ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2019年05月

 
  祈りと讃美
 
 
長崎から東京まで
という距離は、
地図があるから
ある程度把握できる。
 
その時間はと言うと
交通手段によって変わる。
飛行機か記者か車かなどによる。
昔の人は歩いたのだから大変だ。
 
しかし、天国までとか
永遠とかになると
まるで把握できない。
推測しても想像しても
だいたい正しいだろうとさえ言えない。
 
ということで
神の性質については
人の世界にあるものとは全然違って
神聖を表す言葉
全知全能、絶対完全、永遠不変を
手に負えないと前に書きました。
つまり
人の概念把握の外にあるということで
超常の神の領域と弁えて
意味の確定した言葉として使うのは無理だということです。
 
そういう言葉ばかり書いている信仰者もいます。
中にはキリスト者とは到底思えない偽キリスト者もいます。
 
そういう絶対言葉は
特に讃美するときに多用されるようです。
 
分からない言葉で満たしても
分かっていることにはなりません。
 
神にあこがれ
キリストにあこがれ
キリストの愛にあこがれ
祈りをささげるまでは
とてもキリスト者らしいのですが
 
讃美をし始めると
とたんに顎が外れるように大仰になり
誇大的な超常言葉になるのは
むしろカルト的ではないかとさえ思うときがあります。
 
誇大的ではなく
いかに神の前に自らを
小さく弱い存在の人間として弁え
へりくだることができるか
それをためし
それをためされているのが
祈りなのです。
 
 
讃美するように、という聖句は多いですが、
「ほめたたえよ」で検索してみると
 
 (ローマ人への手紙、新約聖書)
15:8
わたしは言う、キリストは神の真実を明らかにするために、割礼のある者の僕となられた。それは父祖たちの受けた約束を保証すると共に、
15:9
異邦人もあわれみを受けて神をあがめるようになるためである、
「それゆえ、わたしは、異邦人の中で
あなたにさんびをささげ、
また、御名をほめ歌う」
と書いてあるとおりである。
15:10
また、こう言っている、
「異邦人よ、主の民と共に喜べ」。
15:11
また、
「すべての異邦人よ、主をほめまつれ。
もろもろの民よ、主をほめたたえよ」。
15:12
またイザヤは言っている、
「エッサイの根から芽が出て、
異邦人を治めるために立ち上がる者が来る。
異邦人は彼に望みをおくであろう」。
15:13
どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように。
 (ローマ15:8-13、新約聖書)
 
このことは、讃美すれば、ご利益がある、などという意味ではないことはキリスト者なら知っているでしょう。でも、讃美すると、なにかいいことがありそうな、とか、讃美しないと、いけないような、神の御不興を買うような?、罰が当たりそうな?、というのに似た気持ちがあって習慣づけ、あるいは、強迫的になっているような気がすることがあります。これは、自分として、ちゃんと出来ないといけない、という気持ちの表れかもしれません。
 
それ以上に、自分は、神様のおかげさまで、幸せだと確信しようとしているのではないかとも思います。
 
神は、人が、まるで、偉い人へのお世辞のように、成就したかどうかわからないことを、思い込みの繰り返しで讃美して、本音、本心、すなわち、不信仰を隠すことを望んでおられるでしょうか。
 
12節には、キリストに望みを置くことが書いてあり、
13節には、祈り願っているわけですから、
信仰は、祈りであります。
 
聖句は、そうすれば救われる、そうしないと救われない、ということを言っているのではありません。
 
 
讃美の言葉や教理の言葉をどれだけ山のように並べて唱えても、
聖書においてキリストに救われた人々の、そのときの一言にも一つの行為にも及ばないと知るべきでしょう。
救われた人々は、讃美の言葉、教理の言葉など、尽くしたでしょうか。
 
それら讃美と理屈を神の前に並べたのは、キリストを殺したパリサイ人たちなのです。
 
 
神様は、今、願いを叶えたけど、などとは、いちいち、教えてはくださいません。したがって、今、讃美しなさいとも、いちいち、教えてはくださいません。だからといって、いつも、讃美の言葉を並べれば、神様は満足なさるでしょうか。
 
