ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

カテゴリ: 詩のようなもの

古い作2つ、宗教詩2つ、批判1。
 
 
  きぼう
 
そらをみれば
そらにすわれ
こなごなになって
きえてしまいそうで
 
ひとをみれば
ひとみのおくにすわれ
すきとおる こどくのなかで
いきが たえて しまいそうで
 
いつのまにか
うすい いのちに さく
はなのあいだに
ただようかおりまつみの
ほのかな
ぬくもりのかげに にている
 
 
  高い窓
 
壁の 絵の
幼い少女は 手を伸べて
あそこよ と 指さしている
 
それが最初に見た
希望の形だった
 
伸びてゆく 手 が
かすかな影を ふるわせながら
うすい 光の 向こうで
声 を 待っている
 
孤独な 光だけが
医者のように 顔色を変えないで
夜じゅう 診ていたらしい
しらんでゆく窓に 衰弱して
くぼんだ 血管の 足音を聴いている
 
その小さなふるえから身を引いて
あきらめた 手 が
狭い視野から
落ちてゆくころ
 
また朝焼けの始まる
高い 窓の
物陰に隠れて
 
目覚めてはいるが・・
 
 
 
  感謝と呪い
 
人が神様に感謝するとき
多くの場合
その賛美は的を外れており
現状の幸福か
多幸的な気分の先に向かっている
 
人が神様を呪うとき
たとえ恐れのためにあわてて
神を悪魔と呼び変えたとしても
多くの場合
その怒りは不幸なことに
ほぼ正確に神様に向かっている
 
しかし魂の奇跡のように
ごくまれに
人は神様に本気で
本当に感謝することがある
 
 
  信仰・宗教・学問
 
信仰は宗教ではありません
宗教は学問ではありません
 
学問は宗教の助けとなり
ときに宗教を汚(けが)します
宗教は信仰の助けとなり
ときに信仰を汚します
 
神から与えられたものは人を救います
人から出たものは人の助けとなり
しばしば人を汚します
 
 
(90年代)
(2020年03月06日、若干修正して再録)
(2021年03月20日、再録)
 
 
希望

希望
 
 
 
楽山について:
 
約2年以上、楽山を批判しています。楽山は、複数のブログで、好きなように書いていますが、その主張に一貫性がなく、真摯さが感じられません。キリスト教について、否定して、神はいないという主張に賛同して引用して、一方では、教会にご機嫌取りのような賛同を表したり、お祈り芝居をしたりと、まるで、何を言いたいのか定まりません。
 
霊が分かるっぽいという霊能者を気取ったり、学者に賛同してインテリを気取ったり、ひと言でいえば、宗教を心霊と超常の話に短絡させて、肯定したり否定したり、結局、楽山は、何かを気取っていなければ気が済まない人のようです。そのような気取りだけで語れるような宗教も信仰も存在しないと思うのですが。
 
さらに、複数のHNを使って成りすましている可能性があります。シャロームと楽山が同一ではないかという疑いを前から持っていますが、疑いを濃くすることはあれ、楽山が、潔白を表すような文章を書いたことがありません。今も疑惑ではありますが、むしろ、それ以外にも、成りすましているのではないかという疑惑が増えてきました。
 
最近も、確定できないので書かないけれど、疑わしいHNが複数あります。一括すれば、楽山は、インテリで、まともで、評論家で、言論が得意な整った人を気取っているだけと言えるでしょう。本音は、宗教を憎んでいるようにさえ思われます。整えることよりも、かき乱すことに快感を感じているのではないかと思います。
 
自殺を肯定するような you tube もあって、辟易とする時代ですが、楽山を批判しながら、いろいろなHNとサイトが、楽山繋がりかどうか、じっくり注意深く見てゆくしかありません。楽山に近づくのは、とても危険ですから、相手にしないでください。
 
誰がアップし、その関連記事を誰が書いたのか、確定はしていませんが、穏やかならぬ youtube の動画と筆致でした。コメント、ブログ、ツイート・リツイート、youtube ・・疑えば切りがないことです。でも、自己愛性病質者と、間違って付き合うことの弊害は、もっと悲惨であります。
 
 
(2021年03月20日)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
(古い記事は載っていません)
 
