ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2019年07月

 
  ボンヤリ言語の誘導(3)
 
   オカルト兼自己啓発書とは? (『忘れられたベストセラー作家』小谷野敦著)
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41564903.html
   楽山ブログのコメント欄。
 
 
楽山は、また、ねちねちと書いてくるのですが、今回、何を思ったのか、批判の必然を導いています。
 
(楽山)

>異論あり、というのは、ずっと前から、シャロームに言っている。シャロームは、それでも、ふてぶてしく、反キリストの言説を訂正しない。無視、侮辱、詭弁を弄する。ゆえに、求道者、信仰者、一般に対しても、害毒として、カルトと言っている。
>違法行為を行る反社会的な人というのが誤認だ、と楽山は言うのは、シャロームの味方、ひいき筋だと分かる。何をしているかは知らない。何をするかは分からない。しかし、ネットで、嘘を吐き、人々に、よからぬ教えを説き、反省もしない。・・、だから、カルトです。間違いと悪を続けている自己中心は、批判の対象になります。
 」
この辺りからすると、シャロームさんはカルト宗教の信者でも教祖でもない、献金詐欺、霊感商法などもやってない、ただその信仰観、信仰態度が容認できないからカルトとして批判してるということらしいですね。
2019/7/31(水) 午前 6:51[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
シャロームの違法行為についても、教団を持っているかどうかも、知りようもありません。シャロームの不法というのは、キリスト者としてはあり得ない行為ということです。
(私)
最低限の正当さえも信じていないし、反することをしていながら、キリスト者のふりをしているから、違う自己中の邪悪な教えを広めようとしている、つまりカルトだということです。信仰観も信仰態度も、キリスト信仰の欠片もないということ。
(私)
ここで「カルト宗教の信者でも教祖でもない」という理路はない。
 
(楽山)

>シャロームの賛同者は、味方は、ということです。つまり、楽山、特に、あなたです。
 」
私は、誰の味方というのはあまりないです。
st対ヨシュアでは、ヨシュアさんは議論のテーマとは大して関係ないstさんのプライベートを攻撃したりなどが酷かったので、st擁護。
 
(私)
擁護など、されてないと思います。ヨシュアは、最初から最後まで、やりたい放題、言いたい放題で、殆ど罵詈雑言。
 
(楽山)
シャローム対stでは、stさんのシャローム攻撃が酷いのでシャローム擁護。
 
(私)
楽山の、シャローム擁護というのは、シャロームを肯定し、私を否定して執拗にクレームをつけてきたわけだから、シャロームの味方をしたということです。
 
(楽山)
理想としては、「人につかず、組織につかず、法(真理)につけ」だけど、実際は、情に掉さして流されることが多いですね。
 
(私)
情は、あなたには、あまり感じないが、棹は積極的にさして、流されるのではなく、自ら、進んで、執拗に弁護していたということです。
 
(楽山)
あと、シャロームさんはクリスチャンで政治的には左寄りっぽいですが、私はノンクリで右寄りです。時に、石原慎太郎が左に見えるくらい。両者には相違点も多々あるので、その点覚えておいてもらえればと思います。
2019/7/31(水) 午前 7:00[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
ノンクリで、なぜ、信仰の記事を書くのか、しかも、お救いください、というような信仰者が書くような記事を。やはり、本気ではなかった、嘘だったということを、楽山自身が、ここで自白し証明した。
 
(楽山)

>今ここで、批判する目的は、楽山批判がメインなのです。何を傍観者のように語るのでしょう。総ては、楽山が中心ではないかという疑惑も抱いています。シャロームに対する方針は、今まで通り、変わりはしないのです。ふざけるんじゃない。
 」
私から見ると、stさんの意見は、相手のことを悪く想像した上で、その悪く想像した相手に対してアレコレ言いまくっているようです。
 
(私)
アドラー教によって、気に入らないことは無視してきたのは、書くもの、言ってることに、現れています。ゆえに、推測すれば、良いことは生まれてきません。想像ではなく、根拠のある推測です。どうして、理路の扱いが、そんなに雑なのか。にもかかわらず、なぜ、書いてくるのか。
 
(楽山)
だから現実の楽山は、自分の心に描いた悪い楽山を攻撃してるstさんに、「それは楽山とはちがいますよ」と声をかけるという構図になります。
これは多分、シャロームさんでも同じです。
 
(私)
現実の楽山は、ネットで嘘を吐いてきたこと認めるのでしょうか。ネットですから、言論に表れたことから、どういう人かは推測するしかありませんが、既に、そこで、根拠をもって、不正だと言っているのです。それが、現実と違うとかいうのは、それこそ、自分は、偽りだ、嘘を吐いた、と言っているのと同じです。
 
(楽山)
自分の心に描いた悪いシャロームを攻撃するstさんに、現実のシャロームさんは「的外れ」と指摘する。
 
(私)
現実に、シャロームについて、キリスト教を主張しながら、キリスト教とは思えないことを言い、嘘を吐き、コメントを隠したり削除したりの8年間を経て、そのことを、私は、たくさん書いてきたのに、自分の心に勝手に描いていると、今さら、言うのは、やはり作為と詭弁によるごまかしに過ぎない、ということになるのです。
(私)
また、シャロームが、私に、根拠をもって、的外れと言ったことはないと思います。あなたと同様、遣り取りの理路を整えることの出来ない人です。証拠隠滅して、逃げ隠れか、悪態を吐くだけです。
 
(楽山)
stさんはスルーされると怒るけど、こういうことが延々続いたら誰だってスルーする以外になかろうと思います。
2019/7/31(水) 午前 7:02[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
スルーされて怒っているのではない。スルーされる前に、既に、シャロームについても、楽山についても、不正と判断するに十分な根拠がそろっているのです。それは、今までも、示してきたが、やはり、あなたは、アドラー教によって、無視したのち健忘しているか、無視し続けているかでしょう。そこが、始めに気づいたアドラー教による人間性の破壊です。広められてはいけない根拠でもあります。
(私)
シャロームは、無視するか、悪態を吐くだけだが、楽山は、こうして、執拗に書いてくる。だから、批判記事も際限なく続く。楽山もシャロームも、口を開けば、不正なことが、ドドッと溢れてくる。
 
