誇る信仰?
シャロームの信仰のぼろ
誇る者は、立派な祈りをしようとします。
救われたい者は、正直に祈ります。
(ルカによる福音書、口語訳)
18:9
自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話しになった。
18:10
「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。
18:11
パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。
18:12
わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。
18:13
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。
18:14
あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
(ルカ18:9-14、新約聖書)
キリストのたとえ話です。パリサイ人は、誇る信仰?です。だから、神の前に、自分がいかに戒律を守っているかを得々と語ります。このように、神の前に、立派なことを言うことがよい、という信仰は、義とされないという教えです。
次は、シャロームが、コメントに書いたことです。
>
イエスさまは十字架の上で、「私を誰も助けてはくれません」とは祈られませんでした。反対に、ご自分を十字架につけた人(私たち)のために、父よ、彼らをおゆるし下さい。彼らは自分のしていることが分からずにしているのですからと祈られました。
あなたの泣き言とは全く真逆の祈りをされました。
<
シャロームの丁寧語は、まともに見せかける偽装です。
私が、神に対して、弱音を吐いたことを、信仰とは真逆だと、責めています。そして、事もあろうに、キリストの祈りを例示したのです。
次は、私がコメントに書いたことです。記事にも、既に書いています。
「私たちキリスト者が、救い主イエス・キリストとは、違うからです。
キリストは救い主、私たちは、救いを受ける側です。
なのに、あなたシャロームは、それを、立派な祈りをしなかったことで、私を責めています。
そこに、悪魔性があり、そこに、あなたシャロームが、キリスト相当と自分を並べていることが明らかなのです。愚かな。それが、あなたシャロームの次元、誇る信仰?なのです。」
シャロームは、現代のパリサイ人だと、私は言っていました。まさに、それが表れています。
しかし、パリサイ人のように、戒律にこだわっているでしょうか。そうではなく、シャロームは、誇りたいだけの偽キリスト者だと思います。批判されると、批判者を責めることだけを考えています。ゆえに、立派な祈りをせず、弱音を吐いたことを、しめたと悦んで詰(なじ)っているのです。
シャロームは、パリサイ人の誇り方をしながら、嘘ばかりついて、人を惑わすだけの偽善者であり、パリサイ人ではなく、悪魔性だけを振り回している宗教詐欺師です。
シャロームは、丁寧語で、世辞を言い、ですね口調で、すり寄ってきます。応じたら、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、という、キリスト教のどこにも書いてない、捏造した妄想信条を吹き込んできます。それを信じたら、おしまいです。おしまいの例は、シャローム自身であります。
前に、救われる条件は、神の前に、精いっぱい正直であることだと書きました。
神の前に、私たち人間には、何も誇るものはありません。正直以外、何も通用しないのが、全知全能の神様という御方です。そのことを伝えているのが聖書であります。
困ったときは、困ったと、弱ったときは、弱ったと、正直に告白します。
神の前の強がりや豪語は、シャロームの妄想信仰であり、神の前に誇ることであり、他の信仰者や求道者をおとしめることであり、信仰に反することです。
シャロームの、事あるごとに、偉そうに見せたがる信仰は、神の前に、立派であることを誇る信仰?です。そのような信仰?は、キリスト信仰とは、全く相容れるところがなく、真っ向から対立する悪魔性の反信仰です。そのような、立派に見せようとするシャロームの信仰?に、一言も、惑わされてはいけません。
神の前においてだけは、精いっぱい正直であってほしいと願って止みません。
病的説教 コメント欄
http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4359970.html
シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
記事は、一部、コメントを編集して載せています。
>
32. st5402さん おはようございます
2019年11月30日 20:12
「
「今回、あなたシャロームが、キリスト者ではないこと、ましてや、キリスト教を教えるような元牧師でもないことが、証明されたのです。既に、前に、何度も書いたように、あなたが、妄想信条によって、キリスト者ではないことが証明されています。」
」
どなたが証明されたのですか?
あなたが評価されたのでしょうか?
あなたに何度評価されても一向になんの差支えもありません。
<
シャロームキャラの易坊か。
差支えないんだったら、黙っていなさい。
>
正しくもなく、立派でもないと気づいておられるあなたに
人を評価ができるのでしょうか?
それとも神やイエスさまの代行者気取りのあなたの評価でしょうか?
shalom!
