不治の悪意
 
 『まんが 弁護士が教えるウソを見抜く方法』深澤諭史著
 2020年05月20日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/24844902.html
 
 
楽山という嘘吐きは、嘘についての本を悪用して、自己正当化を図ってきます。まるで、自分は批判する側だと言いたげです。知能の殆どを自分を高めるための嘘と詭弁に使ってきたために、正常な冷静な処し方が分からなくなっているようです。
 
それで、どこまでも、策に溺れ、汚い誘導だけの闇の手段ばかりを使い、それこそ、煤(すす)の灰色~黒~真っ黒に向かっています。
 
タイトルから、嘘をつく人の心理を分析してあれこれ理屈を言うのではなく、もっと実際的なことが書いてありそうだったので読んでみた。結果は当たり。はじめは興味があるところだけ読めばいいと思っていたのだが、いつのまにか全体を通読してしまっていた。以下に、記憶にとどめておきたいと思った箇所のメモと感想を書いておきたい。
 
楽山は、嘘吐きなのに、嘘についての記事に感想を書くのだそうです。前提に、今まで文章に表れてきたところの、嫌らしい詭弁、心霊についての妄想、意味の狭小化、そして無反省があることを知っておいてください。こういうことをすれば、さらに根深い虚言になります。
 
・テストで正しい答えを書けなかったとき、それは間違いとは言っても、嘘とは言わない。嘘と間違いはちがう。嘘とは「記憶と違うことを言うこと」である。
(嘘と間違いのちがいについて、テストのたとえ話は分かり易い)
 
教育的な愛情があれば、「それはウソ!」で、いいのです。情感を理解できず、愛情を持っていないから、言葉で決めつけるのが、楽山です。自らの字面だけの理屈の奴隷になっている楽山を見てください。
 
・100パーセントの嘘も、100パーセントの真実もない。
(事実と認識の間には必ずいくらかのズレがあるだろうことを思えば、この言はよく納得できる)
 
だからといって、楽山のボンヤリ言語のように、いい加減でいい、ということにはならないです。さっそく自己正当化を、婉曲的に、刷り込んできます。いつもそうです。人の口を借りて、正当化してきます。
 
人は、正しいと思うから発言します。間違っていたら、あとで反省します。この反省機能が欠落しているのが、楽山です。だから、字面にこだわるのです。
 
このように、楽山が、本を引用して自己正当化をするときには、逆に、楽山の無理解が浮き彫りになってくるのです。どんどん、裸の王様、嘘の読書家、詭弁家、の楽山です。自分に都合の良い本を漁っては、書いてくるのは、今までと同じです。
 
・詐欺は権威づけから始まる。
(マルチ商法では、滅多に会えない偉い人と会えるだの、権威がある人物から評価されているだのいって勧誘するらしいが、これはカルト宗教も同じだ。教祖は仏陀の生まれ変わりで、今しか会えない等はよく使われる話だ)
 
楽山は、本によって、他者の口を利用して、権威づけをしてきます。こういう人が言うのだもの、有名人だもの、と言って刷り込み、楽山の、気に入らないことを無視する、という、カルト相当の自己中に誘導するのでしょう。
 
自分発信だと、何が言いたいのか滅裂なので、人の言葉+自身の滅裂=ボンヤリ言語、として書いてきます。書かない選択がないのは、癒えることのない自己愛性によるからです。
 
・嘘つきは質問と答えが一致しない。
(これもカルト宗教ではよくある。疑問点について質問しても、質問ははぐらかされ、その答えはもらえないというのはよくあるパターンだ)
 
楽山は、クリスチャン芝居を書いてきたり、反キリストの記事を書いたり、しかも、何の反省も訂正もなくやってくるので、議論や言論におけるその時点での暫定的な答えさえ生まれません。どうか、楽山には、近づかないでください。恐ろしく疲労を与えるだけの男です。
 
