ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

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  楽山ツイートの害
 
 
楽山は、ちょこちょこ刺してくる蚊のようなものです。針でつつくようなポイントは、大方、的外れです。相手を困らせればよいという目的なので、真実の追求などする気はありません。議論の本来の目的から甚だしく逸脱して、議論の焦点を、煙のように、周辺に拡散させ混乱をもたらします。
 
楽山は、難癖をつけてくるだけの人です。文脈を追うことが出来ないので、相手の文章の一部に、不適切だと思う箇所を見つけて指摘して満悦したいのです。全体の流れを把握できないので、書いた人の心も、込められた意図も、理解できません。楽山は何も伝わらない別の世界から見下ろしているだけです。
 
ちなみに、楽山がいだいている神?の概念は、あらゆる不幸から都合よく守ってくれて、楽山を満足させてくれる神?です。つまり、楽山に分かりやすく味方となる神?です。楽山は、神に条件を付けて、満足したら信じてやるぞと言っているのです。・・そういう神?は、永遠に、どこにもいません。
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
ちなみに、キリスト教信者とやりとりすると、聖書の引用を「聖句」とは言っても、「枝葉」なんて言うことはないです。少なくとも私はそんな人に出くわしたことはない。
このことからも、HS信者であるといいながら、総裁の言葉の引用を「枝葉」と言って恥じることのない棒氏の不信仰がよく分かります。
午後10:00 · 2022年7月20日·Twitter Web App
 
楽山は、キリスト者と、まともに遣り取りなどしていません。出来ないのです。キリスト者と言っても、正誤も主張もいろいろですが、そもそも楽山は、キリスト教を理解していませんし、信仰のいちばん大事なところを何も知りません。空想や妄想をを見るのと同じ視線です。
 
楽山は、枝葉末節でも、利用して、詰(なじ)ってきます。相手のフォーカスを外してゆきます。その先には混乱しか待っていないことを利用しているのです。殆ど、本能的に、そういう操作をしてくるので、一見まともに見えても、楽山との議論は禁忌なのです。精神の健康を守るためです。
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
またか…。相変わらず、棒氏は不信仰な人だね。
まともな信者なら、「総裁の言葉は、すべて珠玉の真理だ。一言半句も聞き漏らすまい」とは言っても、「枝葉」なんて言うはずがあるまい。
ましてや『仏陀再誕』『永遠の仏陀』の言葉について、そんなことを言うわけもない。
このアカウントの所有者はツイートを表示できるアカウントを制限しているため、このツイートを表示できません。詳細はこちら
午後9:56 · 2022年7月20日·Twitter Web App
 
楽山の、批判や攻撃の口調は、しつこくて嫌らしいのが特徴です。同じことを繰り返すしかないようですから、楽山を相手にしないでください。楽山と遣り取りを続けると、感情的になって、精神が疲労し、混乱し、疲労のために弱く鈍感になります。それが狙い、そして生業(なりわい)なのです。
 
楽山は、議論の文脈を把握することが出来ません。細かいところを指摘したつもりのようですが、そこは本筋ではないので、いちゃもんを付けたいだけです。そういう進め方の悪癖は、議論の出来ない者が、まともに見せかける、卑怯な、そして無理解な策略だということも分かってきます。
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
あと、この議論は、アンチの楽山が「HSでは大川隆法への信仰を説いてる」とし、信者がそれに反対するという笑える状況になってます。
このねじれ現象に気づいてないらしい棒氏は、枝葉にとらわれ、議論の本質が見えてないってことです。
信者なのに、不信仰を主張してどうすんの?(笑
午前7:13 · 2022年7月21日·Twitter Web App
 
楽山は、アンチでも、HSでもないと思います。自己満足のために関わって、かき乱して悦んでいるサディストだろうと思っています。信者でもないのに、宗教や信仰を語ってどうすんの?・・楽山は、何の福音にもならない迷惑媒体です。楽山に関わっている人は、直ちに逃げてください。
 
病的ナルシストは、はてしなく議論してきますが、実際には、はてしなく、いじって、意地悪な的外れの指摘をまともに見せかけて、得意になっているだけなのです。そして、しばしば笑います。あざ笑いです。オレのほうが上・・とでも言いたいのでしょう。自己満足の権化であります。
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
いいえ。現在、私は反論待ちの状態です。
楽山「HSでは、総裁への帰依が説かれてる」(根拠提示あり)
田中「帰依の必要なし」
棒「『仏陀再誕』『永遠の仏陀』の信仰論は枝葉にすぎない」
田中、棒氏の言葉は、根拠提示なく、ただの感想にすぎず、反論になってません。
午前7:10 · 2022年7月21日·Twitter Web App
 
