背教の繰り言(2)
 
   病的説教 コメント欄
   http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4359970.html
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
 
 
バタぐるったかのように、理路を全く無視して、こじつけを、シャロームは書いてきます。
自尊のために、悔い改めを、物品のように、与えられたと思い込んでいるのです。
 
そして、相変わらず、人の書いたことを読んでおらず、自分の言いたいことを無遠慮に書いてくるだけで満悦できるようです。だから、やり取りが、全く文脈になりません。
 
丁寧語を使いながら、軽蔑してくる気持ち悪さが、一種独特の偽善の筆致となっています。
 
そういうことだから、こちらも、これから、何度も同じレスを書くしかないかもしれません。
 
 
先ず、忘れたのか、どうでもよいのか、夜なのに「おはようございます」、しょっちゅう書いてくるのに「お久しぶりです」という的外れの挨拶から始まります。
 
雑な丁寧語で、
信仰者をおとしめてくる言葉を平気で書いてきます。
例えば、
「残念ながらお分かりではないようですね。
なぜでしょう?
それはあなたが神がおられることも、神にご自分が愛されていることを
まだ知り、体験しておられないからでしょうね。
自分の思いこみ、妄想を正当化するために、イエスさまを利用しておられるようですね。」
と言った具合です。
 
根拠が、まるで、ありません。自分は"お分かり"なのだ、という立場が前提になり、背教の証拠が明白になったのに、"お分かりでない"相手に教え諭す書き方をしてきます。
 
状況が全く分かっていない。人のことを言うような場合ではなく、自分についての弁明をするにも、その理路も説得力も持たず、だから、すっとぼけて、結論だけを並べるのです。そして、それは、またしても、的外れなのです。
 
シャロームは、神がおられることも、神に愛されていることも、自分中心に依怙贔屓してくれると信じて、自己正当化に利用しているわけです。これは、最大の背教~冒涜であります。
 
そして、一方的に、こちらを妄想の正当化だと言い張って終わりなのです。理路も何もあったものではない。シャロームがこちらに向けていることは、みな、シャロームに当てはまるものばかりです。それを知らないのならば病気かもしれないし、承知の上ならば実に悪質な罵りになるわけです。
 
これが、相手に口答えをゆるさず、説明も弁明も反論も出来なかったシャロームの、成れの果てなのです。本来ならば、あわれむべきでしょうが、おとしめ方が、断定的で、訂正不能であるため、手の施しようがないのです。
 
そのやり方で、シャロームは、求道者やキリスト者に対して、求道や信仰の妨害行為を、自らがキリスト者そして元牧師に成りすまして、長年にわたってしてきたのでしょう。こういう人が、実際にいる、ということを忘れないでください。
 
シャロームの言うことがキリスト教だなどと思ったら、おしまいだと言うこと。そして、しばらくの間でも、社交の世辞の遣り取りで仲良くなってしまうと、なかなか抜けられず、片棒を担ぐことになっていまいます。特に自我の弱い人には、大きな災い、それが、シャロームであります。
 
 

11. st5402さん おはようございます
 2019年11月29日 20:54
お元気ですか?今日もまたよろしくお願いします。
 【口語訳】使
11:17 このように、わたしたちが主イエス・キリストを信じた時に下さったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったとすれば、わたしのような者が、どうして神を妨げることができようか」。
11:18 人々はこれを聞いて黙ってしまった。それから神をさんびして、「それでは神は、異邦人にも命にいたる悔改めをお与えになったのだ」と言った。


悔い改めはわたしたちが主イエス・キリストを信じた時に下さったのと同じ賜物(贈り物、プレゼント)として、神が異邦人である彼らに(私たちに)もお与えになったと書かれています。
下さった=お与えになった・・・のです。
 「わたしたちが主イエス・キリストを信じた時に下さったのと同じ賜物=異邦人にも命にいたる悔い改めをお与えになった」ですね。
st5402さんの妄想上の理解、解釈を正当化するためにではなく、聖書の言葉そのものを受け取ることが信仰なのです。
shalom!

 
言葉そのものを受け取ることが信仰といっていますが、シャロームの言葉の理解は、知らないより悪質です。自分が無理に受け取ったことを、人にも無理に正当化しているからです。
 
悔い改めは、悔い改める行為を意味します。それは、悔い改める人間だけがすることです。社リームは、言葉が分からないのです。しかも自覚がないのです。こういう人が一番、厄介だと言う典型です。
 
何が言葉そのものでしょう。受け取ると言うことは概念化やイメージ化をすることです。そして、それが、その人の言動に影響するわけです。その始めにおいて、受け取れない理路を、受け取ったことにして満悦してしまうのが、シャロームです。それが、私が、シャロームの言を妄想だと言う根拠です。そこには、理路、論理、道理、感性、人間性が、全くありません。
 
