ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2019年06月

 
  復讐?告白?
 
   「彼に神の救いなどあるものか」 (詩編3)
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41555857.html
   楽山のブログ記事
 
 
シャロームがしたことと同じような聖句の悪用です。都合の良いところだけ利用・悪用するのです。
 
ただ、終わりのほうで、楽山は、罪を認めるような発言をしています。罪の告白は、キリスト信仰において、重要な意味を持ちます。一般的にも、罪を認めるのと認めないのとは、判断において軽くはないはずです。
 
また、罪についての重要な発言をしながら、それも嘘であったなら、もはや、神の前にも、人の前にも、決定的になるでしょう。だから、私は、より慎重が上にも慎重に、その実質があるかどうかを考えなければなりません。ずっと今後も。
 

主よ、わたしを苦しめる者は
  どこまで増えるのでしょうか。
多くの者がわたしに立ち向かい
多くの者がわたしに言います
「彼に神の救いなどあるものか」と。
(詩編3:2-3)

 
ダビデ王が書いたとも言われる詩篇ですが、楽山はシャロームに酷似しています。批判されると、自分はこんなに苦しめられている、敵を滅ぼしてください、という聖句を並べてきました。同じ体質を持っていることから、シャローム、楽山、易坊の、一人による成りすましを疑っています。無反省の被害者気取りです。
 
楽山が神の救いを信じているはずはないです。神を信じていたら、あるいは、最低限の謙虚さえ持っていたら、今までの私の批判もなかったわけです。真実から遠くなるほうを選んだ人だと思います。
 
キリスト者でもないのに、聖句を当ててきました。批判に対しても、反省はなく、弁明も反論もないのに、聖句を引用することは、キリストとキリスト者への嘲笑いと怒りしかないと、聖書を恐ろしく軽く扱っている自分を表しているようなものです。
 
聖書で、神の復讐を願う聖句として、適当に選んできたようですが、その心を理解しないまま、被害者気取りしか持たない自分によかれと悪用しているだけでしょう。詩篇3章という、はじめのほうというのも、そのためでしょう。知らない土俵で相撲を取ることを企むと、こうなるのです。前に、根拠もなくシャロームの味方をしたときのように。
 
怒らせて感情的になったら料理してやる、とでも思っているのでしょうか。
この聖句も、次に私が引用する聖句も、楽山に対して当てはまります。前者は苦しめる者として、後者は偽りを慕い求める者として。
 
 (詩篇、口語訳)
4:1
わたしの義を助け守られる神よ、
わたしが呼ばわる時、お答えください。
あなたはわたしが悩んでいた時、
わたしをくつろがせてくださいました。
わたしをあわれみ、わたしの祈をお聞きください。
4:2
人の子らよ、いつまでわたしの誉をはずかしめるのか。
いつまでむなしい言葉を愛し、
偽りを慕い求めるのか。
 (詩篇4:1-2、旧約聖書)
 
私は、ボンヤリ言語、ほのめかし、刷り込み、など、虚しい偽りの言葉しか言わない楽山に対して、当てはまると思います。妄想讃美説教者のシャロームにも当てはまります。偽りの快楽だけを追い求めているので、不都合な本音をひたすら隠しているのです。
 

宗教関連の議論をしていると、
「彼は救われないだろう」
「彼は地獄に堕ちるだろう」
などと言う人がいるけど、
この詩を読むと、
そういうことを言う人は、
何千年も前から、いたようだ。
ということは、
こういう人たちは、
 何千年経っても、
ずっと居続けるんだろうな。

 
「彼は救われないだろう」「彼は地獄に堕ちるだろう」は、推測ですから言ってもいいのですが、私は、言ったことはないんじゃないかと思います。
 
言っていけないのは、「彼は救われない」「彼は地獄に堕ちる」と決めつけることです。先のことは、神のみぞ知ることで、人には分からないからです。
 
しかし、故意としか思えないような、偽り、偽善、隠蔽、偽装、改ざん、嘘、妄想、などが、ひどいシャロームと楽山なので、言いたくなることは、あります。
 
批判は、不正を指摘することです。だから、キリスト者として、あまりに外れたことを言う人には、外れていると言いますし、キリスト者ではないとも言います。
 
ボンヤリ言語で書く楽山の記事は、ほぼ全部が芝居だと思っています。今の時点で、そう判断するしかないからです。
 
批判などの刺激によって、反省しないため、反応する側の批判される態度・姿勢が変わらないで、相手が嫌になるようなことばかり書いてくるのは、偽善者やカルトの、一つの特徴です。いつも、人を下に見ているから、常に尊大で、それを隠すことはあっても、改めることはないのです。
 

でも、
人のことを
とやかく言っても仕方ないかな。

 
散々、呪いのように、とやかく言った後で、これを書くのは、冷静を装って柔和に見せかけるためです。
 
普通、批判されたら、弁明し反論をするか、わけを聞いてくるか、投稿を控えるはずです。
楽山、シャロームには、弁明も反論もできないので、婉曲的な当てつけをしてきます。
 

まずは自分自身が、
人をむやみに裁いたり、
神の心を分かったつもりになって、
神は誰を救い、誰を救わない
などと言ったりしないように、
気をつけよう。

 
言ったりしないように気をつけるよりも、言われないように気をつけるべきです。
宗教には、偽者やカルトが、付きまといます。
 
無条件に、言わないようにしようと言う者は、大方言われている者であり、言われる理由がある者なのです。今まで、ずっとそうでした。
 
どうか、このペテン師に近づかないでください。性根から腐っていると思います。だから、どんな善の芝居もするでしょう。そういう偽善者です。
 

ていうか、
考えてみれば、
自分も宗教にハマっているときに、
人に対して、「地獄行きだな」と言ったことがあったのだった。
自分はこのことはすっかり忘れていたのだが、
ずいぶん経ってから、当人から、次のようなことを言われて思い出した。
「ずっと前に、おまえから、地獄に堕ちると言われたことがあった。
あの時は、ぶんなぐってやろうと思ったぞ」

