ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2014年05月

・・この記事は削除するかもしれません。
 
  合成だろって話
 
誰でも知っている有名芸能人の2つの画像です。
ネットに別々に載っていて私がPCに
興味本位でダウンロードしたものです。
左が問題写真というわけでしょう。
 
久しぶりに画像を見ていて
2枚の写真に気づいて比較したのは最近です。
 イメージ 1
イメージ 2
  
 
  顔の部分を比較してみると
・・どう見ても同じ画像としか思えません。
 イメージ 3 
イメージ 4
 
   
右の問題のない写真の首から上を切り取り
端を適当に加工して
左の誰か分からない写真(!?)に
合成した画像だと思います。

私もずっと前に恐竜の絵を自然の写真に重ねたり
クマ牧場の中に母の写真を貼り付けたりして
面白くて遊んだことがありますから
こういうことはそれほど難しいこともなく
可能なのですが、
可能だから、個人の名誉とかを考えずに、
公開までやっちゃう人がいるという話です。
 
左の裸の写真は誰なんだ・・が問題なのではなく、
こうなると誰の名誉のためかも分からないけれど
黒塗り枠つけたのは私です。
 
顔の目のあたりも隠そうかと思いましたが、
顔の比較がポイントになるのでそのまま載せました。
 
最初、おや・・と思って、誰にも見せずに保存して、
正直言って少しわくわくしたことを認めます。
(こういうことに年は関係ないのであります・・)
独りで見るだけだし・・すみませんでした・・
 
 
(2014年05月21日、同日一部修正)
 
 
 
 

 
  伝達
 
 
瞳と表せば
 
ある人には
瞼から虹彩から網膜までの
解剖学か光学的興味になり
 
ある人には
澄んだ眼差しや美人や
視野とか洞察とかの話になる
 
ある人には
いくつかの絵画や写真の中の
印象を想起させるだろう
 
表現といっても
 
文章に表わせば
しばしば語彙と論理の
概念がんじがらめの無味乾燥となり
 
ポエムに表わせば
たちまちアレルギーのように拒否されるか
誤解されるか無視されることにもなるだろうし
 
非言語で表せば
ときに著しく具体性を欠いて
何を言いたいのかさえ不明瞭になってしまう
 
口を酸っぱくして繰り返しても
虚無の反響に悩まされる繰り返しなら
 
いくら寛容に受け止めようと
譲歩できるだけ譲歩して理解に努めても
熱意の大方は干物になってゆくなら
 
人間共通の意味は
個々人それぞれのセンスによって裏切られる
 
干物をどうすればよいのか
 
めげない心で熱の伝導と伝達を繰り返すか
様々な手段とその併用を試みるか
感嘆すべき飛躍に期待を寄せるか
 
多くのとき伝わらず
あるとき恰も不意に伝わるかのようで
説得力は儚げな生き物である
 
 
(2014年05月20日、同日一部修正)
 
 
 
 

 
  想い
 
 
もどかしく疲れる想いを
なぜ追いかけようとするのか
 
間違いだらけと分かっていて
なぜ獲物のない湖に漕ぎ出すのか
 
枝も葉も入り組んで
先の見えない森に囲まれて
 
せせらぎに償いの命を浸して
生命に触れたくて
 
いつか来た道と
水の往来に
なぜ癒されたいと願うのか
 
なぜ土を土で包んで
砂を漁ろうとするのか
 
立ち竦んで
佇んでいる
 
いつか来た道と
いつか行く道は
傷だらけの視野と
侵され続ける聴覚に
かすかに過去と未来の交叉を試みている
とどまってはいけない
同じであろうとすれば
過敏な痛覚が
立位も座位も壊してしまいそうで
 
 
(2014年05月16日)
 
 
 
 

 
  収束
 
 
人は収束しない
 
収束を目指しても
狭小化と固着化を招くだけだ
 
混沌、発散、霧散、蒸発、消失、・・
どれが間違っていて
どれが正しいということはない
 
動かなくても動けなくても
絶え間ない運動と変転に伴って
歪むものがあり伸びるものがあり
光るものがあり暗くなるものがあり
 
フラッシュメモリーは
不可算の速度で再生され
壊れてゆきながら
明から暗まで
光から闇まで区別することなく
二元も一元もなく
正邪も善悪も問わず
関わりの細い糸をふるわせる
 
人は収束しないが
乱れ散る世界の背後に
収束させる存在を望む人々にとって
それを知ることではなく
その想いに生きることが信仰である
 
 
  存在
 
 
信じるしかない存在に
証明や解説は
最初から最後まで拒まれるのであって
信じるしかない存在に
理解できる内容を求めてはならない
すなわち
信じるしかない存在に
ひたすら望みを託して想い慕い祈るのであって
思い描いて理解してしまうのは罪であるから
折に触れて許しを祈り願うのみである
 
 
(2014年05月15日)
 
「理解できる内容を求めてはならない」は
誤解を招きやすい表現だと思いますが
・・私としては・・
解釈について考えてはならないとか
述べてはならないとかいう意味ではありません。
「求めれば(間違いのないものが)得られる」
と信じている人が多いようなので
そういう「聖書語」的反応を嫌って
あえて「求めてはならない」と書きました。
 
(2014年05月20日、加筆)
 
 
 
 

 
  表現
 
 
人が持ち得るあらゆる表現手段は
価値を担保されない運動であり
決して固体ではなく流動体でもない
 
愛と呼ばれるものにも似て
どうすれば分かるとか
どこに行けば得られるといったものではない
 
・・移ろいゆく姿さえ見えない・・
 
その時々にその所々において
人が獲得しようと努力する対象であるが
同時に何よりも
そうさせる動機なのである
 
ゆえに常に
・・折に触れて・・
以外の表れ方を持ち得ない
という本質から問いかけるだろう
 
 
(2014年05月15日、同日加筆)
ここでの本質とは
人からはそのようにしか映らないだろう
という思いです・・
 
 
 
 

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