無駄なあがき(2)
 
   私の記事「長い引用で欺く」コメント欄
   http://st5402jp.livedoor.blog/archives/5057433.html#comments
   シャローム( shalom、シャロム、あなた、彼)
 
 
荒らし、荒らし、中身のない、荒らし、荒らしの、楽山やシャロームなどの易坊類。
 
荒らしの特徴は、罵詈雑言の有無で判断するのではなく、理路と根拠の有無によって判断されます。反キリストが、言い訳のために、こんなに知ってるぞ、という自己顕示欲と自慢の決めつけの醜い意地が滲み出ているシャロームによる、何の役にも立たない繰り言です。
 

17. st5402さん こんにちは  shalomですよ。
 2019年12月24日 12:34
>>8
「あなたは、聖書と、神と、キリストと、信仰総てを「罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい」と言って裏切ってきただけではないですか。」
これはあなたの妄想による決めつけ的外れ批判ですよ。
あしからず!

 
てれっと無根拠に「あなたの妄想による決めつけ的外れ批判ですよ」と書いただけのシャローム、あしからず!とも・・あなたの決めつけは、もう、何の影響も与えることは出来ません。だんだん、哀れなヒト型動物になってゆくこと、あなたシャロームだけは、気づかないのですね。
 

悔い改めは生ける神の愛と憐みをイエスさまの十字架の死とよみがえられたイエス様との出会いによって体験した時、与えられる神の賜物プレゼントなのです。そこから悔い改めという主の道を導かれる信仰の歩みが始まるのです。

 
約8年で、あなたシャロームが、一歩も歩んでいないことが、反証です。あなたは、悔い改めを否定し、その後、詭弁でごまかし、今、また、与えられると言い張っています。悔い改めは、人がすることです。
 

ここに書かれたなが~いコメントは聖書に記されている弟子たちに起こった出来事を書いているのです。
弟子たちが体験したことを今も御言葉と聖霊の導き、助けにより今も体験できるのです。
聖書を読んでいるのであればすぐにわかることですよ。
shalom!

 
聖書を読み違えて、というより、聖書から何も受け取っていないから、聖書を読んでいるのであればすぐにわかると嘘を吐きながら、「罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい」などと平気で言えるわけです。
 
長い話は、シャロームの引用で、シャロームの前歴を考えると、引用することが既に大嘘に過ぎないのです。むしろ、平気で引用することに、あなたシャロームの凶悪が滲み出ています。
 
また、あなたシャロームは、何も体験していません。聖霊体験も嘘、キリスト者も嘘、元牧師も嘘、総て、嘘によって騙して、今まで暮らしてきたのです。その根拠は、私の記事の8~9年の積み重ねに表れています。
 
全部、あなたが、都合よく忘れている私の批判の根拠ですが、うまくいってるつもりでも、人の言うことを忘れて、自己正当化をするという、自分に絶対を当てはめることの報いなのです。
 

18. st5402さん こんにちは  shalomですよ。
 2019年12月24日 12:58
>>9

「肉体の蘇りに執拗にこだわった信仰?が、人間にもたらしたのは、言葉の飾りに過ぎない丁寧語と世辞と聖書語の乱発、それによる言葉の破壊、嘘吐き、偽善、詐欺行為、妄想信条、共感の欠如、魔術的超常奇跡にこだわり良心を捨てること、すなわち、真実を捨てることだと、あなたシャロームを見ていると、実に、よく分かります。

「 肉体の蘇りだけを信じて、曽於に固執する分、キリストと人々との心の交流を無視して、結果、大切な心を捨ててしまったシャロームは、信仰の恵みを受け取る器を捨ててしまったのです。」
 」
使徒パウロによって書かれたローマ1章1~4節
 「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、目されて使徒となったパウロからーーーーこの福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちのイエス・キリストである。」使徒パウロによって書き記されています。
パウロは生前のイエスさまに一度もあったことがないばかりか、イエスさまを信じる人々である教会の迫害者だったのです。迫害者であったパウロはよみがえられたイエスさまと出会い、打倒され、使徒と変えられたのです。
使徒行伝にパウロのその個人的体験が記されています。
聖書を読んでいないあなたには受け入れられないことでしょうが、あなたの妄想的思考とパウロの体験に基づく証言、どちらが信じられるか明らかですね。

 
妄想と言われたものだから妄想と言い返すことしか出来ないシャロームです。根拠はいつも皆無。
 
聖書を解釈して伝えることのできない者の特徴として、都合の良い聖句を当ててくるというのがあります。困ると、いつも、聖句を並べ、聖書語をだらだら書きまくるシャロームの常套手段です。
 
