楽山の厚顔の極み
 
 幸福の科学と島田裕巳氏
 2020年11月18日 楽山日記(LD)
 一部引用省略。
 
 
楽山は、恥ずかしい男です。しかも、恥知らずです。今も、まともな意見を持っているつもりで、今までのことなど無かったかのように、唾を飛ばして、正義の味方を装います。
 
楽山が、身の程も弁えず、反省もせず、無責任に書いてくるたびに、こちらは、明日の記事のテーマを考える必要がなくなる、という皮肉が成り立っています。
 
(ネットより)
島田 裕巳(しまだ ひろみ、1953年[2](昭和28年)11月8日 - )は、日本の宗教学者、作家、劇作家、東京女子大学非常勤講師、NPO法人葬送の自由をすすめる会会長。放送教育開発センター(現メディア教育開発センター)助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任[3][4]。
島田はオウム真理教(現アレフ)は本物の修行型宗教であると評価し[10]、地下鉄サリン事件発生後も、オウムがサリンプラントの区画を隠蔽するために設置した大仏レリーフを背景に撮った自らの写真を示して、一連のオウム真理教事件へのオウムの関与を否定する発言をマスメディアに発表し、警察の強制捜査を批判するなどして擁護した。しかしこれらの言動により、批判や中傷を受けることとなった。
 
*急接近?
ツイッター上で、島田裕巳氏と幸福の科学が急接近していることが話題になっていた。
あちこち見てまわったところでは、今回の動きの全体像は、この辺りのページが分かりやすくまとまっている。
・やや日刊カルト新聞|島田裕巳氏が幸福の科学HSUで講演、来春の非常勤講師就任に向け交渉中
・Algorab archives|明日なき呉越同舟~島田裕巳と大川隆法
 」
はてさて、両者の関係はどうなっていくことやら…。
 
本気がなく、今までと同じように、傍観者として見物している風情の楽山です。
 
他者の問題について傍観して好きなようにいじりながら、自身の問題については無反省・無責任では、言論は成り立たないのです。
 
大人の年齢になっているのに、責任を負わないでいいと考えていること自体が、既に、成長不全の、幼稚さを表しているのです。
 
*期待
この話題を追っていて思い出したのだが、『平成宗教20年史』において、島田裕巳氏はHSとの関係について次のように書いていたのだった。
DSCN1378島田裕巳『平成宗教20年史』
これについては、ウン十年前にHSを厳しく批判したのは若気の至りであって、今は年を取って角も取れ、まるくなったので、無暗に他者を批判したりはしないというのは自分にも理解できる。
でも、大川隆法のナショナリズムや霊言集は、前よりも、今の方がより酷くなっているわけで、前はこれを問題視して批判したが、今はそれはしないというのでは、どうにも筋が通らないように思える。
 
「どうにも筋が通らない」・・いちばん筋が通らない楽山が言っています。
 
キリスト教を否定しておきながら、クリスチャン芝居をして、つまり、否定の後、肯定したら、これでチャラ、責任問題は発生しないと、というような考え方を書いてきたのは楽山その人であります。
 
否定と肯定が、訂正もなく、同じ人物から発言されて成立することはありません。楽山は、小中学校の数学のように言論を考えているのでしょうか。言論は、訂正しない限り、プラスマイナス=ゼロという相殺はありません。否定と肯定が同じ主体から発言されれば、矛盾にしかなりませんから、その発言者、即ち、楽山は、無責任と言われ続けることになります。
 
氏は、HSとはなあなあでうまくやっていこうとしているのか、それともHSUの中であっても言うべきことは言う、批判すべきことは批判するという姿勢を貫くつもりなのかは分からないが、できれば後者であってほしいものである。
 
楽山は、いかなる方向にも、本気で言うべきことが成り立たないのに、言いたいこと、いじりたいことがあると、自己顕示欲で、好きなように書いて、責任をいっさい負いません。楽山は、誰も、相手にしてはいけない人物です。
 
*許す愛との兼ね合い
上では、島田裕巳氏について書いたので、次はHSについて書いてみたい。
まず以前のHSでは、「許す愛」という教えがあり、これは悪魔を許すことではないと説いていたのだった。許す愛とは、自分の罪を悔い、涙を流して反省している者を許すことであって、自分の罪を反省しない者や確信犯的に悪を為す者…悪魔を許すことではないと。
 
いかなる赦しの対象にもならないほど、「罪を悔い、涙を流して反省」することのない楽山が書いています。よって、楽山については、悪魔を赦さないのと同様に「自分の罪を反省しない者や確信犯的に悪を為す者」が赦されることはないのです。
 
