悪あがき
 
   神のみ言葉の権威とこの世の権威
   https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28986200.html
    by shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼)
 
 
神の権威も、この世の権威も、シャロームは、持ち得ないのに、神とこの世を、尊大に、思想家気取りや預言者気取りで語り、他者と、自分を圏外に置いた社会と歴史と政治をボロクソに言ってきたのです。
 
その理路は、まとまらない幼稚な妄想であり、その情緒は、快と不快、笑いと怒りだけの短絡であり、罪悪感がなく、悲しむことが出来ず、シャロームの豪語は、その的外れによって、いつの日も、いつの日も、キリスト信仰者の実直な歩みの妨げになるのです。
 
何より、手を変え品を変えても、罪を認めず、悔い改めもしない偽キリスト者に、実感のこもった信仰の文章は書けないです。
 
にもかかわらず、弁明できないことを無視し、反論できないことに何も感じることなく、何事もなかったかのように、白々しく、また書いてくる厚顔は、もはや、人間らしさの微塵もなく、敬虔の欠片もなく、ただ自己顕示欲か、それ以上の悪の、誘惑に乗っているだけの敗北と、中身のない嫌がらせでしかないのです。
 
>★今日のみ言葉★(2019.5.9)
>「神のみ言葉の権威」
>悪魔などはいないと思わせるのも悪魔であり、反対に悪魔を非常に怖いものと
>思わせるのも悪魔である、というようなことを言っているのは、CSルイスという人です。
 
丁寧語でキリスト者を安心させ、権威主義で上から嘲笑い、訂正不能の自己中心のボロクソ節の豪語で、独りだけの満悦に浸るのは、シャロームその人です。
 

その悪魔の執拗な誘惑に対して、
イエスは3回とも、「・・・と書いてある」と聖書のみ言葉を引用して答えておられます。
なぜイエスはこんな時、ご自分の言葉で答えられず、
み言葉を引用して答えておられるのでしょうか。
イエスは悪魔がどういう者であるか、その正体をよく知っておられたのです。
この誘惑での悪魔の狙いは3回とも、
父なる神とイエスとの信頼の関係をダメにすることでした。
聖書のみ言葉は父なる神の思いや心を表しており、
そのみ言葉には父なる神の権威が伴っています。
悪魔はその権威の前には立てないのです。

 
シャロームは、聖書を理解していません。理解していたら、罪を認めるし、悔い改めないではおれないからです。
 
にもかかわらず、シャロームは、神の権威の絶対正義に立って物を言ってきました。神に勝てない悪魔は、人を密かに誘惑しますが、シャロームが、神を恐れないで豪語してくるのは、悪魔より悪質なのかもしれません。
 
信仰を語る資格など何もない反信仰が明らかとなり、何を言っても無駄であるにもかかわらず、人間として受け取らず、感じることが何もないから、なにも学習せず、平気で書いてくるのでしょう。
 

ですから、人間となられたイエスは自分の言葉でサタンに対抗されず、
父なる神のみ言葉を信頼し、その御言葉を毎回引用されました。
わたしたちキリストを信じる者も、
こうすれば悪魔に勝てるという模範をイエスは示されたと言えます。

 
神の言葉を唱えれば悪魔に勝てるでしょうか。人の口は、神の言葉を、神の権威を持って語れるでしょうか。人は、そのような絶対の口を持ってはいません。だから、シャロームのようなペテン師に騙されて仲良しになる者が出てくるのです。
 
キリストは、こうすれば悪魔に勝てるという模範を示したのでしょうか。私たちは、キリストのような洞察力もないのですから、悪魔に言葉で勝てるマニュアルなど知りえないのです。私たち信仰者は、判断し行動し、あとは信仰と希望と愛によって耐え忍んで、導きを待つしかありません。
 

