ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2016年02月

 
  丁寧な侮辱
 
 
丁寧語による侮辱は
罵詈雑言より悪質である
 
聖書の「悪い言葉」の最たるものである
何故なら偽善に通じるからだ
 
罵詈雑言は発する側の憂さ晴らし
受ける側にとっては全く無意味
 
上から教えることの好きな偽善者や自分信仰者は
こういう丁寧語で人を見下すだろう
 
侮辱した覚えは実際ないのかも知れない
 
侮辱しないために丁寧語を使ったのだから
侮辱するような単語は使われていない
 
それでもしっかり相手を
落として上から見ている視線だ
 
罵詈雑言は見かけも中身も悪だが
丁寧語による侮辱は見かけはよくても
中身は獣の所業になることがある
 
侮辱していると本人が気づかないのは
自分の立ち位置が分からないからだ
 
キリストは罪人に罵詈雑言を言わなかったが
偽善者に対しては「行ってしまえ」と辛辣だった
 
ともに罪人という低さの自覚があれば
人は人を侮辱することはないだろう
 
 
※ 
 
殴られるより悪いことがある
 (三島由紀夫原作映画:午後の曳航)
 
 (マタイによる福音書、口語訳)
7:23
そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、
『あなたがたを全く知らない。
不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
 (マタイ7:23、新約聖書)
 
 (エペソ人への手紙、口語訳)
4:29
悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。
必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、
聞いている者の益になるようにしなさい。
 (エペソ4:29、新約聖書)
 
 
(2016年02月25日、同日一部修正)
 
丁寧な言葉を使っているから
人を傷つけることはないと思ったらとんでもない
という話・・
 
丁寧(ていねい)
侮辱(ぶじょく)
罵詈雑言(ばりぞうごん)
獣(けだもの、けもの)
殴る(なぐる)
罪人(つみびと、ざいにん、罪びと)
 
 
 
 

 
  「信仰が・・(2)」
 
 日常×非日常(Ordinary eXtraOrdinary)
 「信仰が先か、聖書が先か」
 
http://blogs.yahoo.co.jp/masatakahamazaki/27264925.html
  に書いたコメント
 
http://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/18265809.html
 の続きです。
  承認・未承認コメント両方です。
 
―――――――――――――――――
 
レス不要ということですが、少しだけ補足させて下さい。
 
 私は何度も言うように、ブログは独話にすぎないと割り切っております。それは誤解されたり無視されたりするのは当たり前という意味です。ごくたまに対話が成立する場合があることは否定しませんが、それは例外くらいに考えています。
 「相手の本音を聞きたい」というSTさんのお気持ちは非常によく分かるというか、私も同感なのですが、それもネット上では無理ではないかと、ほぼ諦めております。たしかに数年前の論争のあと、疲れ果てた私はSTさんに弱みを見せたわけですが、それは議論としてはルール違反の感情表現をお互いに出してしまった結果であり、本来やってはいけないことだと思います。つまり、そんな事態になる前に終わりにしておくべきだったと思うのです。
 
2016/2/16(火) 午後 6:46vernunft返信する
 
STさんと私との見解の違いは、このネットに対する期待度の差ではないかと思います。私はネット上の交流というものにそれほど期待していません。単なる独話のたれ流しでいいと思っています。それはSTさんにとっては「傍観者の賢さ」「できることを何もしない」ように見えるかもしれませんが、それもこの見解の違いから来るのではないかと思います。
 
2016/2/16(火) 午後 6:46vernunft返信する
 
 
私もブログを書きコメントを書いているので、また読んでいるので、本音を書きたい、本音を聞きたい、というのは当然のこととしてあるわけですが、それは、
>誤解されたり無視されたりするのは当たり前
ということを、前提として承知の上です。私は、ネットで本音が分かる、などとは言った覚えはありません。またブログが独話であることを否定した覚えもありません。もしそう誤解される発言があったなら、お詫びするとともに、以上の通り訂正いたします。
 
2016/2/22(月) 午前 2:48 [ st5402jp ] 返信する
 
>そんな事態になる前に終わりにしておくべきだったと思うのです。
 
いえ、独話で本音を聞けないことが多いのであれば、一方の言ったことを感情的に受け取る誤りもあり得ることですから、むしろ、ルール違反がしばしば起こり得ると考えるべきでしょう。ゆえに、そんな事態になる前に、そんな事態を避けることのほうが至難であろうと思います。
 
