楽山はネトウヨ?
 
 『スピリチュアリティの興隆 新霊性文化とその周辺』島薗進著
 2020年08月16日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/25902076.html
 
 
楽山の、異常な精神背景以外、見るべきものはありません。名称ばかり書くのは、中身を理解できないからなのです。楽山は、一度も納得のいく話をしたことがありません。
 
いつも明らかになるのは、大きなテーマや名前を、いっぱい並べて、それだけで、自分を、偉く見せよう、偉く見せよう、という、欲望への執着だけなのです。
 
新しいのは、今回、楽山が、右翼、つまり、ネトウヨだということが、はっきりしてきたことです。
 
タイトルにひかれて本書を読んでみたのだが、読みっぱなしだとすぐ忘れてしまうのでその内容と感想をメモしておきたい。
 
メモならば、整った文章になるまで、人には見せないものです。それを、メモしておきたい、などと言って、出してくるのは、自己顕示欲としか言えないでしょう。傍迷惑です。
 
「スピリチュアリティの興隆 新霊性文化とその周辺」というタイトルに惹かれるのは、霊が分かるっぽい楽山の精神背景を物語っています。自分もスピリチュアルだと言いたいのでしょう。
 
しかしながら、心の理論や、奇跡の話において、何ごとにつけ、楽山の誤読は、妄想的と言えるほどに偏向や恣意的な解釈が著しく、とても、楽山に、霊か何か知らないが、直観力や直感力があるとは思えません。とても幼稚な自己正当化のネタに使っていただけです。
 
「心の理論」
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12450774365.html
何度、これを引用すれば済むのでしょう。
発達心理学を、霊の話にすり替えています。
 
「奇跡について?」
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12562025912.html
ここでは、楽山の理路の混乱が見られます。
 
まず本書の第Ⅰ部では、戦後日本におけるスピリチュアリティ、精神世界、ニューエイジ、緩和医療、ウーマンリブなど「新霊性運動・文化」について概観し、その先駆者として山尾三省、船井幸雄、柏木哲夫、田中三津らの思想、活動を分析している。
 
分析というものをしたことのない楽山です。また、文責というものを考えない楽山です。
 
また新霊性運動・文化と伝統宗教とを比較し、後者は人格を持つ超越者とそれによる救いを信じ、権威主義的傾向が強く、枠組みが明確であるのに比べて、前者は法則や大自然を崇拝し、個人主義傾向が強く、伝統宗教のような大系化もされていないとしている。
 
「としている」としか書けない楽山です。こういうのを、記事に書いて、いったい、何を主張できると言うのでしょう。いったい、この記事の内容は、どこにあるのでしょう。カルトの宣伝ビラよりも、軽薄な、名前だけの行進です。
 
さらにはアメリカなどではキリスト教によるニューエイジ批判はあるが、日本では仏教や神道による新霊性運動・文化批判はほとんど見当たらず、その理由は新霊性運動・文化は自然崇拝、アニミズム的な色彩が強く、日本的な宗教感覚に近く、大きな相違が見当たらないためだろうとしている。
 
楽山は、新しい "霊" のカルトでも、作るつもりなのでしょうか。ボロクソなものになると思います。自分は、ニューだとでも言いたいのでしょうか。だるいだけでした。引用元の字面を拾って、相違が見当たらないと書いているのは、宗教感覚が皆無で、妄想的に勘違いしているだけの楽山です。
 
楽山は、今まで、はっとさせられるような新しい文章など、一度も書いたことがありません。むしろ、だまし目的の、詭弁、嘘、謙虚芝居、霊感妄想のようなことばかりでした。
 
第Ⅱ部では宗教教団に所属しつつも、その枠にとらわれない考えを持ち活動することを欲している聖職者、宗教教団に属していないが何らかの高次の存在を信じ、または求めている人、宗教とも精神世界とも無縁でそれを意識していないが、それでも結果的には新霊性文化と深くかかわった価値観を持って生活している人々のインタビューを分類整理して紹介している。
 
