繰り返す厚顔無恥(2)
 
  「Rose Garden」コメのトラン。続き。
  http://st5402jp.livedoor.blog/archives/5266733.html?1579698555#comment-12
  批判対象:シャローム( shalom、シャロム、あなた、彼)
 
 
卑怯な詭弁家シャロームは、性懲りもなく、また、手段を選ばず、私が音楽と英語のことを書いたら、それを、けなして、信仰も同じと言って、思い込み信仰のレッテルを、逆に、こちらに貼りつけてきました。
 

11. st5402さん こんにちは 名無しの猫かぶりです
 2020年01月22日 18:47

「歌は切っ掛けに過ぎなかったことになり、
とまどいながらですが、キリスト信仰の話をします。」
とのことですが、
 」
stさんの聖書理解は英詩の翻訳のように自分の思い込みによる読み込み理解のようですね。自分の目や心にかけているフィルターの色によって見るものすべてが色づいて見えるのと同じように、st5402さんのキリスト信仰の話も同じようですね。
 名無しの猫かぶり

 
(私のコメント)
12. st5402jp
 2020年01月22日 22:09
妄想解釈しか持たないあなたシャロームは、何を言っても嘘ということです。既にバレているのです。だから、こちらに向けてくるのです。どんどん、嫌がらせが、幼稚になってくるようです。
(私のコメント)
恐らく、シャロームは、普通の感性がなくて、歌を味わうことも出来ないのでしょう。彼が、普通の理路がなくて、聖書を読めないのと同じだと思います。
邪悪なフィルターを、逆に、自慢することになってしまうシャロームの醜態です。すっかり壊れています。
名前を書け。卑怯者の名無し。
 
 
私が英語の歌を題材にして記事を書けば、それを、シャロームは、思い込み、フィルター、と決めつけて、信仰の話も同じだと短絡しています。幼稚すぎて何の説得力もないのに、言い得たつもりになるのでしょう。全く根拠になっていないことを書いてくるのは、今に始まったことではありませんが、ひどい有り様です。
 
私は、確かに、音痴で調子っぱずれなので、歌は下手くそで、好きな歌は、いっぱいありますが、才能は無くて、無知だから、好みというフィルターもあるでしょう。しかし、そのことを、シャロームに言われる筋合いはないし、ましてや、信仰とリンクさせて、おとしめられる謂れは、何もないのです。
 
私は、このように、強がらず、音痴も、読書苦手~障害も、信仰者としても、弱みや欠点は、認めています。
 
シャロームは、いつも、見えている、分かっている、知っている、ちゃんとしている、という立場から、見下ろして、ふざけた書き方で侮辱してきます。神の目で見ないといけないみたいなことを書いたこともあります。こういうことが、逆に、シャロームの信仰が、真っ赤な偽ものであることの証拠となってきたことを、シャロームは、恐らく体質的に、自覚できないのです。
 
シャロームは、本音の敵意と侮辱の感情を秘めても、随所に、漏らしながら、世辞や丁寧語で書いてきます。それが、どんなに成り立たなくても、シャロームは、言い得たと満悦するような体質を持ってしまっているようです。
 
シャロームの思い込みは、フィルターどころではなく、人間離れと神がかり、という誇大的で、滅裂で、理路が発散してゆくような単方向しか持っていないシャロームのためだけの信条によるものです。
 
その根拠は、神の啓示と聖霊の導きを強調していましたが、それは、シャロームが、預言者かキリストか神またはその代行者という傲慢な自意識を持っていることに等しいわけで、妄想か大嘘以外の何ものでもありません。
 
 
前に書いた《シャロームの背教》を再度載せておきます。
記事「背教の繰り言」
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12550447739.html
 

 《シャロームの背教》
 
これからも、しばしば載せることになるでしょう。
 
シャロームは、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、と言って、訂正していない。
悔い改めは必要かと問われて、悔い改めは必要だが、それは、神が与えると言って、その後も、二度三度と同じことを言って、訂正していない。
 
悔い改めというのは、やり取りできるようなものでしょうか、否であります。悔い改めは、主語となる本人以外にはできない、というより、本人以外はしないことなのです。与えたりもらったりできるものではありません。シャロームは、それさえ理解せずに、神が与える、神が与える、と言い続けています。
  
さらに、シャロームの言には自己矛盾があります。悔い改めていないということは、神は悔い改めを与えていないことになり、キリスト者になっていないということになります。
  
悔い改めは、自発的でなければ意味がありません。
悔い改めは、神のほうを向いて、正直に罪を告白し祈ることです。
  
つまり、ここにおいて、シャロームの信仰が偽物であることは既に証明されています。
  
 (ローマ人への手紙、口語訳)2:4
それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。
  (ローマ2:4、新約聖書)
  
聖句の、神が悔い改めに導く、とは、ゆえに、悔い改めよ、ということです。そうしないことは、神の慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじることだ、と言っています。
 
まさに、シャロームは、神を軽んじ、それだけでなく、真逆の信条と詭弁を豪語して、はばからなかったし、そのことを訂正してもいないのです。
 
以上は、理路が明白であり、共感も直観的に可能なのに、シャロームは、無視して、とぼけていますから、これから、シャロームの発言を"エヘヘ言語"と呼ぶことにします。
 
決して、シャロームを、キリスト者(クリスチャン)だなどと思わないでください。
シャロームは、キリスト教とキリスト信仰をネタにした詐欺師です。
 」
 
シャロームは、これだけ明らかになっても、まだ、自尊の意地だけで、弁明と反論の代わりに、嫌がらせだけを書いてくるのです。
 
シャロームの信仰?について考えるときには、キリスト教の教理に合っているかどうかよりも、彼の信条を多くの人が信じたなら、どういうことになるか、ということを考えています。
 
シャロームは、訂正不能の信条として、罪を認めず、悔い改めず、神に正直に告白することをしないのだから、それは、身勝手な自分信仰となり、彼は、偽っても悔いることなく、自分の妄想を、神の啓示と受け取っていることになります。
 
実際、シャロームは、平気で嘘を吐きますし、悪意の嫌がらせを向けますし、さらには、妄想に詭弁を付け加えて、自己正当化を言い張っているのです。
 
彼が、彼の言うところのキリスト者?そして元牧師?として受け容れられたら、良心とは正反対の社会悪が広まることは必須であります。そういうことにだけはならないように、批判を貼りつけてゆく必要があるのです。
 
批判しても、ネットでは、実名が不明で、さらに、HN変えれば、批判対象が誰か分からない、という欠点があります。まさに、シャロームは、そうやって逃げられるから、平気で書いてくるのでしょう。しかし、務めとして、私は、今できることをする、という思いで書いています。
 
 
(2020年01月24日)
 
 
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