2016/2/22(月) 午前 2:49 [ st5402jp ] 返信する
 
ネットに期待していないと言うのは、信頼できないという経験があるからそうなるのではないかと思います。最初からネットに期待していない・・は、見解の相違で決めてしまうのは、おかしいのです。その経験から不振が固定するのは、面と向かい合っていないところのネットの発言に対して、読解力がないとか、表現力がないとかの、ネットする人の問題を無視することはできません。ですから、その経験から、うまく対話にならないことをネットのせいにばかりするのは、これも、おかしいと言わざるを得ません。昨今のV様を見ていると、自分の不都合を見解の相違で片付けすぎているように思われてなりません。
 
2016/2/22(月) 午前 2:50 [ st5402jp ] 返信する
 
シャロムさんは、双方向を拒んでいる削除魔ですから、議論も対話も誰よりも成り立たない人です。したがって私が見てきた限り、他の人のコメントにも、ろくな対応も出来ていません。そのくせ、言い出すことだけは、威勢がいい・・・。社交以外には言論の弁えさえも出来ていない人だと思って批判しています。
上の記事の「独立性の発達障害を表わしている甘え、依存的国民性」などの告発調の言辞はよくみられるけれど、結論の激しさに見合う思考の経過が不明なことが多く、悪いと思ったら、一方的表現を威勢よく放つけれども、そこまでの組み立てが見られない人・・というのは、彼の記事においてしばしば感じることです。日本の行く末を心配しているようで、自己顕示のほうが先に立っています。  
2016/2/22(月) 午前 2:50 [ st5402jp ] 返信する
 
V様は、稚拙な手探りを始めることにしましたと言う謙譲の表現をしているけれど、シャロムさんは、そういう姿勢が元々ないのではないか・・ということは私が批判する大きな理由でもあります。調子合わせをして、いい加減に終わらせるのは容易いが、私はそれを社交と呼び、しようという気にもなりませんし、むしろ、気分が悪くなるばかりなのは、キリスト教の、忌憚なき遣り取りが出来ない状況と人格づくり、という大きな問題に結びついているように思います。傷つけない・・は、ある程度の信頼~善人だろうということが成り立つ場合にしています。・・一先ず、この辺で、失礼。
 
2016/2/22(月) 午前 2:51 [ st5402jp ] 返信する
 
シャロムさんが、政治について激しく断言するのは、断言できるからではなく、批判を返される心配がないからだろうと思っています。
 
2016/2/22(月) 午前 2:59 [ st5402jp ] 返信する
 
適当に未承認にしておいてください。
 
2016/2/22(月) 午前 3:00 [ st5402jp ] 返信する
 
 
鋭いご指摘ありがとうございます。とても納得しました。
 私の性格からして、まず争いを好まないということがあるので、争いになりそうな芽はすぐに抜いておきたいという「逃げ」の姿勢が根本にあると思います。要するに臆病なわけです。だからネットのせいにするという手段を採ってしまうのでしょう。それは無意識にやっていたことなので、ご指摘いただいて初めて気づきました。
 相手がSTさんに限らず、やっぱり激しい論争とかはしたくないんですよね。これは私の性格の問題で、ネットのせいにするのは卑怯でしたね。
しかし一方で、STさんも言われるように、単なる社交の場になってしまうのも、それはそれで残念という気がしています。我ながら矛盾しています。
 
2016/2/22(月) 午前 8:34vernunft返信する
 
それで、私がブログを書く理由は何だろうかと改めて考えてみました。私は自分の考えを誰かに知らせたいとは思っていません。誰も知らなくていいと思っています。私には自己顕示欲があまりないと自分では思っています。それならなぜ公開するのか?と言われそうですが、公開することによる緊張感(こんなことを書くとまた馬鹿にされるのではないか?という緊張感)が書く動機になっていると思います。この辺りは、STさんがブログを書かれる動機とかなり異なっているのではないでしょうか?
 
