ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

カテゴリ: 詩のようなもの

 
  時と風2
 
 
時は風のようなものだ
 
あの日の時と
今の時と
それほど変わりはない
 
同じような時が日々の必要を告げる
 
あの日の風と
今の風と
それほど変わりはない
 
同じような風を頬に受けている
 
私たちの変わりようといったらどうだろう
 
時は風のようなものだ
 
流れてゆくようで
流している
 
流れてゆくのは私たちのほうだ
 
 
私たちは時ではない
私たちは風ではない
 
時も風も空しさを感じない
感じるのは私たちだ
 
私たちは
時に乗じて風のように進むのではない
 
時にも風にも限りはないが
私たちには限りがあって
 
時にも風にも変わりはないが
私たちは変わりがあって
 
必要に応じて
受けたものを返してゆく
 
感じるから返してゆく
 
 
※ 
 
あの日の時も風も知らないのに
まるで比べるかのように
未知の終わりに向かって変わり続ける自分
 
そういう悲哀に共感できる人は信仰に向いている。
 
一方で、そういう共感を全く持ち得ない者がいて、反信仰しか語れなくなっているが、そういう者が、なぜ、生まれて、存在しているのか、という疑問は、神がいるのに、なぜ、悪があるのか、という疑問とともに、神の大きな懐に秘められているのです。
 
 
(2019年04月)
 
(2020年04月25日、修正)
(2021年05月20日、加筆して再録)
 
 
 (伝道の書、口語訳)1:14
わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである。
 (伝道1:14、旧約聖書)
 
 (伝道の書、口語訳)
2:25
だれが神を離れて、食い、かつ楽しむことのできる者があろう。 
2:26
神は、その心にかなう人に、知恵と知識と喜びとをくださる。しかし罪びとには仕事を与えて集めることと、積むことをさせられる。これは神の心にかなう者にそれを賜わるためである。これもまた空であって、風を捕えるようである。
 (伝道2:25-26、旧約聖書)
 
 (伝道の書、口語訳)
4:15
わたしは日の下に歩むすべての民が、かのわらべのように王に代って立つのを見た。 
4:16
すべての民は果てしがない。彼はそのすべての民を導いた。しかし後に来る者は彼を喜ばない。たしかに、これもまた空であって、風を捕えるようである。
 (伝道4:15-16、旧約聖書)
 
信仰を持ち、日々、何かを努めるとしても、私たちは、時が経てば、寿命が尽きていなくなる存在。「風を捕えるようである」≒ 私が読んだ聖書の訳「風を追うようなものだ」、つまり、私たちは空しい存在だ。この地上の世界は、限りある私たち人間にとって、空しく思えてならない。
 
そのことを強調しながら、伝道者が伝えるのは、2:25にあるところの、神を離れては楽しめない、≒ 神がおられるからこそ楽しめる、という教訓的な讃美になっている。
 
地上の人の生き様が、いかに空しいかを説きながら、神のもとで楽しむことを説いている。いわゆる神への、逆説の讃美歌となっている伝道の書。私は、そういう伝道の書が好きです。
 
 
(2020年05月02日)
 
 
※ 近況
 
母は、4月30日、肺炎で入院しました。入院は、介護施設に入ってから3回目、今年2回目です。入院手続きとともに、ドクターからの説明あり、熱も下がって、肺炎は治りはするが、繰り返す可能性、急変もあり得る、そういうときの延命処置をするかどうか、など、要するに、"いつでも死にうるから覚悟せよ"的な説明を受けました。頷くしかない。
 
母は97歳、尿路感染と肺炎を繰り返せば、でこぼこのダウンスロープは、だいたい分かる。
 
入院手続きの話と、書類が、保証人、支払い、小物の申込書、日常の洗濯物、タオルなど、わぁ、私に聞かれても分からないことも多くて、私は、お世辞にも、まめな孝行息子ではないので、介護施設に連絡を取って、病院に電話して決めてほしい旨お願いして、前回、ハンコを忘れたので、今回は持っていって、書類は病院で書いて済ませて帰ってきました。
 
