ウソの国:st5402jpのblog

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

カテゴリ: 詩と宗教・信仰

 
  嘘と偽善の虚無(5)
 
   嘘と偽善の虚無(3)コメント欄
   http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4539868.html#comments
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
 
 
また、重ねて、罵りが加速しています(以下)。シャロームは、おとしめ、怪しい、虚言癖、と言い、かなり激しい決めつけの口調になってきました。
 

16. shalomです。おはようございます
 2019年12月05日 13:19

「全聖書は呼んでいません。私が書いたのは、新約聖書を通読したということだけです。旧約は、ソロモンあたりで、ダニエル書あたりで、止まっています。責める材料にしますか。」
 」
全聖書を読んでいない。そうでしょう。
一度は読みました・・あなたは自分の正直さを強調するために、虚言したり、嘘だと認めたりして、悔い改めを演じているだけなのです。

 
悔い改めないシャロームが、私の悔い改めの何を知っていると言うのでしょう。バカ丸出しと言います。
 
安いエサ投げたら、すぐ食いついてくるパターン。
 

新約聖書を通読だって疑わしいですね。
マタイによる福音書の初めのイエス・キリストの系図について書いてあることすら読んではいないでしょう。
ルカによる福音書にも系図が書いてありますが、その違いは分かりますか?
読んでいても、その人物がどこで登場し、どのような人物であるかもほとんど知らないでしょう。
その系図は福音の告知であり、宣言なのです。

 
このように、シャロームは、心温まる話よりも、系図にこだわるのでしょう。シャロームの血筋には何の関係もない系図に。自分の血筋を憎んでいるのか。
 
告知と宣言を受け取って、心を無にして、福音を無にして、説得力も温もりもない解釈で、目をつり上げるかのように、豪語するシャローム。こういう豪語こそが、キリスト者でも牧師でもない自己正当化の証拠となってきました。
 
シャロームのように、系図が福音の告知で宣言だと言うのは、戒律を守ることが信仰だと言うところのパリサイ人などの形式主義・教条主義の特徴です。
 
名前、条文、戒律、という言葉だけで、決まったかのように頷き、一方、言葉から、心を受け取ろうとする姿勢を全く持たないので、結局、心の問題に何の反応も出来なくなってゆきます。
シャロームは、その典型例であることを、自ら表しているのです。
 
信仰が教条主義や形式主義に陥ってはいけない、ということを、聖書とキリストの言葉は伝えているのに、真逆の方向へ、誇大的に強調する羽目になっているのが、シャロームなのです。
 
そういう逆方向に向かうシャロームの系図には、偽善の告知と宣言に、いったい誰の名前があるのでしょうか。シャロームの言うところの古い日本教の、どこかの村社会の、誰かを村八分にした者の名前でしょうか。それとも、シャロームみたいな自分教の因習に、逆らう誰かを、頷きを刷り込まれた者たちとともに、人知れず葬った者の名前でしょうか。
 
心と、系図と、どちらを大事に、大切に思うでしょう。私は、心のほうです。
 
人によっては、系図も大事と思う人はいるでしょう。しかし、系図を、先人を、大切に思うのは、他でもない、心なのです。心を無視するところには、系図も、先人も、ただの文字列に過ぎなくなります。
 

こう書けば、すぐ貶めるとか、責めるとか書いておられますが・・・つじつまを合わせるために、あなたの書いておられることにはどこを読んでも虚言癖のオンパレードです。
虚言癖の原因?についてはご存知でしょう。
思い当たりませんか?

 
つじつまを合わせる、虚言癖、いずれも、私が、シャロームを批判するために書いた言葉です。また、人の言葉を使って、根拠を示さないから、嘘だとバレる。
 
そして、また、妄想を語り始める、原因?、思い当たりませんか?と。
 
シャロームの、偽善と背教の原因は?・・人格の破壊としか言いようがない。
 

無関係な楽山さんや易坊さんの名前を出して、事実無根の人格否定し、誹謗中傷をして・・・
おふたりは私の仲間ではありませんが、そんなに仲間が嫌いなのですか?それともひとりも仲間がいないのがそんなに寂しいのですか?

 
楽山と易坊はシャロームの味方をしました。易坊たるや、シャロームとともにコメントを荒らしました。どこが無関係なのだ。
 
楽山の執拗なキリスト教いびりのボンヤリ言語はごまかしで、易坊が荒らしであり、シャロームもベースは荒らしだと思うので、成りすましを疑い、かつ、楽山やシャロームなどの"易坊類"と呼んでいるのです。それぞれ、信仰を破壊する悪意と憎しみのルサンチマンです。
 
ルサンチマン:弱者に募る怨念。嫉妬に根差すとも、負け犬根性とも。
 
> 一人ぐらい仲間と言えるような人があってもいいですね。
 
私が、シャロームの、仲間、お仲間、と言うとき、皮肉を込めていることが分からないでしょうか。本当の仲間ではない。成りすましか、イエスマン同士か、親族か、など。
 
過去の文脈を全く追わず把握しないまま、まだ問うてくる、まだ勧めてくる、まだ正しいつもりでいる、そういうことが出来てしまう心性、ただ言うだけの一方向、原始的反応の罵って返す、嘘吐いて返す、実に、気持ち悪い。
 
 

17. shalomです。おはようございます
 2019年12月05日 13:39

「困ると個人情報を出してきて、半ば脅すシャロームの常道ですが・・・」
 」
あなたが自分の不安や恐れ、悲しみ・・・の原因として、正直に「わたし」「トラウマ」という記事をブログに書いて、公にしておられることですね。
単に記事の引用であれば、あなたが私の記事を引用された数は数え切れませんね。

 
私の記事「わたし」「トラウマ」は、ここでは関係ありません。兄と母を出してきたことを言っているのです。シャロームの度外れた勘違いです。あるいは、わざと的を逸らしているのでしょうか。
 
シャロームコメント3「お兄さんにもお母さんにも」
なぜ、お姉さんじゃなくて、お兄さん?、お父さんじゃなくて、お母さん?、知っているのか。昔、言ったことがあるのかもしれません。
 
そうか、シャロームは、私の記事「わたし」「トラウマ」を読んだから、兄と母のことを書いているのでしょう。読んでるぞ、都合の悪い話・・と暗に脅しているのです。
 
シャロームという人に迂闊に打ち明け話をして相談していると、のちに、シャロームに背いたとき、どうなるか、ということが、ここに表れています。
 
罪と偽善の重さが全然わからないシャロームらしいコメントです。兄と母を出す必要など、どこにもないのです。こういうことをするのは、侮辱したいだけの荒らし根性なのです。単なる記事の引用ではないから書いているのです。
 
「あなたが私の記事を引用された数は数え切れませんね」・・引用の数を比較して、少ないほうの勝ち!、とでも言いたいのでしょうか。みじめだ、シャローム・・
 
数ではなく、どこに根拠を求めているか、その根拠を、自分でどう理解し得ているか、ということです。
 
シャロームは、考えもせず、言葉という形を鵜呑みにして、聖書を、子どもの、お伽噺に、おとしめています。
さらに、シャロームは、それを、金科玉条のごとく、つまり、お伽噺を、そのまま、押し出して、信仰を語ったつもりでいるのです。成長がなくなり、心がなくなると、そういう妄想世界に頷いてしまうのでしょう。
 
シャロームが使徒信条を引用したのは、自分で何も言えなくなったから、信じてもいないし、罪を認めず悔い改めないことで真っ向から背いている権威を、この時だけ利用するわけです。
 
これは、詐欺師の手口に酷似してきます。シャロームの言語は・・こんな権威ある偉い先生がおっしゃっているんだから間違いはないですよ私を信じてください(隠して、エヘヘ)・・のパターンです。
 
