失敗と悲しみ2
 
 
後半は、昔書いた詩のようなものですが、数々の失敗を抱えて、歩いてきた悲しみの道の、さらに先に、ようやく成長の意志と足跡があり、小動物に喩えたくなるくらいの不完全で罪深い人間がいて、召される日までを過ごしているのです。
 
「フットプリント(足跡)」という詩があって、キリストが自分を背負ってくれて、足跡が一人分になったという感謝と讃美の詩ですが、それが、自分の小ささや弱さ ≒ 罪深く不完全な自分という自覚がない者によって、自己正当化の根拠として悪用されるということを知るべきでしょう。
 
実際に、この「フットプリント」を載せて、悦に入っていた最悪の偽牧師の偽善者がいます。「罪は悔い改めなくても許されるから気にしなくていい」「悔い改めは神が与える」と言って、馬脚をあらわしました。全く悔いることがなく反省しない自己中でした。
 
私は、フットプリントのような気持ちよくなる詩よりも、罪深さの自覚を促すような悲しみの詩のほうが好きです。感謝と讃美につながる詩よりも、人間の罪を何かに喩える詩のほうが好きです。人間が成長するのは、悲しみのうちに、思いを深め、考えるときだからです。
 
 
 
  二人の背教者(創作、一部加筆)
 
神を信じる者が多いある国に、裕福で知恵と知識に富み人々からも尊敬されている一人の学者がいた。長く神と信仰について学んだすえに、彼は公然と「神はいない」と言い始めた。くりかえし言い、手紙や書物にも書いたので人々は戸惑った。彼は指導者であり、その影響力が大きかったからである。
 
他の学者がなだめても改めようとしなかった。多くの人々が狼狽しつまずいた。あるとき、裕福でもなく知識も乏しく人々からも軽んじられていた一人の身なりの貧しい者が彼に会って言った。
 
「あなたが神はいないと思うのはあなたの勝手だし、そのために祈りも礼拝もしないとしてもそれもあなたの勝手だ。信仰は誰にも強制されない。あなたは自由である。
 
それだけなら裁きはあなたにだけ及ぶだろうし、私には何の権限もなく、また裁くのは神であって人ではないからだ。しかしあなたは誰もが知るところで公然と「神はいない」と言った。ゆえに、誰もが知るところで公然と批判されるのは当然のことなのだ。
 
全く神はいないかのような人の世である。まやかしはあっても預言もなければ奇跡もないような災いに満ち、私も教会に礼拝にも行かず私の命は絶え入りそうである。しかし神様だけを頼みとして生きている貧しい人々がいる。
 
あなたが、彼らに会い説得し、彼らのひとりひとりの人生をすべて背負い、信仰以外の別の方法で彼らを救えるというのなら公然と「神はいない」と言うがよい。」
 
 
 
  悲しみの大切さ
 
良心の表れとしての悲しみを感じないのがサイコパスです。その代わりに、悪意の感情として、怒ったり、笑ったりします。
 
悲しみなんて笑い飛ばそうなどということが言われることもありますが、悲しみは、ないほうがよいものではなく、人間が成長するために、いちばん大切な感情です。自分を見つめる最大の機会なのです。
 
悲しい時にこそ、人間は、悔いたり、反省したり、過去も現在も未来も、もっとも純粋な気持ちで、考えることができるのです。キリスト信仰者にとっては、必然的に、考え、祈る時なのです。
 
悲しいとき、涙も出ない呆然とした時が過ぎて、涙が止まらないほど泣く時を過ぎて、涙がじんわり浮かぶ時が訪れたら、しんみり、悲しみ、じっくり、考えてください。悲しい時は、成長の機会なのです。
 
 
かなしみは成長の機会 悲しみを学習する

かなしみは成長の機会 悲しみを学習する
 
 
(2021年)
(2022年01月)
(2023年01月29日、再録+加筆)
 
 
 
  夢Ⅰ
 
雪が降って
凍った道に
若い女が転んだ
立ち上がろうとしてまた転んだ
手を貸して起こしてやった
寒くなかった
 
名も知らぬバス停に
待ち続ける子供らがいた
バスは来なかった
まだ待ち続ける子供らに
ここはどこですか
ここは小さい明日(あした)です
 
駅に着くと
並んでいる客車を二、三台飛び越えて
動き出したばかりの貨物列車に飛び乗った
 
木造であった
古くて床は所々抜けていた
屋根はなかった
ひどく揺れて 
しがみついているのがやっとだった
路(みち)は台形に傾斜していた
行く先は覚えていない
 
下顎骨は二つに折れて
中央は欠損していた
歯科医が骨を削り始めた
管を通すのだという
痛みは我慢しろと言ったが
しばらくして鎮静剤を打とうかと言った
 
ここはどこですか!
ここは小さい明日です
 
 
 
