悪意という病
私の「妄想詭弁全開」コメント欄
http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4173311.html?1573867948#comment-6
シャローム( shalom、シャロム、あなた、彼)のコメント
実際のコメントの遣り取りそのままではなく、一部は編集して記事にしています。
シャロームの妄想解釈が全開です。昔のことを持ち出して、人を罵るシャロームです。聖書の「耳」の字も理解していない「口」だけ「王」のシャロームです。人間じゃない・・と思います。
>
1. st5402さん おはようございます
2019年11月16日 09:05
「誰もが、神に比べて、知性も感性も劣っており、完全ではない、という、人間の罪の性質を認めて、その共感とともに、信仰の道に入ります」
「誰もが、神に比べて、知性も感性も劣っており、完全ではない」
<
>
神は天地万物、人を造られた創造者、人は神によって土のちりでつくられ、神のいのちの息吹きを吹き込まれ、生きたものとされた被造者。・・・そのちがいあたりまえでしょう。
神がごらんになって良しとされたこと、
あたりまえのことが罪の性質ですか?
<
シャロームは、あたりまえに、わからないのか・・罪の性質・・??
創世記から、十字架まで、シャロームは、妄想解釈のようです。
>
アダムとエバは神に連れて行かれたエデンの園で、
「人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、
恥ずかしいとは思わなかった」と書かれています。
ふたりは神に比べて、知性も感性も劣っており、完全ではないことを恥ずかしいとは思わず、互いにありのままを受け容れあい、愛し合い、神と共に歩んでいたのです。
これが神と人との最初のうるわしい姿、関係です。
<
アダムとエバの話は、今の私たちの話なのです。シャロームは、基本から妄想のようです。
「神に比べて、知性も感性も劣っており、完全ではない」と書いているではないか。
完全ではないから、罪を犯した、それが人間です。それを、罪の性質というのです。そのことを創世記は表しているのです。いつ罪を犯したかという問題ではない。
あなたは、あなたの言うところの、うるわしい姿、即ち、素っ裸で、独り、ゲラゲラ笑っておればいいでしょう。いつまでも。誰にも影響を与えないところで。
>
創世記2章25節に書かれていますよ。
神と人、人と人の間に罪が入ってくるのは3章以後に記されています。
あなたの聖書理解、人間理解、福音理解のすべてが誤解されてしまっているおおもとですね。
おそらく人間学のみによる聖書理解なのでしょう。
<
罪の性質があるから、罪を犯した、という文脈が分からないのですか。
また、罵詈雑言、はさみます。・・アホか?・・
人間学という学問は、よくは知りません。人間として言っているだけです。
シャロームは、人間離れとして、妄想しています。もはや、手がつけられない人です。
シャロームは、言葉も、日本語も、文脈も、宗教も、信仰も、人格も、壊れているようです。
すました物言いに騙されないようにしてください。言ってること、メチャクチャです。
シャロームの仲間が、よく、放っておけるものです。
>
vさんは神学者、哲学者として福音を土台として人間学的な聖書理解をしようとしておられました。イエスの死とよみがえり、聖霊信仰もその根底にありました。そのことで、あなたの激しい批判の的にされ、中傷され、人格否定をされ苦しまれたのでしょう。
<
Vさんについては、絶交してからは知りません。
Vさんは、神学者であるのに、明らかに間違っているシャロームに対して、調子合わせをして、世辞を言い、私のコメントを隠したので、絶交しました。Vさんがどうなったのか、知らないが、あのときも、あなたシャロームが原因だったのです。本当に、あなたは、罪悪感を感じない、全部、人のせいにする、恐ろしい人、いや、人でなしです。
>
あなたは謝罪したようなコメントもされていたようですが、
あなたの姿勢はその時から一貫して変わっていないようですね。
思い当たるのではありませんか?
shalom!
