楽山の毒満ちる魔性
 
 人のためにできること(シルバー・バーチの霊訓)
 2020年09月01日
 http://mn266z.blog.jp/archives/26099092.html
 
 
楽山は、反省や修正をする代わりに、ボンヤリ言語とトホホ言語の、きれいごとを書いてきました。
 
楽山がしてきたことは、嘘と詭弁で、無責任に、人の時間を奪うことです。楽山は、結局、憎まれること以外の結果を受け取ることはないでしょう。
 
こういう種類の偽善者は、楽山やシャロームなどの易坊類以外には知りませんが、ネットにはそういう悪意によって遊んでいる者も結構いるということでしょう。荒らしと同様だと思います。
 
それを何とも思わずに、やさしさ芝居を演じている自己中の大根役者ですから、何の影響も受けないでください。批判以外の目的で、好意的に関われば、無駄に病的な疲労だけが重なることになります。
 
楽山が、人のために出来ることは、何も書かないこと、何も言わないことです。また、何事もなかったかのように書いて満悦している姿は、人間とは思えません。
 
*人のためにできること
 『シルバー・バーチの霊訓』を読んでいたら、いい言葉があったのでメモ。
地上世界はいま他人のためになる行為なら何でも必要としております。何でもよろしい。自分でこれならできると思われることをやり始めることです。すると道が開け、進むにつれてどんどん広がって行くものです。
(『シルバー・バーチの霊訓(二)』シルビア・バーバネル編、近藤千雄訳、潮文社、昭和60年、p.59)
 」
人のためになることをする。大きなことでなくても、小さなことでいい。自分のできることをする…。
元気旺盛だと、大きなことをしようとしたり、背伸びしたりしがちだけども、まずは、できることからはじめるというのはすごく正論だ。
近頃は、「ささやかだけど、大切なこと」という言葉がすきなせいか、こういう考え方は心にしみる。
 
楽山は、宗教、政治思想、カルト批判など、大きなテーマで、好き勝手に書いてきたくせに、今回は、人のために出来ること、などと、子供だましのような、きれいごとを書いています。
 
それが通ると、それでごまかせると、思っているのでしょうか。いっそう、闇を深くする楽山です。今までのことを何も訂正も反省もせずに、魔性だけが動いているようです。
 
"「ささやかだけど、大切なこと」という言葉がすき"、などと、よく書けるものです。楽山の言は、ますます、催吐剤の作用しか持たないような、白々しい三文芝居となっています。
 
やさしい美辞麗句、きれいごとは、それが、そのまま受け入れられると思っているらしい楽山の、毒満ちる悪魔性だと思います。背筋が寒くなるようなホラーです。
 
言葉と人間について、何も分かっていない者が、なおも、心にもない教訓?を書いています。そこに自己満悦しているのは、破滅的です。
 
*組織にはこだわらない
人のためになることをしようとするとき、特定の組織に属して行う場合もあろうが、このアドヴァイスからすると、そうすることを求められる人もいれば、求められない人もいるようだ。
あなたの場合は特定の組織内での仕事よりは、もっと広い範囲に向けるべきでしょう。
(同上p.64)
 」
「組織の歯車になるな」「人につかず、組織につかず、法につけ」というけれども、人間社会にいるかぎりは、なんらかの組織、集団に属しないというのは難しいものだ。
でも、時にはそこから出る勇気も必要なのだろう。自分もそのような勇気を持ちたいと思う。
 
組織が必要だというようなことを書いて、そのあとに、出る勇気も必要などと、白々しくも二律背反のことを書いて、平気でいるのが、楽山の筆致であり、楽山の言葉の世界です。どこにも、真実がないのです。
 
『シルバー・バーチの霊訓』は、ややこしい形而上学的な議論ばかりでなく、心の教えをやさしく説いているから、それを読んでいるだけでも心が温かくなっていい。
 
子供だましの、小さな親切みたいなことを書いたかと思ったら、今度は、"形而上学" だそうです。哲学用語ですが、楽山は、以前、発達心理学の「心の理論」さえ、誤解~曲解して、心霊の話にして自己満悦していたのです。
 
形而上、即ち、形を持っていない世界を、楽山は、少しも知りえないと思います。楽山の頭脳は、形而下の字面の世界でしかないことが、明らかになってきたからです。どうやら、楽山は、これからも、まだ、精神の詐欺を続けるつもりのようです。
 
(ネットより)
形而上学(けいじじょうがく、希: Μεταφυσική、羅: Metaphysica、英: Metaphysics、仏: métaphysique、独: Metaphysik)は、感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性(延いてはロゴス)的な思惟によって認識しようとする学問ないし哲学の一分野である[1][2][3]。世界の根本的な成り立ちの理由(世界の根因)や、物や人間の存在の理由や意味など、感覚を超絶したものについて考える[4]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E8%80%8C%E4%B8%8A%E5%AD%A6
 
やさしいことから難しい学問まで、自分は分かるんだというアピール、即ち、全能アピールでしょうか。字面だけで、整えようとする悪だくみが、見え見えです。
 
「心が温かくなって」・・この白々しい文言とは裏腹に、温もりと潤いを失った人間像の典型が楽山です。今までと同じように、楽山は、温もり、という字面だけを書いて満悦しています。怖いです。
 
楽山は、本質的に、人間の心を持たない冷血漢です。その分、言葉の表面だけを薄く並べてごまかしてくるので、注意してください。こういうことが、かえって、楽山の情性欠如者としての症状として、これからも表れてくるでしょう。
 
楽山は、人格が発達不全の上に、無反省によって、自分で自分を鈍麻させて破壊してゆく人のモデルであり、さらに、最も重大な問題として、他者の人格を破壊する人のモデルです。楽山が、人のために出来ることは、無責任な意見を言わないことだけです。
 
毒満ちる魔性に、惑わされることのありませぬように。拝。
 
 
90年代に書いた詩のようなもの。
 
  潰瘍
 
手遅れの落花に目盛りを誤り
紙コップにビール注がれ
潰瘍の胃袋炭酸の重みに耐えず
発酵の流れ歯石のうちに語る
葉桜の下疝痛に舞え
充血の嘔吐の結膜
石鹸の剥離を繰り返し
乱脈の破砕の終末
タイル張りの手首を引き
酔い痴れて薄墨の彗星を探し
とても希薄な泡沫に帰すと
 
  毒満ちる眼(まなこ)
 
怨の妙法聖櫃に座す
臨死の刹那四方(よも)を眺む
未開の熱未だ暁光の内に在り
紫衣の薄明に降ること頻りと
煩悩疾駆して頚骨を砕く
飢えよ饐(す)えよ地に果てよ
疼痛過ぎて覚醒に及ばず
頭蓋窩に寄する烈火の華(はな)
唯(ただ)流る水銀の涙
毒満ちる眼の裏
 
 
(2020年09月03日)
 
 
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