信仰はおとぎ話?
 
 
キリスト教というと、一般には、まだ、キリストを信じて天国に行く宗教と思っている人が多いような気がします。その場合、天国は、天にある幸せの国、というイメージでしょうか。天使もいるし・・とかの。
 
そう聞かれたら、知らない、そんなこと考えたこともない、と答えるでしょうか。私は、少しは、そういう、おとぎ話のようなこと、想像~空想したことはあります。
 
空想で、現実から離れている間、現実はそのままで、人生における、人間関係、正義、真実など、現実の問題は、何も解決しないわけです。
 
その逃避が、宗教と信仰だと思っている人もいるようです。だから、そういう人は宗教について、扱いが、すごく軽い・・。暇があったら、考える、という程度になるでしょう。
 
実際には、キリストは命を捧げたわけですし、殉教者もいるわけですから、その結果を見ても、おとぎ話で済ませられることではないと分かるのです。お伽噺は、誰も死にませんし、話の上で死んでも現実では死にませんし・・。
 
命を懸けた人がいる、というところから、考える必要があります。なぜ、大事な命をかけるのでしょう。
 
命を懸ける価値があるところに、人生を預けたいと思う人によって、命を懸けるということが起こってきます。そこは、多く、別の人々の命がかかっている場合があります。
 
作り話も、寓話として、現実に何らかの大事なメッセージを残すことがあります。聖書の中に書かれている奇跡や神話的な部分などは、そういうことなのかもしれません。
 
それを、全部、聖書の言葉をそのまま信じるんだとばかり、事実・史実として、受け取る解釈があります。それは、そのまま受け取るのではなく、書かれた文言のままが実際に起こったという一つの解釈に過ぎません。
 
私は、これまで、物や肉体の奇跡については、事実だとも、寓話だとも、確定していませんし、強いて言うなら、分からないと言ってきました。
 
ずっと前は、どちらかに決めないといけないと思っていました。決めつけて完全に信じ込むのが信仰だと思っていたこともあります。しかし、そこには、大きな疑問があります。
 
そう信じて、どんないいことがあるの?、どんな正しさにたどり着くの?、という疑問です。超常現象を決めつけるところには、現実に置いて学ぶことが、何もないのです。それは、神のなさることであって、人には手に負えず、ゆえに、信じても、自分は、変わりようがなく、どこも、良くなりようがなく、信じても、結果が見えないことです。
 
それでも信じる人たちは、信じないと救われず、今に、ひどい目に遭うというのでしょうか。
 
私の信じる神は、人に必要なことは、分からせてくださる神であります。何故なら、聖書を通じて教えられることは、人間として、いちばん大事なことだからです。
 
信じたら天国、信じなければ地獄、というだけの話を、神が自分に与えた恵みとして、信じようがあるでしょうか。
 
何から何まで、不思議ばかりで、何の納得のいく説明もなく、何より、どこにも筋道のない信じ方で、はい、あなたは救われました、と言われても、私には救われた感が、まるでないのです。
 
これは、人生の中で、奇跡的なことが起こった、という話とは全然別のことです。そういう奇跡を受け取った人は、神を恐れ、神に感謝すると同時に、誰にでも起こると思い上がる得意からの宣伝の口を自ら慎むでしょう。
 
理由もなく突然起こる奇跡の話は、人を救いに導くでしょうか、人を何か成長させるでしょうか、そして、それは信仰でしょうか。どこを指して信じ仰げばよいのでしょう。いつどこで起こるかの目処(めど)の立たない話に。
 
物や肉体の奇跡を吹聴して、死体が蘇ったという話を聞くと盛んに宣伝していたカルトは、実に、平気で嘘を吐き、聖書の文脈を追えず、妄想と豪語で糊塗して、いつも、他者を、低い者と見なして上から物を言う、こうはなりたくないという人でした。
 
超常奇跡を信じる人は、いつも、神が奇跡を起こして、それが神からだと分かるように、神が見えているのでしょうか。・・それは、ないと思います。
 
神は、人に、不完全でも、自由意志と、知性と感性と良心を与えたことを忘れてはいけません。私たちが、考え、納得して、行動するためなのです。
 
それらを、邪悪なものだから捨てよ、というのは、カルトの常套手段です。そしてカルトは、知と情と意の隙間に、それこそ邪悪な怠慢のカルト崇拝の短絡した信条を刷り込んでゆくのです。
 