母はコロナの肺炎ではないようですが、慎重さが求められており、面会は出来ませんでした。今は元気だそうです。
 
(2020年05月01日の近況)
 
母は、腰の骨を折って、整形外科入院。そこで認知症が明らかになって、小規模多機能介護施設入所。肺炎や尿路感染で内科入院。そして、リハビリのために老健施設入所、そして、先月、有料老人ホーム入所となって今に至ります。面会もコロナ禍の影響で少なく、ときに必要な物を持っていって帰って来るという程度でした。
 
コロナについては、検査も、ワクチンも、未だです。親子共々、年が寄って、世間のことからは関心も離れてゆく感じになっています。どっちが先に・・・なんてことも考えますが、分からないことだらけで、神にお任せするしかないのです。せめて、日々の暮らしに、心が荒れませんように。拝。
 
(2021年05月20日、現在の近況)
 
 
 
  少年と空
 
少年は空に焦がれる
少年は病んでいた
 
少年は口笛を吹き
歌を歌った
 
歌は空に流れ
きらめく無数の塵となって消えた
野に遊ぶだけの
少年の毎日
 
いつか風が吹いていた
いつか草が倒れていた
日は暮れつつあった
燃えるように誰もいなかった
 
少年が空に投げた希望も、夢も
やさしさも、光も、鏡も、人形も
ついに空に届くことはなかったが
夕暮れ、赤く焼けた大地に
空はどこまでも
少年の面影を追い続けた
 
口笛は空に焦がれる
口笛は病んでいた
 
(90年代か)
 
 
時と風

時と風
 
 
 
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一休み。批判と、詩のようなもの、昔々の春の詩4つ。宗教1つ+
あり合わせで申し訳ない。
 
 いつも不真面目な反キリスト楽山のツイッターです。
 楽山の、まとも芝居にだまされてはいけません。
 
心機一転★こも楽山
@komo266
なんとなしに、『ジョーズ』で、人喰いザメ対策より、経済優先を主張する人がいたことを思い出しました 顔文字(口を開けて冷や汗をかいた笑顔)
引用ツイート
釈 量子
@shakuryoko
 · 4月23日
“戒厳令”で支持率が上がるとでも思っているのでしょうか。経済を回さなければ、生きていけません。“独裁者ごっこ”はやめていただきたい。
#灯火管制
 」
午後5:11 · 2021年4月24日·Twitter Web App
 
コロナ禍の問題を、「なんとなしに」『ジョーズ』で語ったつもりの楽山です。万事このような考え方であることが、この2年間で明らかになっています。真剣味が、まるで無いのです。
 
宗教を、趣味の、ファンタジー、ホラーアニメ、パニック映画、お伽噺、フィクションといったレベルで語って、批判し、否定したつもりになっている楽山であります。
 
コロナ禍については、そろそろ、医療崩壊、経済崩壊、パニックに備えて、生存権を直接強力に守る政策を考えておかないといけないような気もします。
 
人口3億2千万アメリカ:感染数3200万人(人口の10分の1)、死亡57万人。
人口1億2千万の日本:感染数56万人、死亡1万人弱。
(人の死を「万」単位で見ているとは・・。オレも、そのうち、行くんか・・の世界。)
アメリカの死亡数と日本の感染数が同じくらいというのは、まだまだ、日本では、終わらないという意味でしょうか。
 
 
 楽山に筆致の似ているツイートですが
 
raku
@rakusyo34
偽情報に惑わされない方法って、
そもそも、偽物ほど
友達、ママ友アピールしたり、
急に会ってこられたり、
永遠に食べられない人参をぶら下げて、多幸感アピールしてくる界隈は要注意ですね。
午後11:15 · 2021年4月24日·Twitter for iPhone
 