高次の存在と言えば格好がよいということでしょう。「新霊性文化」とは何でしょう。前の記事に書いたところの、霊的××と言えば神妙な気がする類の言葉だと思います。霊的を、霊性に変えて、さらに新を付けています。こう書いた人の、自信~高慢が表れているようです。
 
ここに並べられている言葉は、気取った者たちが書くところの、学術用語で、素人が読めばインテリ風味の言い回しです。常識という根拠が無いことを直観的に書く分野では、こうなりやすいのでしょう。
 
危険な要素として、楽山のような自己顕示の我欲が飛びついてくるということなのです。
 
楽山は、それが大好きで、本を読んだことにして、実際は、自分に都合の良い言葉を漁って拾ってはは、書いてあると書いてきただけで、説得力皆無の世界で、他者が理解できないことに、満悦しているのです。
 
難しい言葉が、字面だけ大好きな楽山です。楽山は、真実を追求するための、理路も、直観も、直感も、理解の一切を持ち得ない人ですが、好事家みたいになって、偉く見せるための手段なのでしょう。もう既に、批判によって証明済みの虚言の材料を、楽山は、今も漁って集めているだけなのです。
 
楽山は、あらゆる実直な人々にとって精神の詐欺師であり、宗教と信仰の敵です。
 
私見ながら、ここで語られていること…不可視で高次な存在を信じつつも宗教とは距離をとっている、死別した近親者と心で語り合っている、「自分を持っている」ことが尊い…などというのは自分の周囲でも、しんみりした会話をする場面では、わりとよく聞く話である。
 
こういうことは、死んだ人の思い出を静かに想いながらの心の話なのですが、これによって、楽山のような霊能者気取りは、ここで、一般感情に訴えて、温もりと潤いを、それらが欠損した超常の自慢話に変換するための材料としてゆくつもりでしょうか。
 
第Ⅲ部ではグノーシズ主義と新霊性文化その他との関連が論じられている。具体的には如来教、桜井亜美の「イノセント ワールド」、庵野秀明の「新世紀エヴァンゲリオン」、コリン・ウィルソン、ヘブンズゲイト、ジェーン・ロバーツとセス本、ニューソート、神智学などを取り上げつつ、グノーシス主義との類似点及び相違点について語っている。この部分を読むとグノーシズ主義の新霊性文化に対する影響力は想像以上に強く大きいことがよく理解できる。
 
「新霊性文化」「影響力は想像以上に強く大きい」しか書けない楽山です。いつも、こうです。まるで、自分を飾るデコレーションであるかのように、楽山は、名称を並べ、中身を書きません。楽山の自慢の蚤の市、本当に蚤(のみ)だらけですから、誰も近づかないようにしてください。
 
 
(ネットより)
 
グノーシス主義(グノーシスしゅぎ、独: Gnostizismus、英: Gnosticism)またはグノーシス(希: Γνῶσις[1])は、1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った宗教・思想である。物質と霊の二元論に特徴がある。英語の発音は「ノーシス」である。普通名詞としてのグノーシスは、古代ギリシア語で「認識・知識」を意味する。グノーシス主義は、自己の本質と真の神についての認識に到達することを求める思想傾向にあたる。
 
一般に「グノーシス」ならびに「グノーシス主義」という言葉は同義語として用いられており[6]、キリスト教「異端思想」としてのグノーシス主義を「キリスト教グノーシス派」と呼ぶことが多い。したがってこの記事では広義の「グノーシス」について、「グノーシス主義」という用語で説明する。
 
物質からなる肉体を悪とする結果、道徳に関して、2つの対極的な立場が現れた。一方では禁欲主義となって顕われ、他方では、放縦となって現れる。前者は、マニ教に見られるように禁欲的な生き方を教える。後者は、霊は肉体とは別存在であるので、肉体において犯した罪悪の影響を受けないという論理の下に、不道徳をほしいままにするタイプである。4世紀の神学者アウグスティヌスがキリストに回心する前に惹かれたのは、前者の禁欲的なタイプであったと言われる。
 
