楽山の有為と煩悩
 
 『万人に語りかけるブッダ 「スッタニパータ」をよむ』雲井昭善著
 2021年04月24日 楽山日記(LD)
 
 
また、楽山の、理解力、感受性、共感力の欠如を、偽りの机上の屁理屈を、真実に向き合うことのない怠惰を、いつものように都合のよい言葉漁りで、人の口を無断で借りて、筋の通った、などと言う身の程を知らない賛同などして、楽山は、せっせと、ごまかそうとしてきます。
 
しかも、楽山は、無常を語りながら、この記事の後に、本文たった4行の記事を書いて、この批判されるべき記事を目立たないようにしています。何が宗教でしょう。楽山の言は、世俗のヤニのような存在です。
 
本書は著者の「あとがき」によるとNHKラジオ番組のガイドブックを「再録」したものとのことであり、序盤は「スッタニパータ」の成立過程と仏教全体における位置付けなどについて説明し、その後は各章ごとに一定のテーマを設定し、それに関連した「スッタニパータ」等の原始仏典のことばを紹介するという体裁となっている。
では本書では具体的には仏教についてどのように語っているかといえば、まず仏教で思考される範囲は次のようなものだとしている。「仏教では今、現にここにある存在、目に見えるもの、現に見られるもの、万人が納得しうることが問われていて、目に見えない世界、経験されない世界を問うことはしなかった」(2003年 p.274)。
 
楽山が賛同する要素はないと言うことです。楽山が好むのは、フィクションと魔法と超常の空想の世界であり、そこから、宗教と信仰を語ったりするので、とても迷惑です。
 
楽山は、現にある自らの偽善に対する指摘を受け取らず、まるで気づかない自己愛性人格障害者です。いつどこで何を言っても、煩わしさと混乱以外、もたらさないと思います。
 
>したがって、人はどこから来てどこに行くのかという問いは取り扱わないし、
 
楽山は、神を机上の空論で否定し、その次元の低さに、呆れるばかりの文章をずっと書いてきて、反省もしないのです。つまり、「どこからきてどこに行くのか」を、知りもしないのに、何の救いにもならない、いちゃもんとして、法螺を吹いているだけです。
 
「人間存在としての「生」は本来、「因縁和合」(五蘊仮和合)によってなり立っているのであるから、その因縁が壊れれば消滅するのは当然」(p.232)ということとなる。人間以外についても、「因縁によって仮に和合したものはすべて滅びゆく存在である」となる(p.231)。 
 
どう理解したのでしょう。「こととなる」「となる」では、引用しているだけで、楽山が引用したということが、知性と感性の障害を通しているのだから、引き締まった理路も、理解を促す説明もなく、いかに楽山の自己顕示が無意味であるかを示しているだけなのです。
 
悪魔については、苦行の放棄をすすめるなど仏典にある「悪魔のささやきは、いずれも当時の修行法と人間の心に内在する内なる悪しき者のささやきであった」(p.205)としており、人から独立して存在するものではないとする。
 
そういう見方は、人間として、共感できることですし、楽山についても、外からの悪魔ではなく、楽山自身の内在する悪意の酷いものを悪魔性と呼んでいます。
 
それにしても、楽山のホラー好みが滲み出ています。楽山が、悪魔と言えば、人を誘惑する恐ろしい外部の魔物しか想定してこなかったことが、楽山の書くものに表れているからです。
 
それは、結局、神聖についても、楽山にとっては、神も、聖霊も、超常の魔物なのでしょう。そして、楽山に、自滅の刃でも与えているのでしょうか。論外です。
 
では仏典に繰り返し書かれてある輪廻転生はどう解釈するかといえば、当時の仏教教団では「在家者は生天を、出家者は涅槃をゴールとすべきことを教えています」(p.95)とのことである。他の書籍で、仏教教団では生まれ変わりについては在家者には説いても、出家者には説かなかったという話を読んだことがあるが、それと同じ考え方であろうか。
このような仏教解釈にはさまざまな意見があるかもしれないが、仏教の基本は諸行無常、一切皆苦、諸法無我にあるとするならば、これらは一応は筋の通った解釈ではあろうと思う。
 
えらく粗く、仏教の基本を、諸行無常などと、熟語だけ書いてまとめたものです。このように、短絡で、思考のプロセスを説明できないまま、「筋の通った」などと言えるのが、楽山です。
 
幾千年の歴史の重みを、一息で文章にして、それで、満悦するなんて、ふつうはないし、書かないです。何かを受け取ったのではなく、楽山の言の総てが、理解を装う芝居と言っていいでしょう。どうか関わらないでください。
 
