ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2016年01月

 
  信仰の言論
 
 
聖書と信仰から
例えば私などが考えても
書くときには集中して
ときには苦しく
ときには気分良く書いたとしても
 
そして誰が考えても
人が考える信仰の道は
厳密に正しいということはない
それこそ
どこが正しくて
どこが間違っているかもわからないのだ
 
人は書くときに
自己の無謬性を否定しておかねばならない
 
信仰の道、人間の道を
書くことに意味があるのは
どれもが正しいとしてしまうと
とんでもない非人道的な神がかり的なことを
言い始める人がいるからで
 
それは聖書の読解においても
人の自由として好き勝手に読むけれども
その結果の正しさは担保されない
 
放っておいてよい問題ではないが
一方で正誤・正邪の基準のないところに
人は立たされている
 
これは基準はないが
基準はある・・という矛盾するようなところ・・
 
基準があるとすれば
私たちは人として生まれ持ち、
生きている間に身についた直観的で
証明のできないもの・・と言うしかない
そこにも神の導きがあるかもしれないが
人は知り得ないことだ
 
その感性または嗅覚ともいうべきものは
正しさを見つけるより
邪悪なものを見つけることや
矛盾がありそうですっきりしない感じ
などを通して
少しは物が言えるだろう
 
一見、整っているようでも
虚偽と悪に対する直感
何か変だ
何かに目をつぶっている
何かをこじつけている
何か偽っている
偽善だ
というときには
相手に告げて弁明を求めるべきです。
相手が急に黙り込んで
交流の双方向を閉ざしたら
疑いが深まったということです
 
罪や誤謬よりも
偽善について鋭敏でありたい
 
偽善に対する感性の極致は
キリストに見られるでしょう
 
 
(2016年01月28日)
 
無謬(むびゅう)
誤謬(ごびゅう)
極致(きょくち)
 
 
 
 

 
  雑言コメント
   最近来たものです。
    ばかばかしくて・・私のレスは・・探してください。
 
 
こんばんは~
 鬱病治りましたか?
 睡眠障害治りましたか?
 
 大切なのは自分の身体ですよ。
 自分の身体に感謝するのが一番大切ですよ。
 
そんな事も解らないで
偉ぶった事言ってると笑われますよ(笑)
恥ずかしすぎますよ。
 
 小学生みたいな日記を
書いてる場合ではないですよ(笑)
 
2016/1/26(火) 午後 9:41[ じいたん3号 ]返信する
 
> st5402jpさん
 
 こんばんは~
 
 先程、
 貴方の1月12日の日記読みました。
 
 凄いですね!
シャロームさんに対して5年間も批判続けてるんですか!!
 
5年間もコメント無視されてるんですか?
それでもまだ続けるんですか!?
 
もしかしてストーカー?
 
 凄すぎますね!
 常人のなせるワザではないですね!
 
 怖っ!
 
2016/1/26(火) 午後 10:20[ じいたん3号 ]返信する
 
> st5402jpさん
 
 やけくそって何?
 意味が解らない?
 私が何故やけくそになる必要があるの?
 
 私にツッコまれて
 やけくそになってるのは
貴方の方でしよ(笑)
 
貴方の日記に書いてある事実を言ってるだけなのに、それがなぜ誹謗中傷だよ(笑)
 
何言ってるのか訳が解らねえわ(笑)
 
頭 大丈夫ですか?
 私の日本語 通じてますか?
 
2016/1/26(火) 午後 10:45[ じいたん3号 ]返信する
 
> st5402jpさん
 
情けない事を言ってるね。
それがホンネなのかね?
ホンネだとすれば哀れだね。
 何の為のキリスト信仰なんだい?
 全く救われてやしないじゃないか?
 
 自分の話しを聞かない人を批判するとは
単なる我儘じゃないか(笑)
何にも悟ってはいないじゃないか。
 
 自惚れてはいけないよ。
 人間は人を正すために生きてるんじゃないんだよ。
 
 自分を正す為に生きてるんだよ。
 
2016/1/26(火) 午後 11:31[ じいたん3号 ]返信する
 
> st5402jpさん
 
情けない事を言ってるね。
それがホンネなのかね?
 
ホンネだとすれば哀れだね。
 何の為のキリスト信仰なんだい?
 全く救われてやしないじゃないか?
 
 自分の話しを聞かない人を批判するとは
単なる我儘じゃないか(笑)
何にも悟ってはいないじゃないか。
 
 自惚れてはいけないよ。
 人間は人を正すために生きてるんじゃないんだよ。
 
 自分を正す為に生きてるんだよ。
 
2016/1/26(火) 午後 11:31[ じいたん3号 ]返信する
 
お早うさん!
 今朝の鬱病状態は如何ですか?
 精神状態は如何ですか?
 睡眠障害は如何ですか?
 
