愛も悔いも書き残す
 
8年ほど前に投稿したものを手直しして投稿します。
 
 
  「聖書語」
 
 
前に、解釈信仰、神秘信仰、史実信仰、奇跡信仰、といった言葉を用いましたが、それらはいずれも人が解釈したことを神として信仰するのはおかしいという批判でした。ゆえに人の解釈を通しているので、一括して解釈信仰と呼んでよさそうに思えます。
 
しかもそれらは解釈した文章的なものだけではなく、すり込まれた観念か体質か習性のように染みついてきます。そこから外れると条件反射のように拒否反応が起こりやすくなっているようです。
・・「言っちゃいけない」「聞いちゃいけない」の潜在意識 ? ・・
 
「聖書語」というものについて前に書きましたが、教会では兄弟でもないのに兄弟と呼び合う。怖いのは、兄弟という呼称そのものではなく、兄弟と呼び合うことによって整った信徒である自分を確かめ合っているかのような雰囲気でしょう。信仰は呼称によって確かめることは出来ません。
 
そして聖書の話をしたり聞いたりするのですが、聖書に関連した好ましい話だけが語られるようです。そして讃美、感謝、きれいな言葉しか言わない。そんなに都合のよい話ばかりではないというようなことを言うと、とんでもないかのように風向きが冷たく変わってしまう。
 
ずっと昔いたことのある教会で、洗礼を受けるときに発作を起こして倒れた信徒がいて、その話を牧師に言うと、牧師がまるで舌打ちでもするかのように不快な表情を見せたことがありました。
 
教会では、にこやかに好ましいことだけを語って讃美していないと気が済まないらしい・・
・・牧師も長老も信徒も・・まるでパブロフの犬ではないか・・
 
またこの譬えで「誇る者↓」に書いたような変な解釈をされると困るので書いておきますが、パブロフの犬は人に飼われています。神に飼われているのではありません。人の解釈による慣習的条件付けです。「犬を誇る」なんて成り立ちません。
 
讃美できないような都合の悪い話について、現実の悲劇の話はおそらく結論は出ないと思います。教会はこの世にある間は聖なる教会ではないからです。人間の教会です。教会が人間としての共感を持ってそういう話を共有し考え話し合える場であったなら、私は教会から離れることはなかったかもしれません。
 
牧師は悩みのない平安の辻褄合わせのためにいるのではないのだから、確信や威厳という神の前に空しい虚栄よりも、育むべきは真実であり、人間同士の信頼関係です。牧師が信徒とともに人間として苦悩している教会であってほしいと願って止みません。
 
 
 
  誇る者
 
 
弱いと言えば
「弱さを誇る」と言う。
そうじゃない。
正面を向いて解決しようとせず
裏でこそこそ話を回すような
卑怯な「弱さ」のことを言っている。
 
しみついていると言えば
「しみを誇る」と言うのか。
そうじゃない。
体質のように「しみついて」
陰で欠点を譬えたシミに言いかえるような
卑怯な「しみ」のことを言っている。
 
臆病と言えば
「臆病を誇る」と言いかねない。
そうじゃない。
どこまでも受けず答えず考えず
教えられた沈黙を美徳とするような
卑怯な「臆病」のことを言っている。
 
卑怯と言えば
「卑怯を誇る」??
とでも言うのだろうか。
 
言い訳をする信仰者にはなりたくない。
強くもなりたくない。
実際、弱いのだから。
弱さがあれば
折々に主に捧げてゆくものだ。
 
パウロは、それが出来ていたから
「弱さを誇ろう」と言ったのである。
 
 
 (コリント人への第2の手紙、口語訳)
12:9
ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
12:10
だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。
 (2コリント12:9-10、新約聖書)
 
 
 
  善の判定
 
 
時が移れば、善と思ったことが悪の種になることもあり、因果は複雑になり、判定は困難です。自分の言動の影響を、影響がなくなるまで追える人はいない。ゆえに、善かれと思って傷つける、ということが起こります。人間の善は、絶対には成りえない。非絶対性=相対性を弁えておくべきでしょう。
 