 
「ていうか」と若者を装っていますが、そんなに若くはないと思っています。
 
この話・・あったのでしょうか、そんなこと・・なかったのではないでしょうか。これも、芝居ではないでしょうか。不都合は無視しているはずの楽山ですから。これは推測です。
 
シャロームは、最近の記事で、私のコメントを承認しないまま、他の人とは、丁寧語で返していました。その嘘吐きで隠蔽魔で削除魔のシャロームに、理路を弁えないで味方をしたのは楽山です。それ以降・・発言の信頼度はゼロになっています。
 
ただ、何かを言って、それを、反省も訂正もしないだろうから、そのために怒りを買うことは、あるかもしれません。
 

これは今、思い出しても恥ずかしくてたまらない。
胸がどきどきして苦しくなって、ご飯が食べられなくなるくらいの恥ずかしい。
恐らくは、この他にも、自分で犯していながら忘れてしまっている罪はたくさんあるだろうし、
ひたすら反省である。とほほ。

 
恥ずかしく、苦しく、ひたすら反省、自分で犯していながら忘れてしまっている罪はたくさんあるだろう、ひたすら反省、とほほ、・・総て芝居だと思います。
 
芝居がかっている、ということと、言葉だけ言ってみても、今までの経過で、これらに相当する心が表れたことはないからです。
 
今回、楽山が、この記事を書いたのは、前の記事を私が批判しているからでしょう。受けを一足飛びに、よくして、善人ぶる必要があったのでしょう。そういう理由と因果があります。
 
笑いと怒りしか感じない、その体質だけが今までの記事に表れてきた、楽山とシャロームは、書く記事も、上からの嘲りが怒りの裏返しになった大仰なものです。この辺も、シャロームの讃美口調に、よく似ています。
 
例えば、ご飯が食べられなくなるくらい恥ずかしい、そして、罪を認めるような話ですが、罪を認めているなら、今までにも、そういう話が出てきているはずです。それに、ボンヤリ言語による暗示の刷り込みをする必要など全くないのです。
 
人間にとって、罪や失敗のたぐいは、大小含めると、稀ではありません。今になって、山盛りの形容といっしょに、どどっと書いてくることこそ、怪しいと思わざるを得ません。
 
今さら、言葉だけ、謙虚を装っても、実質がないのです。芝居がかった、わざとらしさ以外、ずっと、私が見る限り、どこにも謙虚さは書かれていなかったのです。その体質から、急ごしらえのフィクションではないかと思います。狼と少年に似ています。
 
例えば、シャローム、楽山が、悲しくて泣くシーンを想像できません。悲しくて沈んでいるシーンも想像できません。ずっと、人を食っている態度だったからです。私は、それで、批判を始めて、かつ、続いているのです。
 
つまり、心を痛めて、胸がドキドキ、ご飯が食べられない、などということとは無縁の尊大さを、示してきたのが、シャローム、楽山、易坊なのです。
 
特に、「とほほ」が、とても、わざとらしい。
 
形容・修飾が多ければ、真実味が増すとは限らない例でしょう。
 
とはいえ、以上は、もう一度言いますが、今までの経過を根拠とした推測です。弁明と反論をするかどうかは、楽山が決めることです。ただ、一時しのぎだと判断されたときには、今まで以上に、より巧妙で悪質な嘘を吐いた、という証拠になります。
 
ということで、楽山は、罪はたくさんあるだろう、と言い、罪を認める発言をしました。これは、キリスト教の告白とは違いますが、今までになく、シャロームには、全く無かったことです。今後の記事において、どう違いが表れるかをしっかり見させていただくことになります。
 
 
(2019年06月25日、同日一部修正)
 
 
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  だらだらと避ける
 
   ストレスを避ける生き方 (良心の声に耳を傾けること)
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41555052.html
   楽山のブログ記事
 
 

ストレスの原因は、
いろいろあるだろうけれど、
自分の場合は、
一番のストレスは、
良心の呵責のように思える。

 
良心の呵責を感じなくなったら、人間ではないと思いますが、楽山には、良心の呵責が、ストレスだと言ってます。良心が嫌いなのでしょうか、良心をなくしたいのでしょうか。
 
これは重大で、楽山に、いちばん欠けているのが、良心と、ゆえに良心の呵責だと思います。だから、どれだけ批判されても、悪いと思わず、同じようなことを、だるい筆致で書き続けられるのです。
 

良心の呵責からは、
どうやっても
逃れようがないからキツイ。

 
楽山は、良心の呵責がキツくて、良心の呵責から逃げたいのでしょうか、良心の呵責がなくなればいいと言うのでしょうか。
 
しかし、たぶん、楽山は、罪悪感や羞恥心を感じなくなっているのだろうと思います。それで、このように、良心の呵責が一番ストレス、などという、おかしな人格者気取りが出来るのでしょう。人を巻き添えにしないように。
 
正常なら、こう書くことを恥ずかしいと思うものです。良心を否定しているから書いてしまうのです。
 

だから、
余計なストレスを避けるには、
なるだけ良心に素直になるに限る。

 
良心の呵責が嫌な楽山が、良心の呵責をなくしたい楽山が、どうやって良心に素直になれるというのでしょう。
 
良心に素直になった楽山の文章を見たことはありません。いつも、良心を偽って、良心が気に入らず、良心を無視して、下心で企んで書いてきます。
 

でも
何を正しいとするかは
人によってちがうこともあって、
世の中で生きて行くには、
自分の良心より、
人に配慮し、
合わせる必要がある局面もあるし、
この辺りは本当にやっかいではある。

 
自分の良心より人に配慮・・というのは、極めて、おかしいです。良心があるから、人に配慮するのです。結局、良心というものを知らないから、こういうことを書いて馬脚をあらわしてしまうのです。そして、厄介だというのも変です。楽山は良心というものが分からないのだと思います。
 

この点から考えると、
なかなか難しいことではあるけど、
良心の呵責というストレスを避けるには、
正しさの基準が合わない人とは、
なるだけ距離をとるのが吉ではあるかもしれない。