2016/2/22(月) 午前 8:34vernunft返信する
 
 
私は、というか、誰でも、文章を公開するのは、正しいと思っているからです。正しいと思っていることを発表することが自己顕示と呼ぶなら、たぶんそうでしょう。私が自分で正しいと思っていることが、必ずしも、絶対の基準から正しいとは限らないことは、人間なら、また言葉の個性と不全性からも、分かることですから、だから発表しないのではなく、発表してその反応を見る、ということになります。
 
2016/2/22(月) 午後 6:19 [ st5402jp ] 返信する
 
>緊張感(こんなことを書くとまた馬鹿にされるのではないか?という緊張感)
 
反応が、反対意見で、小さいところでも大きいところでも理に適っているならば、これは私が成長するための機会だと思っています。
V様が恐れるのは、反応が、根拠のない結論を並べるだけだったり罵詈雑言であった場合ではないでしょうか。V様はそれを恐れ、私は突っ込みどころを探すにしても、結論だけですから、そう指摘して「決めつけです」などと書くわけです。そこはやはり、個性かな・・と思いますが、受けてどういう感情が湧くかという感受性の違いになるでしょう。私は、自分で推測するに、婉曲的な当てつけや皮肉に対しては過敏で、罵詈雑言に対しては、むしろ安らかに鈍感なのだろうと思います。
 
2016/2/22(月) 午後 6:20 [ st5402jp ] 返信する
 
荒らしコメントがあったことは書いたと思いますが、その中の「訳」という記事のコメントに「間違いと断じてはいけない」という私が書いたことに対して、お前もやっているじゃないか、というコメントがあり、それは文脈と情況から悪口に過ぎないのですが、ちょっと気になっていて、それが、「信仰の芯」という記事を書くことに繋がった、ということもありました。
 
2016/2/22(月) 午後 6:21 [ st5402jp ] 返信する
 
しかし、私がコメントを書き続ければ、辛辣になり、それだけでなく、感情が表に出てしまって、相手を傷つけることもですが、さらに、それより、陰性の感情によって、論旨や文脈や一貫性がおかしくなると予想されるときには、一旦、書くことをやめます。それで、すでに感情が表れていたと思いますが、「もういい、レス不要」とか、また、そこまで行かなくても「一先ず、この辺で、失礼。」とか書いて、やめてきました。こういうことは必要です・・(息、汗)
 
2016/2/22(月) 午後 6:22 [ st5402jp ] 返信する
 
といったようなわけで、私は、何度も、双方向というのを、成長したいのなら必須だと強調してきました。社交の交わりと議論を混同して、批判を削除し双方向を拒否しながら、自分の主張だけは押し出してくる人を批判しています。
 
2016/2/22(月) 午後 6:22 [ st5402jp ] 返信する
 
ん?と思って・・「緊張感(こんなことを書くとまた馬鹿にされるのではないか?という緊張感)」は、恐れるのではなく、書く動機なのですか。スリル?・・だとすれば、私としても、コメントを見るときには緊張感を感じますが、罵詈雑言は無駄だから嫌で、反対意見は褌を締める必要を感じて、善かれ悪しかれ、緊張します・・。記事を書いてアップする動機と言えば、誤解されるのではないか、という予期不安はありますが、目的意識みたいなのもあるから、えいやっという感じになることもあるけど、アップしないと始まらないから、アップして始める、という気持ちで、・・これはやはり見解の相違ということになりますか・・ちょっと分からない・・今のところ、この辺で・・失礼。
 
2016/2/22(月) 午後 6:49 [ st5402jp ] 返信する
 
 
(2016年02月24日)
 
 
 
 

 
  「愛国と・・」
 
 日常×非日常(Ordinary eXtraOrdinary)
 愛国と信仰
 
http://blogs.yahoo.co.jp/masatakahamazaki/27278999.html
  に書かれたコメント。日時を省略して編集。
  抜粋して、まとめているので、少々分かりにくいかもしれません。
  st5402jp が私です。
 
 
shalom:
 
「あの戦争のどこに「過ち」があり、なぜその「過ち」に陥ったのかを正しく分析することが必要である。」
 
アイデンティティが分析の基準になりますが、日本のように敗戦による物心両面の廃墟の上に、線照射から耐えられた民主主義が与えられ、その助けは必要でもありました。
その結果今日の新しい民主主義による戦後教育は経済生活至上主義のとなり、新しいアイデンティティは再構築されませんでした。アメリカは援助者から支配者というヒモになり、経済至上主義の破たんにより清算されずに抑圧されていた古いアイデンティティを取り戻し、不安の拠り所としていると思います。
 正しい分析を何をもって正しいとするかが不可欠でしょうか。アメリカは民主化、自由化が人類の普遍的価値だと主張し、日本はアメリカのヒモつきのまま追随して経済的、政治的、軍事的優位さを維持しようと追随していますが、民主義、自由主義も それぞれの国の歴史とこれまでのアイデンティティを無視して適応することはできません。それは支配と従属の関係であり、民主化と自由化に反するものでしょう。
 
 
st5402jp:
 