  航海のあと
 
どだい長い航海など
できそうにないような
今にも沈みそうな船に乗り
ちっぽけな癒しの心を懐に
小さな港から船出する前に
わかっていたはずでした
 
よく聞こえない聴診器に文句をつける前に
よく聞き取れない耳を
聞いたまま口をあけっぱなしの頭を
打ち砕くべきだった
 
船が傾いているのを
人が引き止めるのも聞かずに
海が傾いている
と言ったときには遅かったのです
 
船の残骸といっしょに
小さい島にいます
小さいものにばかり縁があるらしい
小さい懐には濡れて乾いた
小さく縮んで恐らく
他の人にはわからない微かな匂い
まだ残っています
 
悪いことばかりじゃなかったよな
と次から次に
波が笑顔に見えることがあります
 
島には地平がなくて
毎日消えてしまう足跡の
浜を除けば島の輪郭は
どこから見ても海に落ちているのでした
 
最初船出したときから
いつ海の深い水底へ
引き込まれてもいいつもりでした
覚悟が観念に変わっただけです
 
でもどうしてでしょう
波の穏やかな日にときどき
急に真顔になって
水平線を睨みつけているのは
 
 
 
  黒く細い道
 
昔どこまで続いているのか分からない
黒く細い道があった
どこか人里離れたところへ
向かっているようだった
幾度か足を踏み入れそうになった
 
しかし早々とその道へ
行ってしまった人を見送りながら
その余りの正直さを
脳ミソが沸騰するほど憎んだので
狡くなってやろうと無謀にも
抗うことに決めた
 
明るく広い道を選んだつもりだった
でも本当は人里離れた所で
絵でも描いていたい暗く細い体は
場違いな明るさに
外側から腐ってゆく脳ミソを抱えて
漸く手に入れた紙切れに乗って
随分と長い間
違う感じの人々の場を奪っていた
 
今になって
あの黒く細い道を行くと体は
内側から腐ってゆく脳ミソを
抱えることになるのだろうか
 
でも黒い道から這い上がって
元の道に戻る人もいるし
光差す土色の丘へ
登ろうとする人々もいるし
 
あの沸騰もなくて最初から
細い道を辿れば
いずれ落ち着ける場所があって
今頃は何ものにも縛られることなく
誰も見ない絵を描いて
のんびり過ごしていただろうか
などといろいろ
首を引っ張ってみたり
髪を引っ張り上げてみたりするのだが
似たようなものだ
今は人々の場を離れて
明るくもないが黒くもない
道とも呼べそうにない
広さも長さも測れない所を
白髪が増えてゆくから多分
進行しているのだろう
 
いつかあの道とまた交わるだろうか
今度は正直に歩けるだろうか
腐る腐らないは道によるのではない
道は踏まれる所に出来るものだ
 
 
 
  祈り・実感を
 
もうしばらく傍(そば)に
いて下さいませんか
 
さびしい
と声に出してしまいそうですから
しかも調子外れの怒号のように
すでに出しているのです
 
でも声帯は震えているものの
咽喉(のど)の吸い殻の
泡沫を振動させて
歯間を開閉しているだけなのです
 
いつも傍にいて下さる
と教えられるだけでなく
すべての体液が覚えるほどに
染(し)み込ませることが出来たなら
 
ずぶ濡れになった厚紙の五感のために
五臓六腑に満々と
湛(たた)えられた廃液のために
動きの取れなくなった五体も
眠りすぎた疲労も
声なき吠(ほ)え面も
澄んだ自虐のうちに
然(しか)りは然り
否(いな)は否
と捌(さば)き捨てて
液体へ気体へ
 
霧散・昇天お許しを
流れるままに乞いゆきましたものを
 
 
 
  歌えない傷
 
モチーフモチーフと
擦り合わせる空白だけは持っている
 
涸れた乾いた干割れたと
よく効く軟膏を欲しがって
塗られたがる傷だけは持っている
 
すこぶる順調です
歌えないことをモチーフに
空白を合わせて塗り固めて
設(しつら)えた線路は
白い海に向かっていて
レールは汽車を乗せ
汽車には傷が乗り
傷は何も乗せていませんから
 
 
 
  土竜の太陽
 
土竜(モグラ)は穴を掘る
何の必要か穴を掘る
土竜は平気で土をかぶる
日常たいてい土の中
だから目なんか目じゃない
目なんかなくても夢を見る
 
曇天の下の下から
太陽の夢を見る
土竜の太陽は眩しくない
眩しさは疾うに捨てたのだ
直向きに只管に
土竜は土竜の太陽を探す
土を盛り上げ掘り進む
潜り込んで掘り進む
 
人間は眩しさを求めて穴を掘る
土竜は眩しさを捨てて穴を掘る
 
わざわざ重労働なんてこともない
土竜は穴を掘る必要がない
死んだところが墓穴だ
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
 
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて 自分 正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら 人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと 最大限の反省と共に 開いた出店を 畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
嘘ばかり重ねる罪と偽善と崩壊を「これも一種の、人間の性なんでしょうかね」で済ませようとする無反省の楽山は、恐らく一生、反省、とほほ、などと、ふざけて書いても、本当に反省することはないようです。しかし、心を持たず無反省と無理解のまま言葉だけ書いて済む世界など存在しないのです。
 
 
 
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