楽山の無神経
 
 『内村鑑三を語る(内村鑑三選集 別巻)』岩波書店
 2020年12月29日 楽山日記(LD)
 
 
今日の記事の投稿が遅れていたのですが、楽山が、また反キリストの記事を、あざ笑うように書いてきたので、批判のほうを優先させることにしました。
 
反キリストの記事をストレートに書けば、私が批判し、その批判に楽山は応えたことがありません。だから、けなしているのか、褒めているのか、分からない書き方をするのです。
 
エピソードや人となりを書いていますが、内村鑑三の宗教観には、さわれもしない楽山であります。内村鑑三について、何度か書いてきて、いつも焦点を外している楽山です。それでいて、いつも、あまり、よろしくない話に仕立て上げるのです。この性根、最悪の策士であり卑怯者です。
 
*人物評いろいろ
年末年始は内村鑑三選集を読もうと思い立ち、まずは別巻を開いてみたのだが、内村鑑三の人物評(同時代を生きた者によるもの)を集めたというだけあって、さまざまな意見を知ることができて愉快である。
 
楽山は、趣味でしか、ゲームのようにしか、、ホラー映画と同列にしか、書くことができないのです。内村鑑三はダメな奴だ、という代わりに、「愉快」という言葉を使っています。内村鑑三を、ピエロにしたいのでしょうか。
 
本書に収録されている文章の著者らの立場は、大雑把に言えば批判者、弟子、友人に分類できるようだが、批判者には、信仰について真面目な問いを発する松村介石のような者もいれば、現代のネット上の誹謗中傷のように悪口三昧の正岡芸陽や評論子のような者もいるし、弟子のなかには、内村鑑三を崇拝、心酔しきっている者もいれば、尊敬はしつつも独立した自己を保っている福田英子、志賀直哉のような者もいるし、世の中には本当にいろいろな人がいて、いろいろな考えを持っているのだなと感心させられる。
 
楽山は、婉曲的なボンヤリ言語で、内村鑑三のみならず、宗教そのものさえも、真剣な態度や姿勢を全く持てずに、揶揄してくるだけなのです。今までの楽山の記事から、宗教も信仰も、何も分かっていないことだけが、いつも、感想になります。
 
本質的でも何でもないことや、言ってどうなるものでもない揶揄のようなことを書いて、暗示し、悪い印象を吹き込むだけの、そこから先の何もなく、何も見えておらず、ほこりのように迷惑に舞い上がり、発泡スチロールのように質量のない男です。
 
これだけ、無反省・無責任で、愉快犯的にあざけって楽しむ悪意の根性だけで出来ている者は、小学生でも珍しいでしょう。真剣に気にすることが、何もないのです。
 
「いろいろな人がいて、いろいろな考えを持っているのだな」という当たり前のことを書いて、そこに「感心させられる」と書いている浅さが、楽山の悪ふざけの特徴です。楽山の「感心」のレベルの低さが、異常な筆致とともに、明らかになっています。
 
他者の参考になる意見も感想も思想も、何も持ち得ず、作り出せないでいる、学習しなかった人であります。そのくせ、人のことばかり、批判めいたことを、記事とツイッターに書いています。
 
しかも、その時によって、言ってることが違ってきて、その反省をせず、その責任を負わないのだから、それこそ、話にならない人なのです。恐らく「・・ならば、・・」という初歩の理屈しか持っていないように思われます。さらに、しばしば詭弁となるような自己中発言でしかないのです。
 
また友人の場合はどの人物も立派ではあるが、キリスト者かそうでないかによって話の内容の深浅濃淡には大分ちがいが出ている。やはりここでも、ものの見方、考え方は、人それぞれということのようだ。
 
「どの人物も立派」・・何を根拠に書いているのでしょう。「深浅濃淡」・・何も説明していません。そして、私が何度も書いてきたところの、楽山が言えば自己中でしかない「人それぞれ」で、ごまかしてくるのです。慢性の疲労物質でしかありません。決して相手にしないでください。だまし引き込み刷り込む技だけで出来ているような男です。
 
内村鑑三という一人物について、これほど異なる意見があるとすれば、人を超えた神について人々の意見はさまざまで決して統一されたことがないというのも致し方ないことなのかもしれぬ。
 
そうして、ここで、楽山は、どういう同一視か知らないが、内村鑑三から、勝手に、神に話を広げて、「統一されたことがない」という、揶揄の本音が、表れています。
 
神を、人が統一することは出来ません。
 
意見の不一致のことならば、少なくとも、楽山には、統一見解を見出すことも、参考になる意見を発することも、良心がなく、無反省・無責任で、情性も鈍麻している冷酷さゆえに、全く、できはしないのです。
 
今までの約2年間の批判で明らかになったのは、楽山が、読めば読むほど、書けば書くほど、厄介なゴミが溜まるだけだということです。迷惑者が、早く退散して、ゴミの無いネットになってほしいと切に思います。
 