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
(ここは、ブログ記事をリンク)
 
 
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング
 
 

 
  細い道
 
 
信仰は、この巷では、細い管、細い道です。
聖書を読んでも読まなくても
キリストの共感に共感できる人は少ないのです。
 
信仰を信じ込むことだと思っている人は、一つの宗教を信じると、視野が狭くなると思っているのかもしれません。実際に、そうなる人もいるかもしれません。信仰を勘違いして、豪語したり、夢~妄想的なことばかり言う人がいるかもしれませんが、それは、宗教の間違った有り方です。
 
宗教と信仰は、人間の良心、あるいは、その潤いと温もり、すなわち、悲しみと共感に、人間の求める情感によって惹きつけ、働きかけるものなのです。
 
良心を持っていない人には、宗教が、ご利益の都合のよい超常現象か、念じて頷く自尊に見えるのでしょう。そういう人は、人格障害の病質者として、現に存在しています。
 
信仰は、信じ込むことではありません。共感することです。
 
それが忘れられないことになっても、心も思考も、人間らしさを失うことはなく、むしろ、人間としての真実追求に向かうでしょう。
 
一部の、言葉だけの絶対化に走る教条主義が、わざわざ人間の器を狭くしている、というカルト的な事情は、二千年前と、まるで変わっていないのです。
 
真の信仰は、信じ込むこととは全然違います。洗脳とは全然違います。
 
信仰に、そのような偏見を生み出したのは、一部の曲解している人たちです。それは、カルトの道であります。人が決めた道から外れると、とたんに、呪いのような言葉をかけてくるでしょう。
 
そして、そのような、呪いのような決めつけは、宗教を自認している人だけではありません。
 
反宗教にも、そのような、偏見を与える者たちがいます。彼らは、自分の傷当てに、宗教をけなします。では、彼らが宗教の代わりになる救いを与えられるかといえば、何も提示できはしないのです。
 
宗教をけなして、けなしっぱなしの者には、責任など負えません。まわりまわって、彼らが、ついには、けなされるのを、待っているだけの存在です。
 
反宗教の煽動者は、せいぜい、宗教は、信じ足りなくてもいけないが、信じ過ぎてもいけない、などという、実に、いい加減で中途半端なことを言ってきます。何の助けにも救いにもなりません。
 
そういう、悩み苦しむ人に何の助けにもならないようなことを言って自慢してくる者がいます。その中に、自己愛性人格障害者・病的ナルシスト・サイコパスも含まれていることを知ってください。彼らは自慰か自慢をしているだけなのです。
 
真の宗教は、悩みがないという自覚の人に信仰を勧めたりはしません。不安を煽ったりもしません。宗教と信仰を知るのは、何らかの悩み苦しみが生まれた時からでいいと思っています。何故なら、悩みのない人に、悩みから救われる道を伝えるのは、矛盾だからです。
 
 
(2021年03月15日)
 
 
ポエムのようなものです・・2つ再録・・
 
 
  細い管
 
 
まことに そこはかとなく
細い管の先で 出会うもの
泣いたり笑ったりの
デリケートなところを
もらっている
または
覗いている
 
求める主体も
求める対象も
人間
または
温もり
 
それを追うためだけに
彷徨う
または
遊ぶ
 
響き合うメロディやリズム
ふらちな首や手足が
貧乏ゆすりのように
合わせようとして
外れる
または
踊る
 
喜 怒 哀 楽
 歌 音 楽 快 不快 悲
顔を向け 背け 振る
受け取って
我流に
流す
または
楽しむ
 
自己中の自己満の自覚から
流してしまいたい欲求に
答えてくれよと
欲望
または
共感
 
導かれてリンク先
ヘビメタ 重金属
顔が分からぬ
メロディが分からぬ
歌詞が分からぬ
ノイズ
または
サウンド
 
 ダンシン、ダンシン、20代
 ディスコなんか行ったことないのに
 飲み会、二次会、空いたスペースで
 酔っぱらって踊っているタコのオレ
 向かいの女の子が
 きれいな笑顔で近づいてきて
 怖じけて引いた
 今も後悔
 または
 今も思い出
 