まさしく、前に書いた、シャロームの、意地悪なエヘヘ言語。ちなみに、楽山のボンヤリ言語、易坊の問い詰め言語とも書きました。シャロームは、神も、キリストも、信じるどころか、名称の文字列として、好きなように、自己正当化に使っているだけなのです。
 
 
(2019年12月08日)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp
(更新、コメント不可、12月消える)
 
ツイッター:
https://twitter.com/st5402jp
(ここは、たまにブログ記事をリンクする程度)
 
 
ブログ村ランキングリング:INポイントが付かない。
https://poem.blogmura.com/darkpoem/ranking.html  
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
https://philosophy.blogmura.com/christian/ranking.html
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング
https://blog.with2.net/rank4482-0.html
 
 

 
  嘘と偽善の虚無(4)
 
   嘘と偽善の虚無(3)コメント欄
   http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4539868.html#comments
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
 
 
私に対して、ありがとうございました、から、ゴミに埋もれた、まで、僅か一日で豹変するシャロームですが、慣れています。シャロームは、断末魔なのですから。
 

1. shalomです。おはようございます
 2019年12月05日 10:38

「だから、これは、死より三日後、つまり、二千年前のことです。このような蘇りを含めた肉体の奇跡が、現代において、少なくとも、めったに起こらない現実を考えれば、肉体の復活にこだわって、シャロームのような妄想信条に陥ることのほうが、はるかに信仰にとって有害であることは、火を見るより明らかです。」
 」
パウロは生前のイエスさまを知りません。
しかし、自分自身でよみがえられたイエス・キリストと出会ってのち、パウロは自分はパリサイ人としてすでに聖書を知っていたと思っていた旧約聖書を繰り返し、読み直し、精読し、そのイエスさまが旧約聖書で預言者たちによって、また自分が迫害しているまた弟子たちによって、神がイスラエルの民に約束された、すべての人の罪とその支配、呪いからの救い主であることを確認、確証したのです。あなたは読書障害のために、碌に聖書を読んでおられないでしょう。

 
聖書から、何一つ良いものを受け取っていないのは、あなたシャロームなど、楽山やシャロームなどの易坊類です。
 
前のコメントで、ありがとう、と言って、今回は、ろくに聖書を読んでいないと罵る、これが、シャロームの常道です。人格が壊れているために、統合も一貫性もなく、何も覚えておらず、初めてのように、けなし始めました。廃人コースを行くシャローム。
 
パウロは、読み直し、精読し、・・は、したでしょう。そして、キリスト教の教理のベースを整えたのでしょう。それを、踏みにじっているのが、あなたシャロームです。
 
罪の支配、呪い、キリストの確認・確証よりも、嘘のほうに確定的に染まったのが、あなたシャロームです。おとしめて、罵って、一方では、豪語する、その醜さを、未だに悟らないとは、みじめです。
 
>wikiで拾い読みはしておられるでしょう。
 
私については、新約聖書は、通読したことがあると、前に書きましたが、そもそも、読書量で、信仰は語れないと、よく分かるのが、聖句や使徒信条など引用して、豪語しながら、180度間違っているあなたシャロームです。
 
恐ろしいほどの無知と無恥で、恐ろしいほどのバタ狂いの大仰な言葉、滑稽です。やはり、あなたは、ゾンビになってゆくのでしょう。恐ろしいことです。神に背く罪だけではなく、神に背いておきながら悔い改めず、意地と執念だけが残るヒト型動物の末路は。
 

イエス・キリストは時間と空間を超えた私たちすべての人の救いを十字架の死とよみがえりによって成就し、その証言者、助け主として聖霊を注ぎ、弟子たちから始まり、2000年前も現在も証ししておられるのです。イエスさまのよみがえりを信じないと拒んでいたトマスもよみがえられたイエスさまと再会した時、わが主、わが神よと信仰を告白しているのです。

 
きれいごとを、あなたが、いくら言っても、もはや通用しません。豪語、豪語、讃美、讃美であなたに騙されていた昔は、過ぎ去っています。あなたは、今、偶像よりも、命がないのです。だから、あなたシャロームは、もはや、命があるかのように豪語して、墓穴を掘って、墓石を削ってゆくしかないのです。
 
あなたシャロームは、キリストの存在の欠片も証しできないで、妄想の中の偶像にしがみつき、今、盛んに唾を飛ばして命のない讃美言葉を吐いているのです。時間と空間を超えた、二千年前も現在も証ししているキリストが、惜しみなく、悔い改めの恵みを与えてくださるのに、どうして、あなたには、墓穴でしかない妄想となるのでしょう。どうして石投げに過ぎないような讃美の豪語しか出来なくなったのでしょう。
 

2. shalomです。おはようございます
 2019年12月05日 10:40
イエス・キリストのからだの蘇りはイエスキリストの十字架の死が、その流された罪なき神の御子イエスの血が私たちの罪のあがないのためであり、その成就であることを神が証ししてくださった証印なのです。ですから、人間の知性や、理性や経験ではわからないことであっても、神の確かな証印、御業なのです。

 
信仰は、人間を人間らしくしてくれます。なのに、どうして、あなたシャロームは、どんどん、妄想狂となり、心に響く言葉の欠片も表せなくなり、神についても、認め印を求めるが、愛と寛容を知らず、人間性の良心からも、理性と経験からも、どんどん、離れて、泡吹く偶像のひび割れの醜い地獄だけを悪臭とともに表すようになったのでしょう。認め印を信じて、浮かれ騒ぎ、心をないがしろにしてきた報いなのです。流涎気泡だらけの讃美、それがあなたシャロームです。
 

だれでも聖霊によらなければイエスを主と告白することができないと使徒パウロは書いています。

 
その聖霊を、有無を言わさぬ魔法のようにしか考えず、そう決めつけて、キリストを主と告白したつもりで、実際は、信仰に大切な悔い改めを否定して、罪をも認めずに、使徒パウロを引用しても、総て、あなたシャロームの裏切りを想起かつ確定させるものにしかなっていないのは、あなたシャロームが悪霊信仰に堕ちている現れなのです。
 

助け主であられる聖霊の注ぎはバプテスマのヨハネや生前のイエスさまが繰り返し弟子たちに約束しておられたことであり、よみがえられたイエスさまが弟子たちに約束されたことでもあり、エレミヤ、エゼキエル、またヨエルやゼカリヤなどの預言者も予言していたことでもあります。

 
大仰に聖書の預言者の名前を並べても、それしか出来ないシャロームの、行き詰まりの背教を浮き彫りにするだけなのですが、それをも、悟らないのは、大事な信仰の絆のようなものが、人間にはあって、信仰者には確かにあって、あなたシャロームには全くないからでしょう。
 

あなたは全聖書を一度読んだと言っておられますが、たとえ、読まれたとしても、まったくあなたの信仰の土台となっていないことは明らかです。それはあなたの人としての正直さ?を土台とした自分という人間信仰でしかないのです。

 
人間としての正直さを土台としていないというのでしょうか。シャロームのように人間としての嘘つきが救われた話があったでしょうか。罪を認めず悔い改めもしない者が救われたでしょうか。人間信仰ではなく、正直を土台としなければ、神への信仰は成り立ちはしないのです。
 
あなたシャロームは、神の前に、嘘を吐いて、救われるとでも思っているのでしょうか。
 
全聖書は呼んでいません。私が書いたのは、新約聖書を通読したということだけです。旧約は、ソロモンあたりで、ダニエル書あたりで、止まっています。責める材料にしますか。もう、既に、とんでもなく、外れたことを言いまくっている自覚のないシャロームですが。
 
神の前の正直さを失って、どうして、神が人を救うというのでしょう。神は騙され屋のマゾヒストではありませんよ。神の前の、を省略して、ごまかしている大冒涜シャローム。
 

全聖書によって神ご自身がその言葉と御業によって証明された出来事を人としてわからないから、わからないと片付けてしまっては神のみ言葉と御業であるイエスさまを信じる信仰は成り立たないでしょう。