まるで右翼の人が言いそうなことだと思いました。続くんでしょうけれど・・今までシャロムさんが言ってきた記事やコメントを考えると・・結論が、(シャロムの言う)キリスト信仰だ・・なんてことにならないようにお願いします。国民の過半数が、(シャロムの言う)キリスト信仰に染まることはないので。
 
シャロムさん、あなたは、このV様ブログに来ると
「またいろいろご教示いただければ幸いです」とまで言われるほどの歓迎をされる・・言い過ぎのような気がする・・
一方、私のところに来ると、叩かれる、・・どちらが本当だと思いますか?
どちらもホントで、どちらもウソなのです。
 
 
shalom:
 
「おそらくアメリカの仕掛けた戦争に巻き込まれて日本は犠牲者となるだけで終わるような気がします。」
 
 犠牲者となるだけではなく犠牲者をうみ出す加害者となるのですね。
 自衛隊は国家権力を守るのではなく、いのちがけで国民を守るのですから、国民は自衛隊を守るためにも、加害者としないためにも戦争法案の廃棄を成し遂げなければならないでしょうね。
 
 対米独立路線に舵を切るだけの国民の覚悟が必要ですね。外国人には驚異であり、奇跡である大震災の時などの日本人の姿は日本人本来の姿ではないかと思いますが、経済至上主義からの卒業が世界に先駆けて求められているのではないかと思いますね。
これが第三の道でしょうか。夢物語でしょうか。
 
 
st5402jp:
 
愛国心: 自発的にしか生じ得ず、強制は不可能。
愛国主義: 情報統制と摺り込み、煽り、等によって、半強制が可能。日本の戦前と戦中。
愛国行為: 法制度によって、強制が可能。
 
愛国行為の強制によって日の丸に敬礼しながら、愛国心によって心の中で唾を吐き、愛国主義の者たちに殴られる・・
 
>夢物語でしょうか
 
夢物語みたいですが思ったことを一応書いておきます、
と言って書けば、そこに謙虚が表れるから、夢物語でも読めたでしょうに。
 
「戦争法案の廃棄を成し遂げなければならないでしょうね」
 
安保法案反対派は皆そう思っているでしょう。これからどうしよう・・と言う段階です。今さら言うことで、この人は安保法案反対なんだ・・ということが伝わるだけのことを、今ここに書くことに何か特別の意味があるのでしょうか。安保法案を戦争法案と言い換えて、語気は強いが、誰かが言ったことを書いて、具体的なことは書いていない。
 
安保法案反対派の誰もが難しくて言えないわけです、そういう段階にあるのに「夢物語でしょうか」と問うことは、夢物語ではないと主張していることになります。あなたは自分だけが問題意識を持っていると思っているのでしょうか。あなたの体質として、教える立場で上からだ、誰かの言ったことを言ってるだけなのに、その言い方は、評論家気取りで、大仰で、謙虚さがないと、信仰についても、私が言うのは、こういうことです。
 
「対米独立路線に舵を切る」「経済至上主義からの卒業」
 
夢物語です。どうすれば実現するのですかと問われて答えられますか。方針と政策の話です。まさか、あなたの言うキリスト信仰の話を書くんじゃないでしょうね。
 
 
shalom:
 
「あそこで暴動を起こさない国民性は為政者にとってはいかにも都合がよいという見方もできます。」
 
 飼いならされているようにも感じますね。あの中身は空っぽの神輿をみんなでありがたがって神がかり的に担がされていることなど宗教はアヘンみたいに日本人にとっての宗教は権力者の支配の一番有効な手段であり続けているのではないかと感じます。
 