(楽山)
話は変わりますけど、HS信者には、自分は物事の本質を見抜き、正しく判断できると信じている人が多くいます。
だから、大川隆法の本質を良い方に想像して、大川隆法は神だとし、
批判者については悪く想像して、悪霊だ、悪魔に操られてる者だとします。
これに対して、批判者はそれは妄想だと指摘しますが、
自分は霊的真実を正しく見抜いていると信じてる信者は聞く耳を持ちません。
かえって、悪魔(批判者)のそそのかしには惑わされないぞと、自分の妄想の中に深く潜り込もうとする。
物事の本質を見抜き、正しく判断できるのは神だけで、人にはできないと思ってくれればいいのだけど、中々そういう信者はいない。
stさんもHS信者と同じ罠にはまってませんか。気をつけて下さい。
2019/7/31(水) 午前 7:05[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
私は、一度も、神を決めつけてはいない。だから、聞く耳を持ちますが、その、聞く耳に、シャロームと楽山の言い分は、一度も、まともに響いたことがない。私の書いたことの何を読んでいたのか、という印象と理路が、ずっと続いている。
(私)
神を、自分の守り神として、勝手に決めつけているのはシャロームです。だから、シャロームは、世辞を言う口を持っていても、聞く耳も弁明の口も持っていない。訂正不能の不法だから、批判は継続するということにしかなりません。
(私)
楽山は、わたしを、HS信者と同じ罠に嵌っていませんかと、言葉の罠にはめようとしています。これは、根拠のないやゆでもあります。相変わらず、理路のないところで、言いがかりをつけてくる楽山なのです。
(私)
私が語るのは、神の意志ではなく、個々にはその意志を知り得ないが全知全能と信じた神に対する人の姿であり、人の心であり、人の反応から見えることであり、人のあるべき最低限の当為であり、つまり、私は、人間を主張している。またしても、私の書いたものから何を読んできたのか、それも読み取れないのか、と言いたくなるような、楽山の作為か怠慢か理解力の欠如を表しています。
(私)
正しく判断できるのは神だけ、ということを本当に知っているなら、宗教は、人が、自分で自分や人や神を決めつけてはいけないことを理解できるはずだが、楽山は、全く理解している様子がないし、シャロームは受け付けもしない。ゆえに、こういう、とんでもない人が宗教を語っているんですよ、近づかないでください、ということを、一般読者に伝える必然があるということです。
(私)
わざわざ、楽山が、批判の必然に導いてくるとは。だったら、執拗に空しい批判返しはしないことだ。
 
 
(2019年07月31日、同日一部修正)
 
 
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  忖度をする人、求める人
 
   必見!拡散! NHKあさいち  久米宏さん発言
   https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/29003327.html
    by shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼)
 
 
転載元記事への批判ではありません。
転載者シャロームという偽善者を批判しています。どうか、このシャロームを、まともだと思わないでください。
 
ペテン師と言ってもいいようなシャロームが、自尊と自慢のために、また、転載元の迷惑も考えず、人の言葉を利用しています。自分で書くとメチャクチャだから、これしかできないシャロームです。
 
 
(転載記事)+私の感想およびシャローム批判
 

「NHKはね、民間放送になるべきだと思います。
もしNHKが民間放送になり、スポンサーを集めたら、
他の民放は全滅ですよ。だから1社でNHKが民放になるのは無理です。
多分JR方式になると思うので、分割されると思うんですけど。
それにしても今ある民間の放送局は、半分以上は整理整頓、
淘汰されますけど、僕はやっぱりNHKは独立した放送機関になるべきだと
思います。人事と予算で、国家に首元を握られている放送局があっちゃ
いけないんですよ。そういう国は先進国とは言えないです。
絶対報道機関は独立していないといけない。
で、NHKが民放になったら、他の民放はひどい目にあって、
地獄を見ることになりますけど、NHKが国会だとか政府に首根っこ掴まれて
いるような放送局でなくなるんだったら、
そっちの方がよほどいい社会になります。
政治ニュースとか、社会を伝える、世界情勢を伝える放送局が、
その国の国家に人事と予算の首根っこを握られているのは、
絶対的に間違っています。先進国にそう事はあってはいけません」

 
シャロームのブログは、シャロームの、シャロームによる、シャロームのための、ご都合で捏造された偽りの善人、すなわち、偽善者のブログです。恣意的にコメントを取捨選択しています。シャロームを、見せかけに騙されて、柔和でバランスのとれた人・・などとは決して思わないでください。全部、嘘と捏造です。
 

「あさイチ」公式サイトから
また、久米さんが戦争に進んで行った時代と今の社会を比べ、
「気がつかないうちに戦争に入って行ったんですよね。
割と似ていると言えば、似ているような気もするんです、
あの頃と今って。とっても危機感を持っていますね」と話した。
この発言に対し、近江アナウンサーが「メディアのあり方と言いますか、
情報の伝え方とか。やっぱり同じ轍を踏んではいけないという…」と問うと、
久米さんは「政府を強烈に批判する放送局があってしかるべきなんですよ」と
応じた。

 
私が気がつかないうちに、削除されていたり、コメント欄が閉鎖されていたり、承認不承認を、全くの恣意で決めていたり、そういう8年間の経過で、自分のためには何でもするシャロームだと判断しています。社会正義を語る資格など皆無の自己中心であり、何を言っても訂正不能です。
 

「アンチ政府、アンチ国家の放送局、新聞があってしかるべきなんですよ。
だいたいみんな同じになって。すっかり流行語になった忖度みたいなところで、
よくないと思いますよね」

