ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2019年10月

 
  カルト予備軍の醜態
 
 
シャロームshalomは、現在、所在不明ですが、
キリスト者そして元牧師と称しながら
罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい
というキリスト信仰とは真逆の信条を持っている
つまり反キリストであり、カルト教祖です。
受け入れられて広まれば
権威という実行力を持つ社会悪となる危険大であります。
 
楽山は、元HS信者と言うが
あたかもキリスト者であるかのような
芝居がかった記事を書いたりもして
持ち前の何の糧にもならないボンヤリ言語とともに
訪れる人を望ましくない方向に誘導する
という自らの欲求を満たそうとします。
恐らく宗教など何も信じてはいないと思います。
 
それで楽山は
シャロームの信条を無条件に味方するのだから
恐らく自らの信条など何も持っていない。
若い時に抱いた疑問が今も疑問であり続けて
進歩も学習する姿勢もない。
つまり何ごとも克服できないまま
名のある言論者の記事を恣意的に引用して
自らを言論者として高めようとするのは
名のある看板を悪用する醜い因業でしかない。
 
こういう者は、
自尊はあるが謙遜のない者として
誰とも共感できず共有も成立しないために
うわべの言葉だけ丁寧で謙遜を装い
柔和な評論家に見せかけているが
その狭小で偏向した思想の中身は
一方的で訂正不能である分だけ
真剣な言論者に対して
糧を与える代わりに精神の疲労を与え
無駄な時間を費やさせる悪意の病原と言えるでしょう。
 
シャロームは
その信条の固着から
うわべの丁寧語と聖書語とは裏腹に
恐ろしい敵意と怨念とを表してきました。例えば
「stさんの信頼を失っても、わたしに失うものは全くありません」と自尊と優位を誇り、
「邪推と妄想はstさんの専売特許」と、根拠のない決めつけを語り、
「stさんに同調し、支持し、私に対して注意された方のHNを教えてくださいませんか」と、嫌らしい丁寧語の当てつけで、お仲間という数を頼んでの皮肉を言うなど、正常な理路を失って、むしろ、相手に打撃を与えようという悪意の意図だけがあからさまになります。カルト信条のシャロームの仲間の数が多いなら、それは、そのまま、社会の脅威なのです。
 
そういうことで、シャロームの本音を読み解いてきて、シャロームは、人間にとって大切な多くを失いながら気づかず、理路も共感も皆無であると判断するに至っています。
 
楽山は
そのアドラー教と呼んでいる信条
すなわち気に入らないことは無視して
自分の軸だけで散発的に反応して満悦している。
 
この二人のそれぞれの
反キリストとアドラー教において
その主張の方向性は酷似していて
実際に仲間として動いていることから
同一成りすましの疑惑も続いています。
そうでなくても濃密な仲間であろうと思われます。
 
二人に共通しているのは、自尊過大、無反省、無根拠、理路の欠落、詭弁による誘導、嘘吐き、共感性の欠如、訂正不能、学習不能、自己中心、根拠のない確信、うわべだけ優しさを装う世辞と丁寧語による偽善、ときに漏らす本音の憎まれ口、他罰的、認識の未熟、未熟と破壊の自覚の欠如、思想家気取り、高等感情の鈍化、等々、総じて、謙遜の言葉は使うが、わざとらしく、白々しく、実際には、謙遜の欠片もないことが文章と文脈を検討すると明らかであります。
 
 
信仰は、思いこみではないと書いたように、根拠のない確信を打ち砕く方向に力を持っています。全知全能の存在を恐れるそれを、敬虔と呼びます。言い換えると、神の前で、自分は大きいとは言えなくなる、ということです。
 
もちろん、逆方向の誤りに行ってしまう場合もあり、日々の祈りにおいて、告白し、反省しなくてはいけません。信仰は、そのために与えられ、そのことが、信仰者としての成長を可能にします。
 
神様からの恵みだからと、人間として為すべきことのうち自分で出来ることも怠って、神に任せます、と言うなら、それは、シャロームと楽山の怠慢の迷路に似てくることを肝に銘じたいと思います。
 