まぶしいライトの
デコレーション
ミュージック
点滅
または
煌めき
 
数分が重なって
一時間二時間
過ぎる
または
過ごす
 
まことに 
そこはかとなく
費やす時間の
傷当て
または
娯楽
 
 
(2020年03月04日)
 
彷徨う(さまよう)
煌めき(きらめき)
怖じける(おじける、怖ける)
 
 
   憂い
 
 
若者は虫歯が痛くなり
老人は歯が無くなる
 
若者は食べ物の味を気にするが
老人は食べ物の硬さを気にする
 
若者は肌の色と荒れを気にするが
老人は肌があれば気にしない
 
若者は前に足を伸ばして進むが
老人は前に倒れるのを
足をつっかい棒にして進んだことになる
 
若者はソファーの上に跳ぶことが出来るが
老人はソファーの上にいつも落下している
 
若者は慌ててトイレに駆け込むが
老人は慌ててトイレの前で濡れる
 
若者は疲れて眠るために
老人は眠るだけなのか知らないまま
目を閉じる
 
 
(2016年06月27日)
 
憂い(うれい)
慌てる(あわてる)
 
(2019年09月20日、一部修正再録)
 
(2020年03月15日、再録+) 
 
 
細い道

細い道
 
 
※ 
 
 14日見たTVタクル
 
オリンピックについて、
やるかやらないかではなく、やることは決まっている。
中止するかどうか・・云々・・
 」
 
やらないが中止なのだから、やるかやらないかだろう。詭弁くさい。
 
 
(2021年03月15日、再録+)
 
 
  楽山のリツイートですが
 
楽山は、また、他者の発言を借りて、言い逃れをしてきます。
 
心機一転★こも楽山さんがリツイート
>>
山本芳久
@201yos1
「ヨブ記」の講座の準備の為に内村鑑三『ヨブ記講演』(岩波文庫)を読んでいるが、めちゃくちゃ面白い。ヨブの苦しみに肉薄していく内村自身が人生の中で味わった様々な苦難が、迫力のある文体を呼ぶ寄せ、稀有な作品となっている。人間をよく知る者こそ、神をよく知るのだ。
>>>引用ツイート
山本芳久
@201yos1
 · 2月28日
【4月期オンライン講座のお知らせ】
新設講座「旧約聖書入門:「ヨブ記」を読む」を開講します。この世界に生きる誰もが避けて通ることのできない「悪」や「苦しみ」にはどのような意味があるのか。この根本問題に正面から取り組んだ「ヨブ記」を冒頭から丁寧に読解します。
>>>
午後1:01 · 2021年3月14日·Twitter Web App
>>
 
「人間をよく知る者こそ、神をよく知るのだ。」・・そうです。私の主張でもあります。この発言において、引用元は、正当だと思います。楽山は、人間を、考えることすら出来ません。だから、超常のことばかりで宗教を語ります。
 
神を努めて知る、ということは、人間を努めて知ることと同値であります。人について考えることなくして、神を知ることはありません。神を知ることは、聖書を読んで考えること、そこから、人間について考えることと同値であります。
 
神を知ることは、決して、人間を超えて、神聖や心霊になることではありません。ここを間違えている例が、楽山その人であります。
 
人は、この地上で生きる限り、神聖にはなれません。人は、人と世界を見て、神聖にあこがれ、希望を託す身であります。ここを間違えている例が、楽山その人であります。
 
楽山は、人間を知りません。その表れが、無反省・無責任・無理解・無神経となって表れています。人間を知らないから、楽山は、そのままでいられるのです。そして、性懲りもなく、また、人の口を借りて、言い逃れをしてきます。
 
楽山は、神聖も分かるんだ!・・と、妄想を叫んでいるようなものです。リツイートにしても、本からの引用にしても、利用~悪用されたほうは、たまったものじゃないですね。
 
楽山は、神を知りません。楽山は、屁理屈で、神?を、オモチャのように、もてあそんでいるつもりのようです。実際には、そのたびに、楽山が、救いからも聖書からも、はてしなく遠いことが表れてきただけなのです。
 