たとえば、「諸行無常、一切皆苦、諸法無我はあくまで原則にすぎず、人に限ってはこの例外であり、人には人を人たらしめている本質が存し、これは永遠不変である」とするよりは、「諸行無常、一切皆苦、諸法無我は真理である。人もこの例外ではない」とする方が理にかなっているだろうことはいうまでもない。
 
だから、楽山が、それで分かっているのなら、楽山の諸行は我欲だけなのだから、わざわざ矛盾することを書くべきではない、ということになるのが、楽山には、分からないわけです。
 
我執しかない楽山が、無我を真理とは、呆れてしまいます。いかなる宗教の悟りも、我欲だけで心の無い楽山には、空疎なオモチャでしかないのでしょう。暇つぶしのオシャブリでも銜えている精神状態だと思います。
 
またこの仏教解釈は、釈尊が悟りを得たときに、他者の理解を期待せず、その内容を他に語ろうとしなかったという言い伝えともよく符合する。
 
ここで、楽山は、喜ぶのでしょう。「他者の理解を期待せず」を、自己中を正当化してくれていると、また、勘違いして、曲解して、悦に入るのです。言葉を、小学生ほどにも、勉強しなかったゆえ、節操のない楽山です。
 
釈尊とは別の事情ですから、理解されない自己満足など求めず、「他に語ろうとしな」いでほしいと思います。
 
それゆえに、難しい宗教用語を多用するのですが、読んでも、何も「符合」しないですし、何も響いて来ないのです。言葉の表面的な類似を漁っては、ひたすら、自己満足につなげて、考える人を演じて滅びてゆく大根役者であります。
 
当時は一般に輪廻が信じられている社会であったという。それなら輪廻を悟り、これは一般に理解されないだろうと考えたというのは理屈に合わない。けれどもたとえば五蘊仮和合を悟り、これは一般には理解されないだろうと考えたのであればそれはごく当然の思考ではあろう。
 
またまた、ごまかしの、用語の羅列です。「五蘊仮和合」の人間における意味を説明しないで、書ける根性は、ただただ、面の皮の厚さを示しています。
 
(ネットより)
個々の事物は因縁によって五蘊が仮に集まってできたものであるということを五蘊仮和合(ごうんけわごう)という[3]。五蘊仮和合は、特に有情の個体については、我として執着するような実体がないことを表す[3][注釈 2]。
 
有為の奥山、越えられず、己を飾る独り芝居、・・何の無常も理解せず、有為の我執にしがみつく楽山であります。欲望の刹那にいて永遠を自慢するような愚かさです。
 
釈尊は何を悟り、何を説いたかということは度々議論になることではあり、浅学非才の自分には容易には結論は出せず、断定的なことは何も言えないのではあるが、以上のような理由から本書で述べられていることは筋は通っているように思えた次第である。
 
浅学菲才なら、仰々しく分かったかのように「筋は通っている」などと書いてはいけないと思います。恐らく、楽山は、リアル・バーチャルを問わず、いかなる宗教についても、いちゃもんは言っても、実践的な交流をしていないと思います。、
 
楽山は、思想・宗教に、元々疎い人々を、詭弁で堂々巡りから袋小路に誘導しているだけなのです。決して、相手にしてはいけません。近づいてもいけないと思います。楽山という存在こそが、恥も罪も捨てて、人を害するだけの醜悪な伝染性の煩悩なのです。
 
今までの言動から思えば、楽山は、何かを言った後、直ちに、何を言ったかを忘れてしまう病気の人のようなものです。だから、責任など負えるわけがありません。と同時に、誰も相手にしてはいけない人ということになります。
 
無責任が常習になると、そういうことになるのです。良識ある人は、決して、楽山の真似をしてはいけません。楽山は、独りだけ架空の異常な世界に生きている不治の障害~病気なのです。
 
 
 いつも不真面目な楽山のツイッターです。
 楽山の、まとも芝居にだまされてはいけません。
 
心機一転★こも楽山
@komo266
なんとなしに、『ジョーズ』で、人喰いザメ対策より、経済優先を主張する人がいたことを思い出しました 顔文字(口を開けて冷や汗をかいた笑顔)
引用ツイート
釈 量子
@shakuryoko
 · 4月23日
“戒厳令”で支持率が上がるとでも思っているのでしょうか。経済を回さなければ、生きていけません。“独裁者ごっこ”はやめていただきたい。
#灯火管制
 」
午後5:11 · 2021年4月24日·Twitter Web App
 
コロナ禍の問題を、「なんとなしに」『ジョーズ』で語ったつもりの楽山です。万事このような考え方であることが、この2年間で明らかになっています。真剣味が、まるで無いのです。
 