<
上の件については、絶交したのだから、謝罪はしていません。
このように、悪魔的な人というのは、おとしめのために、手段を選ばず、今のテーマではないところから、攻める材料を持ちこんできます。私は、一貫して私が全然変わっていないかどうかは、よく分かりませんが、大筋では、あのときと大きな変化はないだろうと思っています。
Vさんから、人間学というのを、聞きました。シャロームのように神聖の超常をあれこれといじくったつもりで自己正当化して人格破壊に至る、なんてことのないように、人間の立場で考える人間学の立場は必要だと思います。私は、学問として勉強してはいないので、信仰者の立場から考えているだけです。
恐らく、シャロームに遠慮があったために、Vさんは、あの時、言論の道を踏み外しました。本当に、シャロームは、今まで、災いだけをまき散らしてきたのです。
シャロームのような腐れものに、決して触らないでください。恐怖のシャロームです。こういう人もいるんだということを覚えてください。
偽善者シャロームが、嘘の解釈を書くと、そこに、偽善が丸出しになるでしょう。罪の表れと、罪の性質をごっちゃにして、罪が創世記3章から書かれていることをもって、人間は造られたとき完全で罪はないという解釈をしますが、人は完全ではないことが罪を生むことになります。
罪のない人は神相当ですが、神が人を神として造ることはないのです。だから被造物と言って、創造主と区別するわけです。また、神は、悪魔の誘惑に乗りません。人は、悪魔の誘惑に乗りました。人には罪の性質すなわち罪性があり、ゆえに罪を犯したのです。
シャロームは「知性も感性も劣っており、完全ではないことを恥ずかしいとは思わず」と言って、自分で、罪の性質を表しているのです。「劣って」「完全ではない」という罪の性質です。
さらに、シャロームは、「恥ずかしいとは思わず」を、恥じるべき罪が無いと解釈したようですが、人は裸なのが正しいのでしょうか。恥じる心が、まだ、なかったということです。それまで、必要がなかったからかもしれません。
恥じる心が、今もないのは、シャロームその人であります。
(創世記、口語訳)
3:8
彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
3:9
主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。
3:10
彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。
3:11
神は言われた、「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」。
3:12
人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。
3:13
そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。
(創世3:4-13、旧約聖書)
悪魔の誘惑に乗って罪を犯し、神の歩む音を聞いて、恐れて、裸であること知って身を隠しました。この時、人は、裸を恥じるようになりました。
神にとがめられたとき、男は女のせいにし、女は蛇のせいにしました。ここでは、罪の性質をあらわにして、人は、罪を犯しています。人は不完全で、罪の性質があるから、誘惑に乗り、罪を犯すのです。
罪を犯していないことは、罪の性質が無いことではありません。シャロームは、普通の文脈が読めないので、混同して、罪を犯すのは、悪魔の誘惑によるから、3章に入るまでは、罪の性質はないなどと言うのです。これは、昔ではなく、いつの時代でも、今の人間の、本質的な姿です。
シャロームには、罪は外にあるもので、自分は被害者という立場だという主張なのでしょう。そうすることで、自己正当化できると信じ込んだのでしょう。シャロームの大嘘です。
そして、今も、罪を恥じる心が無く、人のせいにしたり、人をおとしめたり、自己正当化だけのために聖書を解釈するのが、シャロームだということです。
私は、昔、批判を始める前の、出会って数年間、シャロームのことを、聖書の先生だと思っていたことがあります。とんでもない大間違いでした。シャロームは、聖書を曲げて受け取るような、悪意の偽善者なのです。
罪を恥じる心が、今もないのは、シャロームその人であります。都合の悪いことは忘れ、犯した罪と偽善を恥じず、無視して、偉そうに書いてくるのは、罪を恥じる心が無く、罪悪感が無いからです。
シャロームでも、シャロームのように自分に都合の良いだけの腐った解釈を訂正不能に持ち続けることは、ますます、罪と偽善を深め、自他の人格を破壊することだ、という程度の学習の材料にはなるということでしょう。
※
私の批判と返しに、何一つ、答えられないシャロームは、豹変しました。とうとう、ついに、シャロームは、ケダモノぶりを出して、デマ宣伝に転じました。この、荒らし体質が、シャロームの性根なのでしょう。また、シャロームのコメントです。
>
11. shalomです。 お久しぶりです。
2019年11月16日 20:01
「Vさんについては、絶交してからは知りません。
Vさんは、神学者であるのに、明らかに間違っているシャロームに対して、世辞を言い、私のコメントを隠したので、絶交しました。Vさんがどうなったのか、知らないが、あのときも、あなたシャロームが原因だったのです。本当に、あなたは、罪悪感を感じない、全部、人のせいにする、恐ろしい人、いや、人でなしです。」
あなたはVさんの職場にまで電話して、中傷し、人格否定までしたのに、謝罪もせず、絶好したのですか。それもわたしのせいだった?