楽山には、真面目さ、真摯さが、どこにもありません。この2年間で、楽山が表したのは、そのような偽善と作為と悪意と訂正不能の自尊過大の凝固性でした。丁寧語に、だまされないでください。
 
 
(2021年03月15日)
 
 
(古い記事は載っていません)
 
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター:
(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
 
 
ブログ村ランキングリング:INポイントが付かない。
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング
 
 

一休み。旧い古いポエム再録と、
精神科医の言葉を悪用する楽山批判の追加です。
この2つ、特に関係はないです。
あとで、楽山ツイッター批判を付け加えました。
 
 
  冬の終わり
 
吹雪の向こうに
耐えるように 朧(おぼろ)げに
眼差しを向けてくる
少女のような顔
幼くて泣きそうなのか 唇は
かすかに微笑んでいるようにも見えて
初恋の人でもなく
知っている人でもないのに
去りがたく 目を
そらすことができない
 
いつの想いに
吹かれて 顔
動かないのに確かに
遠ざかる方向を
こちらへ向けている
 
ここでは吹雪なんて滅多に
吹かないんだよ なのに
どこへ 君は
誰のために
 
雪に
風に
忍ぶ 面差(おもざ)し
思わず伸ばそうとした手の先に
最後のように寒気(かんき)
触れて 巻いて 不意に
鳥だろうか ふと
横切って いつの影も
裏切って ここでは
吹雪はないんだ
 
 
 
  夢Ⅰ
 
雪が降って
凍った道に
若い女が転んだ
立ち上がろうとしてまた転んだ
手を貸して起こしてやった
寒くなかった
 
名も知らぬバス停に
待ち続ける子供らがいた
バスは来なかった
まだ待ち続ける子供らに
ここはどこですか
ここは小さい明日(あした)です
 
駅に着くと
並んでいる客車を二、三台飛び越えて
動き出したばかりの貨物列車に飛び乗った
 
木造であった
古くて床は所々抜けていた
屋根はなかった
ひどく揺れて 
しがみついているのがやっとだった
路(みち)は台形に傾斜していた
行く先は覚えていない
 
下顎骨は二つに折れて
中央は欠損していた
歯科医が骨を削り始めた
管を通すのだという
痛みは我慢しろと言ったが
しばらくして鎮静剤を打とうかと言った
 
ここはどこですか!
ここは小さい明日です
 
 
(1997年頃)
(2020年03月06日、再録+) 
 
 
冬の終わりに

冬の終わりに
 
 
(2021年03月13日、再録+)
 
 
 
 楽山のリツイートですが
 
心機一転★こも楽山さんがリツイート
精神科YouTuber男性医療関係者メンタルドクターSidow脳
@dr_sidow
·3月8日
“メンタル弱い=ちょっとしたことで傷つきやすい”
と思われがちだけど少し違う。むしろ
「本来はちょっとしたことなのに大きく捉えてしまう」
が正しい。
だからメンタル弱い人が鍛える必要があるのは防御力ではなくて解釈力。
「実際は大したことじゃないんだ」
という認識への軌道修正が大事。
午前11:12 · 2021年3月8日·Twitter for iPhone
 
楽山が引用しそうなツイートです。
「本来はちょっとしたことなのに大きく捉えてしまう」
「実際は大したことじゃないんだ」
楽山は、極めて自分に都合のよい文言を、精神科医らしい人の口から、引用しています。
この精神科医らしい人のツイートは、鬱的な思考の歪みを改善するために書かれていると思います。
同ツイッターを見ると
固定されたツイート
精神科YouTuber男性医療関係者メンタルドクターSidow脳
@dr_sidow【うつ病の方への禁句・まとめ】
うつ病は心の免疫力が下がっている状態です。
自覚がなくうつ病の方を傷つけてしまわないように、十分注意してくださいねNGサインの男性
午後7:05 · 2019年2月8日·Twitter Web Client
 」
と書いてあります。楽山には、全く当てはまりません。
 
楽山は、自分を批判されている弱い人、悲劇の主人公とでも思っているのでしょうか。実際は、楽山は、自己中から、人を騙すような、狡猾な人であって、そこに問題点があり、批判される必然があることを、悪口言われた、くらいにしか思っていないのです。
 
