隠蔽偽装の猛者
 
   映画「新聞記者」なぜリスク取った
   https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28996692.html
    by shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼)
 
 
私は、コメントが承認されないために怒っているのではありません。
 
不都合なコメントを、今日も、ブロックしながら、平気で、「ですね」口調の丁寧語で、正義を語っているつもりのシャロームの、嘘と隠蔽・偽装、そして、罪悪感ゼロの、卑怯さを、知ってほしいだけです。真に受けて関わって、自己中心の滅びの信条が訂正不能にならないように。
 
ですから、転載元は、批判の対象ではありません。
シャロームの、広く読者に問うのではなく、都合の悪い批判コメントを、ひたすら隠しながら、平気で次のような綺麗ごとが言える恥知らずの腐れきった性根を、批判しています。
 
隠蔽偽造の猛者(もさ)であるシャロームが、隠蔽偽装を批判した記事を評価しています。
 
転載元によって、政治家と同様に斬られているのに、気づかないほど、異常なシャロームです。
 
政治家と、牧師気取りのシャロームの違いは、戦略的能力の違いでしょうけれど、悲惨な能力のシャロームであろうとなかろうと、善を装う偽善者に対しての約8年間の批判が、私の批判記事です。偽善の問題は、遠く、高い、特殊な領域で起こっているのではありません。カルト宗教の問題は、大きくならないと問題にされないようですが、カルト的思想や宗教のあるところ、悪質な偽善が実際に働いているのです。
 
コメント欄の画像:(原寸大:画像をクリック)
隠蔽偽装の猛者
 
 
シャロームのコメント引用

1日久しぶりに映画「新聞記者」を観に行きました。
近づく参議院選挙を前に、私たちが選んだ人が、この国の主権者である私たちを脅かす腐敗した権力者となることの危険をよく知っておく必要があると訴える時にかなった良い映画ですね。
2019/7/2(火) 午前 9:55 [ shalom ] 返信する

 
知っておく必要がある、時にかなった良い映画・・と、どこまでも評論家・思想家・先生を気取らないと気の済まないシャロームです。他者を、常に、下に見ているスタンスなので、このような発言と態度が、隠しているつもりであってもなくても、体質として、しばしば表れてきます。
 
このコメントだけでは分かりにくいですが、今までのシャロームの記事とコメントから、シャロームの言説の中身は、言っているうちに、だんだん滅裂になり、誇大的に奔逸し拡散して、まとまらない筆致と内容で、結論だけを繰り返すだけのことを、私が見ている8年間だけでなく、恐らくは、それ以前から、成長も学習もなく、続いているのだろうと推測します。
 
私のコメントが未承認のままです。前は、コメのと削除の時期、コメント欄閉鎖の時期がありました。最近、コメント欄を承認制で、部分的に復活させました。承認しない私のコメントを見て、無駄だと笑いたいのでしょうか。こちらは、記事にするのに。
 
シャロームは、どこまでも、善人ぶりたい人です。
 
キリスト者は、善人ぶる必要がありません。
すでに、罪人であることを神に告白しているからです。
 
シャロームは、キリスト者(クリスチャン)ではありません。
 
シャロームは、虚言・隠蔽・偽装によって、ブログを飾ります。シャロームは、思想家・宗教家気取りですが、どちらも、まともな文書を書いたことがありません。自分でだけ書いて満足して、先生気分でいるのです。
 
このシャロームに思いやりや気遣いをすると、シャロームは悦んで、次には、本を勧めてくることがあるでしょう。自分が読んだから、読んだことを自慢したいのです。
 
しかし、記事やほかのブログのコメント欄において、その本を全く理解しておらず、その本に書かれている悪が、誰よりも先に、シャロームに当てはまることに気づきもしない、ということが明らかになっており、私は、それを批判記事に書いてきました。
 
その批判およびその他の批判に、シャロームは、一度も、まともな弁明も反論も出来ない人なのです。その上でも、なお、平気で、柔和な先生を自認していないと気が済まない訂正不能の自尊が、シャロームを、平静を装って、動かしています。
 
人を人とも思っておらず、表出としては、怒りの代わりに笑いを入れてきます。シャロームの笑いは、和みではなく、受け入れさせるための世辞に過ぎません。同様に、わざとらしく誉めてくることもあります。決して真に受けないでください。
 
シャロームは、シャローム自身が知るべき自らの罪と偽善と反キリスト性を、指摘されながら、8年以上の長きにわたって無視しながら、読者に対して、綺麗ごとを並べ続けて、「知っておく必要があると訴える時にかなった良い映画ですね。」と言うことが出来ます。
 
シャロームは、人を誉めて、ほっこりしている場合ではない、という現実を、全く見ようとしません。ここまで、白々しく、見苦しく、卑劣になれる人がいるということを知ってください。
 
カルト的な妄想の固着がなければ、少しでも良心があれば、こうはなりません。人を、嘘と詭弁で、操る対象としてしか見ていない証拠です。人間らしい思路と感受性と適切な反応性を失っているから平気で出来てしまう暴挙なのです。
 
シャロームについては、もはや改善されることを期待できません。カルト信条は、人をここまで狂わせる、ということを学習するだけです。シャロームを変えるのではなく、読む人が、決してシャロームに巻き込まれることのないように、批判記事を書いています。
 
