「カルトの偽装」
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  執拗な再録
 
   2019年12月13日
   『ウチの母が宗教にハマりまして。』藤野美奈子
   http://mn266z.blog.jp/archives/22560806.html
   楽山日記(仮、倉庫)
 
 
楽山は、前に批判したのに、私がシャロームを批判している間に、また、同じ記事を出してきました。この根性こそが、異常人格の特徴です。反省をしない、弁明できなかったことを学習しない、という無反省・無頓着だからこそ、できることなのです。
 

*まえおき
 巷では宗教離れが進んでいるそうだけど、どうやらその流れは自分にも影響しているらしい。最近はどうもその手のことへの関心が薄れてきている。でも今回はひさびさに宗教関連の本を通読できたので感想を書いてみたい。

 
書くべきではないのです。もう既に、批判されて、楽山は、返せなかったのです。自分を出す、という一方向だけの心しか持っていないために、楽山は、また書いてしまいます。
 

*本の中身
 本書は、タイトルからカルト批判の本だと思って手に取ったのだけれども、いざ中身を見てみると、カルト絡みのエピソードもないではないが、全体的な立ち位置は、カルト批判というより、宗教への理解を深めようというものであって、宗教信者に同情的でさえあるようだ。
もうちょっと具体的なことを書くと、本書では、ヤバい宗教にハマってる人を退会させようとしたがダメだった話、新興宗教の二世信者の彼と結婚した女性が、熱心信者の義母と衝突して難渋する話、ミュージシャンがカルトにハマって人が変わってしまった話などが紹介されている。

 
こういう口当たりの良いところから、話を始めるのも、カルトの、そして、ナルシシストの、だまし文句なのです。目的は、既存の宗教、特に、キリスト教を、どうでもいいような、いい加減な宗教に、おとしめることです。
 

著者の体験談では、母親が宗教にハマり、お墓や仏壇などに百万単位のお金を使ってしまい、父親ともめた話、母親の信仰は傍から見たら奇異なものではあるけれども、数十年に渡って、自分のことはわきに置いて、ひたすら家族の健康と幸福を祈り続けていることから、やがては父も、娘の自分も、その信仰を頭ごなしに否定することはできず、尊重するようになっていった話などである。

 
このように、楽山は、カルトというのは、とんでもない損害を与えるからカルトなのであって、そうでないならば、カルトと言ってはいけない、ということを言いたいだけなのです。自分がカルトの宣伝者・煽動者だからです。
 

*カルト、マインド・コントロール
 本書では、カルト、マインド・コントロールについても、分かりやすく説明してくれている。
 まずカルトの定義については、人権侵害や違法行為の有無が基準だとしている。カルト教団とは、非常識、アブノーマルな団体というのではなく、「憲法に定められた基本的人権を守らない団体」であり、また「あなたの入りたい宗教団体が現代の法律に触れるようなことをしていないか 入信前も入信した後もそこんとこ見極めて下さいね」とのことである。この辺りは、藤倉善郎さんの書いていた基準と同じだ。

 
このように、楽山は、違法行為の有無によって、カルトかどうかを判断する基準が正しいと言っています。そうでしょうか。
 
違法行為を犯したカルトは、違法行為を犯す前日までカルトでなかったと言えるでしょうか。ちがいます。カルトの芽は、既に、たくさん出ているのです。
 
どう判断したらいいでしょう。彼らの信条を、多くの人が信じて、排他的となったら、社会悪になるだろう、と推測されるときから、カルトとして、邪教として、批判はしなければならない、ということです。
 
法制度上の基準は、逮捕できるかどうかという基準であり、カルトであるかどうかという基準ではありません。それを、鵜呑みにしてはいけません。楽山が、自分(たち)は、犯罪行為に及んでいないからカルトではないと言いたいがために、この法制度上の基準を用いているのです。
 
言っていることが不正なのは、既に、発言や信条に表れているのだから、先ず、法制度ではなく、批判をしなければなりません。でないと、大きな被害が明らかになってからでは、手遅れになります。先ず、法制度の強制力ではなく、言論の力を使って抑制するべきなのです。
 

マインド・コントロールについては、「「昔からのその人らしさ」を封印したあと新しい考えを信じ込ませ まるで教祖のロボットのようにしてしまう作業のことです」「本人はあたかも「目覚めた」ように感じ普通に生活できるので操られていると気付きませんし「自ら選んだ道だ」と信じてしまいます」としている。
本来の自分を失い、教団に操られているのに、そのことには気付かず、自分のことは自分で決めたと思い込まされるというのは、なんとも怖ろしいことである。これはあまりに怖すぎる。

 
怖すぎると言っている楽山が、まさに、カルト的なことを言って、しかも、ボンヤリ言語という婉曲的な言い方で、やんわり、他の宗教を無力化して、暗示や印象操作で、自説を刷り込んでゆく人です。
 