気取りだけの評論家である楽山は、まわりくどい丁寧語のボンヤリ言語と、わざとらしい卑下芝居のトホホ言語をもって、てれてれと、しつこくアピールしてきます。
 
文章を読んで、楽山には反省も訂正もする気がなく、理路は破綻し、感性は鈍麻して、およそ、楽山が引用する学者や有名人とは比べ物にならないほど、低劣な欲望の動機と、途方もない高望みから、愚にもつかぬ文章を書いているのが分かります。
 
しかし、それを、楽山に指摘しても、無視して、平気で、続けているのは、やはり、何らかの病質のせいであろうと思っています。いずれ、楽山の言葉は飛び散って、解体されるであろう宿命の、刺すような孤独感に駆り立てられての本能的衝動行為に至るのでしょう。
 
楽山こそ、「永遠に食べられない人参をぶら下げて、多幸感アピールしてくる」身の程知らずの、不感不応の、変質的で衝動的な煽動屋に過ぎないのです。
 
 
 
  陽気2
 
朝は冷ややかなプチうつをもてあそび
ほころびをつくろう部屋の始まり
 
昼は歩みを木の廊下にしつらえて
やさしい足裏の弾力に厭世を返す
 
夜はふくらんだ嫉妬をしずかに灯し
こだわりのない時を温める
 
幾度ひっくり返ったら
虫のあやまちを悔いるだろう
 
乾いた悲劇が陽気を嗅ぎつけて
恥ずかしい vivo が失われそうだ
 
 
(2020年03月11日)
 
vivo(ヴィーヴォ):生体(内)
 
 
 
以下、旧作「失せた心」「陽気」「三寒四温」
 
 
  失せた心
 
いつしか春を楽しむ心も失せて
失せた心が芳春を舞っている
 
いつしか花を愛でる心も失せて
失せた心が落花を浴びている
 
いつしか新芽を喜ぶ心も失せて
失せた心が新芽を噛んでいる
 
いつしか己を慈しむ心も失せて
失せた心が短い弦を震わせる
 
過ぎ去った春の巻き尺は切れ
また来る春までの時計は狂い
無数の季節の余事に絡まれ
乏しい接線を切れ切れに解いて
かじかむ手から汗ばむ手へと
見渡す春に渡されてゆく
 
 
(1999年03月30日)
 
 
  陽気
 
突然言うんだ
生活者なんかじゃない
変態のガリガリ亡者だ
そうじゃない
まともな生活はしてないが
そうじゃない
すると車の中にいる
乗せた覚えのないやつが
隣で言うんだ
この春は
何か欠けているな
そうかな
この一年いろいろあったけど
そうかな
脳ミソの神経か血管でも欠けたか
ふーっとため息ついて
また部屋に戻っている
春は そうだ いつも
わけのわからぬ問いが
ちらほら降ってくる
腕を組み
首をかしげ
この部屋の中に
同じように首をかしげてるやつが
少なくとも二、三人はいる
 
 
(1997年3月31日)
 
 
  三寒四温
 
ふるえながら部屋で
PCのキーボードを叩いていた
ディスプレイにやられたらしい
目汁
鼻汁を笑えぬ
寒さかな
で翌朝は
水の冷たさが憎たらしくない
昼は車の中で汗ばんで
暖かいのやら寒いのやら
温かいのやら冷たいのやら
夕方 宙ぶらりん
俺みたい どっちつかずの
ぼんやりしている瞼よ開け
澱(おり)のような顔の
孤独から
早く飛びだせ芽の光
 
 
(1997年3月6日)
(2011年2月28日、若干修正)
(2020年03月12日、旧作一部修正再録)
 
 
 
 
  絆(きずな)
 
どんなに固く抱きしめても
心は移ろい離れてゆく
たとえどんなに心通わせても
この世に別れの尽きることはない
 
痛みと傷と
涙と悔いと
もう別れはたくさんだと
吐き捨てるように
首を振る
誰に向かって
 
あの田舎の町の
片隅の
小さい木造の
貧しい礼拝堂の隅で
さらに小さくうつむいて
ふるえるように顔さえ見せず
ひたむきに手を組んでいた
あなたよ
他によるべのない
あなたよ
その信仰を少し分けてもらえまいか
私と愛する人々のために祈ってもらえないだろうか
 
