サディスト
    楽山日記(LD)
 
 『ヨブ記講演』内村鑑三著
 2020年05月17日
 http://mn266z.blog.jp/archives/24815757.html
 
 
全く反省というものが出来ず、悲しむという感情を持たず、弁明や反論の代わりに、相手を煩わせるだけの目的で、何かをしてくる、この場合、何かを書いてくる者がいます。それをサディストと呼びます。あざ笑うように良心を疲労させることだけを目的とする悪意の体質であります。
 
相変わらず、批判に対して何も反応しない楽山は、キリスト教関連らしい記事を2つ書いてきました。意味のある中身は殆どありません。
 
笑って楽しむのがよい、というようなことを前に言っていたオチャラケの楽山が、また、真顔の批評家気取りで、本を読んで、何かを書いたとしても、もはや、その目的は、嫌がらせと見栄以外にないのです。
 
こういうサディストの心性は、一般に、人を、だまし、傷つけて、うまくいったと思うと、自分が上だと妄想で確認して、それを悦びとしています。高ずれば、殺人的にもなり得る性質です。
 
自己愛と自己中心のために、自分で自分の人格を破壊しているので、視野も思考も概念把握も、猫の額になって、しかも、そこで、確信し、慢心し、固定しているのです。成長に必要な不全感や罪悪感、反省力と学習意欲を、慢心によって、さらに、酔って、気づかないまま潰してきたのでしょう。
 
内村鑑三の『ヨブ記講演』はいつか読もうと思いつつ積読状態が続いていたのだが、今日はようやく開いてみることができた。内村鑑三の文章は難しいイメージがあったのだが、本書は講演録であるためか思っていたよりずっと読みやすくてうれしい。適度に段落分けしてあるのもありがたい。
 
聖書を理解していない反キリスト楽山が、内村鑑三を読むことに、何か意味があるのでしょうか。また、愚にもつかぬ嫌がらせの悪口か、でなければ、舌打ちにしか値しない駄文になるだけでしょう。
 
ヨブ記は、聖書の中でも、解釈が難しく、それこそ、反キリストのネタとして垂涎の的となりやすい聖書の記事ですから、本をダシに使っても、楽山のような、怠慢で、意地だけが強いサディストが正常に正当に読み解くことは不可能だと思います。
 
まずは「第一講 ヨブ記はいかなる書であるか」を読み終わったが、このまま読みっぱなしにするとすぐに忘れてしまうので、ここに内容をメモしておく。
・ヨブ記…発端1、2章、絶頂19章、終尾42章。
・旧約…はじめ17書(歴史)、おわり17書(預言)、中間5書 ヨブ記、詩篇、箴言、伝道の書、雅歌(心霊的教訓)。
・新約…はじめより使徒行伝まで(歴史)、おわりの黙示録(預言)、中間の書翰(霊的実験の提唱、教理の解明、教訓)。
・ヨブは異邦人…聖書はイスラエルの人々に限らず、普遍的人類的経典であることの証。ヨブは、ウズの地(異邦の地)に住む。
・ヨブ記は文学書としても思想書としても読むことは可能だが、信仰によってこそ了解できる。
・ヨブは神より解答を与えられていないが、それで満足、歓喜している。神との出会いがありさえすれば、明確な解答がなくともそうなる。
 
楽山が、ケチをつける順序のように書いています。一人の成りすましが疑われているところの、楽山やシャロームなどの易坊類として、忘れてしまいそうなら、メモなどせず、しかも、そのメモを、わざとらしく記事に書いたりせず、忘れて、何も書かないことです。
 
趣味で、宗教と宗教人をけがし、何も残らない廃墟の人格で書かれる記事は、存在するだけ、迷惑というものです。しかし、サディストは、それが、生き甲斐なのでしょう。
 
以前、ヨブ記を通読したときは、最後に明確なこたえがなくて肩透かしを食った気分になったのを覚えているが、内村鑑三の言葉を読んで、こたえがないことにいくらか合点が行った。その存在を感じさえすれば、何の言葉がなくとも、癒され感涙にむせび幸福感に包み込まれるという感覚は分からなくもないので…。
 
ヨブ記を読んで、肩透かしを食らった、と言っています。何も読んでいないのと同じです。悲しみの情がない人が読むと、そういう感想になるのか、と思うだけです。
 
ヨブ記は、ある意味、悲劇であり、疑いに結び付く場合もあり、深く信仰について、神について、考えさせられるところなのですが、楽山は、大仰な「癒され感涙にむせび幸福感に包み込まれるという感覚」と強い感情の言葉を書きながら、それは「分からなくもないので…」と曖昧に書くのは、情緒的表現として矛盾しています。
 