 
私は、アンチ・シャロームの記事を書いています。頷きに世辞、批判に隠蔽、あとは、反対者に、汚い当てつけ、侮辱、悪口ですが、一貫して根拠を全く示せないのが、シャロームの特徴です。それでも書いてくるのは、性根において、固定した傲慢があり、良心がないからです。批判して8年になります。まるで変わりませんから、私の記事の目的は、とんでもない奴がいるという情報拡散であります。
 

そして、若い世代へのメッセージを続けた。
「政治家に限らず年寄りってあまり先の事、
本気で心配してないんです。
ところが、今の日本の困ったところは、
若い人が先のこと心配してないんですよ。

 
前に書いたように、見かけのいい言葉を、いい意味に取って済ませ、あとは、狭いお仲間集団の中で自慢げに豪語してお祭り騒ぎをしましょう・・なのか、という印象を持っています。もちろん、すべての人が・・というわけではありませんが、なぜか、シャロームは、まさに、そういう人です。そして、そういうことを、人に教えようとします。
 
私が若かったころは、政治を見聞きするときには、ベースに、不信、ということがありました。今は、ベースが、政治家は別世界の人たち、になっているような気がします。それぞれが、自分にとって面白い話題にだけ注目する興味本位の傾向があるような気もします。
 

『なるようにしかなんないよ』って。それはいかん。
少しでも自分の暮らしからよくしていこうと、
若い人こそ思ってくれなきゃ。それが一番心配です」
近江アナウンサーが「明後日(参院選)選挙ですから、
若い人も投票にもちろん行くべきですね?」と問いかけると、
久米さんは「もちろん」と答え、続けた。
「投票に行って開票特番見るのと、行かないで開票特番見るのと、
開票特番との距離が違いますから。投票して見ると特番の距離が近づくんです
よ。ぜひ開票特番を楽しんで見ようと思うんだったら、

 
距離が近づきはしませんが、開票速報を見ることにはなるでしょう。がっかりすることが多いのが残念でなりません。政治家に騙されないぞ、と言えるだけの気概と批判精神を持ってほしいと思います。リップサービス、詭弁、薄っぺらな笑い、薄っぺらな怒り、一喝の快感、怒号の威嚇、そんなものに、影響される国民にだけはなりたくないのです。
 
興味がないと言う人もいますが、政治は趣味ではないのです。明日の私たちの生活を守ることなのです。
変わらないと言う人もいますが、歴史は、知らない間も、絶えず、動いています。放置しておくと、知らぬ間に変わって、肌身に感じる結果が訪れるでしょう。そのときには、もう遅いのです。
 

投票所へ足を運んで、夜できればぜひNHK。
一言ぐらい、お世辞言わないと(笑)」
        ☟
     忖度ではありません

 
忖度だと思います。よしあしは別としても、笑顔で終わらせるため。
 
(シャローム)

《SHALOMのコメント》
私はつい先日NHK前会長が
「政府が右と言ったことを左と言うことは出ません」と発言したように、
今現在もNHKが公共放送としてふさわしくないので、
憲法と放送法に従い、政府から、完全に独立して、
公共放送としての独立、公正、中立が担保されない限り、
受信料の口座引き落とし支払いを中止します。
振り込み通知書が送られても支払いをしません、と通告したばかりでした。
明日参院選挙投票日を前にして久米さんの心にとめるべき言葉でした。
私は昨日投票してきました。

 
シャロームは、自分の言ったことと違うことを言うと、まっすぐ反論や弁明をするのではなく、ですね口調で強く押し付けてきたり、はぐらかしたり、皮肉を当てつけてきたりします。さらには、自分のブログで、賛成コメントには承認、反対コメントは不承認、という汚い選択を平気でする人です。このブログのコメント欄には、私の未承認コメントが数えきれないくらい並んでいるのです。
 
受信料については、前にも似たようなことを書いていましたが、結局、払っていたわけです。豪語したいだけだと思います。
 
投票行動を、自慢げに語っていますが、自分は真剣に考えているとアピールしているだけです。嘘を平気で吐く人なので、本当か?・・と、いつも疑いを持っていることが必要です。
 
驚き呆れるほど、罪悪感がありません。指摘しても、嫌がらせを書いてくるだけです。そして、理路が全く認められない言い張りを繰り返してきます。そこまでいくと、こちらも、シャロームについては、どんな立派そうなことを書いて来られても、真に受けないだけの心構えが必要でしょう。
 
 
(コメント欄)
 
未承認
(私)
革新勢力の記事を載せて、一方では、真逆に、隠している権威主義で、反対者を押しつぶそうとするシャロームです。うっかりしてると、批判者を、何の根拠もなく、精神病だと言ったり、こちらが言いたいことを、逆に、こちらに向けてきたり、手段を選ばない人です。恥を知らないからです。
2019/7/20(土) 午後 3:27 st5402jp 返信する
(コメント、一部修正)
 
 
  隠す者
 
   太郎票再点検<各地で山本と山田票のトラブル発覚>
   https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/29005626.html
    by shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼)
   転載記事のコメント欄。コメのと一部編集・修正。
 
 
(シャローム)
開票所でムサシ職員が選挙管理委員会の腕章をつけて機材設置や片付け、その間の業務にまで関与している光景が参考人によって撮影されていましたが、こういう疑わしい選挙機材や業務内容の公正な第三者による厳格な点検が必要ですね。
 何しろムサシは安倍一族が関与していると伝えられていますし、民主主義の根幹である選挙なのですから。
2019/7/29(月) 午前 7:45[ shalom ]返信する
 
(私)
「ムサシは安倍一族が関与」
こういう情報って、出所を明らかにしないと、説得力はないのですが、シャロームは、自分は知っている、ということを自慢したいのか、言わないようです。
 
未承認
(私)
シャロームの権威主義は、民主主義には結び付きません。身近なところで民主主義の精神を脅かしているのが、シャロームなのです。野卑な精神で、手段を選ばず保身をしてくるのがシャロームです。シャロームには、公正な第三者も存在しません。味方か敵か、その分け方しかないのがシャロームです。自己中心の神がかりなのです。理路など無いのです。情感もないのです。
2019/7/30(火) 午前 2:08st5402jp返信する
 