 
良心の呵責というストレスだと考える心には、良心の呵責はなく、むしろ、良心を問うような批判や叱責が大嫌いということでしょう。これこそ、楽山のアドラー教の、基準が合わない場合、気に入らないから、距離を取る、つまり、無視する、ということになるのでしょう。
 
何という、ボンヤリ言語の、ほのめかし、刷り込み、言い換えの臭い詭弁であることか。
 
 
 
   マンネリ気味?
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41555050.html
   楽山のブログ記事
 
 

最近は、
何となしに、
ものすごく平凡で
だらだらな生活をしてる気がする。

 
共感できるものではありません。楽山は、毎回、記事の書き方を、一癖も二癖もある悪意で、企んでいます。平凡ではありません。これだけ、ボンヤリ言語で、ごまかし、刷り込んでくる執拗な悪意は、珍しいです。
 

その理由を考えてみるに、
あまりものを考えなくなったせいかも…。
何も考えず、
漫然と日々を過ごしてるから、
新発見もなく、
感動もなく、
だらだら生活になってるのかも。

 
良心がなければ、感動はないでしょう。だったら、なぜ、記事を書くのでしょう。
 
この場合、記事を書く動機としては、考えない自分を何とかしようという思って書くことではないでしょうか。
 
しかし、楽山は、漫然、感動もなく、だらだら生活、などと言って、そのままを書いて記事になったつもりでいるのです。言論の動機がないのです。策略として書いているからでしょう。
 

これはこれで、
幸せと言えば、言えるかもしれないけど、
でもやっぱり、
もう少しだけでも、
目を覚まし、ちゃんと考えることを心がけてみよう。
そしたら、もう少し気持ちにハリが出るに違いない。

 
白々しいのです。同情でも引こうというのか、そして、誰かが、間違って、慰めか励ましに来ることを期待しているのでしょう。客が来なければ騙せないからです。
 
全体として、だらだらしている自分を責める心が感じられません。だらだらして、何も考えないことを勧めるつもりでしょうか。だらだら、幸せ、考えることを心がける、セリフ一つ一つが、真剣味がなく、反省にならず、不都合を無視する楽山のボンヤリ言語です。
 
ずっと、このような調子で、ああでもない、こうでもない、でも、自分は普通、という雰囲気を出して、人が来るのを待っているのでしょう。
 
このペテンに乗ってはいけません。だらだら生きて、考えてみることがあるなら、とっくの昔に、それを書いて、誰かと話し合うはずですが、社交以外、何もしてこなかった楽山です。ものごとの是非というものを、だらだら風呂とでもいうような、ふやけたお湯に浸けているイメージです。
 
だらだらした筆致が、いっそう、気持ち悪いものになってきました。
 
 
(2019年06月25日)
 
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  捏ね上げる者
 
 
   自己を活かすということ (武者小路実篤)
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41555055.html
   楽山のブログ記事
 
 
楽山は、自分で決めて、自分で信じて、訂正しなくて、反省しなくて、人のことを考えなくて、怒りも大事にして、それでよいと、勧めているようです。いいわけはないのです。人間らしく考えることのできない人が、何かを教えようとすると、詭弁と刷り込みを使うしかないようです。
 

*自己を生かす
武者小路実篤の生田長江の批判に対する反論は熱い。孫引きになるけど、武者小路実篤は次のように書いたという。
氏は僕たちを自然主義前派と言ってゐるが、僕たちは日本の自然主義が自己を生長さすことに無頓着だったのに我慢できずに立ったのだ。自己の主観を生殺しにするのに反対して、自己を生かしきらないでは我慢ができないので立ったのだ。内の要求に立ってゐるのだ。
(『武者小路実篤 人と作品36』福田清人 松本武夫編著、清水書院、昭和47年、p.68)

 
これは、自己の主観を殺してはいけないということです。実際に、人間には、絶対の客観はありません。客観的と呼ばれることは、多くの事柄が合致するということでしょう。
 
にもかかわらず、楽山は、自身の、気に入らないことは無視する、と言うアドラー教の正当化に使っています。
 

これは言わんとすることは分かるような気はする。著者の意図とは違った解釈になってしまうかもしれないけれども、以前、自分もこれと似た思いを感じたことはあるので。
少し具体的なことを書くと、自分は、とある宗教にハマったことがあるのだけれども、その宗教では当初は自分の心を磨き、自己を向上させることを奨励していたのだった。でもそれがいつのまにか、ちっぽけな自分は捨てて、教祖の言う通りに考え、行動することをすすめるようになっていった。
でも自分は、どうしても自分を捨てきることはできず、「自己を生長さすことに無頓着だったのに我慢できずに立ったのだ。自己の主観を生殺しにするのに反対して、自己を生かしきらないでは我慢ができないので立ったのだ。内の要求に立ってゐるのだ」というような気持ちで棄教したのだった。

 
もし、そうならば、自分が主観において肯定したところの、気に入らないものを無視する、と言う言説は、反省の対象になり、修正可能であり、現実の自己中心だけのひどい世界につながるという必然から否定できるはずです。
 
しかしながら、批判に対して、まともな反論も弁明も出来ないまま、楽山は、まさに自己中心の独り言であるべきことを、こうして、公表し、かつ、宣伝しているのです。それは、人を操るカルトの説教の訂正不能な刷り込みだから・・という説明にしかならないのです。
 

思うに、自我の目覚めを経験していない人ならまだしも、いったん自我を意識した人はもう、たとえ神の前であってさえも、それを再び忘れてしまうなんてことはできないということなんだろう。ちと大袈裟かもしれないが、近年の宗教の衰退の一因は、この辺りにもあるのかなという気はする。

 
自我に目覚めることと、主観の肯定を修正不能に絶対とすることとは何の関係もありません。
前者は成長であり、後者はカルトなのです。
 

*独立心
自分の心酔した対象を、まぶしいほどに輝かしい、尊敬すべきものとしてはるかかなたからそれを眺めるていること、眺められること、そうすることだけで十分に満足感を味わいうる時期があるものである。それがやがて自己を意識しだし、自己とそれとを対照しはじめるとき、それらの均衡は崩れる。
(同上、p.45)