<
あなたは、本当に、人の意見を読んでないんですね、私の書いたこと。批判は、マイナスの評価になるのは当たり前でしょう。批判の理由は書きました。
書くことは、正しさを目指しているのです。あなたは、本当に理路が分かっていない。正しくないから、不十分だから、正しさを求めて書いているのです。それを邪魔しているのがあなたシャロームです。つまり、楽山やシャロームなどの易坊類です。
嘘ばかりついて人をおとしめているのがあなたシャロームなど易坊類です。自由ばかり主張して責任を負わない者たちです。この者たちがネットから消えたら、どんなに健全に近づくことでしょう。体質が異常だと思っています。
平気で嘘を吐く人は、どこにも必要とされません。
だから、シャロームのように、神の代行気取りの傲慢カルトが、ごまかして、まともな宗教に見せかけるのでしょう。ナルシシストで、決して評価してはいけない、ペテン師です。
投稿者名に、ちゃんと、シャロームshalomと書きなさい。
また、ごまかして、責任を免れようとしている。
shalom!と感嘆詞を付けて、挨拶だと見せかけるつもりだろう。卑怯。
(2019年12月02日)
捏造(ねつぞう)
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
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コメント
コメント一覧 (25)
この聖書の言葉はst5402さんにとって
とても共感される言葉なのでしょうね。(おしまいに引用)
パリサイ人は神の民イスラエルの人々の社会的、宗教的指導者として、聖書に精通し、守り、神の前にも、人の前にも自分が正しい人であることを自認し、人々を導き、律法を守らない人を裁き、他の人を正そうと導くひとでした。パリサイ人が最も厳しい裁きをしていた人が取税人でした。
なぜなら同じ神の民イスラエル人でありながら、異邦人支配者ローマ権力のもとで同胞である人々から過酷な税金を取り立て、苦しめ、私腹を肥やしている取税人だったからです。
取税人はパリサイ人から厳しく裁かれても、神の前にも人の前にも自分が罪人であることを知っていましたので、もう胸を打ちたたいてひれ伏すことしかできなかったのです。
パリサイ人は自分が人より正しく、立派であると思うとすぐ人を見下し、裁き、馬鹿にし、裁いてしまう自分の姿でもあり、
また取税人のように、権力をかさに着て、人から不当な税金を搾り取り、弱い自分を守るために、人から見下されることをひたすら恐れ、弱さを隠したり、恐れて、権力に自分の心を売ってしまい、みじめな自分を恥じて苦しんでいる人の姿です。
st5402jp
が
しました
ふたりの人は祈るために宮にのぼったと言っておられます。
二人の人をくらべてどちらの人が正しいか、
どちらの人が間違っているかについて話されたのではなく、
神の宮にのぼり、祭壇の前に進み出て、祈ることは
だれも他の人を厳しく裁きながら、神の前にひれ伏すことはできませんし、神の前に自分の罪を悔い改めながら、他の人を罪に定める、裁くことはできず、ただひれ伏すことしかできないと話しておられるようですね。
イエス様は次のようにも話しておられます。
【口語訳】ルカ
あなたがたは、なぜ正しいことを自分で判断しないのか。
12:58 たとえば、あなたを訴える人と一緒に役人のところへ行くときには、途中でその人と和解するように努めるがよい。そうしないと、その人はあなたを裁判官のところへひっぱって行き、裁判官はあなたを獄吏に引き渡し、獄吏はあなたを獄に投げ込むであろう。
聖書の言葉は鋭い諸刃の剣ですね。
そのことについても次のように書かれています。
【口語訳】ヘブル
神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。
4:13 そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対して、わたしたちは言い開きをしなくてはならない。
神の言葉に向き合う時、人の心は切り裂かれ、心の思いと志とを見分けることができるというのです。
shalom!