今回もまた、楽山が凄まじい厚顔無恥で書いているのが分かる記事になっています。自分を振り返るということが、全くできない楽山なのです。
 
この教えからすると、HSは、島田裕巳氏がHSを悪く言った過去について反省、謝罪しない限りは、許すことはないということになるし、もし氏に講演依頼をしたり、非常勤講師の就任について交渉したりするとしたら、それは氏が前非を悔い、涙を流して反省、謝罪したからだということになるはずだ。
 
反省を、他者に当てはめても、決して自分に当てはめることのない楽山を、信用してしまうと、錯乱しそうなほどの、精神の疲労がもたらされます。責任を負わない楽山の言を受け取っても、何の意味も実質もありません。
 
喩えるなら、楽山の理路は、痢路とでも言うべきもので、言論ではなく、体質的に止まらない思惑のカタル性下痢による失禁状態であります。糞尿は、清掃するすべがありますが、楽山を、清掃するすべはないのです。楽山には近づかないようにと、伝えてゆくしかありません。
 
でも実際はどうかといえば、島田裕巳氏は次のようなツイートをしている。
2020-11-16 (10)別に和解はしてません
https://twitter.com/hiromishimada/status/1326820805066387456
 」
氏はHSとは和解はしていないそうだし、「巌流島の戦い」というたとえからすると、いまも対立しているということらしい。
とすると、HSは、大川隆法総裁を悪くいったことを反省せず、謝罪もしていない相手に対して、講演依頼をしたり、非常勤講師の就任について打診していることになる。つまり許す愛の教えに背いている。
HSにとっては、島田裕巳氏のしたことは、仏陀誹謗、和合僧破壊などであり、宗教的には最も重い罪であるはずなのに、なんらの反省、謝罪もなしにこれを不問に付して、講演や非常勤講師を頼むというのは、全然、筋が通らないのではあるまいか。
 
楽山は、「基督抹殺論」という本を引用して、キリスト教を否定したのに、責任を負わず、「なんらの反省、謝罪もなし」ということは、筋が通らず、決して認めることは出来ないわけです。
 
"許す愛の教え" など、楽山が根拠として語る資格はありません。恐ろしい男です。
 
*アンチにすがる宗教
さらに、もう一つ。
他人の心は分からないことではあるけれども、おそらくは島田裕巳氏は、大川隆法総裁のことを仏陀だとも、主エル・カンターレとも認めていないだろうし、霊言も信じていないだろう。また今はさほどではないにしても、過去にはHSを執拗に批判していたのだった。いわば、古参アンチの一人である。
ツイッター上では、HSでは人材難に陥っており、アンチの島田裕巳氏に頼らざるを得ないのだろうと噂されているが、もしこれが本当なら、HSは危機的状況を打開するために、アンチに救けをもとめているということになる。これはあまりに情けない。
 
情けない人より、厚顔の自己中である楽山のほうが、数段、怖い人です。いかなる人材も、楽山を受け入れたら、現実の目的も夢も失うでしょう。楽山はHSのアンチではありません。我欲に執着する偽善者です。いつも、人を上から見下ろして、自分を省みないで、評論家気取りの記事を書き、責任だけは一切負わない卑怯者です。厚顔ぶりから、サイコパスの可能性が濃厚です。
 
HSはもし少しでも矜持があるなら、窮迫していようが、していまいが、アンチに討論を申し込むならまだしも、講演や非常勤講師を頼むのは止めた方がいいのではなかろうか。
 

偽牧師のシャロームが、私のライブドアブログにコメントを入れて、楽山に賛同して、こちらに悪態をついています。

 
楽山は、シャロームの、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、という信条に賛成しました。無条件賛同を結ぶのは、カルトなどの結社か、奴隷です。
 
こういうのが、楽山の人間関係ですが、二人とも自己中の怪物なので、人間無関係なのかもしれません。そういう理由から、一人による成りすましも疑っています。
 
*大人の事情
なんだか、言わずもがなのことばかり書いてしまったが、一応、自分ももういい年なので、大人の事情というものを察することはできなくもないし、何事も原則通りには行かないものだということはわかる。
 
楽山は、大人どころか、人間としての成長が見られません。小学校レベルの言い訳、言い逃れ、いちゃもん、悪口、嘘、詭弁の類をもって、近寄る者を欺く生業です。罪悪感が、まるで無いので、このように、性懲りもなく書いてくるのです。インテリ風味の筆致に、どうか騙されないでください。
 