心貧しきは幸いなり
心貧しきは宝なり
 
 
※ 繰り返し書きますが
 
心貧しさは、先入観のないこと。
精神の貧困は、先入観しかないこと。
 
 
春・陽気

春・陽気
 
 
(90年代?)
(2021年04月27日、再録+)
 
 
※ 
 
 苦言
 
一部のキリスト者の信仰は、
教理など教えられたことばかりになって、
反芻しているみたいに信仰を語る語彙が常同的で
大方、讃美ばかりで、自分の言葉が少なくなって
"頭がカチンカチン教" になっていることがあります。
 
キリスト教において
悪い言葉を口にしない
という聖句の教えから
批判しないこと美徳とし批判を禁忌のように思うのは
大罪であります。
 
言論において
理路と感性が鈍くなり
口にすれば讃美と豪語だけになるのは
カルトの特徴だからです。
 
そこには
悪意を懐に隠して
丁寧語ですり寄る偽善者が訪れるでしょう。
キリストを殺した者たちと同じ体質なのです。
 
求道者とキリスト者の集まりで
神っているんですか
と言う人がいたとき
顔が硬くなり語気を強める人はカチンカチンです。
 
余裕を持つべきというのではありません。
神様はどこにいらっしゃるんだろう
という問いは
キリスト者にとっても
一生の問いとして共感できるはずだからです。
 
そのとき
キリスト者は
神を証明するのではありません。
弁護するのでもありません。
私たちにそんな能力はありません。
 
神を、そして、キリストを
信じるようになった経験を語るのです。
 
そうすれば分かることがあります。
キリスト者が
神などいないかのような世界に生きていること。
 
そこで、自分が、
なぜキリストを必要としているかを語ること
それこそが、信仰を語ることであり、福音伝道だと思います。
 
 
(2021年04月27日)
 
 
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古い作2つ、宗教詩2つ、批判1。
 
 
  きぼう
 
そらをみれば
そらにすわれ
こなごなになって
きえてしまいそうで
 
ひとをみれば
ひとみのおくにすわれ
すきとおる こどくのなかで
いきが たえて しまいそうで
 
いつのまにか
うすい いのちに さく
はなのあいだに
ただようかおりまつみの
ほのかな
ぬくもりのかげに にている
 
 
  高い窓
 
壁の 絵の
幼い少女は 手を伸べて
あそこよ と 指さしている
 
それが最初に見た
希望の形だった
 
伸びてゆく 手 が
かすかな影を ふるわせながら
うすい 光の 向こうで
声 を 待っている
 
孤独な 光だけが
医者のように 顔色を変えないで
夜じゅう 診ていたらしい
しらんでゆく窓に 衰弱して
くぼんだ 血管の 足音を聴いている
 
その小さなふるえから身を引いて
あきらめた 手 が
狭い視野から
落ちてゆくころ
 
また朝焼けの始まる
高い 窓の
物陰に隠れて
 
目覚めてはいるが・・
 
 
 
  感謝と呪い
 
人が神様に感謝するとき
多くの場合
その賛美は的を外れており
現状の幸福か
多幸的な気分の先に向かっている
 
人が神様を呪うとき
たとえ恐れのためにあわてて
神を悪魔と呼び変えたとしても
多くの場合
その怒りは不幸なことに
ほぼ正確に神様に向かっている
 
しかし魂の奇跡のように
ごくまれに
人は神様に本気で
本当に感謝することがある
 
 
  信仰・宗教・学問
 
信仰は宗教ではありません
宗教は学問ではありません
 
学問は宗教の助けとなり
ときに宗教を汚(けが)します
宗教は信仰の助けとなり
ときに信仰を汚します
 
神から与えられたものは人を救います
人から出たものは人の助けとなり
しばしば人を汚します
 
 
(90年代)
(2020年03月06日、若干修正して再録)
(2021年03月20日、再録)
 
 
希望

希望
 
 
 