そういう神ならば、それは行為義認のカルトの世界に近くなります。そこに、お祭り騒ぎや強迫性はあっても、人間の、他にはないという、せつない気持ちが込められていないからです。
折に触れての、正直な告白と願いと実感からの感謝に、重きを置くべきでしょう。
 
しかし、とても特殊な場合、例えば、臨終のようなとき、まだ意識がある間に祈る、というような特殊な自発的な場合は例外です。そういう場合には、先のことを考えられないし、世辞や偽善の入る余地がないから、強い讃美もありうるでしょう。
 
 
ふつうに生きている日常では、余計な気持ちが無意識に入りやすいことを知るべきでしょう。
 
神に世辞は通用しないのです。
人は、大方、不信仰なのです。
日々の信仰告白は、正直な不信仰告白なのです。
 
折に触れての正直な告白と感謝の祈り以上に、讃美できる人はいないと思います。
 
 
(2019年05月31日、同日一部修正)
 
弁え(わきまえ)
 
 
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  気取りだけのコメント
 
   令和新選組 参院選10人立候補!
   
https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28982412.html
   コメント欄
    by shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼)
 
 
(私)
シャロームの預言者気取りは、思想家気取り、リーダー気取り、ヒーロー気取りとして、転載だけでは飽き足らず、書かずにはおれないようです。しかも、書いたコメントは、敵にも味方にも、ボロクソ節で理路がなく、幼稚な短絡でしかないのです。
(私)
転載記事と、シャロームの、のぼせ頭の書いたコメントの間の落差は、ひどいものです。普通は、恥ずかしくて自分のコメントは、思想家以外は、遠慮して、1番目のコメントのような応援コメントを書くのですが、シャロームは、豪語しないと気が済まないようです。
(私)
しかも、シャロームは、いい加減なことを書いて、書いた後は、書いたことに満悦したのか、ほったらかしです。
 
 
(mさん)
10人の山本太郎の分身が当選しますように。
 応援してますが、不正選挙マシン、ムサシをどうにかしないといけないですね。山本太郎ガン無視のマスコミも、不正選挙の片棒担いでいると思います。
2019/5/30(木) 午後 7:02 m 返信する
 
(シャローム)
> mさん
民主主義の根幹である選挙の不正は如何なるものであっても、防止し、排除しなければなりませんね。被選挙民の誰であろうとも、首相であれば下関市長選挙にかかわる選挙妨害行為が明らかにされたこともあり、なおのこと、利害関係者が関与している企業による選挙機材は如何なるものであろうと使用されることは禁止されるべきですね。たしかモンゴル訪問の時には有償か無償かはわかりませんが、選挙機材を提供していましたね。
れいわ新選組が山本太郎のリーダーシップのもと、政党として一致結束した働きができるためには、立候補者の選択が重要ですね。あまり時間がないこともあり、急いてはことを仕損じること、刺客や内輪もめを起こす偽賛同者が混じり込んでくることもあったり、なにが起こるかわかりませんから、これからが油断大敵ですね。
とにかく蛇に睨まれた蛙の群れ化している自民党打倒し、徒党集団である野党の真の結束への道ができればいいですね。現在の日本の洗濯、覚醒は明治維新や戦後日本の再生よりはるかに途方もない内面的な難事業ですから山本太郎をしっかり支え、熱しやすく冷めやすい一時的なムードに終わらせてはダメですね
2019/5/30(木) 午後 8:49[ shalom ]返信する
 
 
(私)
あなたは、戦後民主主義をボロクソに言いました。しかし、あなたは、反対意見を押しつぶす権威主義の権化です。Y氏を応援する資格があると思っているでしょうか。
2019/5/30(木) 午後 8:50st5402jp返信する
(2019年05月30日22:25現在、未承認))
 