 
私たちは、自由意志を持っています。神が、人間に、それを望まれたからです。
 
私たちは、自由意志で、信仰告白をしてキリスト信仰の世界に入り、キリスト者になるのです。
ゆえに、人間が、神からの賜物である自由意志を軽視しては、信仰は成り立たないのです。
折に触れて、神が、自分に何を期待しておられるかを考えることが必要です。
 
 
(2019年10月21日)
 
 
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  詩と信仰
 
 
詩を書くときも
信仰を考えるときも
思考は大切だが
論理を整えるときの思考とは違う。
 
何かに共感して
共感を言葉にするとき
整うのは論理ではない
 
何かピッタリくるものを
ツボに当てはまってくれるものを
求めながら彷徨う
 
今までの私
ここにある心
 
悔いに沈む悲しみ
明日に望む希望
 
夕焼けの空を
反対側の暗さまで追う心
 
一つの表情から
一行の言葉から
暮らしと人生までを想う心
 
影が微笑ましく
陰が痛ましくても
辿り着いたところで
出会っている悲しみのような喜び
きっと表裏一体だ
 
詩を書くときも
信仰を考えるときも
動いている心は
理路というには直感が働いており
直感というのは理路を捨てていない
 
詩人はミューズを聞いてなどいないし
信仰者は救い主をイメージして
言葉の直感と罪を甘く苦く味わいながら
 
また少し地上の理路を悲しんでいる
 
 
(2019年10月20日)
 
彷徨う(さまよう、さ迷う)
閃き(ひらめき)
 
(ネットから)
ミューズ:
ギリシア神話の女神、「ムーサ」の英語名(複数形)。音楽・舞踏・学術・文芸などを司る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BA
 
 
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  信じるとは
 
 
信じるとは
思いこむことではない
 
 思い込めば
 その人の頑なさに固まる
 その人の
 であり
 そこに神聖は排除されている
 
 私たちが自由意志をもって
 神聖を心から排除できることは
 古今の人間の有り様が証明している
 
 排除を、また、排除から
 いちいち神聖は防がない、守らない
 自由な人として育つためだ
 
 都合の良いほうにばかり正当化してはいけない
 
仰ぐとは
いつも上を見ていることではない
 
 上を見たら下は見えない
 
 上ばかり見ていると上気して
 足ではなく足下をすくわれる
 
 上には届かない大きなものがあり
 下には届いてほしい小さなものがある
 
 思い上がり
 のぼせるという罪は
 
 上にあるのではなく
 上だけしか見ない人にある
 
言葉の微笑を
あざ笑いに変えないように
 
言葉の悲しみを
憎しみに変えないように
 
信じ仰ぐ心は
悲しみの微笑を知っている
 
 
(2019年10月18日)
 
 
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  悲鳴
  
  
いつからか
私の目の前には
いつも悲鳴が鳴り響いているようだ
 
それは通り過ぎるときに
刃物のように何かを
切り裂いてゆくようなのだが
紙のように何か
切り裂かれているようでもある
 
飛び散るものが音も声も
さらに引き裂いてゆくようで
 
耳を塞いでも聞こえてきて
眼を閉じても見えてくるのに
一度も正体を見せないのだ
 
私はそこに
自分の泣き顔を
置いてみたくなることがあったけれど
それは一度も
乗せてはくれない
 
とても冷たくて
なのに
血のように熱して
しぶきのように
閉塞の壁にぶち当たっては
そこから行方知れずなのだ
 
夕焼けだろうか
それは一度も
消息など告げてはいないのだったが
 
いつの日からか
曲線の
細くふるえて
声が声であることを否みながら
この世で最も激しく
沈黙のように打ち消しあって
 
私は耳を塞いで
首を激しく振りながら
口を開けようとしている
 
 
(2017年10月18日)
 
(2019年10月17日、一部修正)
 