楽山について:
 
約2年以上、楽山を批判しています。楽山は、複数のブログで、好きなように書いていますが、その主張に一貫性がなく、真摯さが感じられません。キリスト教について、否定して、神はいないという主張に賛同して引用して、一方では、教会にご機嫌取りのような賛同を表したり、お祈り芝居をしたりと、まるで、何を言いたいのか定まりません。
 
霊が分かるっぽいという霊能者を気取ったり、学者に賛同してインテリを気取ったり、ひと言でいえば、宗教を心霊と超常の話に短絡させて、肯定したり否定したり、結局、楽山は、何かを気取っていなければ気が済まない人のようです。そのような気取りだけで語れるような宗教も信仰も存在しないと思うのですが。
 
さらに、複数のHNを使って成りすましている可能性があります。シャロームと楽山が同一ではないかという疑いを前から持っていますが、疑いを濃くすることはあれ、楽山が、潔白を表すような文章を書いたことがありません。今も疑惑ではありますが、むしろ、それ以外にも、成りすましているのではないかという疑惑が増えてきました。
 
最近も、確定できないので書かないけれど、疑わしいHNが複数あります。一括すれば、楽山は、インテリで、まともで、評論家で、言論が得意な整った人を気取っているだけと言えるでしょう。本音は、宗教を憎んでいるようにさえ思われます。整えることよりも、かき乱すことに快感を感じているのではないかと思います。
 
自殺を肯定するような you tube もあって、辟易とする時代ですが、楽山を批判しながら、いろいろなHNとサイトが、楽山繋がりかどうか、じっくり注意深く見てゆくしかありません。楽山に近づくのは、とても危険ですから、相手にしないでください。
 
誰がアップし、その関連記事を誰が書いたのか、確定はしていませんが、穏やかならぬ youtube の動画と筆致でした。コメント、ブログ、ツイート・リツイート、youtube ・・疑えば切りがないことです。でも、自己愛性病質者と、間違って付き合うことの弊害は、もっと悲惨であります。
 
 
(2021年03月20日)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
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  細い道
 
 
信仰は、この巷では、細い管、細い道です。
聖書を読んでも読まなくても
キリストの共感に共感できる人は少ないのです。
 
信仰を信じ込むことだと思っている人は、一つの宗教を信じると、視野が狭くなると思っているのかもしれません。実際に、そうなる人もいるかもしれません。信仰を勘違いして、豪語したり、夢~妄想的なことばかり言う人がいるかもしれませんが、それは、宗教の間違った有り方です。
 
宗教と信仰は、人間の良心、あるいは、その潤いと温もり、すなわち、悲しみと共感に、人間の求める情感によって惹きつけ、働きかけるものなのです。
 
良心を持っていない人には、宗教が、ご利益の都合のよい超常現象か、念じて頷く自尊に見えるのでしょう。そういう人は、人格障害の病質者として、現に存在しています。
 
信仰は、信じ込むことではありません。共感することです。
 
それが忘れられないことになっても、心も思考も、人間らしさを失うことはなく、むしろ、人間としての真実追求に向かうでしょう。
 
一部の、言葉だけの絶対化に走る教条主義が、わざわざ人間の器を狭くしている、というカルト的な事情は、二千年前と、まるで変わっていないのです。
 
真の信仰は、信じ込むこととは全然違います。洗脳とは全然違います。
 
信仰に、そのような偏見を生み出したのは、一部の曲解している人たちです。それは、カルトの道であります。人が決めた道から外れると、とたんに、呪いのような言葉をかけてくるでしょう。
 
そして、そのような、呪いのような決めつけは、宗教を自認している人だけではありません。
 
反宗教にも、そのような、偏見を与える者たちがいます。彼らは、自分の傷当てに、宗教をけなします。では、彼らが宗教の代わりになる救いを与えられるかといえば、何も提示できはしないのです。
 
