ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2014年07月

・・思い出して・・記事も画像も再録です・・
 
 
イメージ 1
(私のPCの今の壁紙にしている画像)
 
 
  夕陽に奪われて
 
 
エンジンを切るとき
 
一日は静けさに奪われる
 
置いたヘルメットの上にも
 
弧を与えて光の切れ味を引いている
 
同じ景色は一つとしてないけれど
 
正しい形容は一つとしてないけれど
 
激しく傷ついて天地を巻き込み
 
夕焼けと呼ばれてこんなにも涼しい
 
子供の頃からいつも無条件で
 
老いることを知らない
 
誰に所有されることもない
 
その一かけらも
 
持って帰ることを許さないのなら
 
いずれ老いて果てる私の
 
一生を静けさで奪ってくれ
 
 
(記事は、1997年5月19日)
 
イメージ 2

 
記事と写真を撮った時期は一致してはいないし、
写真のほうも過去の記事かトーナメントに載せたことがあると思います。
20代後半から50歳ころまで中型のバイクに乗っていました。
上の記事のとき私は43歳だったわけですが、
その頃既に、いやもっと前から、こういう気持ちはあったような
・・気がします・・元気ないなぁ・・
(2014年07月28日、再録とともに・・、同日一部修正加筆)
 
 
 
 

(同日一部修正)
 
 
  違い・貴国
 
 
貴国にとって我が国は 
極東の砦であり 
砦は堅固なるをもって 
同盟が成立しておりました 
 
最初から役割は 
国力に応じて違っていたのであります 
 
貴国の権益のために 
戦っては恨まれる捨て駒を 
今さら期待しないでください 
 
 
  違い・交戦
 
 
交戦について定める解釈は 
理想を語る憲法とは違うのですから 
自由と幸福追求の権利などという 
いかようにも拡大できる条文で 
理由を説明しないでください 
 
貴方も私たちも死んだ後の時代 
貴方の保証など消え失せる頃になって 
混乱の波が押し寄せるなら 
かつてのように数多の屍を踏み越えて 
二十年もあれば 
  また違う国になるのでしょうか 
 
 
(2014年07月26日、同日一部修正)
悪い種を蒔くべきではない・・
・・それが今の世代の仕事だと思います・・
 
 
 
 

 
  固着
 
 
信仰者は何故「神の義」に固まろうとするのだろう
 
いったい何処を目指して固まることが出来るというのだろう
 
 
信仰は問いに生きるしかないのに何故
 
答えを求めるプロセスではなく
 
答えを得たという結果に立とうとするのだろう
 
 
風に崩れる積み木の人でありながら何故
 
高く高く城のように
 
答えを積み重ねることが出来るというのだろう
 
 
不惑と不動に持続する安定を求める限り
 
そこには心をふるわせるものはなく
 
よって心を解き放つものもなく
 
計り知れない神ではなく
 
浅はかな自らの恥多き観念が
 
既知としてしまった枠の中に
 
自らを閉じ込めるだけだというのに
 
 
(2014年07月24日、同日一部修正)
 
 
 
 

まあ少し笑っていただければ幸いというほどの気持ちで・・
 
 
そうでもないんですが
 
 
詩人のサイトにコメントを入れるとき 
詩人からコメントをいただくとき 
勇気が必要で何だか 
・・張り詰める・・ 
 
詩人は言葉に厳しい思索者で敏感~過敏で 
(・・そうでもないんですが・・) 
感じたことを自分で被害妄想と診断してコメントでは隠す 
(・・多くは失敗します・・) 
コメント者はそうならないように最善の努力をする 
(・・多くは失敗します・・) 
 
コメントを書いた理由≒要点だけを書くようにするが 
質問でもするときには崖から飛び降りるかのような気分で 
(・・大袈裟です・・) 
 
しかして柄にもない気遣いで
コメント欄には上滑りな評価と賛辞が並ぶのだが 
(・・私のには並びさえしないのですが・・) 
 
そうしてまで何故詩をさらにコメントを書くのか 
(・・さびしいんでしょう・・)
「詩に懸ける」→「死にかける」の覚悟で 
(・・私のダジャレに過ぎません・・) 
詰めに詰めた崖っぷちの言葉を求めるのか 
(・・そこまで出来てないからね・・) 
わだかまってどうしようもない思いを発散~昇華したいのか 
(・・精々その辺の効用で・・) 
 
かくして詩人は今日も 
やぶにらみの思いを虚空に馳せるのに懸命だ 
(・・ブロガーか・・そうだった・・) 
 
 
(2014年07月21日)
ブログ村の接続が改善してきたからか
今日の私の気分少し浮いてます。失礼。
 
 
 
 

 
  投稿
 
 
四十代の頃 
詩の投稿サイトの話 
(悪意がなければ載せてくれるサイトでした)
 
はっきり覚えていないが 
投稿者は小学生か中学生だったか 
目立った比喩も形象化も見当たらないが 
いたたまれない気持ちを吐露しているようだった 
それは・・ありだ・・私も時々・・
 
そして最終行あたりになって 
「できることをしてゆこう」・・??? 
 
いたたまれないのに 
ありきたりの言葉で 
何故まとめようとする・・ 
 
壊れろや、壊せや、壊れてるだろ 
・・と乱暴な気持ちになって 
コメント入れようとした
・・が・・やめた 
 
既にコメントが入っていて 
ぼろくそに叩かれている 
「これって詩ですか?」等々・・
少年は涙ながらのような謝罪のレス 
 
ひどい奴らだ 酷いコメントだ 
(明らかに「俺は違うぞ」が入っている)
 
でも・・他人の詩を読んで 
・・これって詩?・・ 
と思ったことはないと言えるか 
 
高校のとき私は詩のつもりで 
誇大妄想的文章を投稿したことがある 
当時ネットはない 
郵送で・・もちろん没だが 
・・今でも赤面しそうだ 
 
今だって言葉で出来そうな
悪行の限りを尽くしているではないか 
 
自らに問う 
・・これって詩ですか・・ 
し、詩、詩のような・・ものだよ・・
 
 
(2014年07月21日)
 
 
 
 

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