ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2015年09月

 
  二千年
 
 
二千年前
キリストを殺したのは
当時の宗教指導者たちだった
 
二千年を経て
同じように宗教指導者たちの中には
信仰を殺し続けている者がいる
 
彼らは
聖書が提示する賜物としての
多くの疑問を
共有せずに封じ込め
 
恐ろしく陳腐な奇跡話を
この世で唯一の善い話のように
ただ人々に繰り返し語り
 
聞くことだけで満ち足りるのが信仰だと
 
あらゆる疑問を
無条件に無視するように
人々を洗脳している
 
日々キリストの存在を無にするために
自分の考えを神の存在として
信仰者に吹き込む者たちによって
 
パリサイ人の偽善も
イスカリオテのユダも
今やレギオンとなって
この世に蔓延(はびこ)っている
 
 
(2015年09月24日)
 
共有することからしか始まらないのに
 
自分は違うから心配ないと言う者に対しては
誰もがそう言うだろうと返すことになる
 
 
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  逍遥(二)
 
 
心の中や 別の人には
やはり悪口を言うておるかと
卑怯者よ と思うても
怒るでも嘆くでもなく
いつか 否応もなく
受けてしまう性(さが)をも失って
 
人に言われれば ああと言い
否むにしても 穏やかに
首を振り 去れるならば
 
雨粒のごとき関わりに
ふっと皮肉めいて
さびしげに 独り笑い
 
一期一会に
目一杯でも懸命でもなく
もう充分に過ごしたこと
 
長くも短くもなく
これよ 時というものはと
 
分かり合えず 分かち合えず
引っかかり引っかけた水滴を
涙とも汗とも唾液とも
かけすて御免と
逍遥の道
 
いつくしみも にくしみも
とぼけてゆき ぼけてゆき
きえてゆくのでしょう
 
 
(2015年09月22日)
逍遥(しょうよう)≒ぶらぶら歩くこと、・・
 
 
 
 
 

 
  生涯
 
 
生涯は生きる涯(はて)
涯は水際に向かう崖(がけ)
一生の涯の崖っぷちを独り歩く
 
酒に溺れたり
悪夢に溺れたりする
 
溺れる者は藁(わら)をつかむだろうか
すでに溺れているのだが
 
つらさと怖さを打ち消すために
何もので埋めればよいか
酒か他の欲か
欲でない何ものか
 
涯が
果てであるなら
何の実りであるか
死すべき果実とは
 
果実が溺れる海を教えてくれ
黄色い赤い青い・・
いかなる崖に
何色の果実があるというのだ
 
崖っぷちに遊ぼうと思うのだが
 
 
(2015年09月22日)
 
 
 
 
 

 
  呼ばわる
 
 
心ある者は
天を指して
神は分からぬと呼ばわるだろう
 
 心なき者が
 いかに唾を飛ばして
 神はかくあり
 かく為されると吹聴しても
 
呼ばわる者は
野に山に
神は嵐と呼ばわるだろう
不意に訪れ
不意に去り
跡形も残さぬと
 
 心なき者が
 神は、神は、と
 要らぬ心配と安心を振りまこうとも
 
唯一の大いなる御方は
人の世を整えるときに
嵐のごとく揺さぶることなしに
人の笑い顔に答えるだろうか
 
心ある者は
何かを指して驚き呆れる暇さえも
与えぬ御方に呼ばわるだろう
 
 
(2015年09月22日)
呼ばわる ≒ 叫ぶ
 
 
 
 
 

 
  逍遥
 
 
この胸から広がって
逍遥の山野などありて
河や湖などもありて
さして大きくもなく
果てしないようで
それほど遠くへ行けるものでもなく
 
懐かしい人々も
懐かしくない人々も
おぼろげに
言葉を交わすわけでもなく
さては彼らも逍遥かと
 
服を脱いで振ってみたり
石を投げたりもしてみるが
皮肉の一つも言ってみるが
返事もなく
狭いのに茫洋として
 
この胸のお仕舞いに
かたこと、かたこと、
乗せてみたい台詞
など探しているのだが
 
 
(2015年09月21日)
逍遥(しょうよう)≒ぶらつくこと、・・
 
 
 
 
 

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