楽山は、決して弱い人としての性質は持っていません。
 
自らの、自己愛性の病質をごまかすために、楽山自身の重大な問題を矮小化しています。それで、大したことじゃないことを大きく捉え過ぎなんだと、それこそ、解釈しているのです。
 
またしても、楽山という病質者が、自分についての問題意識がなく、責任を感じることがなく、反省することがない、という、異常な人格であることを、自分で、露呈しています。
 
このように、悪いことを、いつも、人のせいにしてきて、自分については、そんなに気にしなくてよかったんだ、と思い込みたいのです。自己正当化であり、合理化機制であり、詭弁であります。
 
恣意的な解釈を、人の口から載せてくることが、楽山を許してはいけない動機となってきたのですが、楽山が、いかに、改善の見込めない悪質な病者であるかが表れています。人格障害というのは、このように、どこまでも、言い逃れしかしないのでしょう。しかも、他者の口を悪用して。
 
ずっと、このような、自己中心の生き方・考え方をしてきたことが、うかがえるリツイートです。そうでなければ、このような内容のツイートを引用する必要はないからです。
 
楽山の思考は、自己愛性人格障害からの自己中な作為の思考です。楽山の思考は、全く鬱的な思考の歪みではありません。こういう嘘や芝居や詭弁や恣意的選択によって、楽山は、だましてくるということです。楽山の書くものには、しばしば、このようなやり方が目立ちます。
 
楽山は、罪悪感がないために、一般的な精神療法的文言さえも、自分の都合のよいように悪用して、気が咎めることがないということです。だまされることのないように注意してください。
 
 
(2021年03月13日)
 
 
(古い記事は載っていません)
 
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター:
(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
 
 
ブログ村ランキングリング:INポイントが付かない。
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング
 
 

再録で、失礼します。今年が良い年でありますように。
 
 
 秋・冬・春のポエム ・・?
 
20年以上前に書いた詩のようなもの。
秋、冬、春、の旧作で、
再録ですが、修正せずに載せておきます。
詩のようなもの、書き始めたのは30代からですが、
今回のは、40代の頃・・にしては未熟・・
 
 
  散る
 
紅く色づいていく木々の
にぎわいに、にぎわうだけで
例えば薄い木の葉の
もうすぐ散ります
という最後の音信さえ
数知れず見過ごして
この目に見られないまま
どこからどこまで見過ごされて
散ってゆく
 
破り捨てた手紙
最後の便り
破りかけた手紙
風の便箋
破れかけた手紙
歪んだ字を
書いているペンを
握っている手
見ている眼
赤く充血していく治癒の
道行きに拙い言葉の
いつか最後の音信
どこからどこまで過ぎて
散ってゆく
 
 
  秋の光
 
若い光は
雲間に見え隠れしながら
パラダイスと極楽浄土を
写し分けて遊んでいた
 
緩やかな川に沿って
水辺に風を引き込んで
葦がきらめきを閉じつつあった
 
もう映らないのだろうか
なめらかな筆の先に
険しく曲がりくねった道も
伝説の峠も
黄金の都も
金箔の神殿も
 
足跡の残らない道に
次から次へ
若い光は
降り注いでは散り急ぐ
 
 
  すでに冬が
 
すでに冬が
向こうの空に待っているから
朝の光は眩しく
鋭い冷気で
今の時間を貫いて射してくる
明るい昼のぬくもりが
柔らかい毛筆の
雲の宛名を家々に配るときにも
霜の平地から
氷の水たまりと
雪の山々を用意して
すでに凍った光を放ちながら
幾つもの瞳を跳ね返して
冬は鏡を開き始めている
 
 
(1996年ごろ、晩秋から初冬か)
 
 
  僅かな元気
 
キュッキュッ
急ぐ必要はないアンケートのハガキ
ポストまでの僅(わず)か三十メートル
この冬初めての積雪
この冬一番の寒さ
雨なら気温が十度高くても
歩く気にはならなかっただろう
雪に照らされて
動いた僅かな元気
キュッキュッ
覚えのある
たくさんのキュッキュッ
いっしょに踏みしめていた
 
(1999年02月05日)
 