st5402jp
が
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18:9
自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話しになった。
18:10
「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。
18:11
パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。
18:12
わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。
18:13
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。
18:14
あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
(ルカ18:9-14、新約聖書)
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>
1. shalomです。こんにちは
2019年12月02日 16:37
聖書から引用されましたか。いいですね。
この聖書の言葉はst5402さんにとって
とても共感される言葉なのでしょうね。(おしまいに引用)
パリサイ人は神の民イスラエルの人々の社会的、宗教的指導者として、聖書に精通し、守り、神の前にも、人の前にも自分が正しい人であることを自認し、人々を導き、律法を守らない人を裁き、他の人を正そうと導くひとでした。パリサイ人が最も厳しい裁きをしていた人が取税人でした。
なぜなら同じ神の民イスラエル人でありながら、異邦人支配者ローマ権力のもとで同胞である人々から過酷な税金を取り立て、苦しめ、私腹を肥やしている取税人だったからです。
取税人はパリサイ人から厳しく裁かれても、神の前にも人の前にも自分が罪人であることを知っていましたので、もう胸を打ちたたいてひれ伏すことしかできなかったのです。
<
数々の嘘とデタラメと汚点とボロをあらわにしながら、なおも、何事も無かったかのように、教えたがるその根性が、既に、福音に反しています。本来ならば、口を閉ざし、生きてきた何十年かを、深く反省するモードに入るはずです。しかし、それをしないところに、楽山やシャロームなどの易坊類の反キリストが表れているのです。
st5402jp
が
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それは、決定的な違いなのです。
パリサイ人、そして、シャロームには、聞く耳がありません。自分が神の霊によるものだということだけを根拠とする神がかりから人間離れしたものだからです。
>
パリサイ人は自分が人より正しく、立派であると思うとすぐ人を見下し、裁き、馬鹿にし、裁いてしまう自分の姿でもあり、
<
まさに、人の祈りをけなす、あなたシャロームであります。
st5402jp
が
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また取税人のように、権力をかさに着て、人から不当な税金を搾り取り、弱い自分を守るために、人から見下されることをひたすら恐れ、弱さを隠したり、恐れて、権力に自分の心を売ってしまい、みじめな自分を恥じて苦しんでいる人の姿です。
<
取税人には、耳あるものは聞くがよい、と言う、キリストの話を聞く耳がありました。
それは、決定的な違いなのです。
パリサイ人、そして、シャロームには、聞く耳がありません。自分が神の霊によるものだということだけを根拠とする神がかりから人間離れしたものだからです。
st5402jp
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2. shalomです。こんにちは
2019年12月02日 16:38
イエスさまは
ふたりの人は祈るために宮にのぼったと言っておられます。
二人の人をくらべてどちらの人が正しいか、
どちらの人が間違っているかについて話されたのではなく、
神の宮にのぼり、祭壇の前に進み出て、祈ることは
だれも他の人を厳しく裁きながら、神の前にひれ伏すことはできませんし、神の前に自分の罪を悔い改めながら、他の人を罪に定める、裁くことはできず、ただひれ伏すことしかできないと話しておられるようですね。
<
楽山やシャロームなどの易坊類は、ずっと、私が裁いていると言っているが、私は批判しているのであって、それに、まともに答えず、けなし、嘘で欺き、罵っている楽山やシャロームなどの易坊類こそ、人のくせに、心を傷つけて、裁いている醜い罪と偽善の姿なのです。
st5402jp
が
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イエス様は次のようにも話しておられます。
【口語訳】ルカ
あなたがたは、なぜ正しいことを自分で判断しないのか。
12:58 たとえば、あなたを訴える人と一緒に役人のところへ行くときには、途中でその人と和解するように努めるがよい。そうしないと、その人はあなたを裁判官のところへひっぱって行き、裁判官はあなたを獄吏に引き渡し、獄吏はあなたを獄に投げ込むであろう。
<
何を言っているのですか。ゴマをすってほしいのですか。あなたは、キリストではなく、御使いでもない、聖霊とも啓示とも、何の縁もない、自己顕示欲だけの偽善者です。だから、また、クソのような妄想を教えようとしてきます。
(ネットより)
これはたとえです。告訴する者はキリストご自身であり、被告人は群衆たちです。キリストに逆らわないで、さばきが来る前に和解しなさい、と言われています。
http://www.logos-ministries.org/new_b/lk12.html
st5402jp
が
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聖書の言葉は鋭い諸刃の剣ですね。
<
何がですか。あなたシャロームは、もう斬られているのに。
「ですね」は、やめなさい。あなたと共感するところは何もありません。
神は、嘘を総て見抜かれます。あなたにとっては剣だから、たまりませんね。
st5402jp
が
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そのことについても次のように書かれています。
【口語訳】ヘブル
神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。
4:13 そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対して、わたしたちは言い開きをしなくてはならない。
神の言葉に向き合う時、人の心は切り裂かれ、心の思いと志とを見分けることができるというのです。
shalom!
