短兵急な豪語
 
   アドラー心理学サロン(アドサロ)‏ @AdlerSalon · 11時間11時間前 
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アドラー教の説教は、
詳しく言えば、話が込み入ってきて、面倒になり、全体の把握がしにくくなり、
短く豪語しようとすれば、短兵急になって、まとまらなくなるようです。
 
私がアドラー教と呼んでいる教えは、課題の分離と言っても、大事なところが、疎かになりやすく、元々実践的には、まとめることが難しいだろうと思います。
 

他人のモノを欲しがる人は、永遠に欠乏感に苦しむ。
他人の持っている高級品、多くの友人、輝かしい経歴など、外から見るとキラキラしてます。
ただ、他人の芝生は青く見えますが、近くにいけば遠くから見えないゴミや雑草があって意外と汚いもの。
自分の価値基準を、他人任せにしてはいけません。

 
アドラー教が言わなくても、人間としての思慮があれば、当たり前のことです。
ただ、他人任せにしないことと、他人を無視することとは違います。
 

嫌われたことは、悲しみではなく喜びの始まりかもしれません。
嫌われたということは、あなたは誰かに媚びを売ることを止めたということ。
それはつまり、どう思われるかよりも、自分がどうありたいのかを優先できたということ。
他人に合わせた人生よりも、自分の人生を生きた方が幸せになれます。

 
嫌われないということは、誰かに媚びを売ることでしょうか。
アドラー教は、極端な言い方をして、何か特別のことを言ったつもりになるようです。
 
自分がどうありたいのかを優先するのも当たり前のことですが、
自分がどうありたいのかを考えるときに、完全に他者の存在を除外できるでしょうか。人間は、関わりの中で、互いに影響を受けながら、生きているのです。
この当たり前のほうが抜けています。
 
他人の影響を受けることは、あるいは、他人の人生を知って参考にすることは、他人に合わせた生き方でしょうか、違うと思います。
 

「今」というこの瞬間は、もう2度と来ません。
あなたの人生は、あなたの生きられる残りの時間そのものです。
限りある自分の資源を、嫌いな人や嫌なことを考えて浪費してはいけません。
自分の好きな人、好きなことを考えて、自分の人生を幸せに変えよう。
意識次第で、あなたは幸せになれます。

 
時間が限られていることを言って、焦燥感を煽って、文句を言う時間と気持ちをなくしてゆくのは、カルトが、よくやることです。
 
時間は限りあるのだから、嫌な人や嫌なことを考えるな、という教えのようですが、好きな人だけでなく、まだよく知らない人のことを考えるのは、普通にするべきことなのです。
 
また、嫌な人が、付き合っていると、好きな人に変わることもあります。
 
嫌だと思ったら、一生、関わらないでいなさいという教えでしょうか。
何ごとにつけ、アドラー教は、見切りが性急で、不可逆になりやすいようです。
 
限りある人生だから、自分大事だけになって、他人を大事にするという生き方を捨てるのでしょうか。アドラー教は、短兵急に事を決めつけてしまいがちだと思います。
 
限りある人生だから、自分が大事なら、もっと思慮深くあって、もっと深い情緒をもって、生きるべきではないでしょうか。このことは、省略も短絡もしてはいけないことだと思います。
 

自信が無くてもいい。
ただ「やりたい!」と思ったことは妥協してはいけません。
できる時はできるし、できない時はできないのです。
自信があろうと無かろうと、完璧なタイミングなんてありません。
取り敢えずやってみて、ダメなら他のやりたいことにひたすら没頭すれば、自ずと結果は出るもの。

 
妥協してはいけないと言いながら、できないときは出来ないと言って、さらに完璧なタイミングはないとも言って、挑むことが大事なのか、諦めることが大事なのか、よく分からない言い方をしています。
 
急いで答えるために、八方美人になると、両極端で、急いでまとめようとして、総てを言おうとして、一貫性を欠いてゆくのです。
 
教える側は、聞く側以上に、妥協してはいけないはずですが、そこはアドラー教の課題の分離で、教えるのも、教える側の気持ちの良さの範囲内になってしまうのでしょうか。
 
ダメなら・・結果は出る、という5行目は、安請け合いもいいとこでしょう。
 

あなたが何を思い、何を欲しがって、何をしたいのかは他人が決めることではない。
あなたのことは、あなたの課題であって、他人が決める課題ではありません。
他人が何を言ってこようが、何をしてこようが関係無い。
物理的に制限を受けることはあっても、あなたの思考だけは自分以外は犯せません。

 
1~2行目は、当たり前ですが、3行目からの、他人が何を言ってこようが関係ない、と決めつけるのでしょうか、他者のアドバイスを聞かないのでしょうか。ブログ主は、人間嫌いなのでしょうか。
 
時間を含めて物理的な制限は、誰でも、どのような考え方でも、あるわけです。
自分以外の思考で決めるのではなく、常識的に、他者の意見を参考に、決めてゆくものなのです。
 
人の言うことを聞いてはダメだ、というのは、カルトが、理不尽な教えを呑みこませるために、信者を焦らせて、考えさせないやり方として、よく使うところの、情報の遮断に似ています。
 
時間が限られていると言っても、その時間の中で、じっくり考えることが大切です。
自分の判断に、他者の意見や生き方を参考にしないならば、一生を決める決断において、不十分な自分の材料だけで決めて、しかも、訂正不能の思いこみに固まって、柔軟さを失い融通の利かない人間になってゆく恐れがあります。
 
