カルト発言
 
 加筆して再録
 おもに偽善者シャローム shalom などが言った驚くべき背教コメント。
 
 
● 罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい。
   (絶対自己正当化、シャローム型)
 
● 見かけだけの丁寧語に皮肉や悪意を込める。
   (丁寧は敬虔とは限らない。偽善者の侮りの特徴でもある。)
 
● 完全になれる。
   (神と人の違いの無理解、自称ヨシュア型、パリサイ型)
 
● 何かをすれば救われ、しなければ救われない。
   (行為義認の主張、善行でないと非難、パリサイ型)
 
● 信仰と関係のない個人情報をバラして罵る。
   (信仰以外で批判、罵倒型)
 
● 神の啓示と聖霊の導きなど神聖を根拠とする。
   (全能全知を自分に当てはめる冒涜、神がかり型)
 
● 自己正当化に固執。(同上、正体は自己中)
 
● 他者を無視してよい。
   (思いわずらうほどこだわる必要はないということを曲解)
 
● 神の愛がストーカーのようについてくる。
  (自己愛を信仰に結び付ける、
   キリストを忘れられないことを誇大妄想化、犯罪に喩える?)
 
● 罪に死んだから、罪はない。死んだから、叩いても蹴ってもびくともしない。
   (罪に死ぬ、ということの誤解~曲解、揺るがない信仰の不適切な比喩
    信仰を死体に喩える?)
 
● 命を懸けるようなことを、ことあるごとに言う。
   (信仰者は豪語しません)
 
● 霊の祟り、悪霊憑き、呪いなどを言い、あと何日などと脅す。
  (自称ヨシュア型)
  (嫌な予感や悪い予想を言うことはあるが、根拠を示せなければただの脅し。)
  (キリスト信仰に、戒めはあるが、脅しはない)
  (キリスト信仰に、報いはあるが、呪いはない)
  (キリスト信仰は呪術ではない)
 
 
  《キリスト者も注意するべき発言》
 
神は、いつも守ってくれる。いつも愛してくれる。永遠に変わらない愛。
 
どのように守るのかを、自分の都合ではなく、神に任せるのなら是であります。
戒める神、懲らしめる神、試練を与える神を忘れてはいけません。
神は、地上での死も与える御方であることを忘れないように。
  
信仰が偽物だったり堕落したりすれば、神が愛してくれるは妄想です。
それは、罪の自覚を失って、神の赦しと救いを拒む態度だからです。
 
 
ほめたたえよ、という聖句があることで、讃美しておれば信仰だからと偽善者は盛んに讃美をします。一方で、自分の罪や反省や悔い改めを語ることが全くないのが偽善者の特徴です。
 
神への讃美であるはずが、讃美したから信仰が成ったとばかり納得してしまうのは、心からの讃美ではなく、むしろ、信仰自慢になってしまうことを自覚してほしいです。また、讃美しなければならないという義務を自らに強いるのは強迫症状です。
 
問題となるのは、発言そのものよりも、その心にあります。神の、愛、恵み、賜物、など、めでたいことばかり強調するのは、特に、継続して繰り返される場合は、問題というよりカルト傾向です。そこに信仰の祈りや発言が集中してしまうのは、偽善者の特徴であることを覚えてほしいのです。
 
私たち信仰者が、いつも考えるべきは、不完全であることの罪の自覚であり、それゆえの罪の赦しであり、それゆえの神の愛と寛容であり、それゆえのキリストの共感と愛なのです。
 
不完全で罪深い自分を憐れんで、生きてゆける者として、折々の悔い改めを受け入れてくださる御方への捧げものが、祈りであることを忘れないでください。
 
多くの恵みは、めでたいことばかりではなく、自分が生きるために不可欠の動機~情熱として、与えられているのです。
 
 
なお、いつでも、信仰に、キリストのもとに、神のもとに戻ることは可能です。
それが、神の寛容さであり、永遠に変わることのない愛なのです。
 
その都度、正直に祈ることが悔い改めであります。
 
悔い改めないのは、悔い改めの祈りをしないことであり、神の救いを自ら拒むことです。
 
神の寛容さゆえに、神のほうから救いを拒むことはありません。
それゆえに、キリストの荷は軽く、神の寛容は絶えることがありません。
 
神の永遠不変の愛とは、祈りにおいて、
いつでも、いつうまでも、人には隠しているようなことでも、
正直な告白を聞いてくださる御方がいることです。
 
 
この記事は、必要なら修正加筆しながら、何度も載せていくことになると思います。
 
 
カルト発言

カルト発言
 
 
(2019年12月11日)
(2020年12月27日、加筆して再録)
 
 
※ 楽山批判
 
楽山がツイートしていました。
 
心機一転★こも楽山
3時間
傍から見ての感想だけど、
KENTO氏は継続的にアンチに関連したツイートしてるので、アンチから継続的に反論があるのは当然だし
すぐツイート削除するのでスクショ撮られるのも当然
直接対話を拒否するので、他所でいろいろ言われるのも当然
これはストーキングというより、因果応報だと思います。
 
いつも傍から見ての感想しか書けない楽山です。
楽山は、無反省、無責任に、記事を書いて、そのあとも、責任を負わず、反省も学習もしないのだから、他所でいろいろ言われるのも当然で、批判されるのも、ストーキングというより、因果応報だと思います。
 
 
※ おまけ的に
 
生まれた西暦に、年齢を足すと、2020になる
って話でしたが、ふーん、と思ったけど、
 
生まれた年(西暦)+今年の年齢(今まで生きた年数、満年齢)= 今年(西暦)
 
 これ、当たり前の、恒等式。誰かの何かのジョーク?
 そうか、年末だから、たいていの人は、誕生日過ぎて満年齢になってる。
 つまり、年末ジョークということか。
 
 
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