<
神は、人と違って、人の心をすべて知っておられ、見分けることが出来ます。力においては、どんなに小さいことも、切り裂いて、かつ、見られるのです。嘘吐きは、震えるしかない。
st5402jp
が
しました
3. shalomです。こんにちは
2019年12月02日 16:39
(ルカによる福音書、口語訳)
18:9
自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話しになった。
18:10
「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。
18:11
パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。
18:12
わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。
18:13
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。
18:14
あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
(ルカ18:9-14、新約聖書)
<
st5402jp
が
しました
何を聖句だけ引用しているのでしょう。神の前に、人の前に、そして、人に対して、啓示と聖霊が根拠だから議論の対象にならないと発言し、訂正不能を誇り、その高みから、わざとらしい讃美言葉と、批判者をおとしめる言葉と、自己顕示欲の教えたがる態度だけを表してきたのが、あなたシャロームなのです。
神の前に、人に対して、偉そうに振る舞うのを、ごまかすために、いくら丁寧語を並べても、無駄なのに、ずっと、ずっと、白々しい丁寧語で、嘘の敬虔を装ってきた、それがあなたシャロームです。もう決定的に、バレているのに、また、書いてくる未練がましさで、さらに、目を覆わんばかりの、みすぼらしさと見苦しさを、これからも、背教の言辞とともに、並べられても、腐った生肉を見るようで、災いだけが蝿を飛ばすでしょう。
st5402jp
が
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>
イエスさまは
ふたりの人は祈るために宮にのぼったと言っておられます。
二人の人をくらべてどちらの人が正しいか、
どちらの人が間違っているかについて話されたのではなく、
<
うっかり見逃すところでした。
(ルカによる福音書、口語訳)18:14
あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
(ルカ18:14、新約聖書)
このように、神によって義とされたのは取税人だと書いてあります。明らかに、取税人のほうが神に対する信仰として正しいのです。シャロームは、自分がパリサイ人的なために、パリサイ人を弁護したいのでしょう。読解に必要な聖句を、故意に、自分の都合で無視する、という罪を犯しています。上の解釈から、故意であることは明らかです。シャロームは、そういう人です。シャロームが好きなのは、このような悪だくみです。
st5402jp
が
しました
このように、肉体の復活にばかりこだわることは、人間の心を駄目にします。私たちは、心の復活と再生だけが救いになることを学ぶべきであります。それを、経験しているキリスト者も多いと思いますが、そこから、人知を超えた神聖の領域まで理解しようとすると、いつのまにか、あらぬ非現実を口走る亡者にならないために、聖書の解釈に細部までこだわるのは、学者に任せておけばよいのであって、純粋な信仰そのものは、私たちが感じて受け取るものの中にだけあるのだということを知ってほしいと思います。
旧約聖書は、おもに、神の、全知全能、絶対完全、永遠不変を述べています。新約聖書は、キリストと人々の交流の中で、誰が救われ、誰が嫌われたかを、述べています。ここから、救いに必要なこと、信仰と希望と愛が人間離れしたところにはないということが分かります。人間離れして神がかることには、人間性を破壊する以外、何も良いところはないのです。
st5402jp
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しました
st5402jp
が
しました
「このように、肉体の復活にばかりこだわることは、人間の心を駄目にします。私たちは、心の復活と再生だけが救いになることを学ぶべきであります。それを、経験しているキリスト者も多いと思いますが、そこから、人知を超えた神聖の領域まで理解しようとすると、いつのまにか、あらぬ非現実を口走る亡者にならないために、聖書の解釈に細部までこだわるのは、学者に任せておけばよいのであって、純粋な信仰そのものは、私たちが感じて受け取るものの中にだけあるのだということを知ってほしいと思います。」
とのことですが・・・
今日は次の記事において使徒信条・・教会の信仰告白をご紹介しました。その中にははっきりとイエス。キリストの死人の中からの復活に対する告白がされています。
イエス・キリストの復活を否定しては私たちの信仰の要を欠くことになります。
【口語訳】ロマ
1:2 この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、
1:3 御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、
1:4 聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。
st5402jp
が
しました
15:1 兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。
15:2 もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。
15:3 わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、
15:4 そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、
15:5 ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。
15:6 そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。
15:7 そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、
15:8 そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。
st5402jp
が
しました
15:10 しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、わたしに賜わった神の恵みはむだにならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきた。しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである。
15:11 とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのである。
15:12 さて、キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか。
15:13 もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。
15:14 もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。
15:15 すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。
15:16 もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。
15:17 もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。
shalom!
st5402jp
が
しました
16. shalomです。おはようございます
2019年12月03日 08:42
14.