こういうところに、既に、情緒面での楽山の欠陥が表れているのです。また、楽山は、白々しい嘘を吐いています。
 
 
 人の運命は決まっている?(詩篇138 [139])
 2020年05月17日
 http://mn266z.blog.jp/archives/24815564.html
 
詩篇を読んでいたら、運命論と読める箇所があった。
あなたのみ眼はわが生涯を見渡され
それらはみなあなたの書に記され、
わが日々はわたしが見る前に形造られた。
(『旧約聖書 詩篇』関根正雄訳、岩波書店〈岩波文庫〉、2016年、p.339)
 
詩篇の箇所を書いていません。ますます、意地が悪くなっています。ここから、また、楽山の邪推で出来ているような文章が続いています。
 
 (詩篇、口語訳)139:16
あなたの目は、
まだできあがらないわたしのからだを見られた。
わたしのためにつくられたわがよわいの日の
まだ一日もなかったとき、
その日はことごとくあなたの書にしるされた。
 (詩篇139:16、旧約聖書)
 
神の全能を讃える詩のようですが、楽山は、この個所を全く受け取っているとは思えない記事を続けています。思考障害でしょうか、症状でしょうか、嫌がらせでしょうか。
 
139章には次のようなことも書いてあります。「あなた」は神のことだと思います。
 
 (詩篇、口語訳)
139:20
彼らは敵意をもってあなたをあなどり、
あなたに逆らって高ぶり、悪を行う人々です。
139:21
主よ、わたしはあなたを憎む者を憎み、
あなたに逆らって起り立つ者を
いとうではありませんか。
139:22
わたしは全く彼らを憎み、
彼らをわたしの敵と思います。
 (詩篇139:20-22、旧約聖書)
 
以前、聖書入門というような本で、聖書はさまざまな文書を集めたものなので、そこからはどのような思想でも導き出すことが可能だという文章を読んだことがある。これが正しい見解だとすれば、聖書の中に運命論と解釈できる箇所があったとしても驚くべきことではないし、それをもってこれこそが聖書の基本的な立場だと結論づけることはできないことになるだろう。
 
信仰は運命論ではありません。生きた人間と生ける神との関係です。このように、謙虚さの欠片もなく、気安く、結論してしまうのが、楽山の悪意に満ちた短絡思路なのです。
 
ひとつひとつの言葉さえ、いつも安易に間違った方向へ意味付けして固定してしまって、何も分かってなどいないのですが、反省と学習の意欲も能力もないために、分かっていない自分に気づかなくなっています。
 
「どのような思想でも導きだすことが可能」というのは、かなり大袈裟で、楽山は、恐らく、大袈裟なまま受け取っているのでしょう。以前からですが、字面通りというか、字面だけしか受け取れない楽山の情けない立場ですから、聖書を語ることなど出来ません。
 
でももし神は全知全能であるとするならば、神は将来何がどうなるかはすでに知っているのだろうし、何を起こして何を起こさないかということをあらかじめ予定していたとしても不思議はないと思える。とすると運命論、決定論、予定説などの細かい定義は一旦脇に置いておくとして、聖書は大雑把にいえば運命論的な立場にあるとしてもそれほど見当違いではないだろうし、その解釈に理があると仮定すればこの後に残る問題は、各人がこれを受け入れるか受け入れないかということだけになる。
 
将来何がどうなるかは知っている、ということが、楽山に分かるとは思えません。全能ということを、恐れをもって受け取ることが出来ない楽山は、極めて浅く、安い概念の通路しか持っていないことが、既に、明らかとなっており、そこにおいても、しばしば、とんでもない曲解と詭弁で、いい気になってきたのです。
 
そういう楽山の、恐ろしく気安い言い分として、聖書を"運命論という小箱"に入れてしまう貧困さは、救いようのないものであり、楽山その人のように、その幼稚さで思考が止まることを意味しているだけなのです。
 
そういう思想の立場などないところから、受け入れるかどうかだけ、などと言ってくる楽山の、聖書を楽山の発展性のない小箱のオモチャにしてしまう堕落した言葉に影響されないでください。それこそ、楽山は、大切なものだけは著しく的を外して、何が分からないのか分からなくなっている人です。
 
ちなみに自分はどちらかといえば前者寄りの立場ではある。以前は運命論には抵抗感があって嫌いだったが、近頃はそういったことにはこだわらない、気にしない方向に進みつつある。なぜそうなったかといえば、それにはおよそ二つの理由がある。まず一つは環境と遺伝は、自分が想像していた以上に人間の思考行動に対して影響力があることを知ったことであり、もう一つはヨブ記を読んでから因果応報という考え方と距離ができたためである。
 