でもそれはそれとして、組織的判断には、多数を納得させることができる大義が必要であることも事実だ。HSは、HSでいうところの仏陀誹謗、和合僧破壊という最も重い罪を犯し、それを反省していないだろう人物に講演や非常勤講師を依頼するのであれば、それにはどのような大義を用意しているのだろうか。ぜひとも聞いてみたいものだ。
 
ふつう、カルト批判に、カルトの基準を用いることだけはしないものですが、HS批判をしているつもりだったはずの楽山が、HSの言う罪を、判断に必要な大義として認めているようです。楽山にとっては、カルトについては、脱会も入会も、宣伝も批判も、無いのかもしれません。偉そうに言って我欲を満たせばいいのでしょう。
 
なお、楽山は、他者の言うことを聞く耳を持っていません。自分の都合の良いように利用することのみを、体質的に、いつも企んでおり、誰のためにもならない自己顕示欲を満たして満悦するような、実に気色の悪い存在です。だから、羞恥心も性懲りもなく書いてくるのでしょう。
 
評論家気取りで書いてくる楽山は、学問的に常識的に辻褄を追っているように見せかけて、一方では、霊が分からないっぽい親族に驚いたと書いて、自身は、霊が分かるっぽいことを自認しています。それゆえに、超常を扱う宗教について物を言いたくてたまらないのでしょう。
 
楽山は、カルト批判などしていません。楽山自身がカルト思想に満たされているからです。分かるんですアピールで、インテリ気取りで、自己顕示したくてたまらないだけの自己中インチキ体質の物好きに過ぎないのです。
 
ちなみに自分は、今回の出来事について説得力ある大儀が提示されない場合は、それ自体が、HSでいうところの仏陀誹謗および和合僧破壊の罪などというものは、宗教的な大罪というようなものではなく、その時々の状況でどうにでもなるし、たかだか二、三十年で忘れられるものにすぎないということを示していると解釈するつもりである。
 
HS批判をしているつもりの楽山に、説得力あるHSの言う罪という大義が存在しているのでしょうか。つまり、楽山にとっては、HS批判も、HSの言う罪も、HSの言う大義も、いっしょ、というより、どうでもよいことで、恐らく、言葉遊びの題材に過ぎないのだろうと思います。
 
それだからHS内では、大川隆法を悪く言った過去がある人物に講演や非常勤講師を依頼することに、さして抵抗もなく、相応の論理を構築する必要性も感じないのだろうと。
こういう解釈が妥当かどうかは、HSが説得力ある大儀を提示できるかどうかによって判断されるわけだが、はたしてHSにそれはできるだろうか。HSが何か言うか、何も言わないか、興味を持って見守りたいと思う。
 
今まで、楽山の興味というのは、責任を負わない遊びに過ぎなかったという経過から、楽山に、解釈が妥当かを判断する思慮も節操も資格もないと思います。つまり、楽山は、重要なテーマについて、本気で、責任を持って発言したことは一度もないのです。
 
だから、いつも、無反省で無責任に言い放って終わり、という、しまりのない放言だけを失禁のように繰り返しているのでしょう。間違っているとばかりは言えない、一理あると言えなくもない、というような政治家の曖昧発言より、さらに悪質な自己中です。
 
三文芝居の大根役者が体質となってしまったような楽山のような人は、喩えるなら、動物園で、檻の中の、逃げる構えをしながら、しつこく吠え続ける、みじめな糞尿まみれの動物を見ている、と思ったほうがよいでしょう。
 
楽山は、数えきれない矛盾と汚点と悪意を、ひた隠しにしながら、謙虚芝居、即ち、曖昧なボンヤリ言語と反省めいたトホホ言語で、まともな字面を装っているだけです。
 
楽山の、無理解と身勝手は、怠慢と体質による人間離れした厚顔から来ているので、恐らく、死ぬまで変わらず、訂正不能だと思います。真実の追求に、無反省と無責任、あってはならないことです。
 
どうか、楽山のような厚顔無恥の人にならないように、どうか、間違っても、楽山を、頼りにして、楽山に、裏切られて、責任逃れを言われて、自分がボロボロにならないように、一刻も早く、楽山からは、離れてください、関わらないでください、近づかないでください。
 
 
厚顔
厚顔の成れの果て
 
 
(2020年11月20日、同日一部修正)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
(ここは、たまにブログ記事をリンク)
 
 
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