ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2014年06月

 
  迷いごと
 
 
人生・・
 
かゆくて
ぴりぴりする
 
秘訣・・
 
あまりながく
さわるな
 
大事なのは・・
 
みためであって
なかみは
ふぞくひんだ  (悲)
 
明日・・
 
来ない場合を心配しなくていい日
 
昨日・・
 
来なかった場合を心配しなくていい日
 
 
(蛇足・・)
 
ドライバーの敵・・二宮金次郎
 
ABC
・・アメリカの国際的な国際的なアルファベット
 
BBC
・・くせものになる前の掲示板
 
昨日
・・ときどき十年前より遠くなる日
 
 
(母は介護施設から入院予定・・大した病気じゃないらしいが
手術するらしい・・昨日今日と私のほうは、痛くて、気が立って
・・虫の居所が悪いらしく・・失礼しました)
 
 
(2014年06月02日、同日一部修正)
「迷いごと」→「世迷言(よまいごと)」のほうが良かったか・・
 
 
 
 

 
  臆病
 
 
人は考えて死ぬことなど出来ない
 
生だの死だの命だのと思いをめぐらすとき
死ぬことは想念であり現実ではない
 
例えば「我が神何ゆえ我を見捨て給ひしか」から
例えば「我が神何ゆえ我を造り給ひしか」のほうが
先だなどと思うのは
自分の思路というレールに
自分を乗せているのであって
死の実感など微塵もなく
ましてや死の論理などあるはずもない
 
人が死ぬのは絶叫であり
そこに思慮すべき何ものもなく
ただ茫然の在り方として
 
定まらない焦点から
無作為に手を伸ばす振幅が
必滅に向かって減衰したり
 
模索する欲望の触角に
引っかかった取っ手のような突起が
脳の虚血を誘発する具象のプロセスだった
という軽はずみに捕えられたりする
 
人の思慮は意識清明なる間
勇気をもって死に対峙することはなく
近づいてくる崖ふちに
慌てふためいてうろたえていながら
その表層の外見だけを映す平面に過ぎない
 
誰が引き裂かれるときに
破れ目に切れた糸を数えるだろうか
 
死は思慮の手に負えない
 
 
(2014年06月02日、同日一部修正)
 
 
 
 

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