アドラー教が強く言うときは、言った人の、スパッと言わなくては、という気持ちによって、片落ちになりやすく、功を焦る心のほうが目立ってくるようです。熟慮の上で言っているかどうか怪しいところが、稀ならず、あると思うので、警戒してください。
 
 
アドラー教の人は、仲間の言うことは、大方、もろに賛同しますが、批判者の言うことは、殆ど、聞いていないか、忘れているようで、前に、別のことで、めいっぱい批判しても、しばらくして、こちらの言うことなど、まるで、聞いてないということは、また同じような言い方をしてきて、それで結論が出ているような言い方をして決めつけることから分かります。
 
こちらが一生懸命に書いても、こちらの言い分を忘れているのです。これが、気に入らないことは無視しましょう、という教えの一つの結果だから、批判なしで、受け容れてはいけません。そのように、忘れてしまう人とは、話し合いが成立しないので、付き合わないほうがいいのです。
 
アドラー教が、アドラー心理学という学問だと主張しても、宗教に学問の名を使って、安心感を持たせる作戦のようにも感じます。もし組織があれば、その辺も徹底できるわけです。
 
不都合を平気で忘れてしまって、それが正当だと思い込んで、楽ですよ、と平気で主張する人になりたい人がいるのでしょうか、多いのでしょうか。嘆かわしいことです。それこそ、他者である仲間の基準に、独立した人間として考えないまま、そのまま信じている人の姿ではないかと思います。
 
課題の分離については、自分が考え判断をするべき課題に他者が関わっていることが否めないのですから、自分の課題だとしても、判断材料として、他者の言動を無視してはいけないはずです。
 
他者の精神や思想の支配を受けないことは大事ですが、無視するということとは別なのです。無視して、参考にも、思考の糧(かて)にもしないならば、いちばん、その欠けた思考の欠点の報いを受けるのは、自分自身なのであります。
 
自分が傷つかないように、自分が楽なように、その原因を排除してゆくと、結局は、自己中心にしかならないのです。ひどくなる必然として、感情鈍麻の不感不応に陥るでしょう。また、理路と感性の学習が、不感の習性によって損なわれるので、まともな思考からも情緒からも外れてゆきます。
 
深い考察が出来なくなり、まともに見せかけるための世辞しか言えないようになるかもしれません。そして、負債として、他者に対する蔑視と怨念だけが、潜在的~顕在的に増えてゆくでしょう。自己中心に生きることで、人生の問題が解決することはありません。
 
誰も避けることの出来ない、傷つくことや、不都合によって、くよくよと、いつまでも考え込んでいたり、心身の健康を損なう、ということを避けるためには、無視の気楽さや浅さではなく、むしろ、人間についての深い考察と洞察が必要です。
 
人間は、限られた時空を生きて、限られた見識と言動で、様々な問題を克服し成長しながら生きてゆくことが宿命づけられた存在です。人間は、学習し成長することで、改善することは大いにありますが、けっして完全にはなれません。
 
だから、必要なのは、スカッと解決することではなく、また無視ではなく、時々の癒しです。かなりの部分は、時が解決するということもあるでしょう。
 
それが嫌で嫌でたまらない者が、すかっと短兵急な解決法を求めて、一部うまくいったら、大発見のように宣伝するのです。
 
個人の知恵だけでは乗り越えられない場合もあるでしょうから、書物、相談、場合によってはメンタルクリニックが必要になる場合もあるでしょうけれど、不都合なことを含めて、誰にでも、じっくり情緒的にも理性的にも、乗り越えるために出来ることは、その人なりの、学習と成長です。それを阻害するような生き方を選ばないでほしいと思います。
 
時と場合を個別に考えずに、人間の言葉で、こうすればよい、というような近道はないと思います。何かを、一気に、思考や情緒から排除することで、何かスーパーな生き方が、簡単に見つかるかのような宣伝には乗らないでほしいと思います。
 
人間が、思い煩いから解放されるときには、何らかの経緯によって、共感と共有が生まれます。自分だけではないことに気づいたり、他者の気持ちが分かるように感じるときです。そこには、人間存在に対するシンパシー(共感、同情)があり、絶対孤独からの解放があると思います。
 
孤立は心の傷や病を深めます。総て明るくなって全部うまくゆく生き方ではなく、何とか生きていますと言える生き方を目指してほしいと思います。
 
事情はさまざまですが、悩んでいるのが自分だけではないことを知ってください。
余裕があるように見せていても、良心があれば、悩みは尽きません。
 
人間は、誰でも、長く生きておれば、多かれ少なかれ、傷だらけなのです。
 
 
※ 22日(日)午後11時現在。台風。
 こちら長崎県諫早市ですが、今、あっけないほど静かです。先ほどまで、ひょっとしたら窓ガラスが割れて、風とベランダなどの物が一気に部屋に飛び込んでくるのではないかと恐れていました。
 日が落ちる頃から、風音が強く、部屋の中にいて、風を受けてはいないが、部屋の中にいても、風の音と圧力を感じました。外の風圧がガラスを押し内側のカーテンを揺らしていました。ベランダの物音が激しく、部屋の中なのか外なのか、ギギギギ、トントントン、ガタガタッ・・などと、大小の変な音がして、そのうちに、停電、すぐ回復、また停電、しばらくして回復という具合で、いきなり真っ暗になるのを、久しぶりに体験しました。PCオンのままだったので、クラッシュしたかと心配しましたが、今のところ、正常に動作しているようです。被害は、今のところ、特に、ないようです。
 天気図では、まだ暴風圏の赤い円の中にいるようだけど・・。
 皆さまのご無事をお祈りいたします。拝。
 
 
(2019年09月23日アップ)
 
 
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