未承認
(私)
シャロームshalomは、不都合な事実とコメントを読者に隠す、という一点において、自尊を守ろうとしているのです。くずれてゆく者が、知らなければ文句は言われない、という偽りに縋りついています。
2019/7/30(火) 午前 2:44st5402jp返信する
 
未承認
(私)
趣味ならば、付き合う相手を選んでもいいでしょう。しかし、真実の追求、例えば、宗教、信仰、思想、政治、など、人間一般の問題については、趣味で相手を選ぶことは出来ません。これらのテーマは、総ての人の共通の問題として共有されるからです。
2019/7/30(火) 午前 2:47st5402jp返信する
 
未承認
(私)
シャロームが、反政権であるなら、シャロームは、反シャロームでないと、おかしいわけです。つまり、とうの昔に、反省して、自分を改革しているはずなのです。そうなっていないことが示すのは、ただ一つ、全部、嘘だということ、すわわち、妄想以外持っていないということです。
2019/7/30(火) 午前 3:00st5402jp返信する
 
(私)
シャロームのような、自己顕示欲だけで実質のない軽口と悪口は、結局、説得力が無いために、相手にされないだろうとは思いますが、発言が表れたところで、私は、指摘し、批判してゆきます。放置すれば、際限なく増長するからです。
 
 
(2019年07月31日)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
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  ボンヤリ言語の誘導(2)
 
   オカルト兼自己啓発書とは? (『忘れられたベストセラー作家』小谷野敦著)
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41564903.html
   楽山ブログのコメント欄。
 
 
(私)
楽山は、執拗に食い下がって、シャロームを擁護したいようですが、理路が、おかしくなっています。楽山は、言葉にこだわり、理屈を捏ね繰り回し、心を見ないからです。
 
(楽山)

ちなみに私は、カルトについては、下記ページを参考にして言ってます。
そして私の意見は、こうです。
stさんは、シャロームさんの聖書解釈、信仰態度を批判し、シャロームはカルトと断じている、
しかし一般は、カルトには違法行為などを行う反社会的なイメージを持っている、
stさんがシャロームさんをカルトと断じれば、一般にシャロームさんは違法行為を行う反社会的な人だと誤認させる恐れがあるからやめた方がいい、
 批判するならカルトのレッテル貼らず、聖書解釈などに異論アリと言うにとどめた方がいい。
・カルトの定義をめぐるあれこれ
https://note.mu/daily_cult/n/nad21561cfe0a
2019/7/30(火) 午後 7:51[ 楽山 (自由) ]返信する

 
(私)
異論があることは、ずっと前から、シャロームに言っている。シャロームは、無視し続け、それでも、ふてぶてしく、反キリストの言説を訂正しない。無視、侮辱、詭弁を弄する。ゆえに、求道者、信仰者、一般に対しても、害毒として、カルトと言っている。
(私)
「stさんがシャロームさんをカルトと断じれば、一般にシャロームさんは違法行為を行う反社会的な人だと誤認させる恐れがあるからやめた方がいい」
違法行為を行る反社会的な人というのが誤認だ、と楽山は言うのは、シャロームの味方、ひいき筋だと分かる。何をしているかは知らない。何をするかは分からない。しかし、ネットで、嘘を吐き、人々に、よからぬ教えを説き、反省もしない。・・、だから、カルトです。間違いと悪を続けている自己中心は、批判の対象になります。
(私)
楽山って、本当に、話にならない。今ここで、批判する目的は、楽山批判がメインなのです。何を傍観者のように語るのでしょう。総ては、楽山が中心ではないかという疑惑も抱いています。シャロームに対する方針は、今まで通り、変わりはしないのです。ふざけるんじゃない。
 
(楽山)

また、stさんはこういう主張を繰り返しているでしょう。
シャロームの聖書解釈、信仰態度はおかしい、もう何も語ってほしくない、ブログも止めるべきだ、
シャロームとは誰も話すべきでない、シャロームと交流する者は、シャロームの仲間とみなして、批判し、糾弾する。
こういうのは、宗教を理由にして個人を差別、排斥しようとするヘイトであり、人権侵害であるように思えます。やめた方がいいです。
2019/7/30(火) 午後 7:55[ 楽山 (自由) ]返信する

 
(私)
交流する者ということではなく、シャロームの賛同者は、味方は、ということです。つまり、楽山、特に、あなたです。
(私)
「宗教を理由にして個人を差別、排斥しようとするヘイトであり、人権侵害」
となるのは、一般的に、善良な人に対してです。少なくとも、無害な人に対してです。
(私)
シャロームも、楽山も、善良からは、かけ離れています。人間の自由を脅かす思想を広めようとする悪と偽善であるから、明らかに有害であり、根拠を示せば、いつでも、どこでも、批判対象になるということです。
(私)
ネットでのカルト宣伝活動をやめれば、対象がなくなるから、ネットでは批判は止むでしょう。楽山の的外れは、本当に、話にならない。放置することは、正常な一般他者の人権を犯すことです。言論の責任を負わない者に、言論の自由はないのです。詭弁で邪魔をするカルト宣伝者である楽山、あなたもまた、ゆるされません。
 
(楽山)

>邪悪なものに、まともがあり、まともと、まともじゃないものを、分けるべきだと言っていることが、既に詭弁。
カルトはまともなことは言わないと思ってると、カルトの餌食になる可能性が高くなると思います。そういう人は、「カルトかと思ったら、すごくいいこといってる。こんないいことをいえる団体がカルトのわけがない」という発想に陥る危険性があります。
カルトはまともなことを言って人を集め、徐々にまともでない方に誘導する事が多々ありますから、「カルトはまともなことを言わない」ではなく、「カルトは入り口ではまともなことを言う」と思っておいた方がより安全です。
2019/7/30(火) 午後 7:57[ 楽山 (自由) ]返信する

