忍ばせる敵意
 
  『ゴータマ・ブッダ 釈尊の生涯 原始仏教1/中村元選集 第11巻』
  2019-11-17 楽山日記(a)
  https://ameblo.jp/aankzf2019/entry-12546261256.html
 
 
いつものように、婉曲的に否定してくる文脈に、悪意を感じます。楽山が気に入らないのは、キリスト教だけではなく、仏教にも及んでいます。ということは、霊が分かるっぽい?楽山は、簡単に分かったことにならない宗教全般を彼の言葉というオモチャ箱に閉じ込めたいようです。
 

本書では、神格化された信仰上の釈尊ではなく、実際の釈尊はどのような人物であり、どのような生涯をおくったかを明らかにする試みがなされている。たとえば初期の仏典では、弟子でさえも釈尊のことを、「シャカ」「ゴータマ」などと呼び捨てであったのが、時代が下がるにつれて尊称がつけられ神格化されて行く様子を明らかにしたり、梵天勧請のような伝説はなぜ生まれたか、現実はどうだったかなどについて語られている。また当時の釈尊は剃髪していただろうから、事実かどうかという視点から見た場合は、仏像に髪があるのは間違いだと見もふたもないことも書いている。

 
大事な教えの意味を理解するのではなく、歴史上の実在と様子のほうにだけ気が向いている楽山です。この態度は、キリストについても同様で、それゆえ、宗教と信仰の真実など分かりもしないのに、なお、批評して、何の結論にも実りにも届かないのです。
 
宗教を興味本位でしか追わないことの必然であり、楽山の宗教・信仰の話が、趣味の範囲でしかなく、真実の追求から程遠いことを表しています。真相はこうだったと、得意げに自慢したい人に多い傾向です。
 
楽山の特殊なのところは、ベースに、訂正不能の自己愛があることでしょう。だから、シャロームと同様、反省をしません。シャロームと違うのは、反省したかのように言葉だけで見せかけることです。その前後で、何を変わっていないことから、見せかけだと分かります。
 

こういう試みは、信仰上のお釈迦様を大事にしたい人からしたら愉快ではないかもしれないが、自分は信仰上のお釈迦様のみならず、実際のお釈迦様はどうであったかにも関心があるので非常にありがたいし、わくわくするほど面白く読めてよい。大いに歓迎する。

 
このように、宗教を真剣に考えている人からは、まともに見える分、迷惑なことを、好んで選んで題材にしてゆく楽山です。この、わくわくは、仏様の心が分かるっぽい?と思っている楽山の、それこそ思い込みからのものであり、信仰とは何の関係もありません。
 
>とはいえ、こういう自分もかつてはこの種の試みは大嫌いだった。<
 
この種の試みが嫌いならば、何が好きだったのでしょう。そして、何故、楽山は、今も、宗教を語ろうとするのでしょう。自分は読書家で、霊感?もあるから、宗教も詳しいと言いたいだけではないでしょうか。
 

仏陀はこの世だけでなく、この世を超えた世界をも知り尽くしている故に仏陀なのであって、仏陀の超人的、超自然的な側面を除外して見ようとするならその真の姿は決してつかみ得ぬだろうし、それは仏陀を矮小化し、自分の解釈可能な範囲内に押し込めようとする甚だしく不遜で愚かな行為であり、無意味なことだと考えていたのだ。

 
嘘だと思います。本当なら、信仰を志す者の思い上がったコメントですが、楽山は、心で受け取ることが出来ず、事実や辻褄でしか、宗教を語れません。そういうやり方では、どこまで行っても、信仰には辿り着かないのです。だから、霊感?の自覚のほうを宗教より上において、やんわり否定してゆくのです。
 

でも近頃は、霊能、神通力、奇跡…という超自然的なことは、前ほどは信じなくなったせいか、そういう超自然的なことから離れてものごとを見、判断することにさほどの抵抗は感じなくなった。

 
ものごととは何のことでしょう。この記事で書いているのだから、宗教のことでしょう。だとすれば、超自然的なことから離れて、というのが、嘘と言うことになります。
 
クリスチャン芝居をしても、本を読んでも、楽山が信仰にたどり着くことがなくて、信じていないけど、何やら高まっている自分と思っているゆえに、そういう話をしたがり、宗教のことも物事として、ひっくるめて書いて、知ったかぶりで、宗教と信仰を求める人を、霊感のある?自分より下に見たいのでしょう。
 