 
均衡は崩れて、自己は、改変に向かい、成長するのだろうと思います。
訂正不能にして成長するものは何もありません。楽山は何を勘違いしているのでしょう。
 

これは編著者の言葉だけども、武者小路実篤は、トルストイに傾倒した時期はあったけれども、その後は、上にあるような経過をたどったらしい。
恥ずかしながら、自分も上に述べた通り、若い頃には特定の人物、思想に傾倒し、かぶれることが多かった。でも、だんだん自分というものができてくるにしたがって。そういうことから離れ、他の誰かを理想として、他の誰かになろうとするのでなく、自分自身になろう、自分を確立しようという方向にすすんだ経験はあるので、これはよく分かる。

 
分かってはいないと思います。自分を確立する、と言うのもあいまいな言い方です。自己が完全に確立することなど無いからです。それを、楽山は、確立しましたとばかり、自己中心のカルト信条を宣伝しているのです。その方法は、ボンヤリ言語で、ほのめかし、その次には、もう正しいという前提で語る、というような、極めて胡散臭い、カルトらしい手法です。
 

若い頃に特定の人物、思想に傾倒し、その後もずっとそのままという人もいるだろうし、それはそれでいいのだろうとは思う。ただ自分の場合は、どうもそういうタイプではないらしい。これは多分、優劣の問題というよりは、人それぞれであって、その人の個性によるということなんだろうな。

 
楽山は、アドラー心理学を利用して、アドラー教と私が呼んでいる自己中心の訂正不能の言説に、他者を巻き込もうとするタイプのようです。
 
自由になるかのような詭弁に付き合わないでほしいと思います。楽山の言説に従うことは、自由になるのではなく、ただ、楽山だけが楽になるためなのです。目先の快を得るために、人のことや不都合を無視することを勧めている楽山です。
 
人格を破壊する訂正不能の説教は、人それぞれではありません。そのまま進めば有害であることは明らかですし、有害なものを勧めることは悪意によるものなのです。伝統宗教ではなく、学問の名を借りたカルトですから、ボンヤリ言語の、ほのめかし屋の、あいまい刷り込み屋の詭弁家の、楽山には決して染まらないようにしてください。
 
※ 捏ね上げる(こねあげる)
 
 
 
   怒ってもいい? (インタビュー記事から)
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41555053.html
   楽山のブログ記事
 
 
カルトを企む者たちは、大方、人格に欠陥があるようです。人間らしい感情や罪悪感がないといったことです。そういう者が、優しそうに易しそうに語りかけるときには、作為で言葉をいじるので、かえって、悪意が見えてくることがあります。本当の優しさを持ちえずに、粘土細工のように、捏ね上げようとするからです。
 

言われてみれば、確かにその通りかも…。
「喜怒哀楽の中で、喜び、楽しさ、泣くことでさえ、良い感情のひとつとして受け止められているのに、怒るという感情だけが“のけもの”みたいになっていると思うんです。怒ることも必要なんだよって誰かが言ってあげなきゃいけないぐらい、怒りの感情だけがうとまれている」

 
怒りは、なぜ怒るのか、ということを考える上で大事です。しかし、楽山は、怒りという感情そのものを大切に思っているようです。しかし、楽山は、もっと大切な、反省や悔い改めにつながる悲しみを大事にすることがないように思えます。それは、シャローム、易坊とも共通しています。
 
快と不快、笑いと怒り、嘲りと怨念、そういう感情だけになるのは、無反省と無視によるサイコパスの人格です。
 

「うとまれていたり面倒臭がられるからといって、自分の怒りにフタをして、ないものにするのって、時には必要だと思うんですけど……なんかヘンだなって」
・【独占】のんインタビュー:創作の原点は「怒り」、誰だって自由に牙をむいていい

 
蓋をするのではありません。考えるべきなのです。
 

それぞれの気持ちには、
それぞれの尊さがあって、
そこに優劣はなく、
どんな気持ちもそれぞれに尊いのだとすれば、
そんな気持ちを特定の型に押し込めようとしたり、
これはよい、あれはダメとレッテルを貼るよりも、
もっと自分の気持ちに正直に、自然であっていいのかも…。

 
怒りについて、背筋が寒くなるようなボンヤリ言語で、みんな尊く、優劣はなく、ダメと決めつけず、レッテル張りはしないでいることが、正直で自然だと言っています。感情は、みんな尊いから、平等だから、差別しないようにしましょう、ということで語れる問題ではない。
 
ここでのボンヤリ言語の詭弁は、感情の原因や結果を無視して、まるで見当外れに差別をなくそうスローガンのように扱って、怒りを大事にしようという上の内容を受け容れさせようとしている印象操作です。おかしな方向の一般化に持ってゆくボンヤリ言語の詭弁なのです。
 
感情、特に、怒りについては、その原因を考えることが大事であり、その個々の場合について考えず、おおざっぱな全体だけをいい加減に、まるで感情の平等?みたいに語って、結論になるようなことではないのです。
 

とはいえ、
そうとばかりもいられない状況もあるだろうけれども、
たとえそうであっても、
なるだけ自分の気持ちは大事にしたいものではある。
人の気持ちに寄り添うことも大切だろうけれども、
自分の気持ちに寄り添ってあげることも大切なんだろうな。

 
自分の気持ちの寄り添って・・という、やさしそうな言葉どおりでは、けっして、ないのです。こういう言い方は、楽山の作為だと思います。やさしく見せかけて、受け入れさせ、はっきり言わないで印象を刷り込もうとするボンヤリ言語の企みだと思います。
 
それに、他者のことには考えが及ばない傾向が表れており、自己中心に向かう傾向で、いつも自分の都合が第一で、自分のことだけを考えて、よしとする傾向とも言えるでしょう。
 
自分の気持ちは自分とともにあるのだから、むしろ、自分の気持ちで、自分の意志において、むしろ逆に、他者の気持ちに寄り添うことのほうが人間として大切な心得なのです。
 
寄り添ってあげる、という甘い言葉を使って、自己中心を勧めるのは、やはり詭弁なのです。至るところで、何とか言葉をいじくって、恣意をすり込もうとする楽山の恣意の企みです。
 
