輪廻にすがる芝居
 
 読書と輪廻 2020年05月14日
 http://mn266z.blog.jp/archives/24778863.html
 楽山日記(LD)
 
 
楽山は、今回、まるで少年のような、読書と思想に憧れる純真な心で記事を書いている、のではなく、そのような純真に見せかける芝居をしていると思います。
 
初めて楽山日記を見る人は、ちょっと読むと、書いているのは少年だろうか、と思ってしまう、ということを狙っているのでしょうか。しかし、「残された時間を意識しはじめる年齢」、と書いていますから、今も、子供じみたことしか書けないくせに、無反省で学習しないままの未熟な中高年ということになります。
 
もし、純真な人であるならば、批判されていることに、平気ではいられないはずです。何か反応し、書くのをやめるか、なぜ批判されるのか、について問うてくるはずです。
 
実際には、楽山は、どれだけ批判をされても平気で無視して、同じことを、幼稚だろうが、無礼だろうが、妄想だろうが、平気で書いてくる人だ、という恥を知らない実績が、既に、私のブログに資料として残っている段階です。
 
そのことを知っておれば、純真どころか、それこそカルト妄想家そして策略家の成人、あるいは、狡さと頑固さだけを身につけた老人、あるいは、幼稚なことしか言えないのに一人前の振りをする見栄っ張りの頑固な夢想家としか思えないわけです。
 
しばらく前に、『岩波文庫解説総目録1927‐1996』を古書店で見つけて購入して以来、ずっと積読状態だったのだが、先夜から寝る前にあちこちつまみ読みしている。
ビジネス書100冊とか、名著100冊とか、古典の要約をまとめたものとか、その類の本はそんなに読みたいとは思わないのだが、どういうわけか目録を眺めるのは昔から好きではある。
でも、はたと気が付いたけど、若い頃は目録を見るたびに「これ読もう」「これも読もう」とわくわくしたものだったけれども、今は「これ読めない」「これも読めない」と若干しょんぼりした気持ちになってる(笑)。自分に残された時間を意識しはじめる年齢なので、ついついそうなってしまうのだ。
 
問題は、ここからです。楽山は、しょんぼりするような人ではありません。むしろ、しょんぼり、とか、シュンとなる、という、しんみりした悲しみや落胆を感じることのできない人だと思います。
 
だから、しょんぼりという悲しみの情感を書いたのに、気安く「(笑)」を入れてきます。文脈にも年齢にも合わない書き方になるのは、自他未分化のまま生きてきたことの表れなのかもしれません。
 
こんなときは、つくづく、生まれ変わりを信じることができれば便利なんだよなあと思う。それを信じていれば、こんな風に考えることができるだろうから…。
 
ここの、生まれ変わりを信じることができれば、と言いながら、"便利"?という言葉でつないでいるのは、ここも独特の気色の悪い「(笑)」が付きそうなことを書いている、むしろ、バカにしているのではないかとさえ感じます。
 
つまり、宗教について、実感もないし真剣に考えることもない人の筆致です。
 
「人生に無意味なことは一つもない。努力が無駄になることはない。仮に今生では報われなくても、来世で報われる。今生での学びは魂の奥底に蓄積され、来世できっと役に立つ。 現代の日本では、古今東西の古典名著が翻訳出版されており、安価で購入できる。図書館を利用するなら無料で読める。人類史上、これほど恵まれた時代はなかった。この時代に生まれ合わせておきながら、それらの本を読まないではもったいない」
 
ここでは、それこそ、輪廻バンザイとでも言うようなことを引用しています。「無駄になることはない」「来世で報われる」「来世できっと役に立つ」と持ち上げるのは、煽動家の筆致です。
 
そして、「読まないではもったいない」という引用で、輪廻への興味を煽り、実際は、それこそ、楽山にとって輪廻がネタになることを自認しアピールしたいようです。
 
輪廻思想は差別を生みやすいという欠点もあるが、来世への希望によって努力を促すというよい面がなくもない。生まれ変わりを信じる人々がいつの時代にも存在するというのは、こういう風に何らかの利点があるからなのだろうな。
 
輪廻しましたという証拠も、輪廻するという根拠もないのですから、輪廻は、想像上の仮説であり、宗教的な思いです。この世で、つらいときに思い描いて、慰めにする人もいるでしょうし、個人の思いにとどまっておれば個人の信仰の自由、という部類の話です。
 
しかし、楽山の筆致は、煽りの後、輪廻思想という思想が既に正しいと認められているかのような批評の書き方になっています。差別をが生みやすい、というのは、どういうことが、説明していません。ということは、これから、いつものように、ねちねちと書いてくるのかもしれません。
 
ならば、楽山が、これから、ボンヤリ言語で書いてくるかもしれない輪廻の話については、楽山と同じ軽さで、悲しみさえも「(笑)」って語るであろう楽山の言には、読者のほうが「(笑)」をつけて、読者を笑ってバカにしている姿勢を、丁寧語とボンヤリ言語でごまかしてくる楽山を、冷静に見てゆく、という態度が必要になります。
 
しかし、楽山の書くことなど、読まないのが安全策です。楽山には、今まで、約2年、いつの日も、命という重要なテーマについて、宗教や思想について、真剣味を装うことはあっても、真剣に考えて書いた内実は一度もなかったのです。
 
今までの私のブログという資料からは、楽山は、真剣味のない、心霊家気取り、批評家気取り、インテリ気取りで、しかも、嘘吐きで、不屈の、訂正不能の、意地っ張り、厚顔無恥、見栄っ張りです。ぬるぬるした油膜のような、手ごたえのない文章を書いてくるでしょう。
 
 
(2020年05月16日)
 
輪廻(りんね)
煽る(あおる)
 
 
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