ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2016年01月

補足的に・・
 
 
  空即是色
 
 
色即是空
現象には実体がない
だけでは
生活の総てに実体がないようで
自分の命さえも実体がなくなって
虚無に陥りそうだが
空即是色
実体のないもので世界は成り立つ
ゆえに実体のない自分の命で生活は成り立つ
つまり命のないところでは
この教えを考えること自体がなくなる
ということをもって
命があり生きていることを教えの前提として
虚無を退けている
 
空の空・・
とも教えるキリスト信仰は
温かいキリストの愛と軛
という絆をもって
生きる命を立たせることで
虚無を退けているのだろう
 
 
(2016年01月24日)
 
軛(くびき)
絆(きずな)
 
 
 
 

 
  色即是空
 
 
キリスト者とはいえ
時々に訪れる現実の気分の悪さには
尊い先人の知恵を
ボーダーレスに生かさぬ手はない
 
色即是空
色すなわちこれ空
現象には固定的実体がない
空即是色
空すなわちこれ色
固定的実体のないもので世界は成り立つ
 
固定的実体があれば
そこに不変の基を求めることが出来ようが
それは完結して味気のないものかもしれない
 
固定的実体がないからこそ
頼りない人間は変化し
揺れて定まりなく
いつも何かを求めており
ゆえに進歩と成長の
不断の努力の意味があるだろう
 
 
神に祈り
キリストを救い主と仰ぎながら
視力にまた腕力に
直接いつも手応えがあるとは言えないような
時系列を過ごすしかない人間は
自他の現象を受け取りながら
しばしば
固定的観念の先入観で
飾ったり自分に思い込ませたり
さらには偽ったりしながら
自身の自尊を守ろうとしている
 
神との契約つまり約束、
神の国、赦し、救い、恵み、
これら多くの聖であるはずの言葉が
人の世界でもみくちゃにされている
 
世間体、体面、体裁、自尊心、根拠のない誇り、
これらによる自己満足に化けてしまっても
それを必死に守ろうと硬直している
 
人は実に律儀に嘘を吐く
 
自己満足を避けるには
固定していると信じ込まないで
いつも求めてゆくこと以外にないのに
 
神の僕となった者たちが
こともあろうに
神の秩序を自分で守ろうとしている
 
及びもつかぬではないか
 
 
神は万物を創造し人間を創造した
ゆえに神は万物を有し人間を有する
ゆえに神は人間的共感を有する
ただの摂理と違って
打てば響く、
呼べば答える
とはこのことである
 
神は人間を造り
神は現象を造り
目に見えるところに
神は自らの代わりに人と現象を合わせ
打てば響くのを見ようとされるのではないのか
 
現象を知るのは務めだが
実体のない現象に左右されるのは
人間の本当の姿ではないと
 
 
(2016年01月23日)
 
自信があって書いているわけではありません。
仏教の教えだから、なおさらです・・
 
色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)
嘘を吐く(うそをつく)
僕(しもべ)
 
 
 
 

 
  偽りの挨拶
 
 
高校のとき聖書を少し読んで
教会にも憧れを持っていたが
成人となって次第に失望して
今は剥がれたペンキの跡を撫でる従順もないほど
歪んだ信仰の口と舌を垣間見なければならないのか
 
 
シャロームと言って笑みを浮かべても
一皮剥けば
偽善の罪に塗れて
抜け出すことも改めることも出来なくなっている
 
狼狽えることもなく
投げられた言の葉を
枯らし落とす興覚めの焚火に
赤く照らされた顔
 
根拠も示さず悪口だけを言う口と舌
 
一方で預言者気取りに高ぶる讃美、讃美、讃美、
 
一つ讃美すれば
一つ偽善の履歴
 
 
苦労話、思い出話、救われ話、
 
苦労を乗り切ったときが危険なのに
克服できた感謝の勘違い
 
神のみの民から
救われるのみの信仰へ
 
罪を忘れる・・
 
 
誰でも罪を犯す
というより
罪なき人は一人もいない
 
それゆえ信仰の機会が与えられる
 
犯してしまった罪と
どうしても犯してしまう罪を
告白のうちに捧げて
その裁きを神に委ねる信仰
 
まさか信仰の恵みを利用して
偽善が蔓延るとは・・ 
 
偽善だけは改めない限り赦されない大罪
 
偽善は
神よ赦したまえ
という祈りを
最悪の白々しさに変える
 
犯しているとき常に
故意に神も人も欺いている
それが偽善だ
 
 

シャローム shalom
ヘブライ語の挨拶の言葉
「平和がありますように」の意らしい
 
 
(2016年01月22日)
 
挨拶(あいさつ)
一皮(ひとかわ)
剥く(むく)
塗れる(まみれる)
狼狽える(うろたえる)
焚火(たきび)
憧れる(あこがれる)
撫でる(なでる)
歪む(ゆがむ)
垣間見る(かいまみる)
蔓延る(はびこる)
 
 
 
 

 
  立場(2)
 
 
キリスト信仰を伝えようとする人が
罪人の立場で語ろうとしないこと
それ自体が既に背教だと思います
 
上から教えて信じさせるような
説き方の出来る人はいません
 
それはしてはならないことです
人はキリストではないのです
 
キリスト教はいつまで
傷つけるのはよくないから
批判してはならないという勘違いで
偽善を野放しにするのでしょう
 
キリストに罪の赦しを祈ったから
もういいだろう・・ではないのです
 
隠しているという事実を改めない限り
今も偽善は継続しているからです
 
そういう都合の悪いことを隠蔽して
善なる立場を守ろうとするのは
最近盛んな詐欺師や悪い政治家や
キリストを殺した祭司やパリサイ人と同じ
 
キリスト者なら政治的陰謀を用いてはなりません
 
偽善者が偽善者のまま
信仰を教えようとしてはなりません
 
罪は告白と祈りによって赦され
祝福も恵みも与えられるでしょう
 
しかし偽善は
キリストが看破し最も批判したことです
決して許されません
 
キリストの群れの中に
隠し事で威厳を保とうとするような
偽善者がいることを決して放置してはいけません
 
神を恐れキリストを慕うならば
そんな立場はあり得ないからです
 
 
(2016年01月21日)
 
看破(かんぱ)
慕う(したう)
 
 
 
 

 
  葉
 
 
当たって死んでは困るから
石ではなく葉を投げる
 
葉は石ではないので遠くへは飛ばない
 
気になる人にはますます届かない
 
しかし何故だろう
 
無視には
こちらも無視を返せばよいのに
 
こちらも勝手に葉を紡げばよいのに
 
読まずにはおれず
読めば必ずといってよいほど
違和感というより怒りを覚える
 
まともとは到底思えないと書いて
葉を投げる
 
葉を受けることが
助けになることもあったから
 
でも葉を投げれば
 
フワッと浮かんで足元に落ちる
 
葉は届かない
 
向こうには花も実もない
向こうでは葉を受け取る前に
すぐ焼いてしまうので
 
葉の積もりがないからだ
 
とうの昔から
同じことを繰り返すだけと決めているようなのだ
 
葉がないどころか
生きた命がないのかもしれない
 
花も実もないところで
石になっているのか
 
落ち葉は焼いてしまうからか
 
 
(2016年01月20日)
 
陳腐ながら「葉」は「言(の)葉」
 
紡ぐ(つむぐ)
 
 
 
 

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