「
「このように、肉体の復活にばかりこだわることは、人間の心を駄目にします。私たちは、心の復活と再生だけが救いになることを学ぶべきであります。それを、経験しているキリスト者も多いと思いますが、そこから、人知を超えた神聖の領域まで理解しようとすると、いつのまにか、あらぬ非現実を口走る亡者にならないために、聖書の解釈に細部までこだわるのは、学者に任せておけばよいのであって、純粋な信仰そのものは、私たちが感じて受け取るものの中にだけあるのだということを知ってほしいと思います。」
とのことですが・・・
」
今日は次の記事において使徒信条・・教会の信仰告白をご紹介しました。その中にははっきりとイエス。キリストの死人の中からの復活に対する告白がされています。
イエス・キリストの復活を否定しては私たちの信仰の要を欠くことになります。
【口語訳】ロマ
1:2 この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、
1:3 御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、
1:4 聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。
<
シャロームは、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、という狂気の信条を持ちながら、ここでは使徒信条などと言ってきます。いかに、自分に都合の良いように、キリスト教をもてあそんでいるかが明らかであります。
st5402jp
が
しました
これ以上、キリスト信仰の邪魔はしないでください。あなたシャロームは、既に、破綻百出なのです。精神病と同じように、病識がないのです。
二千年前のキリストの肉体の復活は、否定も肯定も、確かめようもないことです。
現代のキリストの同伴は、キリスト者が現実に寄る辺としていることであり、それこそが信仰です。それこそが、復活であります。
自分は肉体の復活を信じていると言い張って、自己顕示欲を丸出しにしているだけのシャロームの妄想解釈に惑わされることの無いようにしてください。シャロームは、キリストをただの一度も信じたことのない詐欺師なのです。
st5402jp
が
しました
17. shalomです。おはようございます
2019年12月03日 08:45
【口語訳】一コリ
15:1 兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。
15:2 もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。
15:3 わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、
15:4 そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、
15:5 ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。
15:6 そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。
15:7 そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、
15:8 そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。
<
だから、これは、死より三日後、つまり、二千年前のことです。
st5402jp
が
しました
シャロームが、ここまで言ってくるのは、我欲・我執以外の何物でもないのです。シャロームは、信仰の最も大切なことを踏みにじっておきながら、自尊を保とうと焦り狂って、退くことが出来ないという醜態を現しているだけなのです。
st5402jp
が
しました
18. shalomです。おはようございます
2019年12月03日 08:45
15:9 実際わたしは、神の教会を迫害したのであるから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者である。
15:10 しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、わたしに賜わった神の恵みはむだにならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきた。しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである。
15:11 とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのである。
15:12 さて、キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか。
15:13 もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。
15:14 もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。
15:15 すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。
15:16 もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。
15:17 もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。
shalom!
<
st5402jp
が
しました
キリストは、溢れるほどの魂の奇跡を与えてくださいます。既に、天におられるキリストの、二千年前の肉体にこだわるべきではありません。
魂の奇跡を全く分からず、受け取ってもいない、シャロームのような愚鈍と卑怯だけが、肉体の蘇りという超常現象にこだわっているだけなのです。信仰は腐ると、このような醜い色となり、悪臭を放つということだけを、シャロームは表しています。
二千年前のキリストの肉体の復活を信じたからと言って、今を生きるのに、何の目覚めになるでしょう。シャロームを見てください。
シャロームは、肉体の復活を固く信じて、譲らないとまで言ったことがありますが、一方で、平気で嘘を吐き、いつも上から物を言い、腐った丁寧語でそれを糊塗して、ごまかすことで、いやというほど、醜い保身のために、人間の大切な良心をなくして、悔いることなく、また、聖句まで引用して、妄想に、しがみついて、自らが汚した信仰を、あたかも守っているかのような、これまた、嘘を上塗りしているのです。
良心のない信仰は、呪いと魔界のものとなって、人心を執拗に脅かすだけなのです。
害虫のように、まとわりつくシャロームの嫌がらせは、求道者と信仰者は、問題とせず、聞いたら、すぐに逃げるようにしてください。まともな人間でもなく、まともな信仰者でもない偽善の因業に走る下種の根性が決して移ることのないようにしてください。
st5402jp
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