宗教をけなして、けなしっぱなしの者には、責任など負えません。まわりまわって、彼らが、ついには、けなされるのを、待っているだけの存在です。
 
反宗教の煽動者は、せいぜい、宗教は、信じ足りなくてもいけないが、信じ過ぎてもいけない、などという、実に、いい加減で中途半端なことを言ってきます。何の助けにも救いにもなりません。
 
そういう、悩み苦しむ人に何の助けにもならないようなことを言って自慢してくる者がいます。その中に、自己愛性人格障害者・病的ナルシスト・サイコパスも含まれていることを知ってください。彼らは自慰か自慢をしているだけなのです。
 
真の宗教は、悩みがないという自覚の人に信仰を勧めたりはしません。不安を煽ったりもしません。宗教と信仰を知るのは、何らかの悩み苦しみが生まれた時からでいいと思っています。何故なら、悩みのない人に、悩みから救われる道を伝えるのは、矛盾だからです。
 
 
(2021年03月15日)
 
 
ポエムのようなものです・・2つ再録・・
 
 
  細い管
 
 
まことに そこはかとなく
細い管の先で 出会うもの
泣いたり笑ったりの
デリケートなところを
もらっている
または
覗いている
 
求める主体も
求める対象も
人間
または
温もり
 
それを追うためだけに
彷徨う
または
遊ぶ
 
響き合うメロディやリズム
ふらちな首や手足が
貧乏ゆすりのように
合わせようとして
外れる
または
踊る
 
喜 怒 哀 楽
 歌 音 楽 快 不快 悲
顔を向け 背け 振る
受け取って
我流に
流す
または
楽しむ
 
自己中の自己満の自覚から
流してしまいたい欲求に
答えてくれよと
欲望
または
共感
 
導かれてリンク先
ヘビメタ 重金属
顔が分からぬ
メロディが分からぬ
歌詞が分からぬ
ノイズ
または
サウンド
 
 ダンシン、ダンシン、20代
 ディスコなんか行ったことないのに
 飲み会、二次会、空いたスペースで
 酔っぱらって踊っているタコのオレ
 向かいの女の子が
 きれいな笑顔で近づいてきて
 怖じけて引いた
 今も後悔
 または
 今も思い出
 
まぶしいライトの
デコレーション
ミュージック
点滅
または
煌めき
 
数分が重なって
一時間二時間
過ぎる
または
過ごす
 
まことに 
そこはかとなく
費やす時間の
傷当て
または
娯楽
 
 
(2020年03月04日)
 
彷徨う(さまよう)
煌めき(きらめき)
怖じける(おじける、怖ける)
 
 
   憂い
 
 
若者は虫歯が痛くなり
老人は歯が無くなる
 
若者は食べ物の味を気にするが
老人は食べ物の硬さを気にする
 
若者は肌の色と荒れを気にするが
老人は肌があれば気にしない
 
若者は前に足を伸ばして進むが
老人は前に倒れるのを
足をつっかい棒にして進んだことになる
 
若者はソファーの上に跳ぶことが出来るが
老人はソファーの上にいつも落下している
 
若者は慌ててトイレに駆け込むが
老人は慌ててトイレの前で濡れる
 
若者は疲れて眠るために
老人は眠るだけなのか知らないまま
目を閉じる
 
 
(2016年06月27日)
 
憂い(うれい)
慌てる(あわてる)
 
(2019年09月20日、一部修正再録)
 
(2020年03月15日、再録+) 
 
 
細い道

細い道
 
 
※ 
 
 14日見たTVタクル
 
オリンピックについて、
やるかやらないかではなく、やることは決まっている。
中止するかどうか・・云々・・
 」
 
やらないが中止なのだから、やるかやらないかだろう。詭弁くさい。
 
 
(2021年03月15日、再録+)
 
