楽山の放屁(2)
 
 批判をスルーすることについて【追記あり】
 2020年07月26日 楽山日記(LD)追記の分
 
楽山が、批判されにくいようにでしょうか、さらに、だらだらと、記事に追記してきます。楽山日記の特徴ですが、とても短い記事と、恐ろしく長い記事があります。読む人のことを全く考えていない証拠です。長いからと言っても、中身は殆どありません。間延びして、いたずらに長いだけの記事になっています。
 
批判しにくくなるのではなく、書き方が、標準から外れて、おかしければ、そのことが、標準的な常識から外れている意図を表すわけですから、批判の対象になるということです。
 
だいたい、私は、楽山の語ることには、ほとんど興味はないのです。しかし、行きがかり上、今まで、キリスト教、宗教、信仰について、理解は浅いのに、丁寧語でごまかしながら、実際の内容は乱暴という、偽善的で、高慢なことを、楽山は、実に無遠慮に厚かましく書いてきたから、その病的な無反省ぶりに対して、くじけない批判を当ててゆくしかないということです。
 
◇◆ 追記 2020.7.26 ◆◇
*付け足し
いくつか思いついたことがあるので書き足しておく。
 
思い付きで好きなように、だらだら書き足して、読者の読みやすさなどは、全く、興味もなく、考えない楽山の、自己中心の性格、そして体質です。
 
・感想…自分の書いていることは、基本的には個人的な感想である。「この本を読んで、こんな感想を持ちました」「この考え方には、こんな感想を持ちました」「自分にはこれはしっくりこないけど、こちらの方はしっくり馴染めました」という具合だ。これに対して、「楽山の感想はまちがっている。正しい感想はこのようなものだ。楽山は改心して正しい感想を持つようにせよ」というような批判をされても返答に困る。感想に正しいも、正しくないもないのだから…。
 
悪意による、当てつけ、言いがかり、いちゃもん、など、いっぱい書いてきたのが、楽山です。感想に正しいも正しくないもないのだから、何を書いてもいい、ということはないのです。そんなことも分からないのでしょうか。
 
・懐疑…自分の基本的な立ち位置は、人間の認識には限界があるというものだ。だから自分は自分の判断に疑問を持っている。「神はこういうものだ!」「これが神だ!」ではなく、「自分には神はこのようなものに思われるのだが…」「自分にはこれが神であるように思われるのだが…」という具合になる。これに対して、「楽山は神を疑っている!」と非難されても困る。自分が疑っているのは神というよりは、自分の認識力なのだから…。
 
楽山は、ボンヤリ言語で、分別があるように見せかけ、謙遜をアピールして、自己正当化したいようですが、悪意と作為の企みが深くなっているだけだと思います。
 
神がいればなぜ悪があるのかと、いちゃもんをつけ、宗教はアニメのようなもの、という見なしで、2つを同等に並べた書き方をしてきたのが楽山です。書き方の表面ではなく、心を問題とすれば、この楽山の言い分が、いかに悪意に満ちた軽視と詭弁であるかが分かるでしょう。
 
神を疑うのが悪いのではなく、幼稚で、言い放って終わりという、シャロームと同じスタンスで書いて、あとで、認識には限界がある、などと言っても、おのれの限界を知らないことが既に明らかになっているので、無駄だということです。
 
楽山が神を疑っている?・・とんでもない。楽山は、神を知らないし、その考えるところ、無残なほど浅く、それで、神と宗教をおとしめてきたのだから、楽山は、神と宗教と信仰の敵です。公共において書くのを、すぐにやめて、二度と書かないことだけが求められる人物です。
 
自分の認識力を疑っているのなら、批判に対して、刷り込みの、いちゃもんや悪口を繰り返したり、批判を無視したりはしないはずです。その場その時の思いつきの言い訳、見苦しいだけです。
 
そういう今までの経過がありますから、自身の認識力を疑っているなどと言っても、前から指摘しているところの謙虚を装う悪意の芝居、トホホ言語であり、肯定的になど受け取れるはずもないのであって、無駄だと知るべきです。
 
・傲慢…自分は正しく神を認識し、正しい信仰を持っていると称する信者が、自分には正しく神を認識し、正しい信仰に至る能力はないのじゃないかと疑いつつも、自分なりの努力を続けようとする楽山のことを傲慢であると糾弾するのだからおかしなものだ。これではもういちいち反論する気にもなれない。
 
「正しい信仰に至る能力はないのじゃないかと疑いつつ」・・これは、一度も、楽山の文章に、実質として表れたことはありません。反論も弁明も出来ないまま、無視して言い張ってきたこと自体が、既に、自分絶対に慢心している証拠です。
 