<
ずっと書いてるが、何が「お久しぶり」なんだ。
シャロームの「あなたはVさんの職場にまで電話して、中傷し、人格否定までしたのに、謝罪もせず、絶好したのですか」・・口から出まかせの大嘘です。とうとう、こういうことまでしてくるか。シャロームは、本性丸出しで、まともなことを言えなくなったのでしょうか。
私は、Vさんの個人情報など知りません。Vさんについては哲学者・神学者・ブロガーということだけです。ネットだけの関わりです。それと、謝罪するなら絶交することはないわけです。
本性出してきましたね。それが、平気で嘘を吐くあなたシャロームです。
聖書解釈で、私の批判に答えられないあなたシャロームは、間違いを認めず、自分の妄想解釈を改めることもなく、反対に、興奮気味に、一方的に、でっちあげたデマで攻撃してきました。
>
「明らかに間違っているシャロームに対して、世辞を言い、私のコメントを隠したので、絶交しました。」
わたしがあなたにVさんを紹介したのは、Vさんならあなたの考えを理解できると考えたからでした。初めのうちはよい関係で、Vさんは自分の悩みをあなたに相談しておられ、あなたもVさんの相手の方に助言したりしておられましたね。しかし、今回のあなたのコメントで、Vさんがわたしの
「明らかに間違っているシャロームに対して、世辞を言い、私のコメントを隠したので、絶交しました。」ということは初めて知りました。
「本当に、あなたは、罪悪感を感じない、全部、人のせいにする、恐ろしい人、いや、人でなしです。」はあなたにもぴったり当てはまるのではありませんか?
<
自分が言われたことを、そのまま、無根拠で、こちらに向けています。恥ずかしいことです。
シャロームを否定できないために、調子合わせして、Vさんは、私のコメントを未承認にして、隠したのです。
私の様々の指摘が、図星だったようです。いよいよ答え切れなくなって、今までとは全く別人格のような、攻撃に転じました。これが、サイコパスの体質です。怖いことですが、関わってはいけません。シャロームは、狂犬と化しています。
ひょっとして、シャロームは、Vさんを、傷つけたのではないかと思います。傷を与えた者は、それを否定するために、手段を選びませんし、言い分がなくなると、あることないこと言って、人のせいにするのです。
答えられなくなったシャロームが狂犬と化した有り様です。前から言ってきましたが、シャロームは、自他の人間破壊の悲劇、惨劇を、シャロームは露呈しています。
>
12. shalomです。 お久しぶりです。
2019年11月16日 20:03
要するにあなたは自分の考えに同調していないと狂気の批判、攻撃を始めるのです。それは楽山(自由)さんにもそっくりそのまま当てはまりますね。
<
同調しないことを批判したのではなく、必要な弁明も反論も出来ないで、心無い発言を続けることに対して、批判が止むことはないということです。何度も言ってきたが、ずっと分かってないですね。
興奮シャロームの言葉の暴力、嘘をどこまでも決めつけて言い張るシャローム、しかも、いつもながら、何の根拠も示していません。
>
あなたにかかわると碌なことはないのですが・・・。
楽山さんにそのことを私が気にしていると伝えると、楽山さんは私に、これは自分のせいで始まったことですから、気にしないでくださいといってくださいました。
<
嘘だと思います。楽山は、そういう人ではありません。
>私は楽山さんの味方をしようなどと考えてはいません。<
いえ、味方していました。また、嘘ですね。2つ上の、わざとらしい嘘臭さ満載の発言もそうでしょう。そして、楽山も、口裏を合わせたようにシャロームに賛同していたのです。荒らしの本性を表したので、これから、さらに、ひどい発言になるでしょう。
それに、仲間であることを、一度も、今まで、否定しなかったのです。当たり前になっているということでしょう。仲間ではない、味方していない、ということを、今まで、一度も説明していませんから、今さら急に言っても説得力はないのです。
>
でもあなたは味方とか、カルト仲間だとか執拗に書いていますが、
常軌を逸した狂気の沙汰ですね。
<
私が、ずっと前に言った「狂気の沙汰」を、そのまま使っているだけです。つまり、相変わらず、根拠を示せない、憐れで、みじめな、そして、卑怯なシャロームであります。
>
今からでも決して遅くはありません。まだ65才ですから・・・
もちろんクライアントとして病院に行くべきです。
あなたの対応ができるお医者さんがおられるかどうかはわかりませんが・・・
今日はれいわ新選組のボランティアとして、ポスター貼りの活動をしてきました。天気もよく汗ばむような一日でした。
shalom! …
<
