に解がないことを示すために
与式から、A,B,C,の条件をしぼってゆくことにしました。
 
 
(2013年08月17日)
(2013年08月27日、一部修正)
 
 
 
 


  ゼツボ
 
 
アサノゼツボ 
ヒルノゼツボ 
ユノゼツボ 
ヨルノゼツボ 
イタイコト 
ヨソドリ 
アジワウ 
 
ニジュダイイコ 
イキタイトオモワナイ 
 
ヒトニゼツボ 
オノレニゼツボ 
コノヨニゼツボ 
タレニモアワヌガヨイ 
 
シジュダイイコ 
シニタイトオモウ 
オクビョデシネナイ 
シンゾトマルノヲマツ 
 
ハラガヘルトクウ 
ハズカシ 
ハジハム 
三三 
ハムココロ 
 
 
(2013年08月16日)
 
 
 
  怨念
 
 
死んだ人が怨念を残すなら
次の世代に繰り越され
さらに次の世代に
さらに次の世代にと
蓄積された怨念が及ぶのは
命よりも
人の心
その浅ましさが
怨念による滅びであって
死ぬるは結果に過ぎない
・・と時に空想す
 
 
(2013年08月16日)
(2013年08月17日、一部修正)
 
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危ない爺の減らず口
 
 
 
 

前の記事の続きのようになりますが、
別のブログに書き込んだことを参考に・・
 
 
   脅威とは?
 
 
私が脅威というのは、
すぐにでも攻撃してくる危険という意味ではなく、
攻撃される可能性を考えて警戒するべきだという意味です。
 
北朝鮮が打ち上げたのは単なるロケットでしょうか。
北朝鮮に宇宙開発や宇宙旅行を目指す余裕があるでしょうか。
あるいは偵察衛星を打ち上げたいのでしょうか。
むしろ単なるロケットと言って、
(核)ミサイルの脅威と受け取らせることが目的ではないかとさえ思います。
 
拉致問題はどうでしょう。真実を言わない。
記録がないのなら、ないと言って、話し合えばよいのです。
ひょっとして処刑された人がいるのではないか、
だから言えないのではないかとさえ考えてしまいます。
 
脅威が上に書いたような意味ですから、
脅威は北朝鮮だけではないとも思っています。
中国もロシアもアメリカもでしょう。
 
中国も微妙なバランスの上から
国際関係の危ない橋を渡ろうとしているように思えます。
 
大国、特に、
中国政府が恐れているのは結局
中国国民のような気もします。
 
尖閣諸島の件では、
中国は挑発とも受け取れることを繰り返していますが、
野田内閣の時に尖閣を国有化した意図が私に
はっきりと分かるわけではないけれど、
 
尖閣が国有地になれば、外国人はもちろん、
日本人も国の許可なく勝手に上陸したり
住んだりすることはできないでしょう。
私としては、
尖閣諸島は無人島であることによって防衛の要所、
譬えるなら防波堤または緩衝地帯になるのでは
・・と思っています。
いざこざが尖閣周辺で起こっているうちはまだ増しで、
私が一番恐れるのは、
中国が尖閣を支配してしまった場合、
沖縄の人々が住んでいる島々の近くを中国の艦船が横行し、
そこで、最悪の場合、
中国艦隊と自衛艦が対峙するような事態です。
日本と日本国民の生存権が脅かされる事態となります。
 
ロシアとは
北方領土の問題で殆ど進展が見られないのが残念ですが、
 
大国というのは、それぞれに脅威を与えることが過ぎて
却って国益を損なうことになってはいけない
・・という程度の慎重さは持っているでしょう。
 
アメリカとの日米安保条約は、
軍事的には最初から不平等な条約です。
アメリカにとって日本は極東の砦であり、
砦は堅固でなければならず、
そのことが
日本自身の防衛と国益が一致しているから
今も同盟関係が続いているのだろうと思っています。
 
韓国との竹島の問題については、
これは夢物語なのかもしれませんが、
日本の学者と政治家も、韓国の学者と政治家も、
このままでは片方が一歩引くということはないだろう。
このまま竹島を日韓の間に横たわる永遠の
わだかまりとして残すことにもなりそうだが、
日本と韓国の国力の規模は大国と違ってほぼ同列であり、
竹島は位置的にも日本の防波堤にならないだろうから、
もし双方の学者が一歩ずつ譲れるなら、
日韓共同統治というのは不可能だろうか
・・などと夢想しております。
(そんなに甘くはないなら・・お笑いください。)
 