*反省
カルトとは人権侵害や違法行為をする団体であって、傍から見ていくら奇妙、不気味であるからといって、カルトとはいわないというのは、頭ではわかっていても、感覚的にはなかなか受け入れにくいところはある。

 
頭でも、心でも、この、カルトに都合の良い基準を是としてはいけません。カルト宣伝者である楽山の、言い逃れです。既に、ボンヤリ言語全開です。なんとなく、言えてるような・・という印象を与えようとしているのです。このような手法をとるのは、相当に凶悪な精神です。
 

いくら人権侵害も違法行為もないといっても、新興宗教によくある奇妙、不気味、それから悪趣味さを目の当りにしたら、どうしたって「こりゃ、カルトじゃん」という感想を抱かないではいられない。
でも信者本人からしたら真面目に信じているのだろうし、それを即、カルト呼ばわりするというのは、ちと不人情ではあるかもしれない。だいち自分の視点から相手の信仰が奇妙、不気味、悪趣味に見えたなら、相手からもこちらの信仰は奇妙、不気味、悪趣味に見えているのだろうし、それならお互い様ではある。

 
どう見ても、自己中心に、または、自己の属する集団中心に固まって、排他的となる恐れがあるときは、そのように指摘することが、第一歩です。
 
それはリブログにあるように、また、他の機会にも、指摘してきたのです。しかし、その結果は、この通り、何の反省も、修正もなく、人の言うことを受け取ってさえいないので、また、記事を載せてくるわけですから、もはや、説得は無意味です。この人、楽山を、カルト宣伝者として、情報を敷衍(ふえん)するしかないのです。
 

とすれば、やはりカルトか否かの判断は、個人的な宗教観ではなくて、人権や法律を規準とするのが公平ではあるだろう。自分はどうも個人的な宗教観で、カルトかどうかを決めてしまうところがあるので、ここは注意することにしよう。

 
法律と言えば、一見、正論に聞こえますが、逮捕できるかどうかという基準に過ぎません。
 
前にも書いたことですが、カルトが違法行為に及ぶ前日は、カルトではないでしょうか、否です。
 
楽山は、実に、もっともらしい詭弁を弄して、刷り込もうとしているのです。
 
カルトが邪悪であるのは、法律違反を犯す前に、既に、その教えが、異常であり、社会悪に通じるものだからです。そこで、批判を始めることが必要です。
 
楽山は、こともあろうに、法律を盾として、真実を曲げようとしています。正義とか真実など、楽山にとっては、どうでもいいのでしょう。前にも、同じように批判したのですが、また、批判を返せないのに、同じことを言っていることから明らかなのは、執拗に、積極的に、カルトを、犯罪行為に及ぶまで、放置しろと言っている、ということです。
 
つまり、楽山は、自らがカルトの味方であることを、執拗に積極的に自白しているのです。
 
真実を求める目から見た正邪は、人間の法律以前に、かなり良心によって判断し得るし、さらに、むしろ、カルトについて、法律以前に、邪悪だと判断しないから、犯罪を生むことになるのです。
 
法律以前には、逮捕は出来ないから、批判を早期に始めるべきなのです。カルト思想が、どういう結果を招くかを推測し伝えることで、警鐘を鳴らすべきであります。
 
人それぞれの個人的な宗教観ではなく、社会悪に通じる自己中心であり、さらに、訂正不能であることも、今回までに、既に明らかになっていることから、一定の判断として、無反省と自己中心が蔓延することになってはいけないという理由で、この楽山が関わったカルトが、HSであろうと、アドラー心理学であろうと、この人が語れば、自己中心にしかならないという判断をしています。
 
したがって、個別には、楽山の発言と思想に、誰も、真に受けたり、頷いたりしてはいけません。楽山とシャロームの存在を周知とすることと、その狡猾な主張を、言論において、全否定し続けることが必要です。
 
楽山、シャローム、易坊は、仲間です。一緒になって、批判者である私を、おとしめてきました。楽山は約一年、シャロームは約9年、易坊はシャロームとともに数年、そういうことをしてきて、今もしているのです。この三人を、私は、楽山やシャロームなどの易坊類、と呼んでいます。成りすましの疑いもあります。
 
他にも怪しいHNはありますが、表に出ているところから、批判し、否定してゆかねばなりません。もう一度も言いますが、説得は、無意味です。また、楽山やシャロームなどの易坊類が、改めますと言っても、それを、真に受けてはいけません。彼らは異常者だと思います。訂正不能に、それが表れています。彼らが危険だという情報を、できる限り、敷衍(ふえん)するしかありません。
 
 
(2019年12月20日)
 
 
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