「どちらかといえば」などという言い方で信仰を語ることは決してできません。徹底的に理解がないために、いい加減な言い方しか出来なくなっている楽山です。遺伝でしょうか、環境でしょうか、悪意でしょうか、そのうち、身近なことについても、何も気づかなくなるでしょう。
 
環境と遺伝、因果応報、など、重すぎるテーマを、ちょろっと書いて、言い得たつもりになるのも、楽山の筆致なのでしょう。まことに、読むたびに、身の毛の弥立つような、闇と病のワールドです。
 
善行は報われ悪行は裁かれるという期待から離れて、善行は報われなくとも悪行は裁かれなくとも自分の生き方は変わらない、自分は自分の良心に正直でいるように努めよう、それだけで充分だと思い始めたら自然と運命論に対する反発は薄れてきたのである。
 
また、楽山は、白々しい嘘を吐いています。今までのことから、楽山は、良心に正直、ということから最も遠く、むしろ、良心も正直も踏みにじって、嘘偽りで、もてあそんできたのです。
 
自分が運命論を認め難かったのは、因果応報という御利益信仰のためだったのだろう。他の人のことは分からないが、自分の場合は因果応報の世界の外側を知ることで、運命に納得することができるようになってきたといえる。
 
"因果応報の外側を知る"、どうやって知ったつもりになっているのでしょう。怖い発言です。また、"他の人のことは分からない"となどと言って、今までの、自己中、無反省、無恥、を正当化できるものではありません。自己中は、他者を思いやれない分、必ず、他者を傷つけてゆきます。
 
人は関係の中で生きています。原因があれば結果があり、他者は、楽山に、接近、交流、しかし結局、否定という判断をして、楽山の今の関係性が出来ているのです。その現状に至った運命に納得できるなどというのは、病的に異常な楽山の因業からの自画自賛でしかありません。
 
話はガラリと変わるが、上記の「あなたの書」というのは、まるでアーカーシャの記録について言っているようだ。こういう話の元ネタは古典聖典にあるのだろうから、聖書にアーカーシャの記録について書いているらしき箇所があっても不思議はないのではあるが、生まれつき根がトンデモ好きにできている自分は、こういう発見があるとついわくわくしてしまうのだから恥ずかしい限りだ。こういう悪癖はなおしたいのだが、なかなか難しいのだから残念である。とほほ。
 
(ネットより)
アカシックレコード(英: akashic records)は、元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念で[1][2]、アーカーシャあるいはアストラル光[注釈 1]に過去のあらゆる出来事の痕跡が永久に刻まれているという考えに基づいている[6]。宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報がたくわえられているという記録層[7]を意味することが多い。
アカシックレコードが存在する科学的根拠はない[9]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89
 
何ごとも人間の心で受け取ることのできない者が、このような、何でも手っ取り早く分かる話に乗りやすいのは、古今東西、よくあることです。
 
楽山は、飛びついて「わくわくしてしまう」と言っています。「恥ずかしい限り」「悪癖はなおしたいのだが」「とほほ」なら、書かなければよいのです。今日も、楽山の記事は、悪意ある当てつけでオチャラケのようです。
 
楽山は、いつも、努力せずに自慢したいため、こういうところをヌルヌル滑ってゆく、という表れでしょう。そして、自己愛と妄想と曲解で、低劣な戯言を、何を言われても、ねちねち書いてくる根無し草です。
 
1年以上批判されて、何も返せないのに、この軽さが、楽山の人格を特徴づけてきたのです。迷惑だし、求道者にとって有害なだけですから、一日も早く消えてほしいブログだと思っています。
 
しかし、こういう人は、空っぽの自尊から腹を立てて復讐でもするかのように、意地になって、また空っぽの記事を書いて、煩わせ、疲労させてくるのです。
 
言い換えれば、自他の存在を大事にする尊厳としてのプライドなど、全く持っていないのでしょう。だから、いかに人間としての格が落ちても気にせずに、刹那的な感情で、その場しのぎの言葉を吐き出し、それで一人前のつもりで、何事も無かったかのように、平気で、人を大事にしない自尊としての高慢なプライドを持ち続けていられる、などということが出来てしまうのでしょう。
 
これらのことが、楽山やシャロームなどの易坊類を、人間性の欠如した疲労物質と呼び、原始反応と呼んでいる理由であります。
 
 
(2020年05月19日)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
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(古い記事もインポート済み)
 
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