 
私が心配していることとして・・
 
ある意味、一番の脅威はアメリカだと思っています。
制裁を感じさせる圧力を日本は掛けられ続けています。
戦争に参加させようとしているようにも見えます。
だから越えてはならない一線として憲法があり、
現政権は違うようだが、
私は憲法改正にも集団的自衛権にも反対です。
 
アメリカは利権がないから北朝鮮には行動を起こさない
という話もあるようです。
日本に対しては要求するところ~圧力が大であり、
それは今に始まったことではないでしょう。
本格的に実力行使においても
アメリカの国益のために日本を使いたいのだろうと・・
極東の砦としての役割だけでは済まなくなりそうで心配です。
 
脅威は国内にもあると思います。
政治家、思想団体、今まで通りの平和が
そのまま続くつもりでいる多くの国民、
・・ブログやテレビを見ていると、そう感じてしまいます。
60年以上戦争が起きていないのは奇跡的なことなのに・・
・・私個人は、残り少ないのだし、
何としても生き残りたいとまでは思っていないけれど、
今、中年、壮年、青年、子供の、今後の時代はどうなっていくのか
・・それが心配です。
 
 
以上のように、
大国や隣国との関係において、
また国内において、最も悍ましいのは、
「いくらでも冷たい返事を返してあげますよ」とか、 
「分からないなら分からせてあげますよ」
といったような威嚇の思惑を暗示する発言が
囁かれるようになることでしょう。
 
書きながら私も、国益を考えたり、人道を考えたり、
平和を希求するとは・・いったい何なのでしょうね・・
 
 
(2013年08月13日、同日一部修正)
(前の記事、および「理念・断片」に書いた今までの記事参照)
 
 
 
 
 

 2013年08月12日現在、少し加筆修正いたしました。
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  脅威と自衛
 
 
北朝鮮の問題についてキリスト教の立場から 
「汝の敵を愛せよ」というキリストの言葉で、
相手を理解して相手の立場になれば
北朝鮮が求めているのは戦争ではなく安全が保障されることだ
という意見があるようです。
 
何というか、鼻が曲がりそうな?くらい、変な甘さを感じます。
こういう考えで宗教を持ち出して国際関係を考えてほしくないです。
愛せたら敵でも脅威でもないのです。
こちらが安心を与えても
相手が安心を返してくれるとは限らないのです。
 
まず仮定の話として、
北朝鮮が自暴自棄になってミサイルを発射するなら、
と考えると、
中国とロシアは一応後ろ盾です。
アメリカは一発発射すれば百発返してくる。
韓国は同民族。・・ということで、
ターゲットに一番なりやすいのは、
拉致問題で責められることへの逆恨みや、
異民族であること、戦時中の恨み、
などがある、つまり、
日本だろうと思っています。
 
北朝鮮の脅威というのは、
そもそも社会主義なのに世襲制と個人崇拝という
露骨な独裁政権という国の在り方にあり、
それに(核)ミサイル開発や発射実験ということが加わって、
さらにアメリカやロシアや中国などの
大国の戦略的?節操さえも期待しがたいということ、
そして、
これまでも武力行使やテロを起こしてきたこと、
他国民を拉致して、真実を明らかにさえしないこと、
 (自国民をやすやすと攫(さら)われるような日本にも問題がありますが)
しかも、その国が、地球の反対側ではなく、
海を隔てた隣国であるという事実にあると思います。
 
威圧的発言や行動によって
瀬戸際外交を続けているわけですから、
北朝鮮の安全が今のまま保障されるなら
北朝鮮は喜ぶでしょうけれど、
  
上に述べたように
北朝鮮が今の北朝鮮であり続けること自体が脅威なのです。
 
ここで北朝鮮の脅威というのは、
北朝鮮がすぐにでも攻撃してくると恐怖を煽っているのではなく、
攻撃してくる可能性を考えて警戒するべき国だということです。
 
したがって当然のこととして、
こちらから戦争を始めてはいけないのですから、
相手を理解するということは必要でしょう。
しかしそれは、
あくまで最悪の事態を避けるための
情報収集と戦略的政治的外交的努力だと思います。
 