 
分からないものを、分かったと偽って、それが信仰だと言っているシャロームの正体が、今、シャロームの言葉によって、明らかになりました。
 

ですから、だれでも聖霊によらなければイエスを主と告白することは出来ないとパウロが書いているのはそのためです。
その聖霊に対する信仰もあなたにはないのですから当然の結果です。

 
聖霊?によって?嘘を吐いてきたシャロームの信仰は、隅から隅まで、けがされていて、その口から出るものは、交わる人という人の信仰をけがしてゆくのです。
 
口から出るものが人をけがす、その通りになっています。
 
聖霊、聖霊と、あなたシャロームが言えば言うほど、悔い改めない報いとして、悪霊が、あなたの顔をして、ニヤニヤ笑っているのです。汚す者は、教えてはならない。
 

3. shalomです。おはようございます
 2019年12月05日 10:41
パウロはイエス・キリストを救い主と信じる人々の群れである教会を迫害していましたが、よみがえられたイエスさまから、あなたが迫害しているのは私(イエス)であると言われています。
教会は決して昔も現在も宗教組織、制度を意味してはいませんが、
聖霊によってイエスは主であるという信仰告白を共有している交わり、群なのです。その交わりを否定することはかつての迫害者サウロ(使徒パウロの旧名)の姿ということです。
しかし、その迫害者サウロを使徒パウロと新たにされたのは生けるよみがえられたイエス・キリストの恵みの御業です。

 
私は、教会を否定してはいませんが、また、いつもの嘘による悪い印象操作ですか。
 
あなたシャロームは、人のことを、とやかく、言っているときではないのです。あなたシャロームの安穏の風呂釜は割れて、讃美言葉は酸味こぼれになり、聖書の中の名前を、あなたシャロームが口にするたびに、イエスが主である信仰告白を、罪を認めず悔い改めないシャロームが、いかに裏切ってきたか、裏切っているか、裏切り続けているか、何度も何度も、語られることになるでしょう。
 
かつての迫害者サウロ(使徒パウロの旧名)は、悔い改めて、使徒パウロになりましたが、かつても今も迫害者シャロームは、悔い改めず、今も、迫害者シャロームのまま、大きなことを口でだけ、言葉だけ、おめいているのです。
 

イエスさまが死人の中からよみがえられ、注がれた聖霊の助け、導きによらなければ、誰もイエスは主であるとの信仰を告白することは出来ないのです。これが神による魂の奇跡なのです。
あなたはこの奇跡を体験し、その信仰によって生かされていますか?

 
あなたシャロームに、私が信仰告白する必要を、微塵も感じていません。そういうことは、前から言ってきたのに、今も問い詰めようとするシャロームの獣性と鈍麻性が怖い。
 

神の国は言葉にあらず力である、とも使徒パウロは書いていますが、
st5402さんあなたはあふれるばかりの魂の奇跡を体験し、言葉だけではない神の国を知っておられますか。

 
言葉だけではない神の国と信仰をどう考えるかを書いてきたのですが、それを、言葉だけのシャロームに問い詰められるとは、いかに、シャロームに、魂の奇跡が起こっていないかが表れているのです。
 

もし、そうであれば、お兄さんにもお母さんにも、あなたのあふれるばかりの魂の奇跡の一端を証ししてください。

 
困ると個人情報を出してきて、半ば脅すシャロームの常道ですが、あふれるばかりの、これが当てつけであることは、あなたシャロームの文章をいっぱい見てきましたから、気づきます。
 
そして、言います。余計なお世話です。素っ裸の王様、悪霊と偶像の泡吹き法師、そして、聖霊と神とキリストの前の、嘘吐きテキ屋教祖シャローム。
 

お母さんを迎えるためにも、そろそろ片付けが必要ではありませんか?
人間の手作りのゴミに埋もれたままこの年の歩みも終わられますか?
yahooブログとのお別れはあと10日ですね。
よみがえられたイエスさまと出会い、迫害者サウロは、見よ、古いものは過ぎ去った、すべてが新しくなったのであると使徒パウロと変えられ書いています。それはパウロにとってパソコンはありませんでしたが、仮想現実、バーチャル・リアリティではありませんでした。
その言葉はあなたの魂の奇跡にも当てはまりますか?

 
いつも、褒め言葉と、余計なお世話で、ごまかすシャロームです。
 
神の手作りのものを、裏切り続けてゴミに埋もれた言葉も、画一的な聖書語と丁寧語とうわごとになっているシャロームです。
 
古いものは、使えないなら、過ぎ去るでしょう。
邪悪なものは、神の手で裁かれる前に、自ら、消え失せるべきです。あなたシャロームは、あなたシャロームの妄想とともに。
 
ネットというバーチャルリアリティーを使ってここに書いているのは、嘘吐きシャロームも同じこと。シャロームが書かなくなったら、どんなにか、危険が減ることでしょう。
 

人それぞれではありますが、その奇跡、変心、変身は
あなたにも与えられる神の恵みです。
ハレルヤ!
shalom!

 
説明もせず、変心、変身が、神の恵みなのだそうです。
 
この白々しい讃美言葉を、聞かされるようになってから、十数年、批判し始めてから、約8~9年、何も変わっていない、何も進歩が無い、何も知恵がない、何も悔い改めていないシャローム、臭みが増し、暗黒が増し、嘘が積み重ねられ、偽善がくるくる回り、讃美言葉が空回り、胃液が巡り、反吐が迸り、血が滞り、同語反復と常同行為と無節操排泄だけとなったシャローム、どこまでも地獄しか表せないPVであります。
 
 
(2019年12月07日)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp
(更新、コメント不可、12月消える)
 
ツイッター:
https://twitter.com/st5402jp
(ここは、たまにブログ記事をリンクする程度)
 
 
ブログ村ランキングリング:INポイントが付かない。
https://poem.blogmura.com/darkpoem/ranking.html  
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
https://philosophy.blogmura.com/christian/ranking.html
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング
https://blog.with2.net/rank4482-0.html
 
 

 
  執拗な誘導
 
   『神学部とは何か』佐藤優
   http://mn266z.blog.jp/archives/22387846.html
   楽山日記(仮)
 
 
性懲りもなく、また、既に批判した記事を載せています。また批判します。
前の批判記事「神学を悪用」
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12532942349.html
 

タイトルを見て難しそうな本のようにも思えたが、サブタイトルに「非キリスト教徒にとっての神学入門」とあるし、シリーズ名は「シリーズ神学への船出」としているし、自分でも通読できそうだと思い直して読んでみた。結果はおもしろく読めた。
おもしろくとは当然ながら、笑えたという意味ではなくて、宗教心や知的好奇心を刺激されたという意味合いではあるけれど、考えてみれば神学についての著者の本は前にも読んだことがあるけれども、そのときもおもしろかったし、けっこうな満足感があったのだった。

 
楽山は、何も収穫がない、つまり、自分を脅かさず、自分を変える力がないことに、満足しているような気がします。本を読んでも、読む前と、読んだ後で、何も変わっていない、ただ、自分の思っていた通りのことが書いてありました、自分の理解のままでいい、と言いたいだけではないかと思います。
 

著者の語りは、神学の入口を紹介しつつ、その奥深さを感じさせ、また個人的な体験、思索、感想を述べたりしていて、読み進むうちにもういい歳で宗教や思想に対する関心も薄れてきているはずの自分であっても妙に神学への興味を掻き立てられてしまう。他の人はどうか知らないが、自分に関してはそうなってしまう。

 
掻き立てられた興味の表れが見えてきません。遠くから眺めて、奥深いと言ってしまうから、例えば、読書嫌いの小学生が感想を聞かれて、よかった、と答えるのに似ています。宗教など語れないのに、霊感があるっぽいと思っている楽山は、神学も分かるんですアピールをしたいだけではないかと思うのは、具体的な話がなく、格付けのような批評と判断をして、全体にボンヤリ褒めているだけなのです。
 