パウロの体験は、パリサイ人サウロから、使徒パウロに生まれ変わる体験です。
 
シャロームの体験は、嘘吐きシャロームから、笑い続けて大嘘を吐き続ける醜い愚か者で反キリストのシャロームに増悪する体験です。あるいは、荒らしの易坊か。
 

グダグダ妄言をしていないで、もっと聖書を読みなさい。
そうすれば傷つき、乗っ取られたあなた心にもいのちの息吹きが吹き込まれ、生きたものと変えられるでしょう。
パウロのように!
すばらしい!
ハレルヤ!
shalom!

 
シャローム、または、易坊、罵詈雑言と讃美言葉が混ざり合っていますよ。これが、あなたシャローム、または、易坊の、独特の悪魔性の筆致、どちらかを隠していることが多いが、今、表れている、・・隠れているもので明らかにならないものはない・・という聖句の成就でしょう。大仰さが、臭い、臭い。
 
 

19. st5402さん こんにちは  shalomですよ。
 2019年12月24日 13:13
>>12
「キリストが、赦したのは、ペテロは泣いて悔いたのであり、トマスは疑ったことを訂正し、悔い改めたからです。」
あなたの読書障害は単に文字を読むことができないというのではなく、その内容を理解し、とらえることのできない霊的障害です。聖霊の助け導きに盲目ということです。
トマスは正直に自分の目で見て、自分の手でよみがえられたイエスさまにふれることができなければ、イエスさまがよみがえられたなんて信じられないと言ったのです。
するとその後、トマスにイエスさまはよみがえられたご自分をトマスに表してくださったのです。どこに先にトマスが悔い改めた、と書かれていますか?ペテロも同じです。
それはわたしも、あなたにも同じなのです。
あなたには別であればそれは反キリストの霊による異なる福音、異端です。
 聖書に書かれていることです。
shalom!
shalom!

 
トマスは使徒です。触れなければ信じないとトマスは言いました。
 
 (ヨハネによる福音書、口語訳)
20:24
十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。
20:25
ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。
 (ヨハネ書20:24-25、新約聖書)
 
信じない罪は、信じると言う信仰告白によって赦されます。それが悔い改めです。
 
 (ヨハネによる福音書、口語訳)
20:27
それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。
20:28
トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。
20:29
イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。
 (ヨハネ書20:27-29、新約聖書)
 
トマスは、主よ、と言って、神のほうを向いた、すなわち、悔い改めたのです。
 
しかし、見ないで信ずることが幸いと主は言っておられます。赦されるかどうかは、肉体によるのではなく、悔い改めと信仰告白によるのです。主よ、と言っても、嘘吐きは赦されず、救われません。あなたシャロームは、嘘ばかりついてきました。赦されないことが、報いとなることを、シャローム自身が招いたのです。
 
信仰がないというのは、未知ということですから、将来、悔い改めと信仰告白によって赦される希望があります。信仰告白は、罪を認めることであり、世俗から、神のほうへと、向きを正す、という悔い改めです。
 
信ずるという信仰は、キリストの心を受け取って、嘘の祈りをしないことです。
 
シャロームのように、キリストの心を、受け取る敬虔もなく、受け取る経験もしていないのに、やたら、讃美しまくるのは、偽善であり、嘘であり、神の前に冒涜であり、背教であり、自己顕示欲の産物であり、すべて、神によって、見抜かれており、そのままでは、おしまい、なのです。
 
そして、見ないで信じることは、キリスト以後の、キリスト者の悔い改めです。私もそうです。
 
しかし、シャロームは、肉体に固執して、見たのと同じことを主張して信仰者に要求しているのだから、そこに、本当の信仰はないのです。心が無いからです。残念なことですが、他者にはどうしようもない。悔い改めの信仰告白は、自分でする以外、方法はないのですから。
 
シャロームは悔い改めの主語が滅茶苦茶ですね。神と人は双方向ですから、悔い改めるのは、人が主語、そして、赦すのは、神が主語です。当たり前のことですが、分からない人がいて、以前から、詭弁ばかり弄しているようです。
 
聖書に書かれていることですが、シャロームは、うわべの薄っぺらな言葉だけで満悦して、心を受け取っていないのです。だから、見えない真実の御方を信じることができずに、信仰?に見せかけるために、うわべだけ見えるつもりの肉体の復活を、大仰に唱えているのです。
 
 
(2019年12月27日)
 
 
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