シャロームのボランティア活動は信用しないほうがいいと思います。ご機嫌取りと受け狙いのためにやることがあるかどうかは知りませんが、平気で、外国滞在とか、外国語の会話について、知ってるふりの嘘を吐いていました。日本語がそもそも滅裂なのに。
殆ど、檻の中で荒れているケダモノの観察日記になりそうです。書く手間がもったいないですが、
いつものように、
一度も反省しない、人のせいにする、嘘を平気で吐く、良心の直感がない、理路が理解できない、批判に対して返せない、返せないから決めつけるか嘘をでっちあげる、異常な確信に満ちている、訂正不能である、本も聖書も都合よく解釈する、解釈の殆どが間違っている、神の啓示・聖霊の導きなど超常をも自分の味方と決めつけて信じ込む、そして妄想教理を繰り返し語る、丁寧語と世辞は見せかけで野蛮・乱暴な心性を持っている、罪悪感・羞恥心の欠如、
などの、偽善者と妄想教理と病理の実例であるシャロームを見ることにも、こうはならないように、その正反対のほうに、人間と信仰者のあるべき姿を考える材料くらいにはなるかもしれないという逆の意義だけはあるわけです。
シャロームと楽山のような易坊類は、今後、非合法な手段を考えるかもしれません。そうなると、カルト組織であるなら、私は無力なので、姿を消してしまうのかな・・とか考えています。今回の記事は長かったけど、一応、ここまでとします。
(2019年11月18日、同日一部修正)
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp
(更新、コメント不可、12月消える)
ツイッター:
https://twitter.com/st5402jp
(ここは、たまにブログ記事をリンクする程度)
ブログ村ランキングリング:INポイントが付かない。
https://poem.blogmura.com/darkpoem/ranking.html
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
https://philosophy.blogmura.com/christian/ranking.html
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
ブログランキング
https://blog.with2.net/rank4482-0.html
コメント
コメント一覧 (28)
これが神と人との最初のうるわしい姿、関係です。」
神と人との関係の初めの姿が、人が罪を犯す前の神と人とのあるべき関係の姿なのです。
人間本来の親子の関係のひな型でもあるのです。
子供は大人である親と比べて感性が劣っているとは思えません。しかし、知識も経験もありませんし、自分で生活できるわけでもなく、親なしに生きることすらできません。が、人の人格としてなんの不足もなく、不完全でもありません。たとえ生まれながら障害を持っていてもです。
その姿を星野富弘さんや、水野源蔵さん、またれいわ新選組から参議院議員となられた船後さんや木村さんに見ることができます。
st5402jp
が
しました
その結果が私たちの心、社会、世界を支配して、破滅寸前のところまで来ているのです。
山本太郎は自分は落選しながら、船後さんと木村さんを国会に送り込んだのです。山本太郎はカトリックですが、イエス・キリストを信じるクリスチャンのようです。まるで末期症状を呈している日本にイエス・キリストによって遣わされた人の姿を見るようです。
今日も彼は泣きます。叫びます。生きようと。
st5402jp
が
しました
聖書は神は神の民イスラエルの歴史によって、神と人との関係のあるべき姿と失われた姿をありのままに証言しているのです。
神はイエス・キリストを私たちとこの世界の救い主とお遣わしになる約束、契約をされたのが旧約聖書の記されていることであり、
神はその約束を成就するために、救い主としてイエス・キリストをお遣わしになられ、私たちが罪の代価として背負っている裁きを、罪なき神の御子イエス・キリストに負わせ十字架につけ罪の代価を支払い、すべての人が信仰によって罪の赦しを神の恵み、賜物として受け取ることができるように、与えて、神は神と人、人と人、人と自然の失われた関係を癒し、回復してくださっているのです。
人がたとえ神の前に不完全で弱い存在としても、失われた関係と交わりが回復されることによって、本来のうるわしい姿とかえてるために、助けてくださっているのです。
一旦罪の奴隷となった私たちは、神との関係が信仰によって回復されても、なお、罪の力の攻撃にさらされ、罪の虜としてのみじめな弱さがあります。かつてはその弱さにつけ込まれ誘惑されて罪を犯していたのですが、しかし、信仰によってその弱さが神の愛と力があらわされる恵みの水路となるのです。神はすべてのことを相働かせて益としてくださる方であると聖書に書かれているとおりです。
shalom!