宗教を、趣味の、ファンタジー、ホラーアニメ、パニック映画、お伽噺、といったレベルで語って、批判し、否定したつもりになっている笑う邪魔者、それが楽山であります。
 
※ 
 
コロナ禍については、そろそろ、医療崩壊、経済崩壊、パニックに備えて、法律や命令だけではなく、生存権を直接強力に守る政策を考えるべきではないのか。
 
人口3億2千万アメリカ:感染数3200万人(人口の10分の1)、死亡57万人。
人口1億2千万の日本:感染数56万人、死亡1万人弱。
(人の死を「万」単位で見ているとは・・。オレも、そのうち、行くんか・・の世界。)
アメリカの死亡数と日本の感染数が同じくらいというのは、まだまだ、日本では、終わらないという意味でしょうか。
 
心機一転★こも楽山
@komo266
幸福の科学では、公式でもこんな言葉遣いをするんですね 絵文字(にやにやした顔)
引用ツイート
幸福実現党政務調査会
@hr_party_prc
 · 4月22日
緊急事態宣言の発出とCO2の大幅削減を同時間帯に発表するとは恐れ入った感覚です。これはサービス業、製造業はじめ日本経済が何によって支えられているかを政治やマスコミが理解していないかの証しではないでしょうか。依らしむべしってか?「うっせぇわ」。
 」
午前7:13 · 2021年4月25日·Twitter Web App
 
開き直りの楽山の、笑いの顔文字付きの悪趣味です。「うっせぇわ」を「こんな言葉遣い」と言うのなら、楽山は、まともな言葉を使っているでしょうか、否です。またしても、自分を省みない楽山が、書けば失禁するという醜態です。笑うモンスターです。
 
つまり、「うっせぇわ」より、悪質なのは、反省や丁寧を装って、同情を引こうとするような、本音ではなく嘘と偽善の、楽山の、だまし言葉です。全部、嘘さ♪・・という歌がありますが、そんな感じです。
 
例えば、心にもない「反省。トホホ」とかで茶化して、同情をひこうとしたり、「言えなくもない」「かなあ」「ていうか」などの曖昧ボンヤリ言葉を、悪い印象を吹き込むときに、楽山は、やわらげたつもりで、よく使います。悪を隠して、だまそうという意図があり、最悪です。
 
しかも、それで、断定していないから責任はない、などと言うに至っては、常識の欠如であり、良心の欠如としか思えません。楽山の、有為ではなく故意の、有情ではなく無情の、無反省、無責任の、温もりも潤いもない自己中の慢心が止まりません。
 
心機一転★こも楽山さんがリツイート
藤倉善郎YoshiroFujikura@やや日刊カルト新聞総裁
@SuspendedNyorai
幸福の科学は部外者から見るととても笑える宗教ですが、彼ら的にはガチなので、自分たちが運営する中学・高校では学習指導要領はおろか教育基本法すらも無視して「笑える」内容を本気で子供たちに刷り込んでいます。ぼくが常々「笑えるカルトほどヤバい」と言ってるのは、こういうことです。
午後3:56 · 2021年4月25日·Twitter Web App
 」
 
楽山は、あざ笑う自己中です。恐らく、他者すべてに対して、そういうスタンスしか持っていない自己愛性人格障害の病質者だと判断しています。よく読めば、楽山の言は、極めて浅薄で、何の助けにもヒントにもなりません。笑える自己中ほどヤバい・・と思います。
 
楽山は、道徳も倫理も宗教も教訓も学問も批判も無視して、まともを装う筆致で、関わる人を、嘘と詭弁で、邪悪な自己満悦のために、誘導して、刷り込んで、だまして、悪用してゆきます。それだけが、趣味で、生き甲斐なのでしょう。まともには誰とも交流できないのです。
 
楽山は、感性も知性も鈍麻して、もうかなり人格の崩壊が進んできたようです。自分で書いても、他者を引用して他者の口を利用しても、言葉や文章の選択において、人格破壊が、だらだら漏れてくるようです。
 
私は、楽山について、常々、「楽山の丁寧語にだまされないように」と言っています。
 
正常な人は、自身への批判に対して、いつまでも無視し続けることは出来ないものです。書くのをやめるか、理由を知ろうとするか、悲しむかするわけですが、楽山は、良心と良識が鈍麻~麻痺しているので、反省することなく、性懲りもなく、同じようなことを書いてくるのです。
 
つまり、楽山が書けば書くほど、楽山の病質が証明されてゆく成り行きになっています。楽山は、我欲と詭弁の発泡酒になっています。悪臭を醸造しているかのようです。
 
 
発泡する我欲

発泡する我欲
 
 
{2021年04月26日)
 
 
ストレスフルの私の遠吠え:
 
そうです。わたしは、もはや、おいぼれて、
ぶよんぶよんの、だらんだらんの、かっさかさの、ぎっとぎとの、ぶっつぶつです。
 
 
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