だから、同情をひくための、受け狙いの、謙虚芝居の、これまた、だまし言葉の、トホホ言語が続いています。悪意の嘘と詭弁が、ますます、根深いものになってきたようです。殆ど、易坊ですね。
 
楽山は、このように、たいへん狡猾な人物であり、ゆえに、とうに、発言の信頼度は、ゼロなのです。つまり、公において、話し合ったり、やり取りしたり、読むに値したり、ということからは、根こそぎ否定されるべき詭弁屋という判断です。
 
・説法…大川隆法は、信仰とはこのようなものであり、人はこのように生きるべきだというように説法する。信者はこれをうけて、他人に対して、信仰とはこのようなものであり、人はこのように生きるべきだと主張する。これに対して自分は、「私はこのように感じました」「私はこのように生きたいと思う」という個人的な感慨を述べるのが基本であって、他人に対して、ああしろ、こうしろと指図したいとは思わない。
 
月並みなことだけを返してくる楽山ですが、平気で偽りを語ってきた楽山です。だから、私は、楽山が思っていること、そして、公言したことに対して、それは、とんでもないことだ、間違っている、嘘の宣伝である、悪意だ、詭弁だ、反キリストだ、反宗教だ、反信仰だ、というようなことを、批判として返してきたのです。
 
自分が何を言ってきたか、その重大性と重い罪性と偽善性を、まるで、考えていない楽山です。
 
でもどういうわけか、某氏は、楽山は自分は真理を正しく認識したとしてブログ上で説法していると考えているらしい。自分としては「いいや、自分は何が正しいかを知っているという立場から、真の信仰はこうだとか、正しい神認識はこうだとか説法しているのは、私ではなく、あなた自身でしょう」と言わざるを得ない。
 
真理を正しく認識していると思っているのではなく、楽山が、人間として失格だと思うような嘘をつき、詭弁を弄しておいて、シャロームと同じやり方でもありますが、言われそうなことを、批判者に向けています。どこまでも、きたない、と言わざるを得ない。
 
私は、神を認識しているのではありません。神は、人が認識できるような御方ではありません。楽山が認識というとき、それは、楽山の浅薄な字面の辻褄で言っているので、話になりません。そこまで、明らかになってきたのです。
 
楽山が、認識という言葉を使っても、それは、楽山らしく、とても、いい加減な、そして、だますほうこうへの恣意的な意味づけをしていると思います。認識だろうが、認知だろうが、感知だろうが、霊が分かるっぽいであろうが、楽山の発言の信頼度は、ゼロです。
 
率直にいって、上のような自分の立ち位置は当ブログを見ればすぐに分かることだ。にもかかわらず、ああだこうだ的外れなことを言ってくるのであれば、こちらとしては申し訳ないけれども、まじめに相手をする気にはなれず、スルーすることにならざるを得ない。あしからず。
 
まるで、楽山は、まともなことを書いてきたかのような言い方ですが、そこが、自覚のない自己愛者の、病識のなさからくるところの、訂正不能の思い込みなのです。
 
申し訳ないと言いながら、盛んに、申し訳を並べていますが、楽山の、的外れに留まらず、極めて迷惑な先入観を植え付けようとしてきた悪意は、どうしようもなく、批判対象にしかなりません。
 
果てしなく、私が死ぬまで、楽山批判が積み重ねられることになり、私は、それでいいのです。もはや、人間のことを書いている感じではなく、人間の言葉を下手くそに使う何ものかを相手にしているような気持ちでいるからです。
 
そうなってきたのも、楽山の記事を批判している経過で、さらに、次から次へと、嘘と詭弁と高慢が明らかになってきたからです。
 
それにしても、こんなことを書けば、火に油を注ぐことにしかならず、ますます恨まれ、粘着されることになるのは分かりきったことであるのにそれを決行してしまうとは、自分は底なしのバカだね。とほほ。
 
楽山は、底無しに堕ちてゆく落下を選んでいます。私としては、火に油を注ぐような激しいことではなく、厳しい言葉も、だんだん、以前よりは、ある程度、冷静に、日常作業のように、言葉を思い浮かべて、選んで、書く、ということが出来るようにはなってきました。かなり、楽山の醜い正体がバレてきたからです。
 
楽山が、とほほ、バカだね、と書いてくるのは、必要な心構えをする代わりに、そういうのをトホホ言語だと批判した私に対して、わざとらしく、楽山の意地の悪さを示しているだけです。
 
楽山は、粘着されているのではなく、自我に粘着し、他者に対して粘着性に見下している人格障害です。また、楽山は、バカなのではなく、自己愛からの、他者に対する傲岸不遜なのです。
 
 
  楽山の平気
 
 入会と洗礼(幸福の科学とキリスト教)
 2020年07月27日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/25671306.html
 