誰のためにもならないボヤキの独り言を散らしに来る自己顕示欲だけの楽山の、信頼度は、ゼロであり、有効度は、一途に、マイナスであります。
 
*滑稽さの自覚
私見ながら、本書のなかでもっとも個性的かつ面白いと思えた文章は、「ある日の出来事」(藤沢音吉)だった。おしるこのエピソードは微笑ましく思わないではいられないし、内村鑑三の情の深さを語った後で「お顔に似合はぬやさしい方でありました」という定番のオチがついている話も笑わないではいられなかった。
 
楽山の私見は、お笑いだけのようです。いかなる命題も結論も成り立たない人がいる、ということを、楽山によってはじめて知りました。
 
また、内村鑑三は自身をドン・キホーテに見立てて話したことがあったらしいが、これはその人となりについて考えさせるものがあって興味深い。
「音吉、お前と俺のことを詳しく書いたらドン・キホーテ以上の面白いものが出来るなあ」と仰いました。ドン・キホーテとはどんな物語だか知らなかつたので、さっそく本を買つて読んでみました。
(『内村鑑三を語る(内村鑑三選集 別巻)』鈴木範久編、岩波書店、1990年、p.243)
 」
この言からすると内村鑑三は音吉のもっているユーモアはもちろん、自身の生真面目さの中にある滑稽に自覚的だったのだろうし、この滑稽を承知の上で生真面目であり続けたというのはすごいことであると思う。
 
今度は、内村鑑三を、ドン・キホーテに喩えたいようです。そして、言い訳に、「ユーモア」「滑稽」「滑稽」「生真面目」だと書いています。
 
内村鑑三は、楽山が、宗教の中身を外して、褒めたり、けなしたりするために、生きて発言していたわけではありません。キリスト教の思想家である歴史上の人物を、さんざん、オモチャにしている楽山を決して許してはいけません。
 
結局、内村鑑三のキリスト教については、前に書いてきた的外れだけで、何も書けていません。ただ、バカにしたいだけだと、今までの経過も含めて、既に結論が出ています。
 
ここまで、平気で、悪口と、詭弁の誘導に徹しているのは、楽山は、自己愛性パーソナリティ障害、精神病質(サイコパス)、学習障害、そして、さらに、サディスト、という思いを深くするだけです。
 
*社会主義者
あとは、上とは正反対に、もっとも悲劇的に思えた文章は、「内村鑑三先生に上る書」(福田英子)だった。著者は社会主義者であったために破門されたそうで、文章全体に悲しみが満ちていて読むと泣けてくる。
ちなみに、著者について検索してみると、Wikipediaにはこうあった。 
内村鑑三の角筈の自宅で行われていた角筈聖書研究会に出席し聖書を学んだ。しかし、1907年に、社会主義に批判的であった内村から突然聖書研究会への出席を拒否された。直後、福田は1907年3月15日の『世界婦人』(『新紀元』の後継誌として石川三四郎と福田英子で始めた雑誌)6号に「内村先生に上(たてまつ)る書」を書き、社会主義とキリスト教の神の摂理は一致しているのではないか、心霊上の及第にまさって物界の救助をはかることが神の真意にかなうものではないかなどと述べて、内村に対し教示を求めた。[3] 
・福田英子 - Wikipedia
 」
「来歴」を読むと凄まじすぎて思わずたじろいでしまうが、それだけ真剣に生きたということなのだろうと思う。
 
そうして、楽山の刷り込みと悪口は、内村鑑三が、社会主義者だったために人を冷遇したという話のようです。そして、こともあろうに、「社会主義とキリスト教の神の摂理は一致している」、「心霊上の及第にまさって物界の救助をはかることが神の真意にかなう」などという話を、聖書の "霊" なものを全く理解できていないのに、恐れもせず、乱暴に印象して、書いて、悪用しています。
 
楽山の "霊" の理解は、 "霊が分かるっぽい" という、とても幼稚で尊大な自覚によって、超常ホラー~マンガ・アニメの理解にとどまっていて、人間離れしたい楽山の常習の悪癖であります。
 
ごまかしに気づいてほしいのは、楽山が、内村鑑三が「真剣に生きた」と言っていることです。真剣味が、全く見られないで、揶揄、からかい、けなし、悪口を書いておきながら、最後に、世辞を入れて、嘘の理解を示してくる楽山の常套手段であります。
 
不十分でも、普通に考え、感じて、感想を書く人と、楽山は違います。全く真剣に生きていない楽山には、批判も、賛同も、表す資格も能力もないと思います。
 
楽山が、そういうレベルの、しかも、身勝手な自己中・自己愛の、妄想的理解で、真実に関わる宗教や信仰を語ってくるのは、関わる総てを腐らせるつもりでしょうか。腐肉を見て悪臭を嗅ぐような思いであります。決して楽山に関わらないでください。楽山に近づかないでください。
 
 
腐敗

腐敗
 
 
(2020年12月30日、再録)
 
 
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