罪人であること
 
 
信仰によって、悪人が善人になる、ということは、少しはあるかもしれない。しかし、それは、あくまで、信仰の結果であり、現象に過ぎません。信仰の条件ではありません。
 
教えを守るということも、同様であり、結果に過ぎず、信仰の条件ではありません。何より、キリストの教えを守ること、できはしないのです。それを承知の上で、罪を犯さず正しい者になろうとする人々に、守れない教えをあえて言って、戒めているところがあると思います。情欲の聖句、敵を愛せよという聖句など。罪なき者は一人もいないのです。
 
十字架上の犯罪人は、キリストのため、神のために、何をしたでしょう。ただ正直に、罪を認め、赦しと救いを乞うただけです。
 
 (ルカによる福音書、口語訳)
23:39
十字架にかけられた犯罪人のひとりが、「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」と、イエスに悪口を言いつづけた。
23:40-41
もうひとりは、それをたしなめて言った、「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」。
23:42
そして言った、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」。
23:43
イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。
 (ルカ23:42-43、新約聖書)
 
キリストは、その犯罪人に対して「一緒に」という最大級の賛辞とともに、天国を約束しています。言ってみれば、犯罪人は99%罪に塗れてきたのでしょう。しかし、1%の正直によって救われているのです。
 
キリストのため神のために何かをしたから天国に行けるのではないということです。
 
前にも書いたことですが、私たちは不完全です。だからといって、私たちは、決して、信仰によって完全になるわけではありません。私たちの信仰さえも不完全です。
 
おごる者たちだけが、信仰者気取りで、完全になった気分で、神によって総てが益になっているという聖句を自己中心の口実として、偉さ比べをしたり、相手の落ち度を見つけようとして、自分の落ち度に全然気づかなくなっているのです。
 
ゆえに、信仰は成長するための道であり、不変の境地ではないと申し上げました。
 
不変の平安の境地による訂正不能は、悪魔性への誘惑です。
 
私たちが不完全であり、信仰者であっても、罪を犯したり、犯さざるを得なくなることは、遠藤周作が「沈黙」という小説によって証明しています。
 
宣教師が転ばなければ農民が毎日一人ずつ殺されるという状況で、もし宣教師が転ばないで信仰を守ったつもりになるなら、その宣教師は、化け物であり、人間でさえなくなります。
 
こういう思考は、人間ならば・・と考えることで、人間の心によって信仰を考えることができる人には、既に自明なのであります。
 
化け物になりたがっている、いや、むしろ、既に化け物になっているカルトも現にいます。言うことが、言うたびに、偽善であり、さらなる悪意によって凶暴になり、人間離れしてゆきます。
 
神の前における精いっぱいの正直、それのみが救いの条件だと思います。
 
何故なら、いかなる善行も、神に比べれば、取るに足らず、人間が、神のために、人間の意志で、できることと言ったら、それだけだからです。
 
善人になることも、罪を避けるようになることも、人に対して正直になるように努めることも、総て、真実の信仰の結果であって、条件ではありません。そうでなくても救われることを、上の聖句は伝えています。
 
信仰が行為に影響するのは、真っ向から神に逆らうような故意の虚言や悪や偽善については、してはいけないという戒律ではなく、神の前に正直に告白する者ならば出来なくなるだろう、というのが、信仰の結果であり結実だということです。
 
 
他者についてカルトかどうかを見るときに、その信仰告白の祈りと、その言動の、不一致や矛盾がないかどうかを見るべきであります。言葉面だけで、鵜呑みにして、信仰を認めてはいけません。カルトは、受けのいい言葉を用意しているのです。
 
最悪の偽善者そして反キリストは、丁寧語で話しながら、言葉で讃美して、罪と偽善を隠蔽します。そうすることで、熱心な信仰ですね、と言われて、満悦する者たちです。世辞を言い、讃美言葉を並べながら、逆らう者に対して、平気で嘘を吐き、侮り、欠点をあげつらって、おとしめてきます。
 
偽善者ではないかと疑いを感じる対象者がいて、いい気になって教えを垂れてきたら、その者自身の罪の自覚と悔い改めが表れているか問うて、経過を見ることが大切ですし、そのように言っておく必要もあるでしょう。
 
偽善者を受け容れてはいけません。また、説得しようと真っ向からコメントの遣り取り~議論~説得することは非常に危険だと思います。
 
 
(2019年01月11日、同日一部修正)
 
 
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