楽山と議論してはいけません。楽山は議論などしていません。反論など待っていません。楽山が用意するのは嘘と詭弁だけです。精神衛生上の危険人物であり、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)であり、有害無益であり、論者として成立しない人です。
 
楽山の意見のベースは、根拠ではなく、妄想です。オレは分かってる妄想です。実際には、キリスト教批判にならない、いちゃもんだけを書いてきた履歴があります。楽山は、相手が興奮して、感情的になって、乱れてくるのを、嬉しそうに眺め、勝ったと満悦する悪趣味のサイコパスです。
 
楽山の議論めいたコメントの目的は、相手を焦らせ、怒らせ、慌てさせて、勝ったと思い込むことで、極めて原始的な自己満足を求めてやっていることだから、遣り取りをしても、結実することが何もありません。糧(かて)にも参考にもなりません。気取りだけがあり、良心も共感もないからです。
 
節操も知識も分別もない楽山が何か言ってきたら、つきあって、なんだか難しいこと言われた・・という記憶にならないように、明確に、楽山との議論は拒否してください。言い返そうなどと思わないで、ただ、あっちに行け・・と言えばよいと思います。楽山は有害なバグに過ぎないのです。
 
 
 楽山のツイッター紹介文
 
幸福の科学の元会員です。幸福の科学を批判することもありますが、歪曲捏造はせず、公平でまっとうな批判を心掛けているつもりです。よろしくお願いします。無言フォロー失礼。
 
元HS会員も、HS批判も、本当だろうかと疑っています。楽山は、批判者ではなく、いちゃもん屋です。真実の追求という目的を持っておらず、難癖をつけて、相手が困るのを見て満悦するために、批判めいたことを書いてきます。慇懃な言葉遣いも、柔和~謙虚芝居も、そのためです。
 
 
崩壊する理路

崩壊する理路
 
 
(2022年07月22日)
 
 
 
 キーワード:虫
 
 
  オートバイ
 
ドアも屋根もない
回ることしか知らない
不思議な乗り物にまたがって
命を吹き込む
荒々しい響きに身を任せると
すぐに人も景色も
流れ過ぎる風となる
虫や葉やわらくずが
突然に現れては消える
長い直線の向こうに
道は曲がって消える
それから先はわからない
その疑問に向かって
早くもたどり着いた風は
心細い私を乗せたまま
今大地を
傾斜する刃物に変える
 
 
  ひっこし
 
破れて失われた
日記の頁には
何が書かれてあったのか
読めない字
意味のない落書き
詩のようなもの?
 
どこを捜しても見つからない本
ふとこぼれ落ちた小銭
買った覚えのない週刊誌
紐を取ろうとして
けつまずいて倒れた
お腹の上に文庫本落ちる
ほこりが鼻をくすぐる
ボール箱には奇怪な傷
いつのまにか壁にはしみ
窓の外では風が止み
くすんだ青空
虫が横切る
 
はて
どこかで同じような?
 