 
(私)
シャロームの言葉を拾ってみると、
「選挙の不正は如何なるものであっても、防止し、排除しなければなりません」
「利害関係者が関与している企業による選挙機材は如何なるものであろうと使用されることは禁止されるべき」
「立候補者の選択が重要ですね。あまり時間がないこともあり、急いてはことを仕損じること、刺客や内輪もめを起こす偽賛同者が混じり込んでくることもあったり、なにが起こるかわかりませんから、これからが油断大敵ですね。」
当たり前のことを言って、言い得た気分になるシャロームです。
そして、結論は、「油断大敵」だけなのです。
シャロームは、四字熟語の格言を言うためだけにコメントを書いたのでしょうか。
 
(私)
自民党は「蛇に睨まれた蛙の群れ化している」のでしょうか。自民党は誰かに見据えられて立ち尽くしているのでしょうか。むしろ、それをしている側ではないでしょうか。自民党の、誰が、どこが、身が竦んでいるのでしょう。
 
(ネット検索)
蛇に睨まれた蛙:
見据えられて身が竦み、逃げることも立ち向かうこともできずにそこに立ち尽くしているさま、恐怖で立ちすくむ様子などを喩えた表現。「蛇に見込まれた蛙のよう」などのようにも言う。
https://www.weblio.jp/content/%E8%9B%87%E3%81%AB%E7%9D%A8%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%9F%E8%9B%99
 
(私)
それとも、シャロームは、ABsが、党員に、睨みを利かせていると言いたいのでしょうか。だとすれば、自民党員は被害者なのでしょうか。
(私)
「現在の日本の洗濯、覚醒は明治維新や戦後日本の再生よりはるかに途方もない内面的な難事業です」
シャロームは、明治維新や戦後日本を知っているのでしょうか。今の政治を改革することは、シャロームは「洗濯、覚醒」と言っていますが、それって、「内面的」なのでしょうか。
(私)
しかも、そのあとに「熱しやすく冷めやすい一時的なムードに終わらせてはダメ」などと書いています。
安っぽく短絡して、上気して、のぼせ上がったシャロームは、思想家気取り、リーダー気取りで、上から、届きもしないアドバイスをしたつもりなのです・・「油断大敵」「ダメ」と言っただけで。
(私)
シャロームは、恥と罪と偽善だけが文章にそれが表れてきたのに、今まで、何度も指摘してきたのに、努力も実績もなく、理路の破たんと共感の欠如が表れてきた抑制不可能な自己顕示欲だけの、恥ずかしいだけの、中身のない権威主義です。
(私)
讃美言葉を並べるだけの信仰?で、罪を認めず悔い改めもしないシャロームの、キリスト信仰とは全く違う勘違いか妄想の信じ方で、思い上がったすえの醜態が、今日も、真剣を装って、ブログを読む人々を欺こうとしています。
 
 
(2019年05月31日、同日一部修正)
 
睨む(にらむ)
竦む(すくむ)
 
 
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  祈り、でもでも
 
 
祈りたい気持ちがあって
祈ることがあるから
まだ信じているのだろう
実際には
毎日のように祈っているが
 
でも祈ったからといって
何か変わるのかどうか
変わるとして
それは目に見えるのかどうか
どちらも人には分からない
 
信仰は神に従うことなら
偽物でしかありえないのか
つまり人間の勝手だ
ほしいまま
分かったことにしている
 
分からないと言えないなら
もはや信仰ではない
 
でも祈りたくなるのは何故だろう
委ねたくなるのはなぜだろう
そうさせているのが信仰だ
神だ
でもそれも人には分からないことだ
神のなさることは分からない
 
いくつもの祈りの結果が
すべて益でしたなんて
あらかじめ感謝と讃美が前提として
鉄則になっている人の
正直を押し殺した多幸の強迫観念だ
 
弱いから何かに頼りたいだけかもしれない
 
でも祈るとき
鰯の頭を思い浮かべてはいないから
 
でも本当の神を思い浮かべることは出来ないから
何も整ってはいない
むしろ壊れている
 
信じていない
信仰はない
信仰のない自分
いつも
そこから始まっているようだ
いたたまれなくて
祈り
 
 
(2011年10月29日)
(2019年05月29日、修正)
 