自分に対しては、自分に寄り添うというよりも、反省すること、つまり、自分を見つめることが必要です。楽山は、自分勝手のアドラー教なので、自分を見つめて反省することよりも、寄り添うことだけ、自分の好きなようにだけ、という自己中心しか考えられないのでしょう。
 
だとすれば、反省無用の病的な自己肯定と言ってよいでしょう。楽山は、自分の気持ちだけに寄り添って生きているか、そう生きてゆきたい人なのでしょうか。寒気のするような文章です。
 
楽山は、策士のようです。恐ろしいです。企みで、人を陥れて、自分が、いい気持になりたいだけなのか、カルト宗教を企図する組織的な陰謀なのか、いずれ、牙を剥いてくれば、明らかになるでしょうが、取り込まれてしまった人々が既にいるなら、立ち直りは、どんどん難しくなるのです。一日も早く企みと異常さが周知となって、誰も引き込まれることのないように祈っています。
 
 
(2019年06月24日、同日一部修正)
 
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  新しい世界
 
   新しい世界を作り直さなければならない
   https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28992398.html
    by shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼) 転載記事ですが・・
 
 
自分は勝手放題に言ってきて、批判されたものだから自分で書く代わりに、Y氏を応援するような記事を転載して、私が批判コメント入れたら、1行だけ、揶揄するだけのレスを書いて、批判コメントは承認しないシャロームです。
 
Y氏の主張と、シャロームのボロクソ節は、正反対です。シャロームは、言論の責任を負わない自己中心の権威主義で、民主主義の敵であります。
 
Y氏の言論は、政権批判であることを忘れたのか。
 
シャロームは、単方向の悪口でボロクソに言うか妄想的なことしか書けないでいて、言論も民主主義も理解していないために、シャローム自身への批判は受け付けない、まともなことは何も返せない、卑怯極まりないシャロームです。
 
このシャロームが、神の聖霊のキリストのと書いてきたのは、悪と偽善の体質だけが染みついているような、驚くべき悪意の仕業であります。隠す分だけ、パリサイ人より悪質です。
 
コメント欄:
 
(画像)
20190622comment
 
※画像をはっきり見たいときは画像をクリックしてください。
 
 
「(テキストコピペ)始め
 
未承認
顔アイコン
こういう転載記事は、あなた自身を飾るためだけだと言うことが、あなたの日本の思想・政治・歴史に対するボロクソ節の無意味さが、すでに証明しています。削除
2019/6/20(木) 午後 4:57st5402jp返信する
.
 
未承認
顔アイコン
つまり、あなたは、全く逆のことを、自分でボロクソに言いながら、転載記事だけは立派な思想と政治の記事を載せてくるのです。完全に矛盾しているのです。あなたのボロクソ節を向けるべき相手は、あなた自身です。削除
2019/6/20(木) 午後 5:01st5402jp返信する
.
 
顔アイコン
> st5402jpさん
 あなたのボロクソ節を向けるべき相手は、あなた自身です。
2019/6/21(金) 午後 2:05[ shalom ]返信する
.
 
未承認
顔アイコン
承認せずにレスを書くシャローム、根拠を示さない悪口を書くシャローム、シャロームのことをボロクソ節と言ったのに、弁明できないものだから、それを相手に向けて返したつもりのシャローム、理路のないレス。
 私は、根拠を示して批判しています。あなたシャロームは、根拠を示せないから、最初の2つのコメントを承認せずに隠して、1行のレスを書く、という、言論者失格の卑怯な真似が、平気で出来る、ということが、あなた自身によって証明されています。削除
2019/6/22(土) 午後 9:28st5402jp返信する
 
(テキストコピペ終わり)」
 
 
>あなたのボロクソ節を向けるべき相手は、あなた自身です<
 
いつも、シャロームは、根拠を示せないままです。総てが自己中心の結論に始まり、結論に終わってゆく言論者、これは、真実追求の言論の世界にいてはならない存在です。
 
私の批判の根拠は、この8年間、特に4年間、シャロームが、キリスト信仰についての記事を書くたびに、根拠を示してきたということです。
 
シャロームの言動から:
 
中身のあるレスがなく、世辞でごまかし、はぐらかすから、さらに突っ込んでみると、コメントを承認しなくなったことで、シャロームが、言論の常識を知らない、無責任な人だということを知る。
シャロームは、言いたいことを言うが、聞く耳を持たない人だ。
 
シャロームは、私のことを、サイコパスの特徴であるところの、幼小児期に虐待を受けたものが長じて虐待者になる、ということを私に当てはめてきた。
私は、私の幼小児期のことについて、シャロームに一言も話していない。根拠はない。
私は、普通に、親の愛情を受けて育ったと思っている。
 
私は言ったことがなく、シャロームもこのとき初めて言ったにもかかわらず、シャロームは、私のことを、エホバの証人に似ていると言った。つまり根拠はない。嫌がらせ以外の何物でもない。
 
シャロームは、私がシャロームに依存していて、かまってあげないから意地悪をしてくる、とも言いました。シャロームは、よくもまあ、自分を人格依存の対象と見なせるものです。依存されるということは好かれることが前段階としてり、人に好かれるというのは魅力があるかでしょう。全く何の魅力もない者が、そういうことを言うっていうのは、身の程知らずの勘違い野郎ということになります。
 
根拠もなく愛されているという勘違いは、ときに普通の人でも起こることですが、普通は、冷静な推測と現実に否定されることで気づくものです。しかし、シャロームは、現実からの不快を、不感不応と自己中心の信条によって無視しているために、現実に合わせて適応してゆく、という正常人の成長がなくなっているのでしょう。
 
根拠がなく、単方向で悪口を言うだけだから、シャロームの悪口を、ボロクソ節と呼んでいるのは私であるが、ボロクソ節は、私に対してだけでなく、日本の、思想、歴史、社会、政治に及んで、ずっと言いまくっている。他のキリスト教サイトや政治思想サイトにまで、同じようなボロクソ節を書き込んでいるので、私がシャローム批判を書き込んだことがある。
 