悪の判定。善の対極の悪の判定は、善の判定と同じ理由で困難です。さらに両極の判定だから、善と悪の境界は不明瞭となる場合があります。
 
偽善の判定。善を装うことは比較的卑近に行われ、装いを見抜くことも上の2つに比べて困難な場合があります。しかし、経過観察によっては、可能かもしれない。ゆえに偽善の判定が重要になります。
 
偽善は自己満足の安易さを持っているので、その手段において、いつも同じやり方が通用することを求めます。即ち常態を欲するのです。偽善はほぼ常に自己防衛的なので、固着した常態を外れると、感情的になりやすく、ゆえに行動化しやすい。そのときの圧力を感じることが必要です。
 
圧力が生み出す軋轢が自他ともに、偽善の実害の始まりということになります。重要な問題で軋轢を生じるときには、どこかに固定観念から自己満足や偽善の種が蒔かれているのかもしれません。ゆえに、善は偽善を明らかにする過程で、おぼろげな在り方を暗示するのかもしれません。
 
 
 
  愛が引き裂くもの
 
 
いかなる愛も、食い違うというほどではなく、歯車は歯の僅かなズレで、回るほどに摩耗してゆきます。よかれと思ったことに過剰な期待を抱く出会いであったなら、誰にも出会ったことはないと思っているほうがよかったのだろうか、しかしそれでも、どうかあなたの信じるものと暮らしてください。
 
縁があることを疑いもせずに受け入れることがどうしても出来ないから、お互い与えようとしたものは贈り物にならなかった。もはや擦り減って、それぞれの軌道に空転しているだけで、離れられない無償の熱が噛み合わない隙間を焦がすばかり・・。
 
 
静かなる愛 共感

静かなる愛 共感
 
 
(2022年02月06日、再録+加筆)
 
 
 
  失敗だった曲に合わせて

束の間の夢をいだいて
秋の街を歩いた
あの頃
君の心にはもう
動きようのない索引が
私をいっしょにまとめてしまう
はねるような笑顔で
秋の色をたたんで
君は去った

女は性を求めていた
彼女は位置を求めていた
そして仕事を
私は今も遊び人
使い物にならないリビドーを秘めて
また秋の街を歩く
君の音色を求めても無駄なこと
失敗だった曲に合わせて
私は歌い始める
そしてせめてはと
そっと
君の思い出に
裏切るように
生と死の境目で
歌を滑らせる
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
楽山は、信仰といえば、超常現象を信じ込むことだと思っているようです。霊が分かるっぽい自覚があるからです。ゆえに、楽山の欲望の魂胆は、教祖願望だと思います。楽山は自己愛性人格障害のために、自他の心の問題を理解できません。ゆえに、楽山は、信仰を語る資格はないと判断しています。
 
 
 
 『近思録 朱子学の素敵な入門書』
  朱熹・呂祖謙編集、福田晃一訳解
 2022年02月05日 楽山日記(LD)
 
 
楽山の背伸びした読書、というより、読んだと言いたい我執だけです。短い記事で、感想というより、空疎に褒めているだけです。楽山の、いい加減体質と、自己顕示欲が、鼻に突くだけです。
 
*背伸びした読書
 先日、『近思録』を読み返してみたので、特に共感できた箇所について感想を書きたいと思う。
 ちなみに、『近思録』について、Wikipediaにはこうある。
『近思録』(きんしろく)は、朱熹と呂祖謙が周濂渓、張横渠、程明道、程伊川の著作から編纂した、1176年に刊行された朱子学の入門書である。4人は北宋時代の学者で、宋学を始めた人物とされる。内容は、14章に分かれている。
日本では江戸時代後期に各地の儒学塾で講義された。豊後日田の広瀬淡窓の咸宜園では、『伝習録』とともに学業の最後の段階に位置づけられていた。
・近思録 - Wikipedia
 」
四書五経も知らず学問のない自分には、本書は難しいのではあるが、己の未熟さを知るには、たまにはこういう背伸びした読書もいいものである。
 
「こうある」「難しい」「背伸びした読書もいいものである」・・背伸びしても、感想文になっていません。「共感できた箇所について」何も書いていません。こう書いておけば謙虚と思われるじゃろ・・という芝居の意図だけが明らかです。こういうのを書いて見せようとすることに呆れます。
 
 
 
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