何か言葉や概念や感情のゴミみたいなものがたまってくると
思考も感受も滞るので、発散してます。失礼いたしました。
 
 
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  正直とは嘘とは
 
 
私は、何度も
神の前でだけは
精いっぱい正直な祈りを捧げることを
救われる条件と書きました。
 
ひょっとして
神の前で正直でも
人の前で嘘を吐くのはいいのか
と思う人もいるのではないかと思いますが
 
人間というものを
全体像として
全人格として
総合的に見てほしいのです。
 
神の前で
精いっぱい正直であろうとするほどの
信仰を持つ人が
人の前で
ここなら、いいやとばかり
平気で白々しい嘘を吐けるでしょうか。
 
つまり
神の前で本気で正直でありたい人は
人の前でも
あまりに白々しい嘘は吐けなくなる
ということが考え方の前提です。
 
人に嘘を吐いたことのない人は
恐らく、いないと思います。
 
その中でも
人の前で、あまりに白々しい嘘を吐く者は、
人の前で正直とは真逆である者は、
神の前でも
正直な告白を続けることはできず
嘘を吐くしかなくなるということでもあります。
そこに信仰は成り立ち得ないと思います。
 
そして神の前と人の前の
どちらも平気で嘘吐きであるなら
もはや、信仰どころか、
故意の嘘つきであり
意図した詐欺か陰謀みたいなものであるのか
体質的には虚言癖としか思えないのです。
 
 
(ネットより、長めに引用します)
虚言癖:
虚言癖とは、どうしても嘘をついてしまう性質を意味しています。 通常、嘘をつく場合には、何か大きな理由があったり、嘘をついたらどうなるかまで考えて嘘をつくことが多いです。 たいていは必要に駆られて仕方なく嘘をつくものですが、虚言癖の場合は違います。 嘘をつくことが癖になってしまっているのです。
やっかいな虚言癖を引き起こしてしまう原因:
虚言癖をつく人の多くは、自分を現実よりも大きく見せたいと考えています。その心理の原因としては以下のようなことが考えられるでしょう。
1.プライドが高く、虚栄心を満たしたい
プライドが高いため、できない自分をなかなか受け入れることができません。自分より周りの方が幸せそうに見えたり、周囲の人からバカにされたりすることを極端に嫌います。そのため、嘘をついてでも虚栄心を満たそうとするのです。
2.劣等感が強く、自信がない
プライドが高いことと矛盾するように思えるかもしれませんが、根本的なところでは劣等感が強い人の方が虚言癖になりやすいです。自分に自信がないため、よりよい自分を想像して嘘をついてしまいます。過去に何か大きなトラウマがある人も多いです。
3.努力ができない
普通であれば、できない自分を努力で克服していくものですが、虚言癖の人はこれができません。人からは認められたいけれど、努力や苦労は嫌いなので、手っ取り早く嘘をついてしまうのです。
4.隠したいことがある
隠したいことや大きな秘密を抱えている人も、嘘をつきやすいです。はじめは、その秘密を守るために嘘をついていたはずが、嘘に嘘を重ねていくうちに虚言癖の傾向がでてきます。このタイプは、嘘に自覚的である場合もあります。
5.周りに構ってほしい
虚言癖の人は、「周りに認めてほしい」という気持ちを人よりも強く持っています。目立ちたい、羨ましがられたい考えている、かまってちゃんであるとも言えるでしょう。孤独を感じていたり、寂しさを埋めるために嘘をつく人も多く、幼少期の親子関係などに起因しているケースもあります。"
https://tabi-labo.com/217641/lie-human-ppl
 
 
私が出会った嘘ばかり吐く人は、キリスト者、そして、元牧師と言っていました。
しかし、突っ込んで聞くと、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、
などという、キリスト信仰とは真逆の妄想的なことを言い出して、大嘘が発覚します。
 
その人の特徴は、
 
1.指摘に対して、
「邪推と妄想はstさんの専売特許。
 stさんの信頼を失っても、わたしに失うものは全くありません。」
といったことを書いて、自身の優位性を主張してきます。
ここで自らの優位性を指摘して何になるんだろうと思うところです。
当然のことですが、その根拠を全く指摘できません。
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12519287991.html
 
