議論不可の者たち
 
 
シャロームと楽山、という、一人の成りすましも疑っている二人に、特徴的に見られることを、書いておきます。まとめになっていないかもしれませんが、私自身の記憶の維持と整理のためということもあるので、時々書いてゆくことになるでしょう。
 
シャロームは、一時、名無しと名乗って、別サイトのブログを荒らしてきましたが、現在、所在不明です。楽山は、書き続けています。
 
その他、実際に見たカルトについての考察もまざっています。また、キリスト教内部にも、似たような人はいるので、そのことも含めて書いています。キリスト教の、聖句の誤解と勘違いからの批判禁忌のために、キリスト教内外で、腐った宗教として、カルトや、カルト的な偽キリスト信仰も生まれているのだろうと思っています。
 
 
サイコパス、病的ナルシスト、自己中、などと言った人格障害と、聖書の偽善者と、カルトには、類似するところがあり、これらの病者は、いたるところに紛れ込んで存在していると思います。議論や話し合いは、疲れるだけであり、全くの無意味であり、不可であります。
 
人格の異常なので、治療法がない。何らかの強制力をもって、条件反射的に、矯正してゆくしかない成り行きなのでしょう。つまり、説得は無意味かつ無効であり、代わりに、人道と法に背けば痛い目に遭う、ということを体に覚えさせることで矯正してゆくしかない者たちであります。
 
しかし、強制措置は、悪用された歴史もあり、現時点では難しいでしょう。
 
やさしい言葉や付き合いは一切無効です。こんこんと言い聞かせても、返事だけよい場合があるが、そもそも、本気というものを持たないので、無駄なのです。訂正不能で、不都合を無視してくるから、それが余裕に見えることで、ここで、だまされて、付き合ってた人もいたようです。
 
聞くしかない状況で、こんこんと言い聞かせられて、黙っていても、頷いても、本心は、自分にとって地獄のような時間が過ぎ去るのを待っているだけでしょう。
 
反論も弁明も出来ないので、屁理屈をでっちあげて、自己正当化をするか、あたかも、議論をしたふうを装う。何の進展も得ることはなく、疲労だけを与えてきます。
 
 
こちらの言うことを、何の根拠もなく、こちらに返してくる。ですね口調がしばしばみられる。
 
罪悪感がない、羞恥心がない、恥ずかしい自分を想定できない。不都合に際しては、不快だけを生じて、反省しない。不都合は、総て、人のせいにする。
 
元々、情緒障害があり、深い共感を持ち得ない。したがって、他者を思いやることが出来ない。つまり、自己中心であり、語る言葉は自慢になり、返す言葉は自己正当化に向かう。
 
罪の意識など微塵も持っていないが、宗教に関心を示すのは、考えなくてもいいような、安易な道を求めるからであり、超常信仰や、霊能者気取りが多い。
 
壊れた人格で、他者の人格を壊してゆく。一定期間以上関わると、同種の性質が、こびりついてきて、不可逆になる場合もあるので、要注意。
 
つまり、偽善は伝染病である。習癖や風習となることもある。
 
丁寧語と曖昧表現を、しばしば使う。柔和に見せかけている。世辞を言うこともある。
 
根底には、他者への軽蔑や憎悪があって、大方、隠しているが、皮肉や当てつけに、表れてくる。
 
カルトに多い。豪語する妄想的な硬派カルトと違って、軟派カルトと呼んでいる。
 
恐らく、脂ぎった皮膚に冷汗を滲ませて、目を見開いて、少し顔を、圧力的に寄せてくるような、念押しの態度が見られることもある。・・神は、いるんですね(!)・・など、文章においても、「ね」付き語尾の多用に注意。
 
自信に満ち溢れて、余裕があるように見えるのは、いつも、分かっているという上の立場から見下ろしているからですが、その根拠は皆無であり、むしろ、ベースは、偽りから始まっている。だから、ベースの上に積み上げるものも、偽りにしかならず、ゆえに、だますことにしかならない。
 
感情としては、快と不快の快楽原則、笑いと怒りしか持っておらず、しんみりした悲しみや悔いの情を持たない。
 
不快に対しては軽蔑と憎悪をいだきながら、相手をおとしめるための、策略や詭弁を用意してくる。誠意は皆無。勝つことと支配することだけを生き甲斐とする。宗教を、神相当になることだと曲解している。
 
知性も感性も、人間としては、欠陥だらけだが、世辞や社交の言葉で、高い地位にいることもあり、ゆえに、極めて有害となりうる。
 
知能が高くても低くても、理解は皮相な字面の概念だけで、共感を伴う深い理解は見られない。理路は、しばしば短絡する。
 
犯罪に及ばない限り法で裁くことは出来ない現状に甘えて、批判を無視してくる。まだ裁かれていないことをもって、自己正当化を図ってくる。違法行為がないからカルトではないという言い分を押してくるが、逮捕できる法制度がないだけである。つまり、犯罪がなくても、犯罪に結びつく不正であると判断した思想の類を批判することは正当である。
 
気取り:宗教指導者、聖職者、学者、批評家・評論家、インテリ、いずれも、気取りだけで、中身がなく、嘘っぱちだが、かなり本気で、指導者・人格者の自意識だけがある。
 
分かってるふうの自慢、審判する立場にいるかのような口調の筆致と自慢、わざとらしい讃美による自慢、著名人の名前を出して同列に見せかける自慢、いずれも、詭弁であり、実(じつ)が表れていないことをもって否定される。
 
 
キリスト信仰は、
人の善行でも正義でもなく、
主イエス・キリストの御名によって祈るときの、
神に対する精いっぱいの正直さのみによって成り立つ信仰です。
 
 
※ ぼやき:
 
私は、今より若き日に、罪を犯し、違法行為にも、否応なしに関わってきた罪の履歴があります。そのことを、暴露されそうになったときに、自ら告白した結果、SNSに多大な迷惑をかけたので、その後、そのことについて、具体的なことは話さないようにしています。
 
私は、もう高齢ですから、元々心身に持病を抱えている上に、視聴覚をはじめ五感も衰え、知性も感性も、大したものを持っていたわけでもないのに、さらに、衰えています。その実感からは、この地上の命を終えるときも、それほど遠くないのではないかと感じています。
 
今まで、書いてきたのは、今に至るまで私の命を支えていただいた、主に対しての、私の信仰観であります。だから、受け取る受け取らないは、個人の自由です。ただ、カルトと、偽善者と、人格異常者の、詭弁の罠にだけは、引っかかってほしくない、という願いを込めて書いてきたということであります。
 
 
 死の蒸気
 
空気・・黄土色の刑罰
海・・平たいところから飛んでくる
地球・・未知の崖
空・・不在の故郷
土・・かつて、いつか、人間
草・・帰ってきた殺陣
道・・吸い込みの架空
温度・・不活を呼ぶ落差
風・・迷惑がっている
声・・引き裂き
笑・・財布の音
訳・・蝶番
易・・失業
希望・・死の蒸気
愛・・言い訳の泉
信仰・・伴って逝く
罰・・黄土色の空気
 
希望を "死の蒸気" と書いたのは、自由連想ではありますが、希望というものが、私にとって、はっきりした形ではないことと、死を思うときに最終的な希望を想わないではおれない気持ちがあるからでしょう。蒸気は、涙なのかもしれません。
 
 
(2020年07月16日、同日一部修正)
 
 
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