言論の責任を負わない者に、言論の自由はない。
 
そして、シャロームは、罪を認めない、つまり、非を認めない、悔い改めなくても赦されているから罪を気にしなくていい、という反キリスト信仰の信条を、交流何年目かにあらわにしました。恐らく、シャロームは、神もキリストも信じていない。讃美言葉を言うのは、そうすることで、たいていのキリスト者が、熱心だとか、敬虔だとか言って、騙されてくれるからでしょう。
 
批判されたことを、そのまま、批判者に向けてくる、というのは、以前からのシャロームの、幼稚で説得力ゼロの常套手段です。それも何度も指摘したにもかかわらず、繰り返してくるのは、シャロームが、訂正不能の神がかりとなって、成長もしなければ、学習もしないことの証拠です。
 
サイコパスというのは、ストレスによって、犯罪行為に結び付きます。ストレスを避けるために、シャロームは、世辞や讃美言葉を覚えたのでしょう。
 
シャロームは、前に、罪にはさいなまれている、と言ったことがあります。上に書いた反キリストの信条から、恐らく、これは、シャロームが、罪悪感を感じていることではないと思います。現実において実際に、罪を責められたことがあって、責める人のせいにして、被害者意識で、さいなまれている、と言ったのだろうと推測します。
 
反キリスト信条をあらわにして、しばらく経ってから、シャロームは、今度は、悔い改めは神が与える、などと言ってきました。聖書には、神が悔い改めに導く、と書いてあります。導かれて、あるいは、与えられて、悔い改めたのなら、そう書けばよいことです。悔い改めていないから、その言い逃れの詭弁に、神が与えるなどと言ったのでしょう。
 
悔い改めていないのであれば、キリスト信仰の立場からはもちろん、シャロームの言にしたがっても、逆に、神はシャロームに与えておらず、神はシャロームを導いてもいないことの証拠になります。つまり、シャロームは、キリスト者ではないということを自分で言っているのと同じなのです。
 
シャロームには、キリスト信仰云々を語る前に、人間が弁えておくべき多くのことが欠けています。シャロームには、人間が感じるべき多くのことが欠けています。そのシャロームが説くキリスト信仰は、言えば言うほど、書けば書くほど、異常な妄想的な自己中心の信条の表れとなるでしょう。シャローム批判は、そういうことを明らかにするために、そして、誰もシャロームに近づかないようにしてほしくて書いています。
 
 

 
かく言う私は、けっして立派な人間ではありません。うわべだけ生活を見れば、シャロームのほうが、まともに見えるだろうと思います。私は、決して、自分が模範的は信仰を持っているからとか、自分が、ちゃんとしているからとかで、ちゃんとしていないシャロームを批判しているということではありません。キリストをまじめに信じている信仰からは、最小限、けっして否定できないことに対して、シャロームが、正反対のことを言って憚らないので、批判しています。
 
母が介護施設に入所している環境で、母の家つまり実家を、心身ともに弱みを持つ私は、ゴミ屋敷に変えてゆくような気がしています。しかし、祈りにおいても、私は、そのことを正当化はしていません。ゆえに、よくなる可能性も祈りとして希望として残っているし、死ぬまで成長可能だと思えるのです。そして、それが、信仰が私に与えた、大きな、そして唯一かもしれない、恵みなのです。
 
 
(2019年06月23日)
 
憚らない(はばからない)
 
 
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  コメント抜粋201811(2)
  
   読みたい本はいっぱいあるけれど…
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41396760.html
   楽山のブログ、コメント欄。
   タイムスタンプのないコメントは記事用に加えたものです。
 
 
今回は、シャロームの悪意が明らかになっています。理路で物を言えないものだから、私の個人情報をネタにして悪口を言っています。なお、書き加えたコメントが、前に書いたコメントと重複しているところがあります。
 
(私)
シャロームは、前に、十字架上で救われた犯罪人と、処刑を免れたバラバを混同していました。恐らくシャロームは、聖書、ろくに読んでいないと思います。
シャロームは、私と同じような、読書障害ではないかと思います。これまで、やり取りして、また記事やコメントを書いてきて、相手の書いた文および文章を殆ど汲み取らないのは、汲み取れないからでないかとも思っています。
 私は、少し読んで、たくさん考えるようにしましたが、シャロームは、読まず、考えないことにしたのでしょう。読めない文章は苦痛だからです。読み取れないならば、読み取れないと言うべきなのです。私が、今そうしているように。
2018/11/3(土) 午後 3:21st5402jp返信する
 
(シャローム)
stさんのブログの記事をよく読まれると、私に対するストーカー的批判?の理由がstさん自身で書いた記事、言葉によって理解できるかもしれませんよ。
2018/11/4(日) 午前 11:25[ shalom ]返信する
 
(私)
罪を認めず悔い改めもしないでクリスチャンのつもりで、牧師のつもりで、妄想説教を続け、弁明も反論も出来ないでいて、改める様子も、やめる様子もないシャロームに対しては批判を継続するしかないのですが、それを、ストーカー的批判と書いていることこそが、明らかな罵詈雑言です。
(私)
私は、ストーカー的批判をしているのではなく、シャロームという罪を認めないで逃げまくっている逃亡犯を追いかけています。
シャロームの今回の罵詈雑言と、私の批判との違いは、シャロームには根拠がなく、後にあるように個人情報を持ち出して罵らないと攻撃できないということ、私は、根拠があり、そこから推測と判断したことを述べているということです。ですます調に騙されないでください。
2018/11/4(日) 午後 1:25st5402jp返信する
 