st5402jp
が
しました
1. st5402さん おはようございます
2019年11月18日 08:11
「ふたりは神に比べて、知性も感性も劣っており、完全ではないことを恥ずかしいとは思わず、互いにありのままを受け容れあい、愛し合い、神と共に歩んでいたのです。
これが神と人との最初のうるわしい姿、関係です。」
<
>
神と人との関係の初めの姿が、人が罪を犯す前の神と人とのあるべき関係の姿なのです。
人間本来の親子の関係のひな型でもあるのです。
<
神は神、人は人、神は創造主、人は被造物です。いくらゴタク並べても無駄ですから。
神と人が、親子のひな型でも、親と子は同格ではないのです。実に退屈な妄想です。
>
子供は大人である親と比べて感性が劣っているとは思えません。
<
あなたは、著しく劣っています。だから、あなたが人、つまり、神の子だから、と言って、今度は、自らを神格化しているのです。血迷ってますね。
st5402jp
が
しました
しかし、知識も経験もありませんし、自分で生活できるわけでもなく、親なしに生きることすらできません。が、人の人格としてなんの不足もなく、不完全でもありません。たとえ生まれながら障害を持っていてもです。
<
悪逆、ここに極まれりですね。人が完全なことを、障害者に事寄せて語るのか。いかなる障害者が祝福されても、あなたシャロームは、祝福されない。詭弁腐れ。
「人の人格として」と言っているではないか。神ではない。嫌がらせとしか思えない。遠くへ行きなさい、どこか遠くへ。あなたシャロームが哀れでも、付き合うのさえ御免だ。
>
その姿を星野富弘さんや、水野源蔵さん、またれいわ新選組から参議院議員となられた船後さんや木村さんに見ることができます。
<
人間は誰も、神格ではありません。障害を持つ他者を利用する劣悪さ、吐き気がする。
st5402jp
が
しました
2. st5402さん おはようございます
2019年11月18日 08:16
しかし、そのような神とアダムとエバとの本来のあるべき関係が罪によって侵されることによって、神とアダムとエバの関係が破壊され、また人と自然の関係も破壊されたのです。
その結果が私たちの心、社会、世界を支配して、破滅寸前のところまで来ているのです。
<
あなたシャロームの言論は、既に破滅しています。いちゃもんゴタクの誇大妄想をなど止めなさい。あなたシャロームに、人間も、世界も、語る資格はありません。醜いだけ。
st5402jp
が
しました
山本太郎は自分は落選しながら、船後さんと木村さんを国会に送り込んだのです。山本太郎はカトリックですが、イエス・キリストを信じるクリスチャンのようです。まるで末期症状を呈している日本にイエス・キリストによって遣わされた人の姿を見るようです。
今日も彼は泣きます。叫びます。生きようと。
<
末期症状は、いつまでも、求められてもいないゴタクを並べるあなたシャロームです。直ちに退散して、二度と出てこないように。
山本太郎は、イエス・キリストではありません。いつまで妄想白昼夢を見ているのか。あなたにとって、イエス・キリストが、いかに軽い存在であるかを、自ら表してしまいました。そうでなければ、人を、救い主に喩えたりはしません。あなたの底の浅い妄想信仰が、また、明らかになりました。
st5402jp
が
しました
3. st5402さん おはようございます
2019年11月18日 08:17
神との関係が本来の姿であれば、エデン園での神と人とのうるわしい交わりが、この世界の本来の姿だったのです。
<
罪の性質によって、誘惑に乗り、本来の姿ではなくなりました。
その、罪の性質と罪への堕落が、あなたにおいて破滅的に著しいのを私は見ています。
挫けることなく執拗に妄想を語るあなたシャロームは、もはや、人間の意志ではなく、悪しき自尊の欲望だけによって、口を開閉して流涎しているイメージです。発作か。
st5402jp
が
しました
聖書は神は神の民イスラエルの歴史によって、神と人との関係のあるべき姿と失われた姿をありのままに証言しているのです。
神はイエス・キリストを私たちとこの世界の救い主とお遣わしになる約束、契約をされたのが旧約聖書の記されていることであり、
神はその約束を成就するために、救い主としてイエス・キリストをお遣わしになられ、私たちが罪の代価として背負っている裁きを、罪なき神の御子イエス・キリストに負わせ十字架につけ罪の代価を支払い、すべての人が信仰によって罪の赦しを神の恵み、賜物として受け取ることができるように、与えて、神は神と人、人と人、人と自然の失われた関係を癒し、回復してくださっているのです。
<
それに、真っ向から背いてきたのが、あなたシャロームです。ずっと前から私は言っています。
>
人がたとえ神の前に不完全で弱い存在としても、失われた関係と交わりが回復されることによって、本来のうるわしい姿とかえてるために、助けてくださっているのです。
<
その助けを、誰よりも無にしているのが、あなたシャロームです。今までの経過が、総てを示してあまりあります。
