ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

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医者はとうにやめた私ですし放射線にも詳しくないのですが、
保険医新聞というのが月に一度送られてきます。
その中の記事で気になって、どうしようかと迷いながらも、
そのまま通り過ぎることが出来ないような気がしました。
数量的事実つまりデータや数値については、
私が自分で検証することが困難なので・・参考までにということで・・
未承認の抜粋~引用(~まとめ)なのですが・・
 
 
 「10mSv以下の低線量被曝で発がんリスク増」
  全国保険医新聞2014年2月25日(第2600号)
   松崎道幸 (北海道反核医師の会代表委員、深川市立病院) より
 
 
原発事故の周辺住民の放射線被爆は、
長年じわじわと被曝する低線量被曝である
ということを確認した上で・・
 
 
放射線被ばくの追跡データというのは
原爆被爆者の追跡データを利用してきたらしい。
それは、1000mSv(ミリシーベルト)で
癌による死亡のリスク(以後、癌死リスク)が
47%増加するというデータである。
100mSv以下の低線量被曝では
原爆のような一瞬の被爆よりも
傷ついた遺伝子を自己修復する余裕があり
遺伝子の損害は少なくなるはずだとして
癌死リスクを割り引いて計算することになっているらしい。
そして放射線による発癌リスクは低線量被曝では
他の要因による発癌リスクによって隠れてしまうほど小さくて
リスクの増加を証明するのは難しいということを
科学的知見として説明しているという。
 
上のデータは次の2つの理由で小さく見積もられてしまうという。
1.1945年の原爆投下から5年を経た時点での生存被爆者
 つまり放射線被ばくに強い集団を選んでいること。
2.対照集団としての「被爆ゼロの集団」が
 被爆ゼロではなかったこと
 ・・爆心から2.5㎞以遠の被爆者を対照集団としたが、
 外部被爆だけでも数mSvの被爆があったこと。
 
 
そこで
低線量被曝でも発癌リスクが有意に増加する
という・・以下、報告・・
 
2011年カナダ
心筋梗塞の診断と治療のために
CTを受けた8万人を5年間追跡した結果、
10mSvの被爆毎に発癌リスク3%ずつ増加。
 
2012年イギリス
CT検査を受けた18万人の子供を23年追跡した結果、
50~60mSvの被爆で
白血病や脳腫瘍が有意に3倍増えていた。
 
2013年イギリス
小児白血病患者27000人と対照小児37000人
を比較した結果、5mSvを超えると
1mSvにつき白血病のリスクが12%ずつ増加。
 
2013年オーストラリア
CT検査を受けた68万人の子供では、
CT1回(平均4.5mSv)被爆毎に
小児癌のリスクが20%ずつ有意に増加。
(20%癌になるという意味ではなく、
 リスクが被爆なしより20%増加するという意味でしょう。
 それにしてもこれはかなり驚きですが・・)
 
 
原発事故では外部被爆だけでなく内部被爆も生じているため、
被爆の健康影響はさらに大きくなると考えるべきだという。
 
 
※ 本稿の詳細は
「国際原子力ムラ その形成の歴史と実態」
(日本科学者会議編、合同出版)
を参照されたい。 ・・とのこと
 
 
(私の補足?として・・)
報告は医療用放射線のようですから、
こういう定量的な記事とデータを引用し解釈して評価するのは
私としてはかなり難しい感じがしました。
あくまで低線量長期被爆の影響ということでの報告です。
これだと
医療用放射線も要注意ということになりそうな気がしますが、
原発事故と違うのは
1.被爆した患者以外に対しては遮蔽可能な
 何より小規模であるということ、
2.医療用放射線については照射する側も照射される側も
 被爆することを予め知っているということでしょう。
 
 
(2014年04月04日、同日、著者名書き忘れてました(汗))
 
 
 
 


  「脳死は人の死?」
 
この命題は
倫理的にとか、または、
条件付きで真偽を云々する命題ではないはずである。
倫理よりも科学的に、
倫理とか心情とか以前の
科学の命題として考えるべきことである。
 
生死の判定には1つも例外があってはならない。
1つ以上の例外は、即、反証となる。
そのとき「脳死は人の死」は否定される。
科学の法則は、理論があっても、実験による実証を経て初めて信頼される。
脳死には理論はあるが、症例による実証がなされているのかが疑問。
例外があるかどうかは、治療継続による経過観察以外にない。
脳死状態と判定された場合、その判定が覆ってはならない。
また症例全例が心臓死に移行することを実証しなければならない。
症例数が多いほど、判定の信頼度は増す。
 
脳死判定による死の判定には1例も例外があってはならない。
もしあれば、それだけで立派な反証になる。
 
「脳死は人の死」が否定された場合
「脳死は必ずしも人の死ではない」が真となるが、
それを承知の上で、それでも遺言その他によって、
脳死がもたらす予後の苦悩を考えて、等々の理由によって、
「それでも臓器を提供したい」という人の場合どうするか
という問題にいたって初めて
脳死移植は、科学以上の、安楽死や尊厳死を含めた生命倫理の問題となる。
 
(2011年05月02日、一部加筆修正)
 

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