2.無根拠など理路の欠落を指摘すると
「そっくりそのままお返しします」などと言ってきます。
しかも、根拠を全く書いたことがありません。
私は、根拠を、約8年間書き続けてきたつもりです。
彼は、書くたびに、
それが無根拠の新たな根拠となり、嘘も積み重なるのです。
 
3.自分が言われそうなことを逆にこちらに当てはめてきます。
「被虐待児が長じて虐待する側になる」
私は、彼に、私の幼小児期のこと、一言も話していません。普通に愛されて育ちました。
「(ある)カルトに似ている」
私は、そのカルトのことを知りません。
どこが似ているかと問えば彼は黙るしかないのです。私の信仰を知ろうとしないから、どこがどう・・ということが言えないのです。
 
彼は、返せなくなると、いつも、黙り込みます。そして、しばらく経つと、何事も無かったかのように、丁寧語の挨拶から、また、書き始めるのです。過去の不都合を総て無視して。
 
「(自身に)依存しているから、かまってもらえないくて、批判をしてくる」
悪口を言うにも自分を高めてくる人です。彼は、人格依存されるような、いかなる魅力も皆無です。批判しているのは、真逆のキリスト信仰を教えられては困るからです。既に、批判は、批判記事があることをもって、読者が、彼に近づくことを少しでも減らすために書いていたということです。彼自身は、全く、遣り取りが成り立たない、話が通じない、話にならないので、彼をどうかしようとか、変えようとかは、全く思っていない段階です。
 
4.ごまかすための丁寧語
書き出しは、いつも、挨拶から始まります。
挨拶など交わす間柄ではないのに、自分は、できた人格だからとでも思って、アピールしたいのでしょうか、状況に全くそぐわない挨拶や丁寧語を入れてきます。動じないよ、とでも言いたいのでしょうか。そういう言い方が、過去には、功を奏したのでしょう。どんなときでも通用すると思っているようです。状況に合わない丁寧語は、気色悪いだけだという大人の感性をを持たないようです。
恐らく、信仰の敬虔を、丁寧語を使えば、実行したことになるとでも思っているのでしょう。
 
5.さらに妄想
私が何かに乗っ取られてトラウマか何かで批判ばかりしているという、ホラーのような話を何度もしてきます。この話ばかりは、私には、どこから出てきたのか了解不能です。悪意からですが、上記の宗教と信仰についてのことに加えて、妄想性を疑う大きな根拠になっています。
 
今、偽善者で、嘘吐きの妄想家である彼は、ヤフーブログ終了とともに所在不明です。
しかし、偽伝道をやめるとは思えないので、ときどき、検索しています。見つかりにくいように、ブログタイトルもHNも変えてくるでしょう。ヤフーブログでも、タイトルは3つ目で、2回変えた人です。その都度、何らかのトラブルがあったのでしょう。私とのトラブルも含まれていると思います。総て作為の悪意からで反省もせず罪悪感も感じない怖い人です。こういう人がいる、という私の経験からの学習でもあります。
 
 
キリスト信仰は、行為義認ではなく、信仰義認による救いです。
ここを理解できない宗教は、カルトだと思います。
 
そして、信仰義認は、
少なくとも、神の前での、精いっぱい正直な告白をすることが悔い改めであり、
はっきり言って、そのことだけが、人が、神に対してできる唯一の信仰告白であります。
 
善い行いは、本当に善であるかどうか、人には、
最後まで影響を追いかけて、証明することが出来ない性質である以上、
 
その折々の正直さのみが、救いの条件であると考えるしかない
という
現時点での、私の主張であります。
 
自らの自由意志で信仰を選んだ人間、すなわち、信仰者に
努めて出来ることは、正直な祈りだけだろうと思うからです。
 
前にも、私は、この結論的な考え方は書いていますが、
ただ、私としての今の判断に過ぎず、訂正不能ではなく、
もっと良い考え方があれば、私は修正する可能性を残しているつもりです。
 
 
(2019年10月17日、同日一部修正)
 
 
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