 昨日NHKで若者たちの変革の力、既成の政治権力に対する不信や怒りによって変革された世界の出来事が映像の記録として紹介されていましたが、確かに暴動を起こすくらいの覚悟も必要ですね。
その点で戦争法案についての自発的な若者の行動は広く日本人の意識に訴えた出来事だったと思いましたが、まだ変革の半ばですが、マスコミなどの権力追従などを見るにつけ、まだ戦前の体質からの脱皮、真の立憲主義、民主主義が根をおろしていないのだろうと感じています。それでも良い意味で日本の村落農耕共同社会のみんなの協力を大事にする心は取り戻さないと日本は荒廃してしまうのではないかと思います。
 
 
※ 
>奇跡である大震災の時などの日本人の姿は
>日本人本来の姿ではないかと思います
 
と言っていたのを、そのあとのコメントを見て
 
>飼いならされているようにも感じますね
 
と言っています。
明らかに発言の方向から変わっているのに、
彼は、前言を改めるという一言を言えない人です。
 
 
st5402jp:
 
「日本の村落農耕共同社会のみんなの協力を大事にする心」
そんな心があったのでしょうか。協力しないと食っていけないから、自発的というより、村の掟として守って働いていたのではないでしょうか。どうも昔の農村というと、楢山節考とか、極貧とか、古い呪術的な世界という、先入観ですが、思い起こしてしまいます。
「規則正しく大人しく並んでいる日本人の姿」とは違うのでしょうか。どちらも、その時代の飼いならされた姿とは言えないでしょうか。・・ここはよく分かりません・・一般的な良心とは別の、伝統的な特別ものがあるのかどうか・・
 
 
>アイデンティティが分析の基準になりますが
>民主主義による戦後教育は経済生活至上主義のとなり、
>新しいアイデンティティは再構築されませんでした
>日本はアメリカのヒモつきのまま追随
>抑圧されていた古いアイデンティティを取り戻し、不安の拠り所
>正しい分析を何をもって正しいとするかが不可欠でしょうか
>民主義、自由主義も それぞれの国の歴史と
>これまでのアイデンティティを無視して適応することはできません。
>それは支配と従属の関係であり、民主化と自由化に反する
 
複雑な戦後の歴史を、どういう動機か知らないが、包括的に語ることの難しさを何も考えていないかのような、短い文章で、全か無かのような割り切り方で、ドラマの筋書きのように、よくも決めつけて断言できたものだと思いました。
 
よほど自信があるのか、決めつけの断定が好きなのか、それとも、こういう思考しか持たないのか、よほど自分の意見が正しくて貴重だと思って披露したがっているのか・・、そもそもアイデンティティって、いったい何なのでしょう。国民の国のアイデンティティというのは、そんなにはっきり有る無しが語れるものなのでしょうか。あれば、それは、いいのものなのでしょうか。
 
アイデンティティというのは化け物みたいな言葉だと思っています。恐らく今、波に乗った感じで、右翼の人たちは、日本のアイデンティティ=大和魂・・辺りを当たり前の思想として、摺り込ませようとしているのではないか・・と言う気がします。それで、まるで右翼の人が言いそうなことだと書きました。
 
宗教や政治と歴史というテーマでは、単純な思考や短絡的な割り切りで解釈するのは禁物だと思います。誰かを悪者にしがちな考え方は、結局、自分の正しさを誇っているだけのこともあるようです。そういう考えで、過去の誰かや何かの集団を悪者とするのは、一方では、自分を加害者から完全に除外する考え方に結び付いていって、訂正不能の先入観となって、こびりついてゆくのでしょう。このように、自分を被害者にすることはあっても、決して加害者としては考えないという独善が、つまりは裁く態度として、議論という意見の交換を、共感を持って、進めることの大きな妨げとなるでしょう。 
 
vernunft:
 
私がいつも思うのは、信仰と洗脳の違いをはっきりさせておきたいということです。しかしこの区別がなかなか難しい。自分では信仰だと思っていても、洗脳されている場合が多いと思います。洗脳されていることに気づかれないようになされるのが洗脳なので、これは本当に難しいのでしょう。
 唯一の対応策が、複数の人の意見をなるべく偏見を持たずに聞くことだと思います。私にとって不愉快に思える意見にこそ、実は私の洗脳を解く鍵が隠されていたりすると思います。逆に私にとって心地よい意見は、私の洗脳をさらに深刻にする可能性があります。
 教育を受けている者はその教育者から何らかの洗脳を受けているものです。だから洗脳から完全に自由な人はいないと思います。そういう自覚が必要だと思います。
すみません。私自身の反省・雑感でした。
 
 
st5402jp:
 