ところで、
 貴方が批判してるシャロームさんが
貴方に反論もしてるんですよね。
 彼の反論の方が正しいです。
 
 貴方は自分が傷付けられることには鋭敏だけど、人を傷付ける事には鈍感だと、
 何故なら人を批判する事だけに夢中のあまりに人を傷つけてる事に気が付いていないと…そのように彼は言ってますよね。
 
 要するに彼は傷ついてるんですよ!
なのに貴方はよく平気でいられますね?
 正義感ぶったクリスチャンである前に…
一人の良識ある人間になってくださいね。
 
 貴方の彼に対する辛辣なコメントの数々は…彼のブログのコメント一覧にて一部公開されてますよ。私はそれを読んで唖然としましたよ。
 
 貴方の神経はやはり異常です。
 手の付けようがないです。
 独善、偽善とは貴方自身の事です。
(要するに他人は鏡なのです)
貴方自身の姿が他人を通して見えてるんですよ。
 
 
 病気を早く治してください。
さようなら。
 
2016/1/27(水) 午前 9:10[ じいたん3号 ]返信する
 
※ 
私と「その名は不思議」のシャロム氏との論争にならない争いとは
全く無関係なところから唐突に飛び出してきました。
彼がこのような人に頼むとは考えにくいです。
コメント者によると義憤みたいな動機と言うが
まあ、悪口雑言だけで、根拠不明、感情だけで書いている感じなので
失礼ながら、私は真面目に対応しないつもりです。以上。
 
 
(2016年01月28日、一部修正)
 
 
 
 

 
  強さ?批判
 
 
偽善は強い
といっても本当の強さではない
 
施すことによって
強く動じていないところを見せよう
というのが偽善だから
 
したがって
その強さは見せかけであり
人としての強さではなく
聖句「弱さを誇る」とは対極にある
 
「弱さを誇る」極致は
この世のあらゆる名誉を剥ぎ取られ
あらゆる恥辱を着せられ
非暴力のまま殺されるという
キリストの姿に見ることが出来る
 
その萌芽は
権力に抵抗する非暴力運動に見られるが
その多くは芽のまま摘み取られて
実を結ぶのは死後ということが多いだろう
 
恐ろしいことに
そのような非暴力運動に賛同しながら
自らは小さい瑕疵さえも隠蔽して
よく見せようとする偽善もあるのだ
 
岩石のように堅い人工物によって
自尊をガードする姿は
「弱さを誇る」とは対照的で
固定観念と被愛妄想の化け物になっている
 
弱さは信仰の節操を失わずに
逆境を生きる姿に表れる
 
弱さは誇れる何ものもなく
弱さは誇ることをしないゆえに聖句となった
 
 
(2016年01月27日、同日一部修正)
 
剥ぎ取る(はぎとる)
瑕疵(かし)
隠蔽(いんぺい)
 
 
 
 

 
  神と人の道
 
 
神の道を歩もうと願うなら
人の道を歩むことを求めるべきだ
何故なら
神は人に神の道を歩ませるのではなく
神は人にご自身の支配する民の道
つまり人間の道を歩ませるために
信仰を与えられるからだ
 
個人が勝手に道を作るのではない
ということは
非信仰者だけに言われることではない
 
信仰者こそが
神を信じているだけに
勝手に自分の道を神の道だと思い込みやすい
 
正しい道と言い
神に義とされる道と言い
他者に対して
それは神の道ではない
または神の御心に反している
と言うのは
自分は神の道を知っている
という傲慢から来ているのは明らかで
それを「裁くな」と戒めている
 
人は神の道を知らないが
人は人間の道をおぼろげに知っている
というより
人間の道に反することをおぼろげに知っている
 
道を外れているかどうかは
人間にとって
人間の道を外れているかどうかであり
それが精一杯なのだから
 
例えば
隠し事をすることで
見かけをよくしようとするのは
明らかな嘘であり
虚偽に仕える者のわざであり偽善である
といったように
 
宗教的に考えるのではなく
人間としてどう考えてもおかしい
ということを指摘する姿勢が大切だ
 
宗教は人間を生かすためにあり
信仰は人が人間に成長するためにあるからだ
 
 
(2016年01月26日)
 
 
 
 

 
  当たり前 (2)
 
 
当たり前と言うために
当たり前をたくさん背負って
当たり前の国へ行く人々
 
当たり前が当たり前に
当たり前でなく
感動と救いを与えると信じ込んで
 
それは思慮を怠ることなのだが
 
当たり前は曲者なのだが
 
当たり前は偶然を
当たり前は幸運を
当たり前の導きとして
当たり前に感謝する
 
それは思い上がりなのだが
 
人ひとりの道も
当たり前に明け渡したから
人を知ろうとしない固体になって
すぐ近くにある悲しみを
人間として悲しめなくなって
悲しめないことを救いだと思って
既成の当たり前を暗号のように繰り返す
 
共感と思いやりを込めそこなって
 
当たり前をその度に持ち出して
振り回しても
心を病むだけで追いつかない
 
当たり前を誰がどのように作ってきたか
時々の台詞と処し方について
考えるなら
導きを当たり前などと感じたりしない
そこで当たり前の国を出られるだろう
 
何でも当たり前に感謝するのが当たり前ではなく
 
今息を吸っている
これさえ当たり前ではないということを
 
信仰者も非信仰者も
本当に感謝できる日のために
 
 
(2016年01月25日、同日一部修正)
 
怠る(おこたる)
曲者(くせもの)
台詞(せりふ)
 
 
 
 

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