都合の悪いことを無視して、自らの正しさを神の啓示や聖霊によると主張するシャロームの、言説は例外なく、理路が破たんしており、冷静で丁寧に見える書き方は、柔和芝居に過ぎません。何も整っていないくせに、総てが整っているつもりなのです。
 
シャロームの本性として:
 
自己正当化がベースに訂正不能に固定されています。それを神によって保証されていると信じ込んでいます。神の正義を悪用しています。
 
そのために、自分が悪いという可能性を考えることが出来ません。したがって、罪悪感と羞恥心と反省力が皆無です。だから、いかなることがあっても、まともぶることが出来るのです。
 
本を読めと、自分が読んだ本を勧めることがしばしばありますが、自己中心に自尊の飾りのために読んでいるだけなので、読解力がなく、本に書かれている望ましくないことを、自分に当てはめることが出来ず、ひたすら、社会と政治と歴史のせいにします。私の言う、ボロクソ節です。
 
理路は成り立たず、書いているうちに、誇大的に奔逸し、滅裂となり、つまり、話が、社会問題から、歴史、政治へと広がりながら、発散して、内容は単方向のボロクソ節になります。散々に他者をけなすことで、何らかの快感を得るようです。
 
信仰は、訂正不能の奇跡信仰で、無根拠に、どんでん返しの奇跡で救われると豪語とします。そのために、何かをするべきとか、何かを弁えるべき、などとは考えません。何をしても、罪は赦され、悔い改めなくても罪を気にしなくていい、という、キリスト教とキリスト信仰の聖典である聖書のどこにも書いてない妄想信条です。
 
総てが、シャローム自身は、何も義務を負わない、という無責任信条です。だから、他者が信じる信じないを、まったく気にしていません。気にするような発言をすることがあっても、優しさと思いやりは世辞だけですから、真に受けてはいけません。
 
弁明か反論を返せないとき、聖霊と神の啓示を根拠として、というより、聖霊と神の名を悪用して、議論の対象にならないと、逃げてゆきます。そして、しばらくすると、また、何事もなかったかのように、挨拶から始めて、前と同じようなことを、書いてくるのです。
 
笑いを入れて余裕を示す、平静を装って記事やコメントを書く、批判なんか問題にしていないよ、という態度ですが、信仰の問題ですから、平静なら、弁明か反論をするでしょう。何も言えないものだから、コメントを承認せずに、平静を装うコメントを入れるのです。平静を装うのは、読者を騙すため以外の目的があるでしょうか。
 
神の義は、人間には分からないから、信仰者には判断の修正による学習と成長が必要なのです。地上にいる限り、信仰者の正義が、ある時点で、絶対になることはありません。
 
シャロームは、その基本的なところで、180度、間違えたままなのです。それを固定して言い張るだけのカルトになって、あらゆる言動において、思想家ではなく、妄想家になって、よく見れば、総てが状況からズレており、人間が陥るところの最も醜い姿をあらわにしています。まさに、シャロームを通して、神の裁きを見る思いであります。
 
シャロームは、人間に相応しい正しさにつながる何ものも気づくことはありませんでした。私は、シャロームの弁明は詭弁にしかならず、シャロームの反論は侮辱でしかなかったことを知っています。その積み重ねをずっと続けています。
 
シャロームが何を言おうと、間違っても、まともじゃないか、とか思って、誰かが、好意的に近づくことのないように、批判記事を書き続けています。
 
一見、まともに見せかけることだけ、内実もなく、積み重ねてきたのがシャロームです。シャロームの聖書語と丁寧語は、刷り込んだ先入観による判断に人を誘導する毒物です。シャロームの記事を読んで、わざとらしいとか、胡散臭いとか、直感的に、感じるようになったら、免疫と言えるでしょう。シャロームの詭弁については、論理だけでなく、人間ならば・・、キリスト者ならば・・、ということを考えられる人が分析してほしいと思います。
 
  
(画像つづき:画像をクリックすると鮮明に) 
 
隠蔽偽装の猛者2續き
 
シャロームの、いつものボロクソ節です。民主主義の苦しみを知らず、発達障害状態で、見せかけだけの評論家気取りは、シャローム自身です。コメント削除と不承認に表れています。これは、ずっと続いていることです。都合の悪いコメントには、自己中心に、容赦なく、切り捨てるのが、シャロームです。
 
真実の追求は、礼儀を気にして丁寧に慇懃に書いていては出来ないことです。それが分からないシャロームは、逆らったら無視、そして切り捨てる、ということを、もう8年も続けているのです。
 
シャロームには、お仲間がいるようです。お仲間は、シャロームの邪悪さを見抜けるほどの率直な遣り取りをしていないので、お仲間は騙されていると気づかないで味方をしています。丁寧な遣り取りで、真実を深めたつもりなのでしょうが、反キリストの偽善とペテンとカルトをゆるす結果になっています。
 
 
(2019年07月(03日)02日、豪雨が来そうなので早めに。)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
https://st5402jp.blog.fc2.com/
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp (更新、コメント不可)
http://st5402jp.livedoor.blog/ (移行スピードは速かった)
 
 
https://poem.blogmura.com/darkpoem/ranking.html  
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
https://philosophy.blogmura.com/christian/ranking.html
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング
https://blog.with2.net/rank4482-0.html