 
  楽山のリツイートですが
 
楽山は、また、他者の発言を借りて、言い逃れをしてきます。
 
心機一転★こも楽山さんがリツイート
>>
山本芳久
@201yos1
「ヨブ記」の講座の準備の為に内村鑑三『ヨブ記講演』(岩波文庫)を読んでいるが、めちゃくちゃ面白い。ヨブの苦しみに肉薄していく内村自身が人生の中で味わった様々な苦難が、迫力のある文体を呼ぶ寄せ、稀有な作品となっている。人間をよく知る者こそ、神をよく知るのだ。
>>>引用ツイート
山本芳久
@201yos1
 · 2月28日
【4月期オンライン講座のお知らせ】
新設講座「旧約聖書入門:「ヨブ記」を読む」を開講します。この世界に生きる誰もが避けて通ることのできない「悪」や「苦しみ」にはどのような意味があるのか。この根本問題に正面から取り組んだ「ヨブ記」を冒頭から丁寧に読解します。
>>>
午後1:01 · 2021年3月14日·Twitter Web App
>>
 
「人間をよく知る者こそ、神をよく知るのだ。」・・そうです。私の主張でもあります。この発言において、引用元は、正当だと思います。楽山は、人間を、考えることすら出来ません。だから、超常のことばかりで宗教を語ります。
 
神を努めて知る、ということは、人間を努めて知ることと同値であります。人について考えることなくして、神を知ることはありません。神を知ることは、聖書を読んで考えること、そこから、人間について考えることと同値であります。
 
神を知ることは、決して、人間を超えて、神聖や心霊になることではありません。ここを間違えている例が、楽山その人であります。
 
人は、この地上で生きる限り、神聖にはなれません。人は、人と世界を見て、神聖にあこがれ、希望を託す身であります。ここを間違えている例が、楽山その人であります。
 
楽山は、人間を知りません。その表れが、無反省・無責任・無理解・無神経となって表れています。人間を知らないから、楽山は、そのままでいられるのです。そして、性懲りもなく、また、人の口を借りて、言い逃れをしてきます。
 
楽山は、神聖も分かるんだ!・・と、妄想を叫んでいるようなものです。リツイートにしても、本からの引用にしても、利用~悪用されたほうは、たまったものじゃないですね。
 
楽山は、神を知りません。楽山は、屁理屈で、神?を、オモチャのように、もてあそんでいるつもりのようです。実際には、そのたびに、楽山が、救いからも聖書からも、はてしなく遠いことが表れてきただけなのです。
 
楽山には、真面目さ、真摯さが、どこにもありません。この2年間で、楽山が表したのは、そのような偽善と作為と悪意と訂正不能の自尊過大の凝固性でした。丁寧語に、だまされないでください。
 
 
(2021年03月15日)
 
 
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一休み。旧い古いポエム再録と、
精神科医の言葉を悪用する楽山批判の追加です。
この2つ、特に関係はないです。
あとで、楽山ツイッター批判を付け加えました。
 
 
  冬の終わり
 
吹雪の向こうに
耐えるように 朧(おぼろ)げに
眼差しを向けてくる
少女のような顔
幼くて泣きそうなのか 唇は
かすかに微笑んでいるようにも見えて
初恋の人でもなく
知っている人でもないのに
去りがたく 目を
そらすことができない
 
いつの想いに
吹かれて 顔
動かないのに確かに
遠ざかる方向を
こちらへ向けている
 
ここでは吹雪なんて滅多に
吹かないんだよ なのに
どこへ 君は
誰のために
 
雪に
風に
忍ぶ 面差(おもざ)し
思わず伸ばそうとした手の先に
最後のように寒気(かんき)
触れて 巻いて 不意に
鳥だろうか ふと
横切って いつの影も
裏切って ここでは
吹雪はないんだ
 
 
 
  夢Ⅰ
 
雪が降って
凍った道に
若い女が転んだ
立ち上がろうとしてまた転んだ
手を貸して起こしてやった
寒くなかった
 
名も知らぬバス停に
待ち続ける子供らがいた
バスは来なかった
まだ待ち続ける子供らに
ここはどこですか
ここは小さい明日(あした)です
 
駅に着くと
並んでいる客車を二、三台飛び越えて
動き出したばかりの貨物列車に飛び乗った
 
木造であった
古くて床は所々抜けていた
屋根はなかった
ひどく揺れて 
しがみついているのがやっとだった
路(みち)は台形に傾斜していた
行く先は覚えていない
 
下顎骨は二つに折れて
中央は欠損していた
歯科医が骨を削り始めた
管を通すのだという
痛みは我慢しろと言ったが
しばらくして鎮静剤を打とうかと言った
 
ここはどこですか!
ここは小さい明日です
 
 
(1997年頃)
(2020年03月06日、再録+) 
 