>信仰と洗脳の違いをはっきりさせておきたい
 
これは非常に重要な問題で、
何故かというと、キリスト信仰とカルト信仰の違いは・・?、という問題でもあるからです。
 
>教育を受けている者はその教育者から何らかの洗脳を受けているものです。
>だから洗脳から完全に自由な人はいないと思います
 
賛成しますが、これは、人の常として、先入観という問題だろうと思います。洗脳は、権力やカルトが人間を改造して、一方向を持たせて、それ以外を持たせない、という、かなり、えげつない問題だから、一応、人の常とは区別したいと思います。先入観は、自ら内省して、その存在を知ることが出来る可能性があり、完全ということはないが、ある程度は改善も可能です。洗脳は省みることを許さない悪質を重ねています。
 
というわけで、キリスト教はどうかというと、洗脳していることも教える人によっては、あるだろうと思います。
「信じる」という言葉には、拠りどころとして頼みとするという意味と、証明できないことを確定的に、有る、分かる、と思い込んで、訂正不能にする、という意味があるように思います。後者は大嫌いです。(私の記事「信じる?」参照)
 
 
>心地よい意見は、私の洗脳をさらに深刻にする可能性があります
 
心地よいというのは気分がよくなるということでしょうから、聞いて読んで中身を吟味するというより、ムードを与えられるのだろうか・・と思います。
 
参考までに・・という話になりますが、詩は昔、浪漫主義で、多彩な語彙をもって形容することでしたが、現代詩に至ったのは、シュールなどの影響を受けて暗喩を専らとしてイマジズムとなり、戦後は考える詩というものに移ってきたようです。
 
一方で、キリスト教はというと、今に至っても、ご丁寧に、考えないことを教えているような気がします。だから今でも、絶対を知らないにもかかわらず聖書を言葉が絶対で、何かというと聖書を引っ張り出して、与えられた自らの心と頭で考えることを戒めている?とさえ思われるふしがあります。ひどいのになると、「聖書にありますが、書きましょうかjと脅迫めいて、自らの意見を正当化するために「聖句だから文句は言わせない」という聖句の悪用で迫ってくる場合もあります。そういう人には思考力が育たず、またそういう人に限って、他に人にも、ご丁寧に思考停止を勧めています。それで使命を果たしたつもりで満悦していることがあります。悍ましい限りです。
 
 
(2016年02月24日)
 
 
 
 

 
  「(コメント)何を求め・・?」
 
 その名は不思議
 何を求め、なにをしているのか?
 
http://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/27276452.html
 そのコメント欄です。
 
 
※ すでにいっぱい削除した後です。
彼は批判コメント削除を正当化したいようです。
当てはまらないルールを盾に、
次は相手(私)を病気だと決めつけて、
自分の削除という行為を言い訳しています。
正面で受け止めて反応するのではなく
色々な理由を作って当てつけ、
自分の優位性を強調するというやり方は前からです。
 
 
また削除するのですか。
 
2016/2/21(日) 午後 10:05[ st5402jp ]返信する
 
また削除した・・
 
in日常×非日常
 >一身の独立性の発達障害を表わしている甘え、依存的国民性を表わしていることの確かな証拠
 
 他者を発達障害と呼ぶとき、自分の発達障害を忘れている。
 他者を依存と呼ぶのは、自分の依存を忘れていて、他者のせいにするときに使う常とう手段だ。
 
 卑怯が板についてきましたね。
 
2016/2/22(月) 午前 1:09[ st5402jp ]返信する
 
荒らしコメントを削除するように批判コメントを削除する行為は、ネットの常識から言ってルール違反であり、あなたが賛同者以外誰の意見も聞かないことを表しており、それはそのままあなたが自らの絶対性を主張していることを証明している。
 
2016/2/22(月) 午前 1:42[ st5402jp ]返信する
 
 
stさん
 
「荒らしコメントを削除するように批判コメントを削除する行為は、ネットの常識から言ってルール違反であり、」
 
YAHOO ブログサービスにも利用者ルールがありますよ。
 自分の唯我独尊のルールを一方的に他者に要求して、自己を絶対化?し、荒らしと批判の区別もできずに、執拗な批判と人格攻撃をするのは荒らしです。ネットの常識から言ってルール違反しているの はだれでしょうか。
 