st5402jp
が
しました
一旦罪の奴隷となった私たちは、神との関係が信仰によって回復されても、なお、罪の力の攻撃にさらされ、罪の虜としてのみじめな弱さがあります。
<
今度は、罪が悪いと、罪のせいにしてきた。この経過において、誰の罪か、あなたシャロームの罪です。これは、この経過において、悔い改めない限り、変わりませんから。
今さら、いくら救いの教理を述べても、あなたシャロームの口からでは、糞尿にも値しないという経過と結果なのです。
st5402jp
が
しました
かつてはその弱さにつけ込まれ誘惑されて罪を犯していたのですが、しかし、信仰によってその弱さが神の愛と力があらわされる恵みの水路となるのです。神はすべてのことを相働かせて益としてくださる方であると聖書に書かれているとおりです。
shalom!
<
さて、あなたシャロームは、いつ、「弱さにつけ込まれ誘惑されて罪を犯していた」のでしょう。
今、まさに、今そうなのです。妄想が信仰?になっているあなたシャロームが、まともに見せかけるために語れば語るほど、神の裁きが、近づいてくるですが、長びく背教によって誇大化した妄想の訂正不能によって人間離れしてしまったあなたシャロームにだけは、分からないのです。そして、人を食ったように、ほぅほぅと笑ってしまうでしょう。
st5402jp
が
しました
では、作文が苦手という人と、シャロームや楽山のような易坊類との違いは何でしょう。
シャロームは共感を過去の発言において否定しています。
楽山は「共感」という書き方を、最近になって、したことがあります。しかし、楽山の文章には、共感していることが文章から分かるような内容がないのです。楽山は、共感という言葉を直接使って、共感力があるかのように、見せかけていると思います。
易坊は、荒らしで、ナルシシストです。いつも思い上がっていて、何でも知っている、という立場から物を言います。
これら、思考および体質について同じ方向性を持つ易坊類については、成りすましを疑っています。ネットでは証明できませんが、同じHNのコメントにおいて筆致が入れ替わったことがあったからです。
st5402jp
が
しました
私もそれほど文章が得意ではありません。それに、私には、読書障害の傾向があります。長い文章は苦手です。まず、読書が遅く、さらに読書好きの人とは比べ物にならないくらい疲労を感じます。それで、長い文章は、出来るだけ、避けています。
ブログの記事の長さというのは、ちょうどよい長さの上限にあって、読むのにも、書くのにも、私にはありがたいのです。でも、ときどき、ほとんど読まないで、いいね、押すこともあります。ごめんなさい。
st5402jp
が
しました
文章にも、言葉遣いの実質として人格が表れてきます。ただ、彼ら易坊類は、様々に、姑息的に、ごまかしてくる、というのも特徴であるので、注意が必要です。小細工はするが、実質の深みがないのも特徴なのでしょう。
私は、能力を問題とはしません。彼ら易坊類の問題は、心にあると判断しています。
st5402jp
が
しました
どんなもんだい、これだけ、言えるんだ、とでも言いたいのでしょうか。正誤など関係なく、あなたシャロームに、教理を語る資格はありません。既に、かなり前に、あなたシャロームが、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、と言って訂正しなかったことは、それだけで、キリスト者ではないことをダイレクトに表しているからです。どうにもなりませんね。
st5402jp
が
しました
今日も彼は泣きます。叫びます。生きようと。
<
私は山本太郎は「イエス・キリストによって遣わされた人の姿を見るようです。」・・・とごく短く書いているのに、
st5402さん
あなたは次のように書いています。
「山本太郎は、イエス・キリストではありません。」と。
その違いがわからいのですか。
「私もそれほど文章が得意ではありません。それに、私には、読書障害の傾向があります。長い文章は苦手です。まず、読書が遅く、さらに読書好きの人とは比べ物にならないくらい疲労を感じます。それで、長い文章は、出来るだけ、避けています。
ブログの記事の長さというのは、ちょうどよい長さの上限にあって、読むのにも、書くのにも、私にはありがたいのです。でも、ときどき、ほとんど読まないで、いいね、押すこともあります。ごめんなさい。」
あなたは楽山さんが読まれた本の読書感想文なのに、
あなたはその本を読まずに楽山さんの読書感想文の内容について
批判し、人格まで中傷しているのではありませんか。
読書障害の傾向ではなく、重度の読書障害であり、〇〇障害と
いうべきではありませんか。
「ときどき、ほとんど読まないで、いいね、押すこともあります。ごめんなさい。」
と書いて、
いかに自分が正直かを強調してみたり、悔い改めているかのように偽装したりしても頭隠して・・・の三文芝居を見るようですよ。
でも嬉しいですね!!