巷では、コップの中の争いのようなことを神学論争と言ったりするむきはあるし、神学にはどうでもいいようなことを細かい屁理屈を言って喧々諤々の論争をするものだというようなマイナスイメージも一部にあろうし、実を言えば自分もそういう見方をしていたのではあるが、著者の本を読んでいるとそれは偏見だということがよく分かる。

 
判断だけを書いて、自分は判断できる人と思いたい、しかし、以前からの文章と同じように、根拠は書いていない、つまり背伸びして笑っている子供のように、論争について否定的なのに、論争について、根拠を書かず、否定して、論争は偏見だという結論しか書いていないのです。
 

どうも自分は神学は嫌いだとばかり思っていたのだが、実際は興味があり、すきなのかしれない。本書を読んでいると、そこで紹介されている神学書の全てを読破することは無理にしても、なるだけ多くの神学書の概要を知りたいし、さらっとでも目をさらしておきたいという願望は持たないではいられなくなってくるから不思議だ。

 
神学は嫌いと思っていたが、好きなのかもしれないそうです。神学書を読むのでしょうか。そして、この記事のような、舐めてみました、というだけの感想でも書くのでしょうか。神学にも興味があって通じていらっしゃるのですね、とでも言われれば、うれしくて仕方がない人なのでしょうか。
 
読書というのは、何かを得て成長するためにするのではないでしょうか。本に対して、同意を示しているのは、自分の判断基準の範囲内に本を置いて、本を下に見て、ああだこうだと言っているような気がします。
 
楽山は、以前から、宗教について、成長しない読み方を実践して、それがまるで自分の身を守ることであるかのように書いてきたからでしょう。新しいことなど、学ぶ気はなく、自分が同意または不同意、という観点だけで通り過ぎる読み方なのでしょうか。
 

ところで本書では、自分が前々から興味がある神義論絡みの話題も出てた。たとえば、「「そもそも、果たして悪は本当に存在するのか」という議論がある。「もし、悪がほんとうにあるなら、その悪を作ったのは誰なのか。神が悪を作ったということならば、その神はむしろ悪魔ではないのか」。これは神学や哲学の方で言うところの弁神論(神義論)の問題である。この問題もまだ解決がついていない。」(pp.132-133)などと…。この問い自体にも興味があるが、「まだ解決がついていない」というところも魅力的ではあり、ゾクゾクするほど興奮してしまう。

 
前に、神がいるなら、何故、悪が生まれるのか、という謎解きだけに興味を示していた楽山ですが、またしても、悪は神が作った、ということを語って、結局、神は悪魔ではないか、という言葉遊びの上に「神」を置いているだけなのです。楽山が言う神は、「神」という言葉を書いた紙ではないだろうか、とさえ思われます。神の存在から、はるかに遠い楽山。
 
まだ解決がついていないことがゾクゾクする魅力で、興奮するのだそうです。分からないことに、何も見えていないことに、何も見ないで、ゾクゾクするというのは、あまり聞いたことがありません。解決が付くわけのない問題に、楽山は、やんわり、ボンヤリ、存在の否定を暗示したいのではないかと思います。
 
解決しないのが当たり前なのです。神という言葉を考えれば、謎でしかなく、人が、神を、人知を超える存在として考えているならば、結論など出るはずはありません。楽山は、結局、そのような神を否定したいのでしょう。
 
自分の了見の中で遊んでくれるオモチャのような神?でないと気が済まないのでしょう。遠回しに、神は存在しないということが言いたいだけではないかと思います。退屈で、実りのない、箱庭のような了見の中で遊んでいたいのでしょうから。
 

また本書では、悪は実在するかどうかという議論については、「西方教会、あるいは欧米の一般的な理性が陥りやすいのは、「悪は善の欠如に過ぎない」という考え方である」(p.133)としている。この考え方は谷口雅春の本で読んだ記憶はある。本来は善のみが実在であって、悪は存在せず、それだから灯をともせば闇は消える云々と。これは上の考え方の谷口雅春流の表現だったのだろうか。

 
このような言葉遊びが、楽山は大好きのようです。辻褄だけにこだわったり、自分の脳ミソにある広がりのない概念だけで言葉の世界を云々して、真理を語ったつもりになるのは、楽山やシャロームなどの易坊類の特徴です。
 

さらに本書によれば、ギリシャ正教では上とは違った考え方をしていて、「「悪は悪であり、それが断固として実在しており、善の欠如などといったものではない」」(p.133)という考え方をするのだという。悪についてのとらえ方に微妙な差異があるという程度ではなくて、まったく正反対といえるほど違うというのは驚きでもあり、愉快でもある。

 
言葉遊びの域を出ません。頭の中だけで解決しようとする扱いが、楽山の読書における唯一の方法であることが、一連の記事で明らかになっています。心、実感、経験、現実問題、などを考えたくない箱庭遊びには、付き合わないほうがいいと思います。
 

ちなみに、最近ななめ読みした『日本思想論争史』(今井淳、小沢富夫編)でも神義論について触れてあった。キリスト教が日本に伝えられた時に、日本人側では「全能にして愛なる神が世界を創造したのならば、なぜ人を苦しめる悪が存在するのか、完全なるものから悪が生じるのは非合理ではないか」(p.128)などという批判があり、これはキリスト教側からすればアウグスチヌスのころからの「弁神論の基本に関する難問」だったという。

 
また言っています。少なくとも、楽山が納得するような答えはありません。神は、楽山の思考には収まりません。分かる人は、言葉の辻褄を分かっているのではないのです。否定できず、必要だから、信じているのです。そこを傷つけるのが楽しみというサディスト的記事を、楽山は、書いてきたのです。まるで進歩のない嫌がらせだけを生業としているようです。
 

またこの議論とは少々切り口は違うが、同書によれば日本人側のキリスト教批判では次のようなものもあったという。「少年は「処女性」をもたないゆえに男色は罪ではないという主張」とか、「人妻を奪うことは罪としても、未婚の女性を犯すことは罪ではないとする考え」(p.127)とか、神は産めよ増やせよとしたならば子を得るために第二の女を持つことは罪にはならないだろう等々。

 
このように、言葉遊びに、信仰の罪という言葉を当てて、罪かどうかを、ああでもないこうでもないと考えるのは、楽山のボンヤリ言語の波長にぴったり合うのでしょう。このような思考をしている間、信仰の「し」の字にも届くことはないのです。
 
書いてあるところの、罪ではないという理屈は、実感や現実を無視した考え方であり、ただでさえ複雑な問題を内包する問題に、詭弁を持ちこんで混乱させるものであり、直観的に人間ならば・・という人間的思考の欠落を表しています。
 

なんだかトンデモに思える理屈もあるけれども、とあるブログでイエスの言葉について心の中で姦淫をしたら実際に姦淫したのと同じだというのは人妻に対するものであって未婚女性に対してはその限りではないというような解釈を読んだことがあるし、とすれば上の主張は現代でも真面目に受け止められる部分もないとはいえず、トンデモだと笑ってばかりもいられないのかもしれぬ。

 
ここで、楽山のクソぶりが発揮されています。罪じゃないからと未婚女性の姦淫を促進する言葉になることを考えても見ない愚かさです。下心を疑われそうです。
 
教条主義カルトの自称ヨシュアが、言っていたのと似たようなことを言っています。キリスト信仰に対する嫌がらせ以外の何ものでもありません。楽山は、あちらとも結託しているのでしょうか。堕ちたものです。
 