 
「カルトはまともなことは言わないと思ってると、カルトの餌食になる可能性が高くなる」
(私)
まともに見えることを言っても、それは、カルト宣伝のためだと見なされることです。良さそうなことを、盛んに言うのは、カルトの特徴です。引き寄せて、すり込むのが、カルトですから、それは、まともではなく、作為、恣意、悪意によるものです。言葉面だけを見る者とは、話になりません。
(私)
「カルトかと思ったら、すごくいいこといってる。こんないいことをいえる団体がカルトのわけがない」
という方向に、誘導するのが、あなた、楽山とシャロームの言説なのです。だから、まともではない。
(私)
「カルトはまともなことを言って人を集め、徐々にまともでない方に誘導する事が多々ありますから、」
あなた自身が、認めているじゃないか。だから、根っこが腐っておれば、同じことを言っても、それは、まともではないのです。良いことではなく、下心のある、良さそうなことに過ぎない。それは、まともではない。言葉遣いを混同しないように。言ってることの、それまでの、文脈、経過、流れを見て判断するべきなのです。
(私)
カルトの言っている、良さそうなことを、まともだと思うことが、カルトに騙される入り口です。楽山がここで言っていることも、今までの経過を知っておれば、まともではない作為による逃げ口上だと分かるのです。楽山は、悟られていないと思っているようです。
(私)
良さそうなことを含めて、シャロームも、あなたも。白々しいのだ。まだ、分からないのか。思想が偏向して理解力のない人と話をするのは、本当に疲れることだ。あなたのコメントこそ、まともじゃない。心がないからだ。
 
(私)
アドラー教によって楽山の言うことは、今まで言ってきたことも含めて、極めて危険な人格破壊に結び付きます。人間を、鈍感で、いつも悦び、文句を言わず、世辞でやり取りをして、気に入らないことは無視して、反省せず、学習せず、成長しないような、愚鈍の民にしてしまうからです。
 
 
(2019年07月30日)
(2019年07月31日、一部修正)
 
 
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  ボンヤリ言語の誘導
 
   オカルト兼自己啓発書とは? (『忘れられたベストセラー作家』小谷野敦著)
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41564903.html
   楽山ブログのコメント欄。
 
 
(私)
はぐらかし、というのは、シャロームがやってきたことです。楽山は、それに加え、ボンヤリ言語で、いかにも、中立で、柔和に見せかけて、問題の焦点を逸らせようとしてきます。一見、道理か理屈を言っているような、ボンヤリ言語の罠に嵌ってはいけません。
(私)
シャロームと楽山は、まともな話のできない者たちです。語れば、作為があり、悪意があり、誠意がない者たちです。引き込まれると、引きずられて、絡まって、何が大事か、分からなくするのが狙いです。対話は、とうの昔に、諦めています。問題点の悪質さを指摘して、否定してゆくしかありません。
 
(楽山)
>犯罪に及んでいないから批判するな、というのは全く成り立たない。
私が言ってるのは、「批判するな」ではなく、「違法行為などのない人に対して、カルト呼ばわりはよくない」ということです。
「シャロームの聖書解釈、信仰態度には反対だ」というなら、そこは自由に批判したらいいかと思います。
ただ、違法行為などがないにもかかわらず、聖書解釈、信仰態度に異論があるということを持ってカルト呼ばわりするのは、あらぬ誤解を招き、よくないということです。
2019/7/30(火) 午前 7:13[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
「違法行為などのない人に対して、カルト呼ばわりはよくない」
楽山は、何を言っているのでしょう。意味不明です。警察につかまっていないからカルトではない、とでも言うのでしょうか。悪しき宗教を宣伝している、すなわち、嘘吐き、キリストに真っ向から反することを言いながら、キリスト信仰?を説く、改める様子が少なくとも8年間全くない、反論も弁明も全く成り立たない、これだけで十分です。性根の腐ったカルト、それが、シャローム、そして、楽山であります。
 
(楽山)
>カルトに対して、役立つ考え方があるようだ、ということが、既に、カルトとは見なしていない証拠です。
これは大雑把すぎると思います。
宗教というものは、多くの場合、カルトも、カルトでないものも、まともな教えと、まともとはいえない教えの両方があるものです。
カルトのまともな教えと、まともでない教え、
カルトでない宗教のまともな教えと、まともでない教え、等々。
カルト批判するなら、この辺りの区別はちゃんと付けた方がいいです。
2019/7/30(火) 午前 7:14[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
大雑把で穴だらけなのは、楽山のほうです。まともな考えと、まともでない考えに分けることは無意味です。カルトは、即刻、人道に反する有害な宗教もどきとして、全否定する必要があります。一部が間違っているなんて、私は、考えていません。根っこが腐っておれば、総て邪悪です。区別をさせて、ああでもない、こうでもない、という楽山のボンヤリ言語ワールドに引き込みたいのでしょう。これこそ、カルトらしい誘導です。
(私)
宗教として、根っこが腐っていると思うからカルトと呼んでいます。この楽山の考え方こそ、カルトを擁護する者の作為と悪意なのです。そして、楽山は、カルト宣伝者です。何を、外から見ているような口の利き方をするのでしょう。楽山は、書けば、いたるところに、言い逃れの詭弁をまき散らしているようです。
(私)
何て醜い言い逃れ。楽山は、理路がなく、理解力がなく、惑わし言葉をポンポンと投げてくるだけです。文脈を混乱させるだけです。それが、ボンヤリ言語なのです。それが、アドラー教カルトなのです。それが、楽山です。シャロームと楽山を疲労物質といったのは、このことであります。楽山の口は災いです。理路を正せず詭弁だけしか言ってこない楽山には、黙っておれ、と言うだけです。
(私)
楽山と話をするためにコメントを書いたのではありません。すでに、対話は無意味だと分かっています。楽山は、理路で語るのではなく、理路を混乱させるために語っているに過ぎません。私は、楽山を説得することなど、楽山と対話することなど、とうに諦めて、カルトとして楽山について、この者は不法だと、おかしな記事に付け加えるためにコメントを書いています。
 
