楽山の現実逃避
 
 『死は存在しない 
  最先端量子科学が示す新たな仮説』田坂広志著
 2023年01月21日 楽山日記
   を批判。
 
多くの嘘を吐き、多くの妄想をさらけ出し、多くの詭弁を弄して、人を騙すことしかできない楽山は、ほとんど衝動的に、無条件で、無理解でも、科学の名が付いた説に飛びついています。なおも自分は難しいことが分かると言いたいのでしょう。しかし、これも人格崩壊への症状なのです。
 
 
*死は存在しない?
とある筋から本書のことを知り、興味を持ったので一読してみた。どうやら著者の主張は、次のようなものであるらしい。
 
「とある筋」とは何でしょう。自分は重要な秘密結社にでも属していると言いたいのでしょうか。楽山の現実感覚が精神病理として、さらなる嘘と妄想に飛んでゆくような記事になっています。およそ、一般には、ましてや、楽山などには、理解できそうにもない次元の学説?を語り始めました。
 
楽山が「死は存在しない」ということに飛びつく心理~精神病理は、恐らく現実逃避だと思います。追い詰められて、何を考える知性もなく何を感じ取る感性もない者が、飛びつくのは、何にもしなくてもすべてが解決するような身勝手な夢の世界なのです。むしろ、このことから楽山の救いがたさが表れてきます。
 
 
この世界には、ゼロ・ポイント・フィールド(深層世界)というものがあり、そこには人々の経験や思いが全て記録されている。人が死にその肉体は滅んだとしても、このゼロ・ポイント・フィールドに記録されている当人の経験や思いは失われないので、この意味で人に死は存在しないことになる。
 
「ゼロ・ポイント・フィールド」(Zero Point Field)とは、端的に言えば、この宇宙のすべての場所に偏在するエネルギー場のことであるが、この場に、宇宙の過去、現在、未来のすべての情報が記録されているという仮説である。
(そしてそれは)「波動」として「ホログラム的な構造」で記録されているという仮説が、現在、注目されているのである。
引用:参考書籍 田坂広志「運気を磨く〜心を浄化する三つの技法〜」
 」
 
書いてある用語に、納得できる根拠と説明がありません。楽山には、さらに人間としての根拠がありません。唐突に記事に書いてきたのは、恐らく、少年少女趣味と同じような、あるいは囚人の赦免妄想のような、現実逃避規制によって、犯罪者の本能として、衝動的に飛びついているのでしょう。
 
 
ただしゼロ・ポイント・フィールドは単なる記録保管所ではなく、一つの意識体であるから、そこに保存されているのは記録というよりは、記憶であり、刻々と変化して行くものである。だからゼロ・ポイント・フィールドに遺された死者の思いは、固定的なものではなく、少しずつ変化して行き、次第にエゴを失い、やがてはゼロ・ポイント・フィールドの意識と同化することになる云々。
 
「単なる記録保管所ではなく、一つの意識体」・・だからなんだというのでしょう。理解に結びつく何かの実証があるのでしょうか。どこかにある記憶の話をして、具体性がどこにあるのでしょう。「ゼロ・ポイント・フィールドの意識と同化」して、何が現実に起こるのでしょう。
 
楽山が、様々なHNを使って人を騙し誘導するように、楽山の欲望が成就するとでも言うのでしょうか。もはや、何の具体性もないものに楽山はすがりつきたいのでしょうか。まるで思春期の憧れのように、楽山が憧れる対象は、ほぼ全部、遠すぎて届かず、楽山は、話す方法さえ分からない世界に逃げています。
 
 
これはあくまで自分の読解であるから、不正確なところもあるかもしれないのだが、自分としては著者の意見を大体このように理解しつつ、人の意識のコピーは残るが、オリジナルは滅びるというのでは仕方がないというさみしい心持ちがした次第である。
 
「不正確」と言いながら「理解しつつ」と見栄を貼っています。「意識のコピー」が分かるというのでしょうか。楽山の空想非科学妄想全開です。科学の「か」の字も理解していない楽山が、何をもって「さみしい」と書いているのでしょう。書けば、必ず自己顕示欲だけが表れる楽山の因業であります。
 
 
しかしおそらくはこういった感慨は自我にとらわれているが故なのだろうし、ゼロ・ポイント・フィールドの記録をコピーとするのは間違いで、それに同化しない部分こそ偽物の自分だと考えるべきなのだろう。
 
「自我にとらわれている」楽山の、自我は欲望に囚われて、真善美からは遠ざかるばかりであるのに、またしても、小便臭い理想か空想を飲み込んで、妄想に酔っている楽山です。はっきり言って、楽山には本物はありません。今までも、これからも、楽山のハリボテのような、人間性の偽物だけなのです。
 
 
*不思議な出来事
また著者は、さまざまな不思議な出来事についても、このゼロ・ポイント・フィールドによって説明している。たとえば、予知などは、人の意識がさまざまな情報を集積しているゼロ・ポイント・フィールドと同通することでおきるだとか、故人の霊と会うというのは、ゼロ・ポイント・フィールドに保存されている故人の記録を合成したものと会うことであるとか、心霊スポットとはゼロ・ポイント・フィールドと同通しやすい特定の場所なのだろうなど。
 