情欲は湧いてくるものです。今日は、湧かないようにしようと思って、湧かないようにすることなど出来ない欲望です。他人の妻と言い換えたところで同じなのです。
 
 (マタイによる福音書、口語訳)
5:27
『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5:28
しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。
 (マタイ5:27、新約聖書)
 
新共同訳は、下記を参照。前の批判記事「神学を悪用」
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12532942349.html
女→他人の妻、となっています。
これだったら守れるでしょう、と言いたそうな訳、私は、嫌いです。
 
このように、情欲をいだくことが既に姦淫だと、キリストは言っています。だとすれば、どういう教えでしょう。守れるものが一人もいないということになり、守りなさいという教えではないという解釈しかできないでしょう。
 
つまり、罪なき人は一人もいない、だから、総ての人は、罪を、正直に告白する祈りを捧げて、赦しを乞うことが必要だと受け取っています。
 
楽山の言は、一見、柔和に見せかけながら、恣意的な方向に誘導してゆくボンヤリ言語の詭弁であり、反キリストの方向に持ってゆきたいのでしょう。聞けば病気になるだけですから、受け入れないように、騙されないようにしてください。
 

どうも話が逸れたようなので、話を戻すと、自分が佐藤優の本を抵抗なく読めるのは、予定説に対する考え方がわりと近いためかもしれない。佐藤優はこう書いている。「私の場合は、もともと母体が日本キリスト教会というカルヴァン派の教団だったので、結局はカルヴァン的な発想から抜け出ることができない」(p.84)と。

 
一般読者のために、解説をしようという気はないようです。
 
(ネットより)
予定説(預定説、よていせつ)は、聖書からジャン・カルヴァンによって提唱されたキリスト教の神学思想。カルヴァンによれば、神の救済にあずかる者と滅びに至る者が予め決められているとする(二重予定説)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%88%E5%AE%9A%E8%AA%AC
 
予め決められていても、人は、自分がどちらかということは知りえないわけです。
 

自分はカルヴァンのことはよく知らないが、それでも予定説の概要は聞いたことはあるし、理があるとも思えるし、この辺りが佐藤優の本の読みやすさにつながっているような気がしないでもない。またついでに書くと、自分は小説がすきであるが、小説には通常、伏線というものがあって、偶然に見えし事柄も後になれば実は偶然ではなかったという展開になるのが当たり前であって、その背景には運命論、決定論みたいなものがあったりする。

 
神学の話を、小説の話にしているのは、信仰として語れないからでしょう。楽山は、後で、偶然ではなかったというヒントとなる伏線を、自分は知っている分かっているとでも言いたいのでしょうか。何ごとにつけ、知っている感を出してくる楽山ですが、これが、救われない者の伏線かもしれません。
 

佐藤優はさらに次のようなことも書いている。「人間誰しも、人生で一番最初に触れた世界観的な思想、つまり生き死にの原理を説く思想の刷り込みからは抜け出せないというのが、私の結論である。私の場合は、結局それはカルヴァン派的なキリスト教だったのだ」(p.84)と。
ここも自分にはよく分かる心持ちがする。

 
抜け出せないのが楽山であったとしても、抜け出すことを諦めるのでしょうか。そのほうが、自分の責任ではないような気がするからでしょうか。いかなる責任も負いたくない楽山らしい逃げ口上です。刷り込みは解けないと言う意見に努力もせずに同意するのでしょうか。
 

自分は日本的な無宗教で育ったせいか、その後いろいろな宗教、思想、価値観に触れて一時的に別のものにかぶれてしまったとしても、結局は生まれながらの日本的な無宗教に戻り、それ以外の学びや知識はみな生まれながらの日本的無宗教を補強強化することに活用されるという結果に終わっているようにも思えるので…。これについては良いとか悪いとかいろいろな正邪善悪の判断は有り得るだろうけれども、どうもその判断に関わらず、自分の場合はただそのようになる以外にはないようではある。

 
楽山が言うところの、日本的無宗教などというものがあるのでしょうか。ただ、楽山が、無関心から、宗教について真剣に考える気がない、ということを、日本人だからということにしたいだけではないかと思います。本を読んで、何も変わらない、数行を要して、何も言っていない、ただボンヤリ言語で宗教をもてあそんでいる無関心が、楽山だと思われます。
 
 
今まで楽山の記事を読んで批判を書いてきて思うのですが、必ずと言ってよいほど、否定肯定ではなく、半否定半肯定になっているか、何かの誰かのせいにしてごまかしているようです。それで、難しい本を読んで書いたから、批判するなら、読んでからにしろ、などと言ってくるわけです。
 
私は本を批判しているのではなく、まさに、そういう楽山のいい加減さを批判しているわけです。そういうテーマにおいては、楽山の記事だけで十分に目的は達しえていると思います。
 
めんどくさい本など読む気になりませんし、インテリ気取りは、シャロームも同じであり、引用して、自分を他者、特に言葉面だけで、権威に肯定させるというやり方が嫌だから、読まずに、そういうやり方をする楽山やシャロームを批判してゆくことのほうが主目的になるのです。
 
 
(2019年12月06日)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp
(更新、コメント不可、12月消える)
 
ツイッター:
https://twitter.com/st5402jp
(ここは、たまにブログ記事をリンクする程度)
 
 
ブログ村ランキングリング:INポイントが付かない。
https://poem.blogmura.com/darkpoem/ranking.html  
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
https://philosophy.blogmura.com/christian/ranking.html
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング
https://blog.with2.net/rank4482-0.html
 
 

 
  嘘と偽善の虚無(3)
 
   誇る信仰?:コメント欄
   http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4443516.html
   
 
 
シャロームの妄想信条、妄想教理、妄想解釈は、自己顕示欲の産物です。既にシャロームの言説は決定的に破綻しているのに、今もキリスト教指導者?気取りの口だけが減りません。
 

16. shalomです。おはようございます
 2019年12月03日 08:42
14.

「このように、肉体の復活にばかりこだわることは、人間の心を駄目にします。私たちは、心の復活と再生だけが救いになることを学ぶべきであります。それを、経験しているキリスト者も多いと思いますが、そこから、人知を超えた神聖の領域まで理解しようとすると、いつのまにか、あらぬ非現実を口走る亡者にならないために、聖書の解釈に細部までこだわるのは、学者に任せておけばよいのであって、純粋な信仰そのものは、私たちが感じて受け取るものの中にだけあるのだということを知ってほしいと思います。」
とのことですが・・・
 」
今日は次の記事において使徒信条・・教会の信仰告白をご紹介しました。その中にははっきりとイエス。キリストの死人の中からの復活に対する告白がされています。
イエス・キリストの復活を否定しては私たちの信仰の要を欠くことになります。
 【口語訳】ロマ
1:2 この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、
1:3 御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、
1:4 聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。

 
シャロームは、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、という狂気の信条を持ちながら、ここでは使徒信条などと言ってきます。いかに、自分に都合の良いように、キリスト教をもてあそんでいるかが明らかであります。
 
たといキリストの肉体が死んでも、二千年後にキリスト者がいる、という、キリストの不滅を、死人からの復活と言って、何が不満なのでしょう。シャロームは、それでも肉体がないときが済まず、ゾンビにでもなりたいのでしょうか。
 
二千年前の肉体の復活にこだわって、今の精神の腐敗に気づかないことが、今日の、下手くそな詐欺師シャロームをもたらしているのです。
 
これ以上、キリスト信仰の邪魔はしないでください。あなたシャロームは、既に、破綻百出なのです。ある種の精神病と同じように、病識がないのです。しかも、一方で、悪意だけが明らかなのです。
 
二千年前のキリストの肉体の復活は、否定も肯定も、真偽を確かめようもないことです。
 
現代のキリストの同伴は、キリスト者が現実に寄る辺としていることであり、それこそが信仰です。それこそが、復活であります。
 
自分は肉体の復活を信じていると言い張って、自己顕示欲を丸出しにしているだけのシャロームの妄想解釈に惑わされることの無いようにしてください。シャロームは、キリストをただの一度も信じたことのない詐欺師なのです。
 