(私)
いつまで、柔和芝居をしているつもりだ。あらゆるところに、楽山は不正を表している。記事を書けば書くだけ、コメントを書けば書くだけ、理路を書けば書くだけ、カルトに堕ちた者の、えげつない詭弁が表れる。
(私)
邪悪なものに、まともがあり、まともと、まともじゃないものを、分けるべきだと言っていることが、既に詭弁。分けられないものを、ふつうに分けられるかのように語る、そして、騙る、楽山の詭弁。
(私)
邪悪な者が、邪悪なものについて、一見、よさそうに見えそうに感じ取られそうなことを言うのを、嘘、と言います。
 
 
(2019年07月30日)
 
 
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  削除魔
 
 
シャロームと楽山、この二人は、削除魔である。
前にも書いたが、ブログは私有物ではない。公共の場であり、ブロガーは、管理の多くを任されているだけの立場である。それを、私物化して、自分の家だと勘違いしている者がいる。
一応、まとめとして、書いてみます。
 
 
(楽山)
私はブログは自分の家だと考えていますが、いろんな人がいますので、出入りは承認制にしたり、人によっては出入り禁止にします。お断りしているのに、出入りしようとすれば締め出したり、送り付けられるものは送り返したり、時には処分しますね。
自分の家、部屋と他者の家、部屋の違い、区別がつかない人にはそうした方がいいのではないでしょうか。
自分の家や部屋に他の人がヅカヅカと入ってくることに平気な人はいないでしょう。
夏ですが、しっかり戸締りはしたいものですね。
 
(私)
ヅカヅカ入ってくるのは、真実の追求のために議論が必要なコメント欄があるからです。それを嫌うのは、元々、人の言うことなど、聞く気のない者たちだからでしょう。
(私)
サーバーという他者の持ち物である家を、自分で戸締りすると言っています。それは管理ではなく、恣意による乗っ取りの立てこもり犯に近いでしょう。一国一城の主(あるじ)でもないのに、自分の趣味?で、相手を選んで、どうやって、人間が共有できる真実に近づけるというのでしょう。
(私)
こういうのは、公共物を、自分の要塞か城のように考えて、私物化することです。家主を超えて、自分勝手な王様になったつもりなのでしょう。「夏ですが、しっかり戸締り」などと、挨拶のような気やすい言い方をして、責任を全く感じていない様子です。
(私)
元々、罪悪感や、責任感や、恥ずかしさを、感じない体質なのだろうか。あるいは、アドラー心理学を利用したアドラー教の、気に入らないことは無視しましょう、などという教えに従うと、こういう、わがままなことをして悔いない子どものような大人が出来上がってしまうのだろうか。
(私)
楽山は、あたかも、自分が常識あるブロガーのつもりで振る舞っていますが、実際は、とんでもない策士であり、詭弁家であり、アドラー教というカルトの宣伝者なのです。今までの経過から、それを前提にして考えないと、本人は全く自覚していないですから、楽山の見かけの丁寧なボンヤリ言語に騙されることになります。恐らく、既に、騙されている人がいると思います。
 
(私)
削除について、彼らの言い分は、社交の礼儀と、趣味が合わない、と言うことだけである。
真実の追求は趣味ではないのだから、実際には、削除こそ、最も礼儀に反する行為である。
(私)
礼儀で、ご機嫌取りをしたり、世辞の褒め言葉で持ち上げたりしていては、真実を追求することも、議論を掘り下げることも出来ない。
(私)
にもかかわらず、彼ら二人は、日記ブログでもなく、お付き合いのブログではなく、社交のブログでもなく、趣味の同好会のブログでもなく、
真実を追求もせず、掘り下げもしないのに、自前の不変の真実?を主張しているつもりなのである。
(私)
コメントを削除する者は、正常な弁明の理路を持たず、かつ、学習する気のない者。つまり、最初から自前の主張を言いたいだけの者。つまり、自己中心のナルシシストに近いだろう。
(私)
つまり、彼らが削除するのは、乱暴者が、邪魔者は消せ、ということと同じなのである。これは、それほど、暴力的で、悪質で、卑怯な振る舞いなのである。
 
(私)
そういう者が目指しているところは、必然的に、苦言を、一切、受け取らず、間違いは間違いのまま、正当の化けの皮をかぶったまま、学習もせず、成長もせず、一生を過ごすことになる。
(私)
都合の良いことだけを学習しても、それが間違っていても修正されないのだから、それは、つまり、一生、間違っていたい、それが、アドラー教であり、結局、それは、一生、治らない病的な精神を守り続けることに等しい。
(私)
何故なら、学習も成長もしない精神は、単方向に偏り、または、多方向に奔逸し散乱して、しまいには滅裂となって、病的にしかならないからだ。シャロームと楽山は、その経過と結果を表しているにもかかわらず、悟っているかのような、高慢と傲慢でネットに巣食っているのである。
 