 成人の発達障害は独立性のなさであり、一般的には特徴は自他未分化であり、自己と他者の考えや立場との区別がつかず、尊重できないこと、認めることのできない感情障害、思考障害のために他者とのコミュニケーションに問題があることです。
 
2016/2/22(月) 午前 8:59[ shalom ]返信する
 
また賛同者以外誰の意見も聞かずとありますが、あまり賛同の意見をコメントされる人も多くはありません。反対と批判を長期にわたって繰り返される人もあなた以外にはありませんが…。
 
ブログ・サービスのルールには削除、ブログ以外のサービスを使用することを勧めています。
 
なにを書いても相手の反応、コメントを引き出すために、自分の批判の辛辣さを正当化するだけの一方的な批判と人格否定の不毛なコメントとしかありませんので、最低限度の基本的信頼関係がある人の考えも聞こうとしないあなたのコメントは今日のコメントのみオープンして今後も削除します。
 
2016/2/22(月) 午前 8:59[ shalom ]返信する
 
 
あなたが、いくら決め付けても、私が批判する根拠は、あなたのこれまでの記事とコメントの言論と、あなたの、ネットでの行為に表れています。・・そして、私の記事とコメントにも・・
ブロック、削除、廃止、自分をよく見せる小細工、否定できないでしょう。
信仰がテーマであり、丁寧に言えば、丁寧に、はぐらかす、あなたとは、礼儀や社交で済ませられる段階ではありません。
 
2016/2/23(火) 午前 2:33 [ st5402jp ] 返信する
 
>成人の発達障害は独立性のなさであり、一般的には特徴は自他未分化であり、自己と他者の考えや立場との区別がつかず、尊重できないこと、認めることのできない感情障害、思考障害のために他者とのコミュニケーションに問題があることです。

 
しかも、それを、これで3度目ですが、私の病気のせいにして侮辱している。そういうことは医者にとっても禁忌なのに・・あなたの異常性は、自分が上から目線であることを自ら明らかにしています。あなたは分からないのですね・・しかもわからないとは決して言わない・・。私を精神病患者にして、独立性がなく、自他未分化で、感情障害、思考障害、等々、・・どこまで人を愚弄するのでしょう。こう書くことで、私が批判を止めるとでも思っているのでしょうか。
 
2016/2/23(火) 午前 2:34 [ st5402jp ] 返信する
 
・・そうそう、何の反省もなく、何の根拠も言えないのに、何でも人のせいにする、というのも、あなたと、あなたの体質と、あなたの信仰の病理でした。そして偽善者の特徴でもあります。
 
あなたは、あなたのコミュニケーションが正しいと思っているようだが、それは社交に過ぎません。あなたは、大仰に言うだけで、話の組み立ても出来ていない。否定されると削除することしか出来ない、特に信仰についてのコミュニケーションが出来ない人です。信仰の遣り取りは社交では済まないからです。
 
2016/2/23(火) 午前 2:35 [ st5402jp ] 返信する
 
>反対と批判を長期にわたって繰り返される人もあなた以外にはありません
 
そうです。私しかいないのです。勇気を持って、結果を恐れず、批判してくれる人が他に、いっぱいいればよいのですが、私しかいないのです。だから、私は止めることは出来ないのです。
 
コメントを承認したかと思えば、悪しざまな、これ以上ないような侮辱のレス。こういうことしか書けないで、批判は受け付けないのに、自分の言い分だけは、押し出してくる。こういう人は一生かかっても、無駄であろうということが分かっていて、それでも、批判するのは、私くらいしかいないのです。無駄だと分かっているからこそ、あなたの言説に、コメントに、この人はおかしいと、矛盾や偽善を、対立軸として立て続ける以外ないということです。
 
2016/2/23(火) 午前 2:36 [ st5402jp ] 返信する
 
>あまり賛同の意見をコメントされる人も多くはありません
 
そうです。批判しなかったら、賛同コメントは増えてゆくでしょう。師と仰ぐ人も出てくるかもしれませんから、批判を続けます。
 
>なにを書いても相手の反応、コメントを引き出すために、
 
コメントを引き出すためと思っていたのですか。コメントを引き出せなくても、私のブログで対立軸として批判を続けます。対立軸を、反対意見があることを明らかにしてゆきます。
 