そのような神の信じ方は存在しません。神は、人を造ったのだから、人を、他の人の恣意に導くような御方ではないからです。
 
人は、何か良いものに満たされたなら、それに、また満たされたい、人生を預けたい、救われたいと思うようになるのです。
 
私の場合、受け取った最大の良いものは、絶対孤独からの解放でした。
 
心が無く、心に受ける器のない者、あるいは、あるのに気づかない人は、話を超常の方向に向けがちです。特に、心の器を、つまり受ける姿勢を持たない体質の者は、執拗に、霊とか奇跡とかにこだわって、宗教の話となると、いつもそういう話に持ってゆくのです。
 
霊とか奇跡の話ばかりする人には、十分注意してください。
 
残念ながら、この世には、出会ったら、逃げるしかない者たちがいます。罪悪感がなく、羞恥心もなく、節操も思慮もなく、悲しみ悔いる心が無い者たちです。人格が破壊されているか成り立っていない未熟さのために、一切の説得が無意味な相手です。
 
にもかかわらず、言うだけは執拗に言い張ってくる特徴があります。訂正不能の思い込みがあります。この点で発達障害とは区別されます。
 
弱さ、低さ、小ささ、不完全、罪、という、今まで私が言ってきたような性質を、いつまでも、自覚することのできない者たちです。気に入らないことは、無視するか、罵詈雑言を返すことしか出来ないので、説明はほとんど聞く耳がなく、説得は無意味です。
 
だから、話は、努力しなくて備わっている特別な自分に執着し、誇大的で、超常や霊感のほうに興味をいだき、そういう話の辻褄しか考えることができません。反省は言葉だけです。反省していないことは、書くものが変わらない、同じことを繰り返す、などの言論の特徴に表れてきます。
 
信仰を、超常のおとぎ話のように、心のこもっていない辻褄で追うことしか出来ず、自分だけ特別という自覚でしか語れない特徴があります。
 
荒っぽい喋り方ではなく、ちょいと妄想に走る癖でもなく、傲慢な人格ですが、社会適応的な、うわべの丁寧語や世辞を使ってきます。そういう言い方には年月をかけていることが多いので、見分けがつきにくいこともあります。
 
はっきり言って、自分は偉い、自分は中立、自分は柔和、という自覚で物を言うか、そういう芝居をしてきます。
 
言ってる内容にも不条理や非合理がありますが、それは、宗教一般に言葉としてあることですから、それを指摘しても、神や霊を盾にしてくるだけで、あまり効果的ではなく、反社会につながるような内容の訂正不能な完全の自覚が無反省にずっと続いているかどうかを見ることが大切でしょう。
 
そういう自覚は、精神的および物質的他害に結び付く可能性が高いことをもって、犯罪にならなくても、批判する理由にはなるでしょう。
 
ナルシシズム、自己愛性人格障害、というのがあります。また、サイコパス、反社会性人格障害、というのもあります。
 
(ネット検索)
ナルシシズム:
語源はギリシャ神話に登場する美少年ナルキッソスが水面に映る自らの姿に恋をしたというエピソードに由来している。ナルシシズムを呈する人をナルシシスト(英: narcissist)と言うが、日本においてはナルシスト(蘭: narcist)という言葉で浸透している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0
 
よく使われる、ナルシスト、という、シが1つの言い方も間違いではないようです。シは2つが正しいと思っていました。失礼。
話は変わりますが、私は、どうしよもなく、弱さや罪深さの自覚を持ってしまう性格です。
 
ということで、私は、自分では、修正可能で、罪の自覚があると思っています、というようなことを書くと、カルトは、「どうしようも」ないですね、とか、自覚があると言えば済むと思ってますね、などと書いてきます。彼らが、言われそうなことを言ってくるのです。
 
やはり、ここでも、カルトは自分を圏外に置いているのが分かります。このように、言われそうなことを逆に言ってくる、という、返しは、カルトが、よく使ってくるので注意が必要です。
 
オウム返しの当てつけが成り立たないことを書く必要があります。
 
また、私が言っている信仰のあり方、カルトに成り立ったことは、一度もないのです。
 
いちいち弁明するよりも、受け取らないで書いてくるカルトに惑わされないことが大事です。だいたい、カルトは、宣伝はしても、理路を整えて、説明することは出来ないし、まずもって、こちらの信仰のあり方の話、読んで受け取ってなどいないですから。
 
ネットでは、言うのも自由ですし、無視して読まないのも自由です。誰なのか分かりません。その匿名性と自由度の大きさに、自分勝手なカルトは、ネットを見ただけでも、支持者も含めて、現世不満足の吹き溜まりのように、いっぱい巣食っているようです。
 
 
(2020年01月29日、同日恥部終生)
 
 
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