(私)
なお、コメントを未承認のまま放置することも、削除と同様の意味を持ちますが、スクリーンショットで、その有り様を、表に出すことは出来ます。
 
 
(シャローム)
私のやじろうべえの支点は人間ではなく、イエスさまなんです。十字架につけられたイエスさまの姿をよく見てください。まさにやじろうべぇの姿です。
 
(私)
シャロームは、平気で、キリストを、やじろべえに喩えています。やじろべえは、人を救いません。シャロームは、自分の中に、キリストがいる、という、真っ向からの背教を語っていることになります。
(私)
やじろべえの支点が、キリストであるなら、どうして、悔い改めよ、という言葉を裏切って、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていいと言ったのでしょう。しかも、間違いとして訂正することもないのは、何故でしょう。答えは、一つしかありません。信仰は嘘で、キリストを信じてなどいないということです。
(私)
こういう、真っ向から、キリストに反するような大嘘の大罪を、平気で、讃美言葉の口に乗せて並べて、ごまかしているのが、シャロームなのです。さらに、政治や社会や歴史についても、妄想的言辞を、節操もなく、あちこちに書きまくっているのです。
(私)
このシャロームを、好きなようにさせると、必ず、唯一の武器である世辞を使って、誰かをたぶらかし、自分の信仰の世界に引き込み、立ち直れないほどのダメージを、その人格に与えるか、あるいは、滅裂な豪語をもって、無駄な疲労を誰かに与え、迷惑をかけるだけになるでしょう。
(私)
カルトが与える悪影響は、ニュースなどで明らかですが、報道されるのは、大きい集団になって、社会に与える影響が顕在化したカルトだけですから、まだ、大きくなっていないカルトや、カルト的な人が広めている途上であるケースは、数えきれないのではないかと思います。
(私)
シャロームと楽山を受け容れてはいけないと思います。どうか近づかないでください。誰かが、彼らのことを言ったら、知らせてあげてください。
 
 
(楽山)
思い返してみれば、自分の場合も、ありのままの自分を受け入れるに従って、喧々諤々の議論をすることもなくなってきたと思うので。
 
(私)
ありのままの自分を、正しいと受け容れて、違う他者を、自分のブログから、自分の記憶から、存在から、削除してきたのです。議論をすることがなくなったのではなく、議論をする相手を趣味で選び、他を削除しているということなのです。
 
 
(シャローム)
他の人との関係で悩んだりするのか、その原因は他の人にあるのではなく、自分自身と和解できないことに原因があることが多いようです。それを私たちは自分に向けたり、他の人に向けてしまうことで苦しんでいるのです。
 
(私)
共感を装う、相当な侮辱です。自分と和解しすぎて、神との和解も済んだことになって、自己中心と、自己と神格一体化、つまり、自己絶対化によって、他者を聞かなくなったシャロームは、理路も、情緒も育たないまま、コメントを、世辞の丁寧さだけで書いてくる分、その理路の妄想化と滅裂と、性根の悪さが、際立ってくるのです。
(私)
そうして、今まで8年もの間、ブログのテーマに関するような、いかなることについても、一度も反省も修正もしないという全能妄想ぶりなのです。はっきり、また申し上げますが、こうなったら、おしまいです。そういう、おしまいの人が実際にいる、ということです。
 
 
(私)
信仰は、人間が決め付けない限り、人間を救いますが、考え方を間違えると、人間ではなくなります。そして、自他ともに、人を滅ぼします。宗教の怖さは、ここにあるのです。
 
 
  続・削除魔
 
   オカルト兼自己啓発書とは? (『忘れられたベストセラー作家』小谷野敦著)
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41564903.html
   楽山ブログのコメント欄。
 
   記事については、既に、「霊感好き」という私の記事にしています。
   オカルト兼自己啓発書とは? (『忘れられたベストセラー作家』小谷野敦著)
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41564903.html
 
 
(私)
コメントを削除する者は、弁明の理路を持たない者。
苦言を、受け取らず、かつ、理路を持たなければ、間違いは間違いのまま、正当の化けの皮をかぶったまま、一生を過ごすことになる。
一生間違っていたい、それが、アドラー教であり、それは、一生治らない病的な心を守り続けることに等しい。
2019/7/29(月) 午前 2:52st5402jp返信する
(私)
「削除魔」という記事を書きます。また、今後も、引き続き、批判してゆきます。
 
(楽山)
私は基本的には、コメント欄は自由開放か、または承認制にしても全て承認してきました。stさんのコメントも同様の扱いをしてきました。
 
(私)
真面目に書いたコメントだから、当たり前のことなのに、都合が悪くなると、このように、恩着せがましいことを前提として責めてくる。
 
(楽山)
でも今後については、stさんのコメントは承認しない方向で検討中ではあります。言い難いことですけど、stさんのシャローム批判は、やたらと喧嘩腰だし、誹謗中傷、ヘイトスピーチ寄りになってると思います。
 
(私)
根拠を示せないまま、喧嘩腰、誹謗中傷、ヘイトスピーチ、と激雑言を並べるほうこそがヘイトスピーチ。これは、ボンヤリ言語による、楽山からの脅しです。というより、既に、削除は始まっています。偽善者、楽山の、作為的丁寧語、ボンヤリ言語には、もうだまされない。
 
(楽山)
もしシャロームさんから、「楽山は、私に対するヘイトスピーチを容認し、野放しにすることで、名誉棄損に加担した。訴えてやる」と責められたら反論のしようもないです。
 
(私)
繰り返すことで、「ヘイトスピーチ」の印象をすり込んでくる。
(私)
楽山は、誰に対しても反論は出来ないでしょう。ボンヤリ言語では、反論にも、議論にもならない。嫌み、陰口、当てつけ、といった罵りにしかならない。楽山は、そういうものしか言わないし、そういう物しか返せない、という経過が今まで表れてきた。
(私)
シャロームが、何をしてきたか、という問題を、スコーンと無視できる偽善者、楽山。やさしく冷静を装う体裁だけの、説明にもコメントにもなっていない楽山の筆致。冷静を装う分、嫌らしさが際立っている。
 
(楽山)
まあシャロームさんはそんなことは言わないだろうし、匿名ブロガーに名誉棄損は成立しなかろうとは思うけど、それにしたって、自分のブログのコメ欄で、他者に対するヘイトを野放しにするのは、やはり気が咎めます。この辺りのこと、どうかご理解願いたく思います。
2019/7/29(月) 午前 6:40[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
楽山は、アドラー教カルト宣伝の邪魔になるために、シャロームをかばうが、そのことで、ヘイト、という言葉で詰(なじ)る以外、何も言えなくなっている。楽山のヘイトは、道徳とも常識とも何の関係もなく、醜い。
(私)
「ヘイトを野放しにするのは、やはり気が咎めます。この辺りのこと、どうかご理解願いたく」
また、「ヘイト」を前提にしようと、繰り返して嫌らしさの印象操作。
さらに、常識人を装う、この丁寧語が、偽善者、楽山の特徴である。丁寧に書けばよいと思っているようだが、そういう丁寧さが、既に通用しなくなってきている経過を無視している分、わざとらしくて、気色悪い。恐らく、楽山は、文脈が読めないのだろうと思う。
(私)
それは、「心の理論」の、途方もない曲解に表れていた。
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12450774365.html
 
