油膜の視線
 
 「第三講 ヨブの哀哭」(『ヨブ記講演』内村鑑三)
 http://mn266z.blog.jp/archives/24969648.html
 2020年05月30日
 
 
楽山は、信仰という重要なテーマについて、要点をメモしておくと言っているようですが、楽山の言う要点とは何なのでしょう。メモとは何なのでしょう。
 
個人的なメモならば楽山のノートにでも書いて自分だけ読めばよいのに、メモと言いながら、公開して人に見せようとする自己顕示欲と、さらに、メモと言いながら、易々と"タブー"に触れてしまうところに、今までの例のごとく、楽山の厚かましさが表れているのです。
 
内村鑑三の『ヨブ記講演』の第三講を読んだので、例のごとく、その要点をメモしておきたい。
・ヨブ記第三章の研究。
・七は完全を意味する。七つ目の艱難で、艱難はその極に達する。
・友の見舞いを受けて以後、七日七夜、言葉を発せず。
・ヨブは艱難にあっても、神も社会も他者も呪わず、「その生まれし日を詛った」。
・ヨブは死を思うも、自殺は考えなかった。
・聖書にある自殺の場面は四ヵ所。イスカリオテのユダ、サウル(サムエル前31)、アヒトベル(サムエル後17)、ジムリ(列王記略上16-18)。
・「人の苦痛は人の慰謝を以て慰めることは出来ない。ただ主キリストを知りてすべての苦難に耐え得るのである」。
・パウロはキリストを知っており、ヨブは知らなかった(コリント後4-8以降、ヨブ42)。
 
パウロは、新約聖書の人です。ヨブは、旧約聖書の登場人物です。ヨブが、イエス・キリストを知るはずはないのですが、ヨブはキリストを知らなかったと、わざわざ書いているのは、どういう意味でしょう。旧約で預言されたメシアを知らなかったという意味で言っているのでしょうか。
 
この、どこにも広がらない紛らわしいメモは、何なのでしょう。ひょっとして、デタラメなのでしょうか。口から出まかせなのでしょうか。要点にも、ヒントにも、序文にも、まるで、なっていません。
 
キリスト教において自殺はタブーになっているという話はよく聞くけれども、キリスト教とホスピスの関係を思うと、自殺はタブーとはいえ、それは何が何でも生きられるだけ生き続けなければならぬというわけではなく、延命を拒否して死を受け入れることは必ずしも否定していないようにも思える。おそらくはこの辺りについては、外部からはうかがい知れない難しい議論はあるのだろうな。
 
楽山の気安さが表れています。「キリスト教において自殺はタブーになっている」ということを平気で言ってますが、実際には、キリスト者も自殺することがあります。そのことを、恐らく、楽山は、キリスト教に従わなかった人という見なしで済ませてしまうのでしょう。
 
タブーは、禁止事項とか禁忌ということですが、自殺というのは禁止されたら、しないものなのか、なぜ、自殺は禁止となっているのか、ということが、ふつうは、考えるべき問題となるのですが、禁止か、禁止でないか、ということしか、楽山は考えることが出来ないようです。
 
自殺してしまうと、この世からは手の伸ばしようがない、ゆえに、自殺だけはしてくれるな、という切実な思いが表れていることなども、楽山は気づかないのでしょう。
 
そして、楽山は、代わりに、ホスピスの話をしています。ホスピスの「病からの死を受け入れること」と、自らを殺すという自殺の問題は、決して、同じ問題として考えることは出来ないはずですが、楽山は、"死を受け容れる"という字面だけで、同列に考えてしまうのでしょう。
 
このように、問題意識がズレてゆくのが、楽山の、学習と成長のない、字面の連想だけの思考の特徴であります。そうして「うかがい知れない難しい議論はある」などと、実にお気楽に人任せにしてゆくのです。書く必要など、見せる必要など、どこにもないのが、楽山の文章です。
 
こうして、読む側にとってはメモにも要点にもならない文章を、書いて見せてくるのが、楽山の自己顕示欲の特徴です。
 
こういう楽山の主張を、何気なく読んで、何となく頷いてしまうと、受け取った側の思考も影響を受けてルーズになってゆくのです。かといって、反発すると、今度は、楽山の執拗さに疲労させられてしまうのです。
 
こういう意味で、楽山の文章は、キリスト教とキリスト信仰について、さらに宗教一般について、無意味で無益なだけでなく、有害だと判断しています。
 
ちなみに仏典では、悟りを開いた僧が自死する場面が描かれていたりするが、釈迦はこれについてはキリスト教一般とは異なる見解を語っている。当然のことながら、一つの事柄についての判断は、宗教によって異なるということなのだろう。
 
そして、これまた、釈迦の見解がキリスト教とが異なる、そして、一つの事柄についての判断は宗教によって異なる、という、同じようなことを2回言ってるような書き方で、記事を終わるのです。これが、読者にとって、何の要点に、何のメモになるというのでしょう。
 
自らの汚水の中を見ないで、浅い油膜の表面だけを眺めているような楽山の、雑で迷惑な思考・思想・宗教観に、決して、近づかないでください。
 
 
(2020年05月31日)
 
 
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