 
  失われた箱
 
晴天
箱が焼かれる
古き宝
瑠璃も玻璃も
欺かれて漆
焦げてなお煙る
雲間を走る金色の木馬
シーソーが突き上げる
自慰に過ぎないバランス
段差の遊戯を見やりながら
階段を去っていく聖者
過ぎた儀式に埴輪のテーブル
与えあう食事
好き嫌いの食卓
押入れの中で羽根が回る
人形の目が閉じる
滑るコップ
流れる皿
傾いた信条
広場から湖へ
手に手に合掌
南へ渡る紙飛行機
黙祷 ああ 誰を慰めている
木馬の頃を過ぎて
賂に明け暮れる箱
見知らぬ丘
晴天
設計図が舞い上がる
新しき宝 押さえる手
どこかで羽根が回っている
 
(1997年3月28日)
 
(2020年12月30日、ごく一部修正)
 
賂(まいない)
風車(かざぐるま)
 
 
 主よ、今年も
 苦難と試練の続くときには
 それに耐える力と心をお与え下さい。
 わが主イエス・キリストの御名によって祈ります。拝。
 
 

鯛夢(たいむ)トンネル

鯛夢(タイム)トンネル
 
 
(2020年01月01日、一部加筆して再録)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
(古い記事は載っていません)
 
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター:
(ここは、たまにブログ記事をリンクする程度)
 
 
ブログ村ランキングリング:INポイントが付かない。
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング
 
 

一息つきます。再録です。今日と明日。
 
  他人・水・氷(再録)
 
 
  他人と自分
 
いろいろな能力それぞれに
とても優れた人がいる
うらやましい
その能力を持ちたいか
持ちたい
その人になりたいか
なりたくはない
 
疑うことを知らないような
信仰厚き人がいる
その信仰を持ちたいか
その人になりたいか
どちらも即座に
おぞましいことのように
気持ち悪いことのように
なりたくない
 
能力は人が生かすもの
人格は生きる人そのもの
信仰は人を生かすもの
 
他人がどうであれ
自分がどうであれ
他人になりたいか
 
なりたくなどないのである
 
(2010年12月30日)
 
 
  水の生き物
 
ガラスの内側でも
川の流れでも
お前は水
流れても淀んでも
腐っても
お前は水
コップに注いで
これから飲もうとする
イオンに洗われるか
細菌に吐かれるか
渇きを癒すか
下痢を来たすか
何も告げずに
今宵かすかな光に
揺らめいて屈折する
お前の前に
何も知らずに
受けるしかない
屈折した水の生き物
 
(1998年1月4日)
 
 
  氷たち
 
氷は自らを溶かしながら滑る
滑らせる
切れ味を試すように
溶けて役に立つ氷
溶けずに邪魔になる氷
人を悩ませる氷
人を殺す氷
美しい雪景の下に凍った人が眠る
人を殺さない氷
誰も悩ませない氷
邪魔にもならない氷
溶けても溶けなくても役に立たない氷
味のない氷
切れるものが何処にあろうか
自らを削ること以外に術(すべ)を持たない
氷は自らを溶かしながら滑る
滑った果てに消えてなくなるまで
注がれる眼差しもない僅(わず)かの
水を残しながら
水を干しながら
 
(1999年12月25日)
 
 
  冬の悲鳴
 
ひええっ
と細い木が立っていた
寒風に吹かれて
幹は揺れ
枝は震えながら
花も実も葉も落ちて痩せ細った裸のように
でも萎えてはいなかった
裸でもなかった
枝は天空のあらゆる方向を指していたし
幹は樹皮に覆われ揺れながらも
真っ直ぐ上に向かって立っていた
すでに春の訪れを知っているかのように
強(したた)かに芽吹きの準備をしているのだろう
とても冷たい風の強い日だった
気が立っているのか萎えているのか結局
ひええっ
だけが私のものだった
 
(2000年02月07日)
 
 
正義

正義?
 
 
(2020年12月31日、再録)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター:
https://twitter.com/st5402jp
(ここは、たまにブログ記事をリンクする程度)
 
 
ブログ村ランキングリング:INポイントが付かない。
https://poem.blogmura.com/darkpoem/ranking.html
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
 
 

このページのトップヘ