17. shalomです。おはようございます
 2019年12月03日 08:45
【口語訳】一コリ
15:1 兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。
15:2 もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。
15:3 わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、
15:4 そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、
15:5 ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。
15:6 そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。
15:7 そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、
15:8 そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。

 
だから、これは、死より三日後、つまり、二千年前のことです。このような蘇りを含めた肉体の奇跡が、現代において、少なくとも、めったに起こらない現実を考えれば、肉体の復活にこだわって、シャロームのような妄想信条に陥ることのほうが、はるかに信仰にとって有害であることは、火を見るより明らかです。シャロームの思考停止と妄想と滅裂の害が、救いがたいほど悲惨であることをもって、それを証明しているからです。
 
シャロームが、ここまで言ってくるのは、我欲・我執以外の何物でもないのです。シャロームは、信仰の最も大切なことを踏みにじっておきながら、自尊を保とうと焦り狂って、退くことが出来ないという醜態を現しているだけなのです。
 

18. shalomです。おはようございます
 2019年12月03日 08:45
15:9 実際わたしは、神の教会を迫害したのであるから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者である。
15:10 しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、わたしに賜わった神の恵みはむだにならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきた。しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである。
15:11 とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのである。
15:12 さて、キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか。
15:13 もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。
15:14 もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。
15:15 すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。
15:16 もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。
15:17 もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。
shalom!

 
「死人の復活などはない」ではなく、分からないことを分からないと言うべきだということです。分からないことを、信じられるかのように言って、分かっているかのように執拗に教える立場に固執しながら、実は無感動で無思考のシャロームのようにだけは、ならないでください。
 
私は信じていると、こういう聖句を出して、物や肉体の奇跡が復活が・・と言う者ほど、人間感覚が鈍くなっているという現象が、シャロームを見れば分かるからです。つまり、シャロームの鈍さは、はっきり分かる。キリストの肉体の復活は、分からない、ということでよいのです。
 
キリストは、溢れるほどの魂の奇跡を与えてくださいます。既に、天におられるキリストの、二千年前の肉体にこだわるべきではありません。
 
魂の奇跡を全く分からず受け取ってもいないシャロームのような愚鈍と卑怯が、肉体の蘇りという超常現象にこだわっているだけなのです。信仰は腐ると、このような醜い色となり、悪臭を放つということだけを、シャロームは表しています。
 
二千年前のキリストの肉体の復活を信じたからと言って、今を生きるのに、何の目覚めになるでしょう。シャロームを見てください。
 
シャロームは、肉体の復活を固く信じて、譲らないとまで言ったことがありますが、一方で、平気で嘘を吐き、いつも上から物を言い、腐った丁寧語でそれを糊塗して、ごまかすことで、いやというほど、醜い保身のために、人間の大切な良心をなくして、悔いることなく、また、聖句まで悪用して、妄想に、しがみついて、自らが汚した信仰を、あたかも守っているかのような、これまた、嘘を上塗りしているのです。
 
良心のない信仰は、呪いと魔界のものとなって、人心を執拗に脅かすだけなのです。
 
害虫のように、まとわりつくシャロームの嫌がらせは、求道者と信仰者は、問題とせず、始まったら、すぐに逃げるようにしてください。まともな人間でもなく、まともな信仰者でもない偽善の因業に走る下種の根性が決して伝染することのないようにしてください。
 
 
  「嘘の偽善の虚無」コメント欄
   http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4472370.html#comments
 
 

1. shalomです。おはようございます
 2019年12月03日 08:21
お疲れ様です。
 今日もよろしくお願いします!

どうして、キリスト教に執着するのでしょう。キリスト教を何一つ知らないのに。
 」
今日はキリスト教会の歴史を貫いている神の啓示とその記録である聖書に基づいている信仰告白をご紹介します。
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、
我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、
処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰韻(ヨミ)に下り、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来りて生け者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体(カラダ)のよみがえり、永遠の生命を信ず。    アーメン
信仰告白は神の啓示とその証しの書、聖書に基づく信仰の告白です。信仰の要点を簡潔な言葉で表したものであり、教会の正当な信仰と異端との相違点を明らかにし、教会を聖書信仰に基づく生けるイエス・キリストの体、真理の土台としての信仰告白を保つために表明されたものです。わたしたちは心からの信仰によって、この、信仰告白を共有し、キリストの身体としての使命に生きる者とされているのです。st5402さんもその一人としてこの世から選び出され人なのです。
アーメン!まことにその通りです、と告白されますか。

 
あなたシャロームは、「罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい」という妄想信条によって、キリスト教とキリスト信仰に背いている者です。既に、そのことで、少なくとも、約8年、私の発言を無視し、おとしめてきました。
 
また、ネットでも、このコメント欄でも、嘘を吐きました。まさに、捏造による偽信仰者です。
 
つまり、あなたシャロームに私の信仰告白の是非を云々されるいわれは芥子粒ほどもない、ということです。あなたシャロームは、先ず、あなた自身の偽信条と妄想解釈を根本的に改めない限り、何も語る資格はありません。どこかから、まともな文章を持ってきても、あなたが反している以上、無駄です。あなたの信じ方が、根本的に、反しているからです。
 
あなたが書いたこと、および、引用する意図、総てが、背教の証拠となっているので、信仰告白となることについては、あなたが言う、という一点において、ことごとく、全否定するものであります。
 
シャロームの信じ方は、魔法を信じる以上ではなく、そこに信仰の心が皆無であること、何の学習も成長もあり得ない信じ方であることをもって、これからも、いかなる信仰者も求道者も、決して肯定してはいけないものとして、全否定するものであります。
 
シャロームには、上の妄想信条と、数々の悪意ある嘘をもって、信仰者と求道者を惑わせる詐欺師として、今後も、その文章が表れるたびごとに、私が生きている間は、継続して、批判し、否定し、糾弾することを決意しています。
 
シャロームの儀式的・教条的・妄想的信条は、ただちに永遠に破棄されるべき邪悪な悪魔性のものであり、下劣な詐欺行為であり、そこにキリストの愛は全く理解されておらず、虚妄と偽善に満ちています。
 
何ゆえに、今、また、書いてくるのか、断末魔なのか、あざ笑いなのか、いずれにしても、人間としての、一部の魂も心も愛も思考も希望も含まれていないものと認識しています。
 
その根拠は、このブログ、および、過去の記録に書いてありますが、書いたら切りがないので、ここでは引用しません。もはや、十分であります。シャロームを説得するつもりはありません。私は、シャロームに決して近づいてはならないことを、周知させるために努力しています。
 
 
妄想信条や、今までの、数知れぬ嘘によって、欺いてきたにもかかわらず、シャロームが、ここで、使徒信条と信仰告白を持ってきたのは、今も正当性を主張できるという妄想観念によるのであろう。まるで、状況を把握できていない。
 
シャロームが、罪悪感も、羞恥心も持っていないこと、また、反省も、学習もしていないことを、改めて表している。レスも批判も聞いていない妄想者シャロームが、いかに卑劣で卑怯な悪と偽善であるかを、自ら、だらだらと示し続けているのが、このコメント欄である。
 
偽善者は、自分が問われているときに、逆に、問い詰めてくるという特徴があり、楽山やシャロームなどの易坊類において顕著である。
 
このように正義ぶって、自らが真っ向から背いているにもかかわらず使徒信条・信仰告白をもって裁こうとする態度は、キリスト者ではないことの傍証となるだろうが、もはや、傍証の必要もないほどに、恥に恥、罪に罪、偽善に偽善、嘘に嘘を重ねて平気でいるシャロームの醜態で、シャロームが反キリストであることの証明は十分であろう。
 
