この地上に2
 
 
私のふるさとは
この地上にはありません
と言いたくなるとき
それは信仰者として
真実でもあるのだが
一方で
逃避なのかもしれない
 
人というのは生涯
演技し続ける動物のようだ
恥ずかしくないように
少しでもきれいに見えるように
嫌われないように?
 
そういう演技は正当で
普通なのかもしれないが
過ぎれば
「世間体」大明神とか
「体裁」大権現とか崇拝にもなりうる
 
自分というものをしっかり持って
という「しっかり」の基準は分かりにくい
自分を信じて
という「信じて」は
責任の自覚か
努力と実績に裏打ちされた自惚れ
つまり自信だろうか
 
世間体も体裁も
人間関係も幸福も捨てて
真理や真実を追究して
心を病んで
傍目には
自滅的な人生を歩んだ幾人かの
哲学者、数学者、文学者、詩人などの
名を思い起こすのだが
 
私のふるさとは
この地上にはありません
と言いたくなるとき
そういう質を持ってしまった者が
反社会的ではなくても
非社会的になって自閉して
ただ一度だけ
逃避が許される最後の時を
待っている人であるなら
 
幾人かの名と違って
自分は志よりも病が先なのか
いつまで社会人でありえたのか
と風景のように遠い人々を
遠い社会と世界を
ぼんやりとした意識の向こうに眺めている
 
想うところに
以上のように想うところに
いちばん知っているつもりで
いちばん知らない自分は
むしろ、いて欲しくないのかもしれない
しかし、いて欲しいのかもしれない
何故なら、生まれてきたから
 
なぜなら
神様が死ねと言うことはないから。
 
すなわち
神が定めた日に
死は実行されるもので
神が人に死を命じる必要はないから。
 
 
この地上に

この地上に
 
祈り「主よ、この失敗だらけのまま至った老境に、慰めはありましょうか。」
 
 
※ 
 
信仰者は、善に生きるのではなく、義に生きるのでもありません。
善と義は、神のものであり、神のみが全き善と義であります。
 
信仰者は、悔い改めによって、反省し、学習し、成長する人間になるのです。
それは、人の正直な祈りによって可能となります。
 
 
(2011年04月30日)
(2021円02月02日、一部加筆)
 
 
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