(シャローム)
stさんには絶対許せないことでしょうが、
私自身にとってはですが、それほど大したことではありません。
 
(私)
シャロームは、神に逆らっているという批判に対して、大したことではないと言っています。シャロームは、自ら、神に対して、利用するだけの軽い気持ちであることをあらわにしています。つまり、そこが、シャロームの、深い深い病巣であり、偽信仰によって養われた体質的欠陥なのです。今回、だだ漏れです。
(私)
まるで、私と言う一個人が騒いでいるだけという受け取り方ですが、ならば、反論も弁明も出来るはずです。シャロームは、分別と理路が分からないので、このような汚い悪口以外、何も言えないです。今も。
(私)
このシャロームという大嘘吐きによって、キリスト教、キリスト信仰、信じている、讃美、という言葉だけでは、信頼に値するような何の意味もないことを知りました。
 
(シャローム)
ただstさんの執拗な批判にとどまらることのない多くのコメントを避けることが理由でしかありませんね。
 
(私)
何が批判で、何が悪口か、区別のつかないシャロームだから、こういうことを言って、考えることも理解することも出来ないのでしょう。今も変わっていません。私は、ずっと根拠は示してきました。しかし、シャロームは結論だけで根拠を示していないので、批判返しのように見せかけた結論の決めつけだけの悪口です。これほどの悪意が8年も続いているのは驚くべきことです。
(私)
シャロームは、罪を認めず悔い改めないと言うだけでも、キリスト信仰者としては、アウトなのです。それに加えて、詭弁と妄想も丁寧語でごまかしたままです。「失礼しました」と言って、後で、「負けるが勝ち(笑い)」と言ったこともあります。人間の道理が分からなくなって、息を吐くように嘘を吐き続けるシャロームです。
 
(シャローム)
それでもstさんのコメントは止むことがありませんので、私も批判的なことを書いたことはあります。
 
(私)
シャロームの書いたことが、批判になったことも、反論になったことも、弁明になったことも、一度もありません。根拠のない誹謗中傷の域を出ていません。今もそうだから、驚くべき厚顔であります。
(私)
シャロームは、理路を読み取ることも組み立てることも出来ないと判断するしかありません。また、世辞の優しい言葉遣いはしても、人間味を感じさせる記事も書いたことがありません。思慮がないのに加え、温もりも潤いもない人だと判断しています。
 
(シャローム)
それは私に始まったことではありません。数人もの被害者?がおられます。stさんに聞かれたらわかるでしょうが…stさんの執拗な批判コメントで除名か?閉鎖寸前?になったメーリング・リストもありますが、もう10年以上も前のことになるでしょうか。そのことについてもstさんは書いていますよ。
2018/11/4(日) 午前 11:39[ shalom ]返信する
 
(私)
私は、メーリングリストMLで、大失敗をしたことがあります。私は、MLに正直に告白したつもりでしたが、それで、多数の退会者を出して、MLに迷惑をかけたことです。その後、私は、個人的な罪の告白をネットではしないことにしています。なお、その事件で、私は除名寸前になったわけではありません。
(私)
ここで言う必要のないことを言うのは、脅しでしょうか。他に何も言えないからでしょう。そのトラブルのときに「謝罪するな」とメールに書いてきたのは、まさにシャロームその人であり、その後の8年間で明らかになったシャロームの体質を表すものとして、覚えています。
 
(シャローム)
一旦批判が始まると相手が弱み、謝罪を示すまでとどまることはないようです。それをもって悔い改めだと考えておられるようです。
 自由さんはstさんの良き理解者になることができるかもしれませんね。わかりませんが。時間がある時、stさん自身で書かれた記事を日記などほかの記事もよく読んでみられるといいですね。
2018/11/4(日) 午前 11:45[ shalom ]返信する
 
(私)
私は、シャロームの、神に対して悔い改めない態度と妄想的な信条を、信仰者としてあり得ないから、批判しています。私に対して、また、公における謝罪と訂正は、神に対する悔い改めの態度から、自然に生まれるものです。シャロームには、それがない、ということが、よく分かるコメントです。
2018/11/4(日) 午後 1:28st5402jp返信する
(私)
批判は、謝罪目的ではなく、不正を指摘することです。このコメントで、シャロームは、議論とか批判とかについて何も分かっていないことが明らかです。
(私)
理路も情感も理解できず受け取れないシャロームが、宗教と信仰を語れると思想と政治と歴史を語れると思い上がって訂正不能なのです。批判が止む余地などどこにもないのです。こういう人が、ネットにはいるのだ、ということを覚えてほしいのです。
(私)
今では、シャロームには、何を言っても無駄であることを承知していますので、むしろ、一般の読者が、このシャロームの詭弁と妄想教理に巻き込まれることのないように批判を書いています。

(シャローム)
> st5402jpさん
ジャベールみたいだったstさんですね。
お疲れ様です!(微笑)
2018/11/4(日) 午後 0:57[ shalom ]返信する
 
(私)
「レミゼラブル《ああ無常》」に登場するジャベール警部は、ジャンバルジャンを執拗に追いかけていたが、ジャンバルジャンに命を助けられることがあって、その結果、ジャベール警部は自殺する、というストーリーのことを言っているようです。
(私)
私のどこが、ジャベールみたいなのでしょう。なぜ、シャロームは、またしても、笑いながら無責任な軽口をたたいているのでしょう。追いかけても無駄だったからと言うのでしょうか。無駄かどうか、今も批判は続いているのです。それに、追いかけているのは、シャロームの記事であり、批判記事を書いて、ブログで公開するためです。
(私)
「お疲れ様です!(微笑)」・・これがシャロームの正体です。悪意いっぱいの笑みで揶揄してきます。
 
(私)

私がstさんと話の内容がよく合うのではないかと紹介したブロガーの方とは初めはとても親密な交流がなされていたようですが、相手の方もstさんに困ったことを相談をしていたこともありますが、その後はその方もstさんの激しい批判とその方の個人情報を使っての人格否定、人格攻撃まではじめて、病的な状態に追い込まれてしまわれました。今その方は自分のブログの過去の記事をよめないようにしておられます。(シャローム)

誰のことでしょう。Vさんのことでしょうか。彼とは、物別れに終わって、ずいぶん経ちます。Vさんがやったことは、シャロームが間違っているということが、Vさんという人は哲学者なので分かるはずなのに、シャロームに大事なところで調子合わせをして、その間、私のコメントを隠したことです。そういう大事なところで逃げる行為は、3度目だったので、縁を切りました。
2018/11/4(日) 午後 1:27st5402jp返信する
 