イエスの誘惑と創世記3:1-4のアダムの誘惑とを比べて、
一番大きな違いは何でしょうか。
エデンの園において、神の言葉は神からアダムへ、
そしてアダムから女エバへと伝えられていたと思われます。 
その時、悪魔はエバの神の言葉への曖昧さを巧みに突いています。
「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」
これは何という巧妙な知恵ある言葉でしょうか。
それに対してエバはイエスの場合と違って、神の言葉そのもので答えていません。
それで結局は、悪魔の思う通りにもっていかれました。
イエスは第2のアダムとして、すべての点で人間と同じようになられましたが、
罪は犯されませんでした。
そして、アダムとエバが誘惑に負けた、
その悪魔に対してみ言葉をもって立ち向かい、この悪魔を退けられたのです。
どう思いますか。

 
悪魔に対して、エバはイエスの場合と違って、神の言葉そのもので答えていないでしょうか。
 
 (創世記、口語訳)
3:1
さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。
3:2-3
女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。
3:4-7
へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。 それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。 すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。
 (創世3:1-7、旧約聖書)
 
エバは悪魔の誘惑に負けた。エバが人間だからです。それが総てであり、その有り様が、今も人間の弱さなのです。
それを、神の言葉で答えていないとは、自説を振り回すために、何を、ふざけたことを言っているのでしょう。
 
>《shalomのコメント》

権力は必ず腐敗するとよく言われ、また人類の歴史が証明しています。

 
シャロームの、神とキリストの名を悪用した権威主義の腐敗は、この約8年が証明しています。
 

民主主義国においては主権在民であり、
主権者である国民が自由な選挙によって選んだ人に
国を統治する権威、権力を与えゆだねているのです。
しかし、主権者によって選ばれた人が与えられた権威、権力を
正しく行使しない時には主権者による厳しい選挙による審判によって
権威、権力をはく奪しなければ民主主義国としての秩序が破壊されてしまいです。

 
そのようにして、シャロームは、人と人との双方向を、自己中心の単方向に変えて、言論の自由を行使して責任を負わず、民主主義の秩序を破壊してきたのです。
 
そのことは、また、シャローム自身の人格の、知性の理路、情緒の共感、などの人間らしさを破壊して、人を人とも思わない大嘘吐きへと堕落させてきました。それも気にしないシャロームなのです。
 

ですから、立憲民主主義国において国家権力が
憲法によって定められた民主主義国の最高法規である憲法を
順守すべきことが定められているのです。
国家権力が守るべき民主主義の原則を定めた最高法規、それが憲法です。

 
まるで、誰も知らないことを教えるかのように、誰でも知っている憲法のことを大仰に書いて、言い得たつもりでいるシャロームです。
 

ですから憲法98,99条には次のように定められているのです。
第98条この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。〔憲法尊重擁護の義務〕第99条天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 
シャロームは、思想家気取りで憲法を講義したいようです。しかし、それ以前に、シャロームは、大嘘吐きであり、妄想家であり、自己中心であり、それを一切気にしない偽善者なのです。誰が、偽善者の講義など聴くでしょうか。偽善者に従えば、破壊されるのです。
 

この世界は神によって創造され、人は神のかたちに似せて造られ、主権者である神はその統治権を神のかたちに造られた人に与え、人は神の言葉である神の国の憲法に従って、この世界を統治することによって、真の礼拝者として、神の愛と祝福の中で生きることができるのです。これが立憲民主主義国の原型ということができます。

 
前にもありましたが、このように、シャロームは、政治・思想の話と、信仰の話を、ごっちゃにした妄想話を語ります。ここまで来ると、何らかの病気か狂気か悪意を感じます。このようなシャロームの自己顕示欲の有毒な排泄物に決して好意的に関わらないでください。
 

しかし、人は悪魔サタンの誘惑に敗北し、神の国の憲法である神の言葉を退け、罪を犯し、神によって与えられた権威、権力を私物化し、腐敗し、この世を破壊と無秩序の支配と変えてしまいました。

 
シャロームは、神の言葉を、神の国の憲法と書けば、両者が一致するとでも思っているのでしょうか。愚かしい限りです。自分以外を、破壊と無秩序の支配と書いています。実際には、神の言葉も人の言葉も退け、罪を犯し、偽善を働き、神に与えられてもいない権威を振りまわし、腐敗し、破壊と無秩序をもたらそうとしているのは、シャロームその人に他なりません。
 

