イデオロギー
 
 
論理は
心の面倒を見ない。
 
イデオロギーは
心の安全を保証しない。
 
だから
右も左もイデオロギーは
悲劇をもたらしてきた。
 
宗教も
思想・論理・イデオロギーと化してしまえば
同様だろう。
 
文字で固定されたものは
ときに
心を変形させる。
 
思想、宗教、政治、総てにおいて。
 
しかし
ときには
言葉によって表されたものが
心を解放することがある。
 
そのとき
心は
様々な表現と
様々な伝え方を生み出すだろう。
 
心が真理になったからではなく
心が目覚めてアクティブになるからだ。
 
心の努力は
惜しむべきではない。
 
 
(ネットより)「
 
イデオロギー(独: Ideologie, 英: ideology)とは、観念の体系である。文脈によりその意味するところは異なり、主に以下のような意味で使用される。観念形態、思想形態とも呼ばれる。
 
通常は、政治や宗教における観念を指しており、政治的意味や宗教的意味が含まれている。
 
世界観のような、物事に対する包括的な観念。
日常生活における、哲学的根拠。ただ日常的な文脈で用いる場合、「イデオロギー的である」という定義はある事柄への認識に対して事実を歪めるような虚偽あるいは欺瞞を含んでいるとほのめかすこともあり、マイナスの評価を含むこともある。
主に社会科学の用法として、社会に支配的な集団によって提示される観念。殊にマルクス主義においては、階級的な立場に基づいた物の見方・考え方。
 
 」引用終わり
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%82%AE%E3%83%BC
 
 
文字で表された言葉は、いつも、決して固定されない本質を暗示している。
 
歌は、悲しいかな、ときに、心を伝え、動かして、流れ、去ってゆく。
 
目を通して見せるものや
耳を通して聴かせるものは
心を動かし
常に記憶されることを希望している。
 
知情意が不可分であるように
思想と記憶は不可分である。
 
 
全知・全能・絶対・完全・永遠・不変、これらは、
神の性質を表しているが、人が神を理解するための言葉ではない。
神に比べれば、はるかに不完全な人間自身を理解するための言葉である。
 
神の全知全能を人が理解することはない。
神の全知全能は人が自らの罪性を理解するために語られる。
 
人間が何を受け取れるかを考えるべきである。
勘違いしてはいけない。
神の全知全能という言葉は
人が全知全能そして神聖を得るためではなく
人が全知全能ではないことを知るために存在する。
 
 
神と人の敵、楽山とシャロームを、十分に警戒して、近づかないようにしてください。
 
 
(2020年08月08日)
 
 
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