聖書にはすべてのやみのわざは光に照らされると光になるという不思議な言葉があります。
自分にどのような弱さや醜いところがあっても、真の光であるイエス様のみ顔の光に照らされるとすべてが光になるという意味です。
さて聖書のどこに書いてあるでしょうね。
一度?と言わずに、もう一度聖書全体を通読してみてください。
shalom!
st5402jp
が
しました
>
16. st5402さん おはようございます
2019年11月18日 11:42
「末期症状を呈している日本にイエス・キリストによって遣わされた人の姿を見るようです。
今日も彼は泣きます。叫びます。生きようと。
<
私は山本太郎は「イエス・キリストによって遣わされた人の姿を見るようです。」・・・とごく短く書いているのに、
st5402さん
あなたは次のように書いています。
「山本太郎は、イエス・キリストではありません。」と。
その違いがわからいのですか。
<
私の疑問に答えられないくせに、ここぞとばかり、わからないのですか、と問い詰めてきますね。目を凝らして探して、しめたと思いましたか。失礼しました、間違えました、と言おうと思ったのですが、
st5402jp
が
しました
「イエス・キリストによって遣わされた人の姿を見るようです」
送り込んだ、遣わされた、対応させたとみるのが自然だと思いますよ。書き方の不備だと思います。上の「わからい」も、よくあることですが、じっくり読み直してみてください。
st5402jp
が
しました
「私もそれほど文章が得意ではありません。それに、私には、読書障害の傾向があります。長い文章は苦手です。まず、読書が遅く、さらに読書好きの人とは比べ物にならないくらい疲労を感じます。それで、長い文章は、出来るだけ、避けています。
ブログの記事の長さというのは、ちょうどよい長さの上限にあって、読むのにも、書くのにも、私にはありがたいのです。でも、ときどき、ほとんど読まないで、いいね、押すこともあります。ごめんなさい。」
あなたは楽山さんが読まれた本の読書感想文なのに、
あなたはその本を読まずに楽山さんの読書感想文の内容について
批判し、人格まで中傷しているのではありませんか。
読書障害の傾向ではなく、重度の読書障害であり、〇〇障害と
いうべきではありませんか。
<
やっぱり、さっそく、読書障害を突いてきました。来るだろうと予想していたということを考えずに、とにかく、おとしめたかったのでしょう。
st5402jp
が
しました
丁寧語でも、○○障害は、罵詈雑言の軽蔑言葉ですね。罵りたいから使った罵詈雑言です。嘘と同様、怒り狂ったあなたシャロームの本性です。
私は、あなたの醜さを見て、今回は、控えることにします。私の罵詈雑言は、あなたの対立軸であることを示すためです。あなたは理路に反応できないとき無視する人だから、対立する批判であることを明確にするためです。一応、コントロールしているのです。
st5402jp
が
しました
「ときどき、ほとんど読まないで、いいね、押すこともあります。ごめんなさい。」
と書いて、
いかに自分が正直かを強調してみたり、悔い改めているかのように偽装したりしても頭隠して・・・の三文芝居を見るようですよ。
<
これは、先ず、悔い改めではないと思います。悔い改めは、神とキリストを強く意識してするものです。これからも、ブロガーを信頼して、そうすることはありそうですし、今まで言ってこなかったので。この機会にと思って謝罪というかご容赦という意味で書きました。あなたに対しては、決してしないことです。・・あなたにとやかく言われる必要はない・・
あなたシャロームは、何にも理由のないところで、どれだけ、中身のない丁寧語で、誠実を装う三文芝居をしてきたことか、自分を省みずに、こちらを責めるあなたシャロームは、今日も、とても醜いです。
何でも、まるで、腹をすかせた野良犬のように噛みついてくる。怒りと呪いを感じます。私は、あなたには、何の興味もないのです。あなたが、信徒と牧師のふりをして、反キリスト教を語るのが、許せないのですから、何を言われても、易坊族の不当な文章に対しては、批判を書くことになるでしょう。
st5402jp
が
しました
でも嬉しいですね!!