・証拠に欠ければ裁判では負ける。裁判は「真実を見つけるための場所」ではなく、「判決を出すことで紛争に決着をつけるための場所」である。
(判決で事実とみなしたことと、本当の事実とは必ずしも一致しないらしい。「100パーセントの嘘も、100パーセントの真実もない」は、裁判所にもあてはまる)
 
とうとう、裁判所まで持ち出してきます。裁判所だからといって完全無謬ではない、ということを、だから楽山も間違っていいんだ、いい加減でいいんだ、嘘吐いてもいいんだ、という方向へ誘導する刷り込みです。
 
こういう楽山のような人には、実際、私は、全否定100%、信頼度0%、と思っていますし書いてきました。そういうレッドカードを付けておきたい楽山です。
 
・相手に喋らせることで嘘を明らかにする。
(語るに落ちるというやつか…)
 
自分の言われそうなことを、自分から言って、自分をそこから除外する印象を与える詭弁です。つまり、楽山の、記事という口から、嘘と詭弁が明らかになってきました。
 
・相手を追い詰めてはいけない。
(これは相手を余計に頑なにしてしまうことになりがちだし、窮鼠猫を噛むということもありえる。恨まれ、後々まで付きまとわれてもおもしろくない。注意が必要)
 
楽山が書くたびに、批判をして、追いつめられるなら、追い詰めなくてはなりません。楽山は、シャロームと同様の、不感不応の無視の権化だから、つまり、非人間だから、平気なのです。
 
だから、楽山に対してではなく、一般読者に対して広めるために、楽山の嘘と詭弁と悪意と病理を書いてゆきます。つまり、私は、ここに近づくな、という、警鐘そして警報としての批判記事を書いています。
 
私のブログと、楽山のブログがあるあいだ、リンクとHNは有効でしょう。
 
楽山が追いつめない人なら、当然、反省を書くはずです。反省を書かず、このようなことを書くのは、いつも、自分が上で、教える立場だというナルシシズムによるからです。
 
自分が何を言っているのか、相手が何を言っているのか、恐らく、何も分かっておらず、何も分かろうともしていないからでしょう。
 
・面白い話には嘘がある。
(フェイクニュースはスピリチュアル系に多い。前世、生まれ変わり、ソウルメイト、縁生の弟子、心霊体験、宇宙人、霊言、チャネリング、幽体離脱など、この手の話は眉に唾つけて聞いた方がよさそうだ)
この他にもメモしておきたい論点はあるのだが、とりあえず今回はここまで。
 
スピリチュアル系など、眉唾だと書いていますが、"心霊が分かるっぽい"自覚で、発達心理学を心霊の話にすり替え、循環論法の矛盾で奇跡を語ってきたのは、楽山です。よくこんなことが言えると思います。
それぞれに対する私の批判記事は次の通り。
「心の理論」:幼稚な勘違い
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12450774365.html
「奇跡について?」:詭弁の嫌らしい詭弁
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12562025912.html
これらは、楽山の理路の拙劣さと詭弁が明らかなので、リンクしておきます。
 
既に、ペテンだとバレているのです。それでも、書いてくるのは、楽山の根っからの悪意か、楽山が異常人格か、ということしか考えられません。
毎回、おかしなことばかり、詭弁ばかり、書いてくる、良心のない楽山の記事ですから、私の批判が、どんどん、シンプルになってきました。
 
最近の楽山の記事を見ていると、わざわざ楽山に当てはまりそうなことを書いています。その楽山の意図というより企みは、これらのことをする他者がいます、自分は客観的に見ているほうです、という印象を吹き込みたいのでしょう。これは印象操作による刷り込みです。
 
つまり、知恵というものを、真実追求には使えず、どこまでも、騙す方向に使うほどに、病根の深さが表れているのです。最大級の軽蔑とともに、全否定を当てるべき、楽山に対して、警報は、鳴り止みません。
 
 
(2020年05月21日、同日一部修正)
 
窮鼠(きゅうそ)
眉唾(まゆつば)
騙す(だます)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
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(古い記事もインポート済み)
 
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(ここは、たまにブログ記事をリンクする程度)
 
 
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