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  海の出来事(再録)
 
 
小学校の間にクリアすべき課題が3つありました
鉄棒の逆上がり、自転車、泳ぐこと
どれも私は出来ませんでした。
 
中学校になって
低い鉄棒なら逆上がりは出来るようになり
自転車も何とか乗れるようになりましたが
泳げません
 
ある日、友だちとプールに行きました
うつ伏せで手足を伸ばして目をつぶって浮く練習
お腹に何か触る
目を開けたら底でした
また友だちは何度やっても出来ないのに
私はプールの底であぐらをかくことが出来た
 
導かれる結論は
そのとき私という人体の比重は1よりも大きい
 
あるとき青年の私は海に行って
泳げないので
海面が胸くらいのところで立っていました
 
子供がパシャパシャと泳いで来て
私の横で止まって立ち泳ぎを始めました
私は横で見ていました
 
バシャバシャ・・
あまり上手ではないな、練習か
私は横で見ていました
バシャバシャ・・顔が沈んだり浮いたり
私は見ていました
ゆがんだ顔がとても真剣になりました
私は見ていました
血相が変わり、すごい顔で
手を私のほうに伸ばしてきました
バシャバシャッバシャッバシャバシャバシャ
あれ?と
私は歩み寄り腕を差し出しました
その途端、子供は腕にしがみついてきました
私はしがみつかせたまま歩いて岸のほうへ戻りました
 
その子の友達が驚いたように
「だいじょうぶや?」とか言ってました
私は「沖へ向かうと危ない。岸に沿って泳ぎなさい」と
言えないまま離れて行きました
 
泳げない私が
溺れかけた子どもを助けた
 
私が為すべきこと、それは私に出来ること
というのが
あのときほど明らかだったことはありません
あれが最初で最後だったような
 
大学も仕事もうまくいかず
・・そして気の遠くなるような時間・・
 
還暦近くなって
テレビを見ても、誰の言うことを聞いても
もっともらしく思えるが
実は誰の言うことも信用してなくて
疑い深く
面と向かっては何も言えないくせに
テレビの名言には反名言をためしに呟いてみたり
ネットでは疑問や反対意見や批判や
暗いことばかり書いてる
 
泳げません
 
 
(2011年11月03日、同日若干修正)
(2019年05月29日、若干修正)
 
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  同一性(再録)
 
 
同一性障害という病名がある
自我障害という症状がある
 
これらは本当に
その名に相当する障害なのか
病気なのか
症状なのか
人の常ではないのか
 
自分が自分であるという明証性なら
夢の中でも持っている
 
昨日の自分と今日の自分が同一人物
という連続性
本当か
 
忘れっぽくなったという自覚は
忘れっぽい自分をまだ失ってはいない
忘れたことさえ忘れたら
認知症の世界だが
はたして本当にそれだけだろうか
 
欠けたことに
欠けた後の自分が気づくだろうか
欠けた後の自分が自分なのだ
 
よかれあしかれ
今日得るもの
与えられるもの
こびりついて身につけるもの
 
ゆうべに失い
あしたに得るもの
どこか祈りにも似て
気づくことを忘れ
気づかないことが常になって
 
同一性を疑いもせず
疑ったところで何も得られず
変わらないと信じて
信じることさえ忘れて
変わらないと信じることさえ変わって
 
日々自分は自分でなくなり
自分とは異なるものになってゆく
それが良いとも悪いとも分からずに
失い
得て
人が移ろい変わるのは
成長なのか
退行なのか
必然という予測不能な乖離か収斂か
 
 
(2011年10月28日)
(2019年05月29日、若干修正)
 
ここで乖離(かいり)というのは、
恐らく、いずれ訪れる死のことだと思います。
収斂(しゅうれん)
 
 
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