しかし、神は神の言葉を退け、悪魔サタンの支配のくびきに繋がれ失われた神の国を回復するために、私たちが神の言葉に立ち返るために、神の御子イエスさまを救い主として遣わされたのです。神の御子イエスさまは神の国をあらわすために、はじめに荒野における悪魔サタンの誘惑に神の言葉によって打ち勝ち、悔い改めなさい、神の国は近づいた!と宣言されたのです。

 
悔い改めないシャロームが、悔い改めなさい、などと言っています。警戒してください。シャロームは、性懲りもなく、嘘と詭弁で、腐った臓物のように粘りついてきます。
 

神は神の御子イエスさまの十字架の血によって私たちの罪を贖い、信仰によって受くべき罪の赦しを与え、失われた神との関係と交わりを回復し、神の言葉によって悪魔サタンを退け、生きるものとしてくださったのです。

 
シャロームが、前に言って、ずっと訂正もしないままのことから考えると、シャロームは、悔い改めなくても赦される罪のことを言っています。こういう、うわべだけ良さそうな言い方が、シャロームの騙し文句なのです。また、シャロームは、自分の言ったことによって、斬られています。
 
現代、悪魔は、退けられているでしょうか。人の世界を、ボロクソに言っておきながら、今度は、良くなったかのように言う。全か無が、行ったり来たりしています。時系列も理路もメチャクチャです。
 

この世の支配者である悪魔サタンは今もこの世の権力者を誘惑し、守るべき憲法を退け、権威、権力を私物化し、主権者である、国民を思うがままに支配しようとしています。聖書には神の憲法である御言葉に従い、神の国に生きる、あるべき人の姿と、神の言葉を退ける悪魔サタンの誘惑と人の罪の実態が明らかにされています。

 
まるっきり信仰と政治を一緒にしています。シャロームは、思想家気取りから、国を救う政治家気取り、そして預言者気取りをも、一緒にしているようです。このようなキリスト教もキリスト信仰も存在しません。シャロームは、何もかもが子供の言い張りに、退行してゆくようです。
 
偽キリスト者が豪語すると、こうも的外れの妄想説教になるのでしょうか。
 
人の罪の実態などと、よくも言えたものです。罪と偽善の実態を体現しているのは、シャローム自身なのです。
 
 (ルカによる福音書、口語訳)
20:22-24
ところで、カイザルに貢を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか」。 イエスは彼らの悪巧みを見破って言われた、「デナリを見せなさい。それにあるのは、だれの肖像、だれの記号なのか」。「カイザルのです」と、彼らが答えた。
20:25
するとイエスは彼らに言われた、「それなら、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。
20:26
そこで彼らは、民衆の前でイエスの言葉じりを捕えることができず、その答に驚嘆して、黙ってしまった。
 (ルカ20:25-26、新約聖書)
 
シャロームは、カエサルのものと神のものとの区別すらつかないようです。
 
それとも、シャロームは、政治も宗教も一緒で、自分に従え、と言っているのでしょうか。
 
(ネット検索)
カエサルのものはカエサルに【カエサルの物はカエサルに】
大辞林 第三版の解説
コトバンク〔新約聖書マタイ福音書二二章などにある言葉〕
神に対する務めと世俗の支配者に対する務めとを共に行うべきであると教えたイエスの言葉。転じて、物事は本来あるべきところに戻すべきである、の意で用いられる。
https://kotobank.jp/word/%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%81%AE%E7%89%A9%E3%81%AF%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%81%AB-458898 
 
カエサル(ラテン語らしい)=カイザル:
ジュリアス・シーザーという固有名詞よりも、ローマ皇帝を意味し、さらに政治を意味し、聖句は、統治者に税金を納めることは、神に従うこととは別であって矛盾しない、というような意味のように思われます。
 
パリサイ人は、政治も宗教も、シャロームと同様に一緒くたにして、キリストを罠にかけようとして失敗しています。もちろん、聖句は、政教分離に近いような気がしますが、信仰者の政治への絶対服従を肯定しているわけではないと思います。
 
 
(2019年06月06日、同日一部修正)
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
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