 」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9
 
(ネットより)グノーシス派:
前キリスト教的東方的起源をもつ古典ギリシア後期の宗教運動の一派。グノーシスとはこの場合神の秘儀についての直観的認識 (霊知) であり,これを根本思想としたキリスト教の分派は1世紀に起り2~3世紀に多様な発展をとげたが,正統教会より異端とされた。彼らは宗教的に徹底した霊肉二元論をとり,人間も本来は自己のうちに神の火花を有し,また地上界からの解放の欲求をいだいており,この人間の自我 (精神) に救いとしてのグノーシスをもたらすものが天上界より下ったイエス・キリストで,このグノーシスによって人間は初めて救済されるにいたると説く。
 」
https://kotobank.jp/word/%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9%E6%B4%BE-55788
 
 
霊と肉体、と言っていますが、心と肉体、と言うのと、どう違うのでしょう。学問においても、宗教については、恣意的で、結論だけの文章が、信仰者を惑わしている傾向があると申し上げておきます。
 
"直観的認識(霊知)" だそうです。だから、用語が多くても、根拠を示さない分野です。この辺がベースになって、主義が生まれてくるわけですから、かなり眉唾物と言いたくなります。
 
それで、知ったかぶりになっていまうなら、恐らく、何も知らないでいることより、自負に加えて、自尊や自己主張や自己顕示欲も絡まって、悪質になるでしょう。
 
こういうのが、楽山という反キリストにとっては、垂涎のご馳走となってきたのだと思います。根拠を示せない楽山は、直観の代わりに安い思いつきで、一気に悟ったことにしたいわけでしょう。
 
終章は「社会の個人化と個人の宗教化」という章題の通りの内容となっており、新霊性文化は個人主義の方向に向かい、宗教教団とは距離をおこうとする傾向があるとしている。
 
楽山は、自分勝手、他者を考えない、全く宗教的でない思いこみと信じ込みに、社会を導きたいのでしょうか。日本国民アホ化計画でしょうか。決して関わらないようにしてください。
 
楽山だけでなく、シャロームや、アドラー教(アドラー心理学)などは、気に入らないことは無視するという教え、自分の課題ではないと拒否するという教えを広めたいようです。多くの人が楽山やシャロームのようになったら、この国も、この世界も、世辞以外の話が、まるで通じない者ばかりになるでしょう。
 
新しい歴史教科書をつくる会にも新霊性文化との関わりを見出しているところは面白い。自分探しの過程で、日本および日本人に興味を持ち、その意識を強め、保守の方向に進むということらしい。
 
(ネットより)
既存の歴史教科書(特に中学校社会科の歴史的分野の教科用図書)は、必要以上に日本を貶める自虐史観に毒されていると批判し、それに代わる「“東京裁判史観”や“社会主義幻想史観”を克服するとし、その双方の呪縛から解放されたという自由主義史観に基づく、子供たちが日本人としての自信と責任を持つことのできるような教科書」の作成と普及を目的として結成され運営されている[要出典]。
 」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%8B%E4%BC%9A
 
これで、楽山が、"ネトウヨ" であることが、ほぼ分かってきたと思います。前から、右寄り、保守とかは言っていましたが、宗教とか霊とかに、こじつけて、こういう活動をしているわけです。
 
自由主義史観、というのは、危険です。好きなように歴史を改ざんする恐れがあります。個人主義で、自信と責任を持て、というのも危険です。楽山やシャロームのように、自由勝手に恣意的に書いて、他者を無視することを、正当化しやすいと思います。こういうところで、つながってくるのですね。
 
楽山は、前にA級戦犯を尊敬している記事も書いていました。右翼として、曖昧な霊の問題を通じて、根拠なしに、思いこみの結論を刷り込もうと並べてきた危険な意図の一部が表れています。
 
本書を読んで、フェミニズムやジェンダーフリー方面の思想、活動と新霊性運動、文化との関連を見出していることには意外性を感じたが、保守、右派の思想、活動もそれとは無縁でないという指摘も意外である。でもそう指摘されてみれば確かにそのようだ。どうやら新霊性運動・文化の影響力は、グノーシス主義がそうであるように、自分が考えているよりずっと大きく、広大な範囲に及んでいるらしい。
 