 
楽山は、心にも無いことを、平気で言う人です。つまり、体質的な、常習の、嘘吐きです。
 
前記事を書きながら思い出したことがある。
ちょっと恥ずかしいことではあるが、自分が匿名掲示板のキリスト教スレによく書いていたころは、HSを退会し、宗教全体に悪印象を持っていた時期だった。HSは伝道伝道また伝道で、とにかく信者を増やそうとする団体だったので、どこの宗教もそうだと思い込み、それによってキリスト教を批判したのだ。「なんだかんだいっても、結局は、信者を増やしたいってだけでしょ」といった具合である。
 
今も、楽山は、反宗教、反キリストです。でなければ、キリスト教に、いちゃもんをつけることはなかったはずです。楽山は、上のようなことを言って、言葉だけで、今までのことを無かったことにしたいのでしょう。この一年余りの経過が、それを否定しています。平気で、飾り、偽り、嘘を吐く楽山に、どうか、だまされないでください。
 
これに対するキリスト教側の答えは、大体次のような主旨の話だった。洗礼は、半年、一年、一年半など長期にわたって教会に通い、聖書や教義を習い、そのあと決意の固さを確認した上でなされること。洗礼を受けた者が棄教するということは、ある種、神様に対する裏切りでもあり、そういうことになるならはじめから洗礼は受けずにいた方がよいともいえるので、本当に心から望んでいるのでなければ洗礼はすすめないこと等。
 
キリスト教側に、突きつけたのでしょうか、キリスト教側の答えなどと言っています。楽山は、いったい、どういう立場に、お高くとまって、自分が知ってもいない宗教を、平気で貶めるのでしょうか。
 
私は、まだ、ろくなことが言えなかった段階で、洗礼を許可されました。洗礼については、教会や、教団・教派によって、違うと思います。楽山の言うことを、キリスト教側の意見の代表みたいに受け取らないでください。
 
牧師が、厳めしい顔をして、水槽にジャブンと全身を浸ける洗礼もありますし、私の場合は、水滴を頭に、パッパッと落とす滴礼というものでした。
 
楽山の言うことは、一面だけで全体の印象を刷り込もうとする詭弁が含まれています。決して、真に受けないでください。楽山は、平気で、話をまとめて、総てであるかのように、断定してきます。そういう拙劣な理路しか持っていないのです。
 
自分はこの話によって、すべての宗教がHSのように信者を増やすことばかりに熱中しているわけではないと知らされたのだった。HSは相当に特殊であり、そういうHSを基準にして宗教全体を語ってはいけなかったのだ。またHSの初期は、HSの書籍を十冊以上読み、入会願書に入会目的などの作文を書くなどの手続きがあり、これは宗教としては異例なことだと聞かされていたけれども、上の洗礼までの準備と比べればかなり緩い方だったのだ。
 
カルトは、その基となる信条が、偽りから始まっているので、そこから、嘘や詭弁や世辞や豪語によって、だましてゆくしかないのです。
 
カルトの信条と教えを、総ての人が信じたら反社会的にならないかどうかを見極める必要があります。
 
楽山は、分かっている、知っている、という前提で、自分をバランスのとれた中庸な人だという印象を刷り込んで、勧めて、進めてくる自分カルトです。
 
楽山の、気に入らないことは無視する、という信条を真に受けて、皆が、他者を、不都合を、無視するようになったら、これは、反社会以外の何ものでもありません。丁寧で、謙遜芝居をする楽山を、決して、信用しないでください。
 
宏洋氏は、HSのネット入会制度を批判していたけれども、クリスチャンの知人友人は多い人のようであるし、おそらくは上のような話を知っており、宗教に入信することはもっと尊いことであってネットでお気楽にすることではないという感覚を持っているのだろうと思う。どうかHSには入会手続きの簡素化については再考してほしいものである。
 
楽山は、実に、お気楽に、宗教を、特にキリスト教を決めつけて、クリスチャン芝居をしたり、逆に、いちゃもんをつけて否定しようとしたり、また別の記事では、お伽噺と同様に見なしたり扱ったりしてきました。
 
ゆえに、楽山は、「宗教に入信することはもっと尊いことであってネットでお気楽にすることではない」などとは、全然、思っていない人です。今だけ、都合の良い思いつきを書いているだけです。
 
「どうかHSには入会手続きの簡素化については再考してほしいものである」・・楽山が、今も、HSを否定していないことが、この楽山の発言によって、証明されています。
 
楽山のような、平気で嘘をつき、平気で侮辱しながら、平気で世辞を言い、平気で人格者気取りに満悦するような、サイコパス人格に、決して、だまされることのないように、祈っています。拝。
 
 
(2020年07月28日、同日一部修正)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
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(古い記事は載っていません)
 
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(古い記事もインポート済み)
 
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