ただ、今回を含めて、背教の偽善に凝り固まって自覚のない者は、どのような言論のパターンを示すかということについてのみ、シャロームという信仰の病魔の有り様は、参考にはなるだろうし、そのつもりで、いちいち、レスを、出来るだけ、書いている現状であります。
 
 
シャロームは、ヤフーブログで「聖書の聴き語り」「讃美の家」「その名は不思議」と、恐らく、何かトラブルがあるたびにタイトルを変えて、ブログを書いていました。今回は、私のライブドアブログのほうに一連のコメントを書いてきていますが、shalom というHNではブログは書いていないのかもしれません。
 
HNを変えてブログ書いているのだろうか、まだ、見つかりません。だからこのHNで、勝手放題に書いて、書き捨てているつもりなのでしょう。ブログで発表できない人が、コメントに書き捨てているわけです。こういう態度にも、聞かないが、一方的に言うだけは言う、という無責任ぶりが表れています。下心のあるカルトというのは、そういうものなのでしょう。
 
つまるところ、あなたシャロームに、私の信仰告白の是非を云々されるいわれは芥子粒ほどもない、ということです。あなたシャロームは、先ず、あなた自身の偽信条と妄想解釈を根本的に改めない限り、何も語る資格はありません。どこかから、まともな文章を持ってきても、あなたが反している以上、無駄です。あなたの信じ方が、根本的に、反しているからです。 
 
 
世辞のバカ丁寧語とは、このこと(以下)。今までの白々しいオトボケと同じだと思います。シャロームは、何を言っても何をしても、平気なのです。相手に対する丁寧ではなく、自分は悪くないという偽りの気取りです。関われば、シャロームは何をやらかしても、この口調を返してくるでしょう。
 

10. shalomです。 こんばんは
 2019年12月04日 18:22
「約8年、私を、無視し、おとしめてきました。」
st5402さんにとっては私を批判した8年間だったのでしょうが、私にとってはあなたほどではなく、時々でしたが、10年以上もあなたとお付き合いをさせていただきました。ありがとうございました。

 
シャロームは、このような挨拶言葉が得意です。自分のイメージを高めようとします。何か、有意義であったということにしたいのでしょうが、実際は、下水を汚物が流れ、それを浄化することは全然せずに、きれいだ、きれいだ、と言っているようなものです。
 
この一連のシャロームのコメントも、私は全然ありがたくないのですが、タダだからと、礼を守っている自分を演じているのです。言論の資格も中身もないのを、やさしい人という自立した大人のイメージを、印象操作の言葉遣いで、随所に、吹き込んできます。
 

私はあなたを無視し、おとしめるばかりのお付き合いをつづけたつもりはありませんでしたので、多くの方との出会いと良き交わりができた思い出の一コマとして心に残ります。

 
良き交わりとシャロームが言うのは、本音ではない世辞あるいは嘘だろうと思います。シャロームを、一人前の牧師として敬うお仲間の嘘の世界です。その幻を、挨拶に込めてきます。
 
前に、私がシャロームを批判していることを知った人から、なんて失礼なことを言うの、と言われたことがあります。このように、遠くから見れば、模範的な先生を演じています。
 

あと10日余りで、yahooブログは消え去りますが、
st5402さんのたくさんのブログに足跡が残されていますので、また時折お訪ねすることがあると思います。

 
跡を濁さずということでしょうか。しかし、シャロームの通った後の跡は、お仲間以外にとっては、刺激臭を伴う暗黒なのです。ダークサイドから、世辞を言っているイメージ。
 

その時は、st5402さんのブログで、新しい出会いがあり、
楽しんでおられるst5402さんの歩みを楽しみにしています。

 
それでも、このような普通の良き出会いを装う嘘吐きシャロームの丁寧語の楽山やシャロームなどの易坊類であります。
 

私はきのうはれいわポスター貼りのボランティァのお世話しておられる方が訪ねてこられ、苦労話や、多くの人にれいわ新選組に対する理解が広がっていっていることを喜びあいました。
今日も良い天気に恵まれて
れいわのポスター貼りの訪問をしました。
2枚貼ることができました。ハレルヤ!
shalom!

 
状況や経緯を考えないで、近況を交えて、書かなくていいことを書いて、飾りに飾って、ごまかして立派を装ってゆく生業の楽山やシャロームなどの易坊類の一人の、いつも善人気取りのシャロームです。悪人より悪質な偽善者だと思います。
 
嘘・詭弁・丁寧語・問い詰め・妄想・文脈と状況の無視などの執拗さ、などを考えると、成りすましの疑惑もある楽山やシャロームなどの易坊類は、シャロームを含めて、荒らし体質だと思います。そして、悪人より悪質な偽善者になっていると思っています。
 
 
(2019年12月05日、同日一部修正)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp
(更新、コメント不可、12月消える)
 
ツイッター:
https://twitter.com/st5402jp
(ここは、たまにブログ記事をリンクする程度)
 
 
ブログ村ランキングリング:INポイントが付かない。
https://poem.blogmura.com/darkpoem/ranking.html  
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
https://philosophy.blogmura.com/christian/ranking.html
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング
https://blog.with2.net/rank4482-0.html
 
 

 
  嘘と偽善の虚無(2)
 
   誇る信仰?:コメント欄
   http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4443516.html
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
   記事は、コメント欄を一部編集して書いています。
 
 
恥を知らず、まだ教えたがるゴミ溜めのような腹積もりのシャローム。
 

1. shalomです。こんにちは
 2019年12月02日 16:37
聖書から引用されましたか。いいですね。
この聖書の言葉はst5402さんにとって
とても共感される言葉なのでしょうね。(おしまいに引用)
パリサイ人は神の民イスラエルの人々の社会的、宗教的指導者として、聖書に精通し、守り、神の前にも、人の前にも自分が正しい人であることを自認し、人々を導き、律法を守らない人を裁き、他の人を正そうと導くひとでした。パリサイ人が最も厳しい裁きをしていた人が取税人でした。
なぜなら同じ神の民イスラエル人でありながら、異邦人支配者ローマ権力のもとで同胞である人々から過酷な税金を取り立て、苦しめ、私腹を肥やしている取税人だったからです。
取税人はパリサイ人から厳しく裁かれても、神の前にも人の前にも自分が罪人であることを知っていましたので、もう胸を打ちたたいてひれ伏すことしかできなかったのです。

 
数々の嘘とデタラメと汚点とボロをあらわにしながら、なおも、何事も無かったかのように、教えたがるその根性が、既に、福音に反しています。本来ならば、口を閉ざし、生きてきた何十年かを、深く反省するモードに入るはずです。しかし、それをしないところに、楽山やシャロームなどの易坊類の反キリストが表れているのです。
 
取税人には、耳あるものは聞くがよい、と言う、キリストの話を聞く耳がありました。それは、決定的な違いなのです。
 
パリサイ人、そして、シャロームには、聞く耳がありません。自分が神の霊によるものだということだけを根拠とする神がかりから人間離れしているからです。
 

パリサイ人は自分が人より正しく、立派であると思うとすぐ人を見下し、裁き、馬鹿にし、裁いてしまう自分の姿でもあり、

 
まさに、人の祈りをけなす、あなたシャロームの姿であります。
 

また取税人のように、権力をかさに着て、人から不当な税金を搾り取り、弱い自分を守るために、人から見下されることをひたすら恐れ、弱さを隠したり、恐れて、権力に自分の心を売ってしまい、みじめな自分を恥じて苦しんでいる人の姿です。