>信仰心旺盛だった頃は、信仰がなければ真実は分からぬと考えていたけれども、<
 
嘘だと思います。楽山は、切実に求める心を表せないのです。今まで見てきて宗教について的を射た発言をしたことがありません。そのことが、信仰など持ったことがないことの表れです。楽山自身の、霊が分かるっぽい?自覚から、好きなように揶揄もして、結局は、通念的な深みのないことしか書けないのです。謙虚に反省する心のない者の必然なのです。
 
>近頃は信仰が強すぎれば現実が分からなくなると考えるようになったのである。<
 
楽山は、強い信仰など、持ったことはないと思います。強い信仰を知りもしないで、楽山の言う強さは、思い込みの強さのことでしかありません。キリスト信仰を、この方向で語られては、とても、迷惑です。分からないなら、分からないことを自覚して追求を続けるべきですが、楽山には、そういうスピリットがないということでしょう。ショップで買い物をして、それが良い品かどうか、ちょっと見て決める、みたいな感覚だと思います。
 

現実をありのままに見ようとするなら、信仰は捨てよとまでは言わないが、ほどほどにしといた方がよかろうと…。

 
こうして、信仰に、ほどほど、ということを当てはめて、まるで、何をするにもほどほどに、というベタな人生訓と同じような感覚です。そして、この発言で、宗教を低いところに貶めてきたのです。言葉や表現に気を遣うということが出来ないために、ずっと、なんの真実にも至らず、それゆえに、ボンヤリ言語でごまかすしかないのが楽山です。決して巻き添えにならないように注意・警戒してください。
 

本来、信仰は尊いことだろうけれども、それが思い込み、決めつけ、偏見のようになっている場合は、信仰が目のウロコになってないかどうか、注意が必要なんだろうと思う次第である。

 
目からウロコ(が落ちる)、というのは、ことわざになっていますが、聖書の言葉です。
 
 (使徒行伝、口語訳) 9:18
するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、
 (使徒9:18、新約聖書)
 
そして、信仰が目のウロコになっていないか、というのは意地の悪い皮肉です。聖書の言葉を利用していることが、楽山が、聖書も知っているという自慢であり、さらに、他者に向かって、信仰に注意と呼びかけるのは、自分の無理解を棚に上げて、信仰を警戒するべき対象と見なして、信仰より上?の自分を暗に誇示したいのです。警戒するべきは詭弁家の楽山です。
 
信仰は、思い込み、決めつけ、偏見のたぐいではありません。これこそ、楽山が、信仰を知らないくせに、信仰にくっつけたがる決めつけです。
 
何も理解していないから、こういうことが書けるのです。他者を敬うという心が無く、思いやりも、親切も、みな、言葉の上滑りで片づけて、相変わらず、本を引用しては、いちばん大事なことだけは語れずに、ボンヤリ婉曲で、ごまかして、インテリの批評家を気取っているのです。
 
どっちともつかない、ああでもないこうでもない、という曖昧な筆致の中に、
「信仰が強すぎれば現実が分からなくなる」「思い込み、決めつけ、偏見」「ほどほどに」
などと断定言葉を潜ませることこそ、明らかに宗教を否定したい詭弁家の言であります。
 
楽山のような人が、分かってもいない宗教と信仰について、いちゃもん付きで、煙に巻くから、宗教も信仰も、触らぬ神に祟りなしという無関心が一般の社会通念となってしまうのでしょう。
 
楽山は、自分が分からないことには、黙っているのではなく、一途になってはいけないという婉曲の自己中心の否定にしてしまいます。惑わされないでください。楽山は、宗教と信仰をけがす者であり、その言説は、ざらつく砂のように貧困で、蟻地獄のように罠にかける悪意と敵意を忍ばせているのです。
 
そういう、強い自己愛からの自己中心の者は、自己中に決めつけて、楽山の場合、それを印象操作と遠回しの言い方で、教えたがる性癖が、一貫して執拗です。そういう者は、ほぼ決まって、本当の反省をしないので、学習能力がなく、真実追求の言論者の資格はないと思っています。
 
では、日記的な記事ならいいかと言うと、いいのです。しかし、楽山が、日記的に書いていないのは、結局、宗教ぼんやり否定の文言に決着していることから明らかなのです。
 
中身はないが、高みにいるつもりになり、知識人として振る舞いたいという欲望があるので、日記のつもりでも、他者を引用したりで、偉そうに書きたがる自己顕示欲の強さが、これも執拗な習性として、出てしまうのでしょう。
 
 
(2019年11月19日、一部修正)
 
 
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