全部、空想の辻褄合わせに過ぎません。楽山の精神世界は、結局、このような、科学に見せかけた夢幻の世界なのです。それを、分かったかのように現実世界の他者に投げつけるのは止めてほしいですが、夢見る楽山は、せっせと、それを、涎(よだれ)のように垂れ流してゆくのでしょう。
 
 
こういう説明を読むと、ゼロ・ポイント・フィールド仮説を用いれば、大概の神秘現象は説明できてしまいそうだからおもしろい。
 
つまり仮説なのです。実証しようもない。しかし、楽山においてだけは妄想化して、楽山にとってだけ現実との区別がつかなくなってゆくのでしょう。証明できないものによって「神秘現象」を説明できるという矛盾に至って、今度は、楽山が流涎するのでしょう。どこまでも神秘になりたがる楽山です。
 
 
*疑似科学?
個人的な感想としては、本書は疑似科学系のスピリチュアル本であるように思う。自分は最先端科学については何も知らないので、本書に書かれていることについて、科学的な観点から、あれこれ論評する能力はなく、これはあくまで自分がそのように感じたということにすぎないのだけれど…。
 
科学も疑似科学も理解できないのに、今回のように、悦んでいるのは、我欲の本能が感じていることにだけ従ってきた楽山の生き方そのものではないかと思います。独りでならまだしも、それをブログに書いて、人を惑わせようとするのは、まさに、今までと同じ、楽山の我執の妄想人生に他なりません。
 
 
ただそれはそれとして、著者の提唱するゼロ・ポイント・フィールド仮説は実にユニークであるのは間違いない。他の書籍も読み、著者の世界観をもっと知りたいと思う。
 
どうして楽山は「論評する能力はなく」と言いながら、「ユニークであるのは間違いない」などと言えるのでしょう。楽山の言は、書くたびに、矛盾し続けます。そしてまた欲と悪に飲まれ飲まれて、人をバカにする詭弁に至るでしょう。悲惨な楽山の病質的因業が、また害虫のように湧いています。
 
 
架空にすがりつく者

架空にすがりつく者
 
 
(2023年01月22日)
 
 
 
★こも/楽山日記3さんがリツイートしました
自分は今正常ではないのでは?常識的な判断ができてないのでは?と思える人は、メンタルが不調でも理性が残っている人。これが「自分は絶対に正しい、間違っているのはアイツ、社会」などとなり、何事も他責で考えるようになったら、理性を失っているか、元々理性的な判断ができない人だと思っていい。
 」
午前9:43 · 2023年1月21日
 
また、楽山のブーメランです。楽山は常識的判断が出来ているつもりの病質者で、不祥事を、全部、人のせいにしてきました。つまり、実際は、理性的な判断が、まるで出来ないのです。しかも、その自覚が全くありません。だから、こういうリツイートをしてきます。ブーメランの繰り返しです。
 
楽山は、対立する人に、指摘するつもりで、書いたり、リツイートしたりしますが、そこに、自分について省みるという機能を持っていないために、リツイートが、そのまま、自分に向かってくるのを感知できないでいます。こういう姿勢と結果は、楽山の常態なのです。だから病質なのです。
 
自己愛性パーソナリティ障害のために、こういう姿勢しか持っていない楽山は、決して自分の非を認めず、自己主張を続けてきます。相手を責めて、疲労ばかりを与えてゆくのです。悪いことを、他者にだけ当てはめる楽山は、反省せず学習せず進歩しないので、誰にとっても迷惑な存在です。
 
4年くらい前にコメントの遣り取りをしたことがあります。楽山の言に反対意見を述べても、楽山は同じことを書いてくるか、話を逸らして、こちらを責めてくるだけです。つまり、議論をしても、全く、先に進みません。何の進展もない相手なので、議論から排除するしかないのです。
 
楽山は、自己満悦感だけに生きています。自分を肯定する人には、歯の浮くような世辞さえ言います。自分を肯定しない人には、相手が疲労して去るまで雑言ばかり当ててきます。百害あって一利ない人です。全否定するしかない人が現にいます。楽山には決して近づかないでください。
 
 
 
  蝋燭の日
 
学生の頃を思い出す
方程式は解けても
お金を出し合って買い物をしたとき
貸し借りや
お釣りの計算ができなくて誤解された
 
数学はできても算数はできない
それは今でも変わらず
暗算は苦手で
お釣りを確認しない
 
そういう人間が大学を出て
先生と呼ばれ小金持ちになった
夢があり希望があって
それは叶えられたのだ
 
それはマッチの火 蝋燭(ろうそく)の日
一人で持てる
少しばかりの贅沢を味わっている
 
あれが一つの伏線だったかと
学生の頃を思い出す
 
越えられなかった壁
直せなかった欠点を
数え上げれば切りがない
 
だとしても
すべては私の選択だった
 
選んだものの中に身を置いて
人間よりも機械に近しいかのようで
生産が受け身に代わり
欲望がだんだん下等になり
展望が鼻先のニンジンに変わり
同じ動作の反復が増えていく
 