 
取税人には、耳あるものは聞くがよい、と言う、キリストの話を聞く耳がありました。それは、決定的な違いなのです。
 
パリサイ人、そして、シャロームには、聞く耳がありません。自分が神の霊によるものだということだけを根拠とする神がかりから人間離れしたものだからです。
 

2. shalomです。こんにちは
 2019年12月02日 16:38
イエスさまは
ふたりの人は祈るために宮にのぼったと言っておられます。
二人の人をくらべてどちらの人が正しいか、
どちらの人が間違っているかについて話されたのではなく、
神の宮にのぼり、祭壇の前に進み出て、祈ることは
だれも他の人を厳しく裁きながら、神の前にひれ伏すことはできませんし、神の前に自分の罪を悔い改めながら、他の人を罪に定める、裁くことはできず、ただひれ伏すことしかできないと話しておられるようですね。

 
楽山やシャロームなどの易坊類は、ずっと、私が裁いていると言っているが、私は批判しているのであって、それに、まともに答えず、けなし、嘘で欺き、罵っている楽山やシャロームなどの易坊類こそ、心を傷つけて、裁いている醜い罪と偽善の姿なのです。
 

イエス様は次のようにも話しておられます。
【口語訳】ルカ
あなたがたは、なぜ正しいことを自分で判断しないのか。
12:58 たとえば、あなたを訴える人と一緒に役人のところへ行くときには、途中でその人と和解するように努めるがよい。そうしないと、その人はあなたを裁判官のところへひっぱって行き、裁判官はあなたを獄吏に引き渡し、獄吏はあなたを獄に投げ込むであろう。

 
何を言っているのですか。ゴマをすってほしいのですか。あなたは、キリストではなく、御使いでもない、聖霊とも啓示とも、何の縁もない、自己顕示欲だけの偽善者です。だから、また、くだらない妄想を教えようとしてきます。
 
(ネットより)
これはたとえです。告訴する者はキリストご自身であり、被告人は群衆たちです。キリストに逆らわないで、さばきが来る前に和解しなさい、と言われています。
http://www.logos-ministries.org/new_b/lk12.html
 
>聖書の言葉は鋭い諸刃の剣ですね。
 
何がですか。あなたシャロームは、もう斬られているのに。
 
「ですね」は、やめなさい。あなたと共感するところは何もありません。
 
神は、嘘を総て見抜かれます。あなたにとっては剣だから、ひとたまりもないのです。
 

そのことについても次のように書かれています。
【口語訳】ヘブル
神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。
4:13 そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対して、わたしたちは言い開きをしなくてはならない。
神の言葉に向き合う時、人の心は切り裂かれ、心の思いと志とを見分けることができるというのです。
shalom!

 
神は、人の心をすべて知っておられ、見分けることが出来ます。力においては、どんなに小さいことも、切り裂いて、かつ、見られるのです。嘘吐きは、震えるしかない。
 

3. shalomです。こんにちは
 2019年12月02日 16:39
(ルカによる福音書、口語訳)
18:9
自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話しになった。
18:10
「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。
18:11
パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。
18:12
わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。
18:13
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。
18:14
あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
(ルカ18:9-14、新約聖書)

 
シャロームの引用2より

イエスさまは
ふたりの人は祈るために宮にのぼったと言っておられます。
二人の人をくらべてどちらの人が正しいか、
どちらの人が間違っているかについて話されたのではなく、

 
うっかり見逃すところでした。
 
 (ルカによる福音書、口語訳)18:14
あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
 (ルカ18:14、新約聖書)
 
このように、神によって義とされたのは取税人だと書いてあります。明らかに、取税人のほうが信仰として正しいのです。シャロームは、自分がパリサイに似た信条であるために、神に背いて、故意に的を外してパリサイ人を弁護しているのです。
 
読解に必要な聖句を、故意に、自分の都合で無視する、という罪を重ねています。上の解釈から、故意であることは明らかです。シャロームは、そういう人です。シャロームが好きなのは、このような悪だくみです。
 
 
いったい、どこの教会が、いったい、誰が、シャロームに、こんな妄想教理を教えたのでしょう。恐ろしいことです。
 
シャロームは、私の批判について、何一つまともに答えることが出来ません。しかも勉強する意志もなく、自分の妄想教理と妄想信条のだらだら節と、けなしのボロクソ節をもって、おとしめてきました。答えられる信仰がないから、おとしめて、腹いせをする、嘘と作り話を専らとするのであります。
 
何を聖句だけ引用しているのでしょう。神の前に、人の前に、そして、人に対して、啓示と聖霊が根拠だから議論の対象にならない、と言って、訂正不能を誇り、その高みから、わざとらしい讃美言葉と、批判者をおとしめる言葉と、自己顕示欲の教えたがる態度だけを表してきたのが、シャロームなのです。
 
神の前に、人に対して、偉そうに振る舞うのを、ごまかすために、いくら丁寧語を並べても、無駄なのに、ずっと、ずっと、白々しい丁寧語で、嘘の敬虔を装ってきた、それがシャロームであります。
 
もう決定的に、バレているのに、また、書いてくる未練がましさで、ますます、目を覆わんばかりの、みすぼらしさと見苦しさを、これからも、背教の言辞とともに、並べられても、腐った生肉を見るようで、災いだけが蝿を飛ばすでしょう。
 
 
シャロームは、実に、肉体の復活にこだわりました。どこかの国で、死人が蘇ったというニュースを聞いて、盛んに宣伝していました。肉体の復活にこだわるものは、魂の復活と再生に無頓着になります。
 
そのために、人間がどうすればよいのか、まるで学習しないので、まるで考えることが悪いことであるかのように、シャロームは、思考力を破壊し、気づきの感受性を鈍麻させ、人の言うことは聞かず、自分の言いたいことだけを言うようになっています。
 
このように、肉体の復活にばかりこだわることは、人間の心を駄目にします。私たちは、心の復活と再生だけが救いになることを学ぶべきであります。それを、経験しているキリスト者も多いと思います。
 
そこから、人知を超えた神聖の領域まで理解しようとして、いつのまにか、あらぬ非現実を口走る亡者にならないために、聖書の解釈に細部までこだわるのは、学者に任せておけばよいのであって、謎解きや興味本位に走らず、純粋な信仰そのものは、私たちが感じて受け取るものの中にだけあるのだということを知ってほしいと思います。
 
旧約聖書は、おもに、神の、全知全能、絶対完全、永遠不変を述べています。つまり、神と人の決定的な違いを繰り返し表しています。これを弁えないと、シャロームのようになるということです。
 
新約聖書は、キリストと人々の交流の中で、誰が救われ、誰が退けられたかを、表しています。ここから、救いに必要なこと、信仰と希望と愛が人間離れしたところにはないということが分かります。人間離れして神がかることには、人間性を破壊する以外、何も良いところはないのです。
 
そして、キリスト者は、このように伝えられたキリスト、すなわち、イエス・キリストを、個人自らの救い主として、自らの人生に迎え入れることが信仰であり、それは、キリストの憐れみが、生涯を通じて、自分とともにあるように祈ることを覚えることです。キリストが人々に示した共感に、私たちが共感する双方向によって成立するのです。
 
救い主、人生の同伴者、神を教えて下さった最高の説教者、そして、死を超えて、聖書を通して、今も語りかけてくるキリストの御名を通して、創造主であり父なる神に対し、隠さず、隠す必要もなく、精いっぱいの正直さをもって、罪を、そして、負い目も欠点も失敗も、飾ることなく告白し、祈り、導きを願い、待ち望むことのみが、信仰であり、信仰によって約束された救いの必要十分条件なのであります。拝。
 
 
(2019年12月04日)
 
捏造(ねつぞう)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp
(更新、コメント不可、12月消える)
 
ツイッター:
https://twitter.com/st5402jp
(ここは、たまにブログ記事をリンクする程度)
 
 
ブログ村ランキングリング:INポイントが付かない。
https://poem.blogmura.com/darkpoem/ranking.html  
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
https://philosophy.blogmura.com/christian/ranking.html
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング
https://blog.with2.net/rank4482-0.html
 
 

このページのトップヘ