聖書にはすべてのやみのわざは光に照らされると光になるという不思議な言葉があります。
自分にどのような弱さや醜いところがあっても、真の光であるイエス様のみ顔の光に照らされるとすべてが光になるという意味です。
さて聖書のどこに書いてあるでしょうね。
一度?と言わずに、もう一度聖書全体を通読してみてください。
shalom!
<
私が、あなたシャロームの言うとおりにすると思っているのでしょうか。
どこか知りませんが、信仰として考えれば、神からの光に照らされて光になるというのは、悔い改めるからでしょう。悔い改めずに罪も認めずに、光になることはないです。現に、今、あなたは、自尊だけの血塗れの闇です。あなたシャロームのように悔い改めない偽善者は、神からの光に照らされると、まぶしくて、目を潰し、立ってもいられなくなるでしょう。
st5402jp
が
しました
今さら、何を、おめいても、悔い改めの信仰でないなら、無駄なのです。
私は、知っていることを持って、人の重荷を負わせて誇ることより、あなたシャロームのような意地悪なことを避けようと思います。読者にも見てほしいと思います。だから探してみたわけです。
st5402jp
が
しました
5:10
主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。
5:11
実を結ばないやみのわざに加わらないで、むしろ、それを指摘してやりなさい。
5:12
彼らが隠れて行っていることは、口にするだけでも恥ずかしい事である。
5:13
しかし、光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。
5:14
明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある、
「眠っている者よ、起きなさい。
死人のなかから、立ち上がりなさい。
そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。
(エペソ5:10-14、新約聖書)
10節は、総ての人にですが、弁えのないシャロームは特に当てはまります。
11節は、実を結ばない自己中の闇のわざをしているシャロームに指摘しているところ。
12節は、嘘を吐き、妄想を語り、こっそり、コメント隠蔽や、都合の悪い記事の削除をしたあなたシャロームや楽山は、実に恥ずかしいことです。
13節は、それらを受けて、光にさらされるとき、隠れているものも、明らかになるという意味です。シャロームのゴタクのように、照らされて全自動で正しく明るくなるという意味ではありません。キリストに従って、正直な告白をしたものが、さらに道を照らされるという意味でしょう。そうして、現代に至るまで、死人のような人が立ち直ってきたのでしょう。
st5402jp
が
しました
(マタイによる福音書、口語訳)10:26
だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。
(マタイ10:26、新約聖書)
あなたが隠しているものも、隠れているものも、総てが明らかになり、知られるようになるときが来るのです。あなたは、ふるえて眠ることになるでしょう。あなたの悪意の暴走を、お仲間は、止めてはくれないのでしょうね・・。
st5402jp
が
しました
st5402jp
が
しました
これをわざわざ言うのは、あなたの丁寧なだけの発言は、殆ど、発言として意味をなさないということを言うためです。一方、隠しても漏れ出てくることのほうが、本音であり、受け取って批判するのに有用だからです。
st5402jp
が
しました
悔い改めとは、罪の償いをすることではありません。罪は、既に犯したのであり、償うことは、大方、不可能です。何らかの賠償をしたからと言って、罪は無かったことにはなりません。
悔い改めとは、正直に罪を認めて、赦しを神に祈り願うことであって、罪を犯す前に戻ることではありません。赦されることを祈り願うしかないのです。
悔い改めというのは、悪や欲望のほうから、神のほうに方向転換することです。神のほうを向くとは、即ち、主イエス・キリストの御名によって、神に祈ることです。そして、精いっぱい正直に祈ることです。
そこまで、真剣な方向性を持つ人は、人の前でも、あからさまに騙そうとする嘘は吐かなくなるでしょう。ひと言でいうなら、それだけが、救われる必要十分条件であることは、前にも述べたと思います。
st5402jp
が
しました