だとしても
すべては私だ
まだ私だ
裁かれるように裁かれる
救われるように救われる
居るように居ない
古びた日記のせいにはしない
悪夢があり絶望があって
それは叶えられるだろう
だからマッチの火 蝋燭の日
一人で持てる
少しばかりの貧乏を味わっている
 
 
  夢より勝手に
 
まだ生きてたの
と言うのだ
かつての好ましからざる同僚が
まるで家畜を見るような目で
悪し様に言うのだ
もちろん夢の話だ おぞましい悪夢だ
いったいどんな思惑(しわく)が見させたのか
 
室温十四度の部屋で
汗をかいて目が覚めた
朝だ 夜は眠れたということだ
しかも晴れだ
何と裏腹な・・・こんな目覚め方
窓もドアも開けていないのに
蠅が一匹部屋の中を飛んでいる
 
まともなパターンの睡眠
悪夢のうちに取れましたと
日記に書いて落ち込んで
またベッドに入って
ふて寝して一日を過ごすか
 
嫌だな 夢にまで負けるなんて
気晴らしに出かけたからといって
どうなるものでもないが
二十日間ずっと眠っていたオートバイ
タンクの汚れをざっと拭(ぬぐ)って
起こして 逃げるとしよ
 
まとわりつく夢を振り切って
かつて衝突して骨折した防波堤のある
海沿いの道へ 晴れた春の海が
待っているということはないのだが
それで我が身の汚れが
拭えるわけでもないのだが
 
 
 
 
楽山の害毒メモ:
 
今までに表れてきたこと。これは、楽山に限らず、聖書においてキリストの敵となった宗教指導者や、世に数多いる偽善者の特徴でもあります。この世で最も迷惑な人の特徴です。楽山は無責任です。決して信用しないでください。しかも犯罪行為に及ばなければ強制的に抑制は出来ません。
 
楽山は、1つのことを書いて、別の時には、それに反することを平気で書いてきます。そこで、反省、修正、というステップを置かず、あたかも最初から思っていたことのように書いてきます。自分に誤りを認めない自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)だからです。
 
偽善者の特徴でもあります。
 
人格:
自己愛が強く自己中である。
笑いと怒りしかなく、悲しみの情がない。
共感がなく、罪悪感がなく、反省しない。
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)と思われる。
平気で嘘を吐く。様々な詭弁を弄して誘導し、柔和に見せかける。
深い情感がなく、共感性がない。相手が疲れるのを見て快感を得る。
後悔、反省、修正ができない。学習による成長がない。
罪悪感、羞恥心が見られない。サイコパスと思われる。
アドラー心理学の宣伝をしていた。自己中心である。
中身や実質のない形骸的精神機能しか持たない。
 
奇怪な単細胞。
 
議論:
議論や交流が、表面的で、整わないし、できないし、元々する気もない。
相手の意見を受け取っていないので、反論、弁明が成り立っていない。
理路が常識的にも浅く、基本的に訂正不能である。理解力がない。
自分なりの堅実な理路を組み立てられない。
読書自慢。感想は平板で、独創性や深みがない。
様々な気取り。読書家気取り、評論家気取り、インテリ気取りなど。
分かっているという我執から離れられない。
非を指摘されると、逆に、こちらに当てはめて被害者面をする。
人を批判~誹謗中傷するが、その言葉で自分が斬られるブーメラン現象。
真面目に応答~議論すればするほど、病的な徒労感と疲労のみをもたらす。
ボンヤリ言語:語尾を濁し曖昧で婉曲的な言い方で、印象を刷り込もうとする。
トホホ言語:謙虚で弱いと思わせて悪意を隠すための嘘の芝居。
しばしば、自身への同意を期待して、見え透いた世辞を言う。
「反省。とほほ」などと書くが、不自然であり、前後で何も変わらないので嘘です。
騙して、言い分を詭弁や嘘で通そうとする、通っていると思い込む。
 
訂正不能の偏執。
 
宗教:
反キリスト、反宗教。聖書およびキリスト信仰を、貶めてくる。
精神構造はカルトに似ているので、無神教カルトと呼んでいる。
キリスト教とキリスト信仰を字面だけで云々し、理解していると思い込む。
HSを脱会したと言っているが、真実かどうか、疑わしい。
霊能者のつもりだが、それに見合う直観的洞察は皆無である。
 
慢心して中身の無い形骸。
 
楽山の書いた文章を、3年数か月のあいだ見てきた結果ですから、大きく変わることはないでしょう。これらについては、新しい情報によって、必要なら加筆し、繰り返し載せることになるでしょう。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
人間性から大きく逸脱して、無反省と無責任の無視の虫の道を進めると思っている楽山です。また新しくペテンの材料を見つけたようです。リーダー願望でしょうか。人を無視する楽山を無視してください。楽山の自己中の道は、道ではなく、地獄への通過点に過ぎません。羞恥心を持たない囚人の道です。
 
 
 
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