(私)
シャロームが、自分の都合で、脚色し改変改竄すると、上のシャロームのコメントのようになる、シャロームはそのような企みを平気で実行する人だということです。シャロームは、まさに、改竄(かいざん)の竄、穴の中のネズミのような男だと思います。
 
(私)
>(シャローム)
stさん自身の宗教記事の初めにコメントを書いておられます。医師免許を持ちながら、医師を続けることができなかったことも、そうしたことはおそらくくstさんの個人的な背景に起因している考え方、生き方ではないかと私は思います。

私は、シャロームの信仰の考え方を、直球で批判してきましたが、シャロームは、共通のテーマに関することで批判するのではなく、個人情報を持ち出して、信仰のことではないところで、攻撃しています。同じような攻撃を、ヨシュアというカルトから受けました。
シャロームは、本質的に、こういう卑怯者だということです。牙を隠してきただけです。シャロームの信仰の体質はカルトなのです。カルトは、シャロームの味方をしていました。
 
(私)
>(シャローム)
stさんは本来他の人と面と向かえば話すこともできないと書いておられますが、パソコンの普及によってブログはそんなstさんにとって、言葉や思いのたけを思いっきり吐き出す自由な時間、生き方を与えてくれたのでしょう。

それこそ、シャロームもでしょう。言って何か人のためになるような何ものも持たないと思うのは、今まで、良い訪れが伝わったことがないからです。
私は、精いっぱい考えて、思いのたけを述べています。
シャロームは、カルト信仰の宣伝と、無罪妄想とを、丁寧語と聖書語でごまかしながら書いて、今回は、個人情報をばらして汚い個人攻撃をしています。
2018/11/4(日) 午後 1:28st5402jp返信する
(私)
面と向かって話せない私がネットだから勝手に言ってると、私の批判を貶めてきます。批判そのものに何も答えられない者の、個人の事情をばらしての、悪意だけの言い方です。
 
(私)
>(シャローム)
そのブログでの自分の自由な生き方、考え方が否定されるような考えには鬱積された怒りと批判がとどまることなく大量に吐き出され、ありとあらゆる批判、否定、攻撃となるようです。

鬱積してはいません。私は、シャロームを、真っ向から批判してきたからです。
鬱積してきたので、手段を得らない婉曲的な攻撃から、個人情報をばらしての攻撃に転じてきたのが、この、シャロームです。本性丸出しですね。
2018/11/4(日) 午後 1:28st5402jp返信する
 
(私)
実際、この後も、詭弁と妄想だらけの記事を、シャロームは書き続けて、私は、批判を書き続けています。不感不応の境地?に至ると、底意地が、いかに汚くなるかということが、いつも表れてきます。個人的なトラブルなら、私も無視するでしょう。しかし、キリスト信仰についての妄想と詭弁と嘘ですから看過することは出来ないのです。
(私)
ただ、シャロームとやり取りをするのは、全くの無駄であることを知りましたし、シャロームのブログは、コメント欄を閉鎖したので、読者にシャローム偽善情報として書いていることになります。
(私)
シャロームは、ここ数記事について、なぜか、承認制のコメント欄を付けています。私はコメントを書きましたが、他の人の批判でないコメントは承認しても、私の批判コメントは未承認のままになっています。答えようとすれば、シャロームの場合、悪口にしかならないからでしょう。(2019年06月20日、16:54現在)
 
(シャローム)
あまり恵まれてはいませんでしたが、そのような中でイエスさまとの出会いに導かれたのですから、それも生ける神の導きだったことを感謝していますとよく話すことはありますよ。
 
(私)
こういうことを書いても無駄なのです。あざとい、わざとらしい。
模範的なクリスチャンの家庭を印象付けしようとしています。
シャロームは、ネットでは牙を隠して、人が見ていないところで悪意を振るうケダモノです。
2018/11/4(日) 午後 4:21st5402jp返信する
 
(シャローム)
「川に飛び込んで自殺しろとても言いたいのでしょうか、「微笑」しながら。」(私)
いつものお得意の決めつけと邪推と妄想ですね。
読書障害とのことですが、読書障害には読むことに障害があるだけではなく、理解にもそのような障害があるのでしょうか。(真剣)
2018/11/4(日) 午後 3:34[ shalom ]返信する
 
(私)
いつものお得意の邪推と妄想、と決めつけているのは誰でしょう。根拠は示されていないので、それこそ、悪口を言い張っているシャロームです。だんだん露骨になっています。
そういう例は最近でも、結論だけの、防衛機制ですね、自他未文化ですね、などがありました。他に言えないからでしょう。共通して、根拠は、全く示されていません。シャロームの「ですね」は全く真実味がありません。
 
(私)
>(シャローム)
読書障害とのことですが、読書障害には読むことに障害があるだけではなく、理解にもそのような障害があるのでしょうか。(真剣)

あなたと真剣な(真剣な)遣り取りが成立しないことは分かっているのです。このコメント自体が、既に、理解にも障害、という当てつけでしょう。私は、私の理解力について、詳しくは分かりません。恐らく読書できない分以上にはないと思います。
あなたは、読書障害以上に、自己正当化によって、理解が損なわれているのです。自己絶対化の信条によって弁えるべきことを弁えることをしないために、都合の悪いことをどんどん忘れてゆき、加速しているのだろうと思います。
 
(私)
シャロームは、人それぞれ、ということを、ずっと悪用しているのです。シャロームの言う、人それぞれ、は、どう信じてもいい、という勝手放題の信じ方なのです。それで、出来上がった信仰の結果、彼は、自己中心妄想カルト信仰を好きなように宣伝しています。話の殆ど総てに、嘘があると思います。
 
 

以前、書いたことと、今回、書き加えたことが、重複しているところがあります。
「続・笑う偽善者」2018-11-04 00:06:09
http://st5402jp.livedoor.blog/archives/110958.html
~(7)まで書いています。
 
 
(2019年06月23日)
 
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