2016/2/23(火) 午前 2:38 [ st5402jp ] 返信する
 
>自分の批判の辛辣さを正当化するだけの一方的な批判と人格否定の
 
「一方的」「人格否定」は決めつけです。あなたは私のブログに批判コメントを書く自由があるのに、書いたときには失言ばかり繰り返していたではありませんか。そして黙ってしまう、そして私という相手のせいにして現在に至っています。
 
2016/2/23(火) 午前 2:39 [ st5402jp ] 返信する
 
>不毛なコメントとしかありませんので、
 
決めつけです。荒らしコメントでさえ、たまには自戒の糧になることもありますが、あなたのは、私にとって、批判精神を促進するような効果しかありませんでした。はっきり言って、正直でない分、自己絶対化が激しい分、陰湿な分、あなたは、ネトウヨの人たちより、話の分からない人です。
 
2016/2/23(火) 午前 2:42 [ st5402jp ] 返信する
 
>最低限度の基本的信頼関係がある人の考えも
>聞こうとしないあなたのコメントは
>今日のコメントのみオープンして今後も削除します。
 
V様のことですか。また、あなたの体質と信仰によるのだろうけど、婉曲的な底意地の悪い書き方をしてますね・・こういうことをずっとしているのが、あなたなのです。V様は、どんな相手からのコメントにも、激しいことや悪いことは書きません。それが彼のスタイルのようです。それが、ときに、私には、きつかったりもしますが、・・これは、あなたには分からないことです。
 
2016/2/23(火) 午前 2:43 [ st5402jp ] 返信する
 
その寛容に付き合ってもらって、ようやく恩恵を受けているのは、あなたのほうでしょう。感謝するべきでしょう。私は、彼のスタイルで書くことはできませんが、それなりに感謝しています。
 
無視でないときは、いびるような、意地悪コメント、あなたの体質と信仰がよく分かるコメントでした。
 
>今日のコメントのみオープンして今後も削除します。
 
結局、削除するわけじゃないですか。またそれで、私の批判の必然が続くことになります。
 
2016/2/23(火) 午前 2:44 [ st5402jp ] 返信する
 
ヤフーのルールには、批判禁忌と書いてありますか。ないでしょう。もしそういうことになったら、多くのブログが成り立たなくなるからです。
 
2016/2/23(火) 午前 2:51 [ st5402jp ] 返信する
 
 
※ 
結局、彼は自分のコメントを残して、私のコメントは最初の3つだけ残して
自分のコメントで遣り取りが終わったかのように見せかけています。
そして、私がそれを記事にしたら、彼は不当だと怒るのです。
そういう、いかなる条件も、道理も根拠も吹っ飛んだ習性を彼は持っているようです。
悪とか罪とかを全く自分に当てはめる思慮のない無反省が彼の正義のようです。
 
 
(2016年02月23日)
 
 
 
 

 
  罪と共感
 
 
自分は不完全で
罪を犯すという体験的直観に立てるなら
罪なき者は一人もいないのだから
自分は罪人である
という共感と共有に立つ信仰を持つことになる
 
 
一方とんでもないことだが
罪をただの悪と苦という忌むべきものとしてのみ考え
神を信じることによって罪から救済されることを
極めて単純に短絡的に誤解または曲解して
救われて罪は赦されてなくなり
よって悪もなくなり苦しまなくてよくなるという信仰は
言うまでもないことだがキリスト信仰ではない
しかも
そういう信仰は
神によってもたらされると信じるのだから自力の信仰でもない
つまり
神を信じると罪のない人になり
悔いることも苦しむこともなくなり
全ての道で正しくなり
讃美だけしておればよい
という信仰になり
それは結局
反省しない信仰と人を作り出すことになるのである
 
 
信仰は
キリストが罪人に対して
何よりもその罪を自らの身に引き受ける
という命を賭する共感を示したことで
そのキリストの共感に
罪人の共感は共鳴し
全人生を罪人としてキリストに委ね
共感という温かい命に包まれて生きることである
 
 
(2016年02月23日)
 
賭する(とする)
委ねる(ゆだねる)
 
 
 
 

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