理解
人は目の前にない物や人を
また形のないものを
想像して
または推測して結び付けて
把握できるものに
変えてしまう習性をもっている
それを理解と呼んだりする
理解しがたい対象を
理解したい・・から・・
理解したことにしたい欲望があるのだろう
それは神については不可能なのだが
その想像をリアルと比べ
結び付けて生きているのが実状だ
追求される理解への欲望が
神という神聖なら
他のいかなる達成できない欲望よりも
高いと感じられて
超越感を求める者たちによって
もてはやされるのだろう
本来は人ひとりの存在の証しとして
高い低いなど関係なく
キリストへ寄せる切なる思いと
祈りだけが本質となるべき信仰なのだが
心の偶像は避けようがない
せめて信仰という命が残るように
本物が聞いていると信じることで
神に祈っているのだ
恐らくそれ以外に
信じ仰ぐ姿勢は人にはないだろう
(2015年02月27日、同日若干修正)