 
(楽山)
こう書くと、正当な批判と、ヘイト誹謗中傷との違いについての議論がはじまりそうですけど、
私には、stさんのシャローム批判を、ヘイト誹謗中傷ではなく正当な批判であるとすることは、論理でも感覚でも受け入れるのは難しいです。一部正当な批判もあるでしょうが、全体をそうだというのは無理です。
2019/7/29(月) 午前 6:48[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
恐らく、楽山には、隠蔽と偽装の目的はあっても、整合する論路と正常な感覚がないのだろう。楽山の、回りくどく、ねちねちとした、丁寧語は、「殴られるより悪いことがある」という三島由紀夫の言葉に相当する。この言葉は、三島原作映画「午後の曳航」の中の、子どもの台詞だ。
(私)
楽山は、整った理路を追えないために、丁寧ボンヤリのイラつかせ言葉を仕入れた。
シャロームは、理路そのものがないために、世辞が通用しないとき、削除を覚えた。
熟し損なった子供の精神と、大人の嫌らしさでは、正当な議論にも意見にもならない。
(私)
恐らく、楽山もシャロームも、人の言ったことなど、殆ど理解していない。だから、深い理解の必要な理路も情緒も汲み取れない。それで、代わりに、踏みつぶすことを覚えた。
(私)
「一部正当な批判もあるでしょうが、全体をそうだというのは無理です」
という部分否定の表現が、自分は思いやったが・・という、楽山の、嫌らしいボンヤリ言語の、文脈上の特徴です。私は、シャロームとの付き合いで、このような安い小細工が、いちばん嫌になりました。丁寧で、思いやって、の陰で、底知れない作為と悪意を感じます。それこそ、殴られるより悪いことがある、ということです。この三島由紀夫の感性は、カルトを考えるうえで、けっこう重要なポイントのような気がします。
 
(シャローム)
>楽山は、アドラー教カルト宣伝の邪魔になるために、シャロームをかばう
これについては本記事を読んでもらえれば分かると思うけど、私の立場は、アドラー本などスピ系自己啓発本には注意が必要というものです。
ていうか、これと似た流れは前にもありました。stさんが楽山はアドラー信者と言い、私はアドラーには役立つ考え方はあるようだけども、のめり込むのはダメという立場ですと説明したのでした。
2019/7/29(月) 午後 8:10[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
カルトに対して、役立つ考え方があるようだ、ということが、既に、カルトとは見なしていない証拠です。カルトとは対決姿勢と、総てを振り出しに戻す全否定だけが必要なのです。あなたは、カルトに甘くしろと言っているに等しい。何を言っているのか。だから、あなたに対してもだ。
(私)
ちょうどいい柔和さで、正しいことを言っているつもりか、そのように、装っているのか。それは、カルトには通用しない。まず、つぶすことが大事であり、それをしないと、また、社交や世辞によって、諦めずに、広めようとするのがカルトである。あなたに対してもだ。
 
(シャローム)
stさんによるシャローム批判については、当方はこんな見方です。
・巷には、カルトと言えば、献金詐欺、霊感商法、女性信者にセクハラなど、違法行為、人権侵害などを繰り返す反社会的団体というイメージがある。
・でもシャロームさんがそういうことをしたという事実はない。
・にも関わらず、シャロームはカルトだと言い募れば、シャロームさんがそういう違法行為を繰り返している人だという誤解を広めることになる。これはよくない。
これについても前に話したことがあったと思いますけど、また書いときます。
2019/7/29(月) 午後 8:12[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
犯罪に及んでいないから批判するな、というのは全く成り立たない。犯罪が起こってからは、警察の仕事である。一般人の出来ることは、おかしいところを見つけたら、批判の言論をもって、不正を訴えてゆくこと、すわわち、抑止と情報の拡散をすることが必要だし、それが一般人にも自由な言論をもって出来ることだ。
(私)
犯罪じゃないから?・・よくも、そんなことが言えるものだ。巷のイメージだと。今までシャロームと仲良くして理非も分別できないくせに、結局、ここでも味方している。あなたは、冷めた飲み物のように、感じないし、考えない、あなたの意見など、私は、全く聞いていない。理路がないからだ。
(私)
すでに、信頼など、微塵もない。だから、楽山、アドラー教のあなたも批判対象なのだ。今ごろ何を言っている。やはり、あなたは、一貫して、理路のない、情緒のない、疲労物質だった。今日も。ねちねち、クレームをつけてくるだけ。卑怯者。
 
(私)
楽山が、いかに丁寧言葉で、常識があるという装いで、まともぶって書いてきても、言っていることに理路と内容と内実がないことが特徴です。よく読めば、言い逃れだけなのです。シャロームは犯罪者ではないから・・と言いだした時点で、批判の意味を知らないのであり、既にアウトなのです。
(私)
自分が、カルトであり、いかに、シャロームの肩を持ってきたか、いかに、楽山と、楽山のボンヤリ言語が、有害であるか、まるで、分かっていない。あるいは、これも、とぼけているだけなのか。そういう感慨しか、楽山については残っていない経過なのです。だから、そのことを、公共に知らせるためだけに、書いています。
(私)
シャロームとは、もちろんのこと、楽山と交流する意志など、とうの昔に失せています。批判記事ですが、公共の読者に読んでほしくて書いています。隠蔽と偽装のカルトそして偽善者の、シャロームと楽山に騙されないように。
 
 
(2019年07月30日、同日一部修正)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
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https://stdsts.hatenablog.com/
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https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp (更新、コメント不可)
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