 
冬の終わりに

冬の終わりに
 
 
(2021年03月13日、再録+)
 
 
 
 楽山のリツイートですが
 
心機一転★こも楽山さんがリツイート
精神科YouTuber男性医療関係者メンタルドクターSidow脳
@dr_sidow
·3月8日
“メンタル弱い=ちょっとしたことで傷つきやすい”
と思われがちだけど少し違う。むしろ
「本来はちょっとしたことなのに大きく捉えてしまう」
が正しい。
だからメンタル弱い人が鍛える必要があるのは防御力ではなくて解釈力。
「実際は大したことじゃないんだ」
という認識への軌道修正が大事。
午前11:12 · 2021年3月8日·Twitter for iPhone
 
楽山が引用しそうなツイートです。
「本来はちょっとしたことなのに大きく捉えてしまう」
「実際は大したことじゃないんだ」
楽山は、極めて自分に都合のよい文言を、精神科医らしい人の口から、引用しています。
この精神科医らしい人のツイートは、鬱的な思考の歪みを改善するために書かれていると思います。
同ツイッターを見ると
固定されたツイート
精神科YouTuber男性医療関係者メンタルドクターSidow脳
@dr_sidow【うつ病の方への禁句・まとめ】
うつ病は心の免疫力が下がっている状態です。
自覚がなくうつ病の方を傷つけてしまわないように、十分注意してくださいねNGサインの男性
午後7:05 · 2019年2月8日·Twitter Web Client
 」
と書いてあります。楽山には、全く当てはまりません。
 
楽山は、自分を批判されている弱い人、悲劇の主人公とでも思っているのでしょうか。実際は、楽山は、自己中から、人を騙すような、狡猾な人であって、そこに問題点があり、批判される必然があることを、悪口言われた、くらいにしか思っていないのです。
 
楽山は、決して弱い人としての性質は持っていません。
 
自らの、自己愛性の病質をごまかすために、楽山自身の重大な問題を矮小化しています。それで、大したことじゃないことを大きく捉え過ぎなんだと、それこそ、解釈しているのです。
 
またしても、楽山という病質者が、自分についての問題意識がなく、責任を感じることがなく、反省することがない、という、異常な人格であることを、自分で、露呈しています。
 
このように、悪いことを、いつも、人のせいにしてきて、自分については、そんなに気にしなくてよかったんだ、と思い込みたいのです。自己正当化であり、合理化機制であり、詭弁であります。
 
恣意的な解釈を、人の口から載せてくることが、楽山を許してはいけない動機となってきたのですが、楽山が、いかに、改善の見込めない悪質な病者であるかが表れています。人格障害というのは、このように、どこまでも、言い逃れしかしないのでしょう。しかも、他者の口を悪用して。
 
ずっと、このような、自己中心の生き方・考え方をしてきたことが、うかがえるリツイートです。そうでなければ、このような内容のツイートを引用する必要はないからです。
 
楽山の思考は、自己愛性人格障害からの自己中な作為の思考です。楽山の思考は、全く鬱的な思考の歪みではありません。こういう嘘や芝居や詭弁や恣意的選択によって、楽山は、だましてくるということです。楽山の書くものには、しばしば、このようなやり方が目立ちます。
 
楽山は、罪悪感がないために、一般的な精神療法的文言さえも、自分の都合のよいように悪用して、気が咎めることがないということです。だまされることのないように注意してください。
 
 
(2021年03月13日)
 
 
(古い記事は載っていません)
 
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター:
(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
 
 
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