信仰を利用して自己顕示欲を満たそうとする者は、人の迷惑など、微塵も感じないので、長々と、全部入れれば、もう8年間も、同じ騙し文句を並べて、一人前に教えたやったという顔をしてきたのです。神の前に正当だと言う妄想からの偽善が、いかに怖いかを知ってほしいです。
 
 
すなわち、悔い改めそのものが、物品ではないのだから、与えたり、もらったりできるものではないと書いたのです。あなたシャロームは、そこを読んでいません。読まないで、受け取らないで、話を、戻しても、無駄です。
 
あなたシャロームは、言葉の表面だけをなぞっているから、辻褄合わせ・言葉合わせのごまかしで、妄想信条を捏造したのです。
 
聖書の言葉そのものというのは、聖書の言わんとするところを意味します。あなたシャロームの頭でこじつけた言葉理解では、妄想化しかしないわけです。
 
異邦人にも信仰の機会を与えたということです。それは、とりもなおさず、悔い改めの機会を与えた、悔い改めが可能になった、救いがもたらされた、ということです。
 
あなたシャロームの受け取り方では、異邦人に、無為・無活性のまま与えられる魔法の幸せが自動的に与えられたことにしかなりません。そのような信仰は存在しません。
 
このように、言葉に引っ掛けて言い張るのが、教条主義やカルトの生業になっています。それを信じても何もいいことを受け取ることが出来ない。
 
人間は、聖書から、分かること、共感できること、人間として、受け取れることを受け取るべきです。人間として受け取れないものは、どこまで行っても、受け取れないものです。
 
その当然のことを無視して、言葉の、こじつけや、表面だけを受け取ると、好きなように、教理や信条を捏造する者が出来てきます。あなたシャロームが、まさに、その人であります。
 
シャロームに何を言っても聞いてないし、聞いたことを理解してないし、受け取ってもいないから、無駄です。
 
 
ここで、《シャロームの背教》を、もう一度、載せます。これからも載せることになるでしょう。
 
《シャロームの背教》
これからも、しばしば載せることになるでしょう。
 
シャロームは、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、と言って、訂正していない。
悔い改めは必要かと問われて、悔い改めは必要だが、それは、神が与えると言って、その後も、二度三度と同じことを言って、訂正していない。
 
悔い改めというのは、やり取りできるようなものでしょうか、否であります。悔い改めは、主語となる本人以外にはできない、というより、本人以外はしないことなのです。与えたりもらったりできるものではありません。シャロームは、それさえ理解せずに、神が与える、神が与える、と言い続けています。
 
さらに、シャロームの言には自己矛盾があります。悔い改めていないということは、神は悔い改めを与えていないことになり、キリスト者になっていないということになります。
 
悔い改めは、自発的でなければ意味がありません。
悔い改めは、神のほうを向いて、正直に罪を告白し祈ることです。
 
ここにおいて、シャロームの信仰が偽物であることは既に証明されています。
 
 (ローマ人への手紙、口語訳)2:4
それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。
 (ローマ2:4、新約聖書)
 
聖句の、神が悔い改めに導く、とは、ゆえに、悔い改めよ、ということです。そうしないことは、神の慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじることだ、と言っています。
 
まさに、シャロームは、神を軽んじ、それだけでなく、真逆の信条と詭弁を豪語してはばからなかったし、そのことを訂正してもいないのです。
 
以上は、理路が明白であり、共感も直観的に可能なのに、無視して、とぼけることですから、これから、シャロームの"エヘヘ言語"と呼ぶことにします。
 
シャロームの愚かさは、あわれむべき愚かさではなく、他害的で憎むべき愚かさです。
感情的になってはいけないが、不正、特に偽善は、憎むべき悪であり、放置することは、滅びに対して無為であることです。人として出来ることはしなければなりません。
 
人として、信仰者として、出来ることをする力がないならば、残念ではありますが、無理は言いません。しかし、出来ることがあるのに、悪い言葉を言ってはならないからと、しないでいることを正当化するなら、出来ることをしない信仰における怠慢であります。
 
決して、シャロームを、キリスト者(クリスチャン)だなどと思わないでください。
シャロームは、キリスト教とキリスト信仰をネタにした詐欺師です。
 
 
人間として、受け取れないことを、無理に、受け取ったと思い込めば、そこには、何も根拠のないところから言説を導く?ことになり、捏造となり、空想~妄想しか生まれません。それを振り回しているのが、シャロームその人であります。
 
なお、私は、私の言よりも、目の覚めるような、優れた言説に出会ったら、いつでも、修正可能です。しかし、少なくとも、シャロームから、そういう言説が提供されたことは一度もなく、邪魔になるばかりなのです。
 
 
(2019年11月30日)
 
捏造(ねつぞう)
 
 
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