新霊性運動、グノーシス主義が、広大な範囲に及んでいるとだけを、楽山は書いています。婉曲的な賛同なのでしょう。もっと広めたいのでしょう。やはり、だましやすい日本人アホ化計画のようです。
 
相変わらず、救いがたい出来の文章ですが、メモだと言いながら、刷り込んできます。
 
新コロナの、国内外、どこまで広まるのか分からない、という、国難の最中ですが、このように、宗教を悪用して、霊という言葉を悪用して、危険思想を、謙虚芝居の学者気取りの誘導によって広めようとする者がいるということです。
 
そういう者たちは、取るに足らないように見えるからこそ、今の日本が、国民一人一人が、身近で、あるいは、ネットで、警戒するしかない危険分子であり、言論の自由で書きまくっておきながら、言論の責任を負わないというクズであります。決して関わらないようにしてください。
 
シャロームは在日(韓国朝鮮人)だと思う。引用リンクは大方韓国の教会だったし、聞いたとき、日本人ならはっきり否定するところを、しなかったから。
 
楽山も在日なのか。自称ヨシュアもだろうか。いつだったか、ネトウヨは在日なんじゃね、というのがネットに書き込まれていたけど、いったい、どうなっているんだろうね。右翼は嫌韓じゃないのか。・・だから在日が右翼にご機嫌取り?・・考えにくいが。
 
私は嫌韓というわけではないが、楽山を、その言論から、嫌悪している。楽山の志が、グループであるなら、さらに日本人アホ化計画なら、ますます嫌悪することになるだろう。楽山は、既に、シャロームの仲間であり、かばい合っていることは明らか。
 
 
一昔前のことを思い出しました。"神の幕屋" という右翼のキリスト教の教団があるそうで、そこの、ある人は、前は左翼活動家で、うんざりして、その時は、その教団に入っていて、右翼思想を語っていました。極端から極端に走る人だなと思ったことでした。
 
私は、キリスト者が政治活動をするのは構わないと思いますが、キリスト信仰は、右や左の政治思想と合体してはいけないと思っています。信仰は、政治思想には結びつかないからです。
 
信仰が救うのは、魂つまり心であって、政治思想でも政治活動でないのです。しかし、その人は、大和魂を信条に加えるようなことを言っていて、とても違和感を覚えたことがあります。
 
 
何だか、一人のブログの記事では済まないような、とんでもないことになってきた感があります。
 
だいたい、このブログは、ポエム、数学など、そして、ずっと、キリスト信仰のことを中心に書いてきたのですが、シャロームと楽山に出会って、とんでもない偽善者だと分かってからは、批判記事が多くなってきて、とうに終わっていてもいいような私のブログが、今まで続いてきたということになっています。年寄りの退屈しのぎと言うには、重すぎるテーマになってきました。
 
 
私の近況:
 
母は、介護施設から、肺炎で入院して、次は、老健施設に入所しています。ここも、最終的な落ち着き先ではありません。また、いずれ、探さないといけません。今、近くの施設は満杯ということで、一時的に、老健施設に入っている現状です。
 
私は、記憶力が落ちていて、慣れない手続き関係、つまり、保険証、医療費減額認定証、介護保険証、介護限度額認定証といった書類をどこへやったのか分からず、再発行してもらうことで、施設や市役所などに行って、郵送か否か、など、いろいろ考えているうちに、鬱が悪化しています。
 
母は、認知症ですが、新コロナではありません。しかし、安全のため、ずっと面会できず、転院の際に顔を合わせたとき、私の顔を覚えていなかったようなのが、かなりショックでした。
 
加えて猛暑の中で、短い1~2㎞くらいの距離を歩いても、汗だくになるし、元々心臓に持病があって、倦怠感が酷くて、家についたら、しばらくダウンしている始末です。出来ることを、ひとつひとつ、遅れがちですが、こなしてゆくしかありません。
 
 
(2020年08月17日)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
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