アメリカが太平洋戦争中に日本の情報を集め研究したのに対して、
日本はアメリカを鬼畜と呼び、英語を禁止したらしい。
アメリカの合理、日本の非合理、の精神を感じた
ということを思い出します。
 
アメリカの肩を持つわけではありません。
合理とキリスト教の曲解によってアメリカが、
特に国民に対して、そうでないと気が済まないのでしょう、
まるで西部劇のヒーローのような正義を前面に出すことには閉口します。
 
それと前にブログにも書きましたが、
言葉の問題ではありますが、
アメリカは「キリスト教の国」でしょうか。
「キリスト教の国」と言える国は未だ世界に一国も現れてはいない
と思いますし、それは人間の国家には無理だと思います。
 
政治や国際関係が利害によって動き、
信義というものが殆ど見出せないのは残念です。
国益による戦略的政治的分析の上に立って、
なおかつ国と国が人道的信義を考えるときは来ないのだろうか・・
これからも駆け引きと脅し合いの関係に終始するのだろうか。
 
なお誤解のないように・・
私は今までの記事にも書いてきたように
改憲には反対です。
 
でも自衛隊は必要だと思っています。
ただ、文民統制がとれていることが必要ですし、
 
集団的自衛権には反対です。
集団的自衛権を行使するとなると、
恐らく攻撃的作戦にも加わらなければならなくなるでしょうから。
 
現場で自衛隊だけ攻撃には参加しませんと引き揚げるなら、
血の気の多い他国の軍隊に臆病者とか腰抜けとか言われかねません。
軍隊の現場は、見たことはないけれど、
そういうものではないかという気がします。
それは自衛隊にとって酷であり、耐えられずに
文民統制が崩れてゆく切っ掛けにもなりかねません。
 
ひょっとしたら
攻撃にも参加するべきだという考えで
憲法改正は進められているのかもしれません。
しかし一度攻撃に参加したら、もう引っ込みはつかず、
色々な攻撃作戦が正当化されてゆくでしょう。
もはや自衛ではなくなります。
 
通常兵器での自衛力を可と思っているのは、
通常兵器のみを使う自衛戦は、両国の合意が成立すれば、
どの段階でも停戦や講和が可能だから・・です。
 
つまり通常兵器については抑止力という考え方もありうると思います。
 
核戦争は速やかに壊滅状態を招来するとしか思えないので、
核の抑止力という考え方には反対です。
ですから、もちろん核武装には反対です。
 
脅威は北朝鮮の在り方であって、
動かされている北朝鮮の国民ではないのですけれどね・・
 
ここでは北朝鮮の問題を中心に述べましたが、
それにとどまらず、
自衛権と専守防衛と集団的自衛権と憲法改正の問題は
今後の日本を大きく左右する問題だと認識しています。
 
時代が変わったから憲法も改正というのではなく、
時代が変わったからこそ、私たちの時代に、
蒔くべき種と捨てるべき種を慎重に考えたいものです。
 
 
(2013年08月11日、同日一部修正)
(2013年08月12日、一部加筆修正)
(これまでの「理念・断片」の記事参照)
 
 
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(メモ)
 
直接テーマに関係しているわけではないので
メモとして書いておきます。
 
宗教に関して中東との問題の違いは、
中東では宗教の歴史と経緯そのものが、
利権をめぐる問題の背景として、
戦争やテロの原因になっているから、
宗教の歴史と経緯をテーマの1つとして考える必要があるのです。
 
聖書の解釈によって神の意志が分かり、
それに従って国際問題が解決できるかのような信仰の考え方は、
非現実的ということだけでなく、
キリスト者の神に対する思い上がりだろうと思います。
 
不完全で罪深いが生きてゆくための
人の必要悪の必然的努力に、
完全な善としての神を引き合いに出して
聖書の言葉を根拠とすることには賛成できません。
 
キリスト者が政治思想について語るならば、
必要なのは、神の意志を汲むことではなく、
神の意志を汲むことが出来ないことへの許しの祈りに他なりません。
 
 
(2013年08月12日、加筆)
 
 
 
 
 

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