破れて失われた日記の頁に
何が書かれてあったのか
 
 
  びしょ濡れ
 
ぶらりと歩いて
コンビニでお買い物
空っぽを下さい
 
銀行に入ると
通るべき空間がすでに用意されている
レールよりも複雑だ
時間と音さえ狭い通路
べらんめえ口調ってのはどうだろう
 
映画館でみている
閉じたまぶたの裏を
病のようにギラギラと波打つ闇を
 
公園に座っている
近くの草をむしりながら
意外と落ち着かないものだな
目的がないということは
目的があるということは
どれくらい本当のことかしら
 
君も遠くなったな
太古の昔のことのよう
思い出すというより
まるで想像している
君と僕に接点があったなんて
 
ライトをつける
ポンコツのバイクの音が
夜に響く
 
それよりもチクチクと
無数の虫がライトに飛び込んでくる
 
夏の夜の田舎道
田んぼが見えない
 
ライトが照らす前景だけが
浮き上がって過ぎ去る
 
自分が見えない
虫が当たる痛みを感じる
虫の死を感じない
 
この角は知っている
ふいに曲がるから
 
まだ西の空に
少し夕方が残っていた
夕暮れに連なる道
いつか消えて
 
ライトを消して
エンジンを止めると
沈黙と暗闇の中で
焼かれているものがある
 
ぶらりと歩いて
ドアを開けてふらついた
今日は濡れずにすんだね
実はびしょ濡れなんだ
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
楽山の言うことが一見整っているように見えて、実際は最初から、まとまってもいないのは、相手の言うことを貶すことばかりに専念してきたマイナスの学習結果でしょう。相手が、まともに答えようとして、理路を乱してしまうのが、楽山の狙いです。精神衛生上、楽山との議論は、禁忌なのです。
 
 
 
楽山の害毒メモ:
今までに表れてきたこと。これは、聖書においてキリストの敵となった宗教指導者や、偽善者の特徴でもあります。この世で最も迷惑な人の特徴です。
 
人格:
自己愛が強く自己中である。
笑いと怒りしかなく、反省と共感がない。
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)と思われる。
平気で嘘を吐く。様々な詭弁を弄して、柔和に見せかける。
深い情感がなく、共感性がない。相手が疲れるのを見て快感を得る。
後悔、反省、修正ができない。学習による成長がない。
罪悪感、羞恥心が見られない。サイコパスと思われる。
アドラー心理学の宣伝をしていた。自己中心である。
中身や実質のない形骸的精神機能しか持たない。
 
議論:
議論や交流が、表面的で、整わない、できないし、する気がない。
相手の意見を受け取っていないので、反論、弁明が成り立っていない。
理路が常識的にも浅く、基本的に訂正不能である。理解力がない。
自分なりの堅実な理路を組み立てられない。
読書自慢。感想は平板で、独創性や深みがない。
様々な気取り。読書家気取り、評論家気取り、インテリ気取り、など。
分かっているという我執から離れられない。
非を指摘されると、逆に、こちらに当てはめて被害者面をする。
人を批判~誹謗中傷するが、その言葉で自分が斬られるブーメラン現象。
真面目に応答~議論すればするほど、病的な徒労感と疲労のみをもたらす。
ボンヤリ言語:語尾を濁し曖昧で婉曲的な言い方で、印象を刷り込もうとする。
トホホ言語:謙虚で弱いと思わせて悪意を隠すための嘘の芝居。
しばしば、自身への同意を期待して、見え透いた世辞を言う。
「反省。とほほ」などと書くが、不自然であり、前後で何も変わらないので嘘です。
 
宗教:
反キリスト、反宗教。聖書およびキリスト信仰を、貶めてくる。
キリスト教とキリスト信仰を字面だけで云々し、理解していると思い込む。
HSを脱会したと言っているが、真実かどうか、疑わしい。
霊能者のつもりだが、それに見合う直観的洞察は皆無である。
 
楽山の書いた文章を、3年数か月のあいだ見てきた結果ですから、大きく変わることはないでしょう。これらについては、新しい情報によって、必要なら加筆し、繰り返し載せることになるでしょう。
 
 
 
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  昔ポエム
 
 
  御国への希望
 
来世に寄せる望みは儚(はかな)い
見えない何かは やはり見えない
天国は見えない
地獄は見たくもない
今度生まれてくるときは・・・
この世には生まれてきたくない
しかし
召されて死んで
御国に至る希望に生きる
ほかにない それでよい
死後の世界など分からない
御国がどんなところか
知らない しかし
希望は抱(いだ)かれるとき
常に現在形である
 
 
 
  エゼキエル書 (抜粋)
 
わたしは生きている
わたしは悪人の死を喜ばない
むしろ悪人が
その道を離れて生きるのを喜ぶ
 
義人の義は
彼が罪を犯すときには彼を救わない
わたしが義人に
彼は必ず生きると言っても
もし彼が
自分の義を頼んで罪を犯すなら
彼の総ての義は覚えられない
 
と主は言われる
 
正しいと思ってすることも
それが自分の義か
主の義であるか
を考えることは大切である
それを考えれば答えは
「わからない」 よって
もし自分の義に過ぎないのならば
主の義に導いてください
もし罪を犯したのならば
お赦しください という
祈りに至るから
 
私は主の羊
主の牧場(まきば)の羊
心安らかに荒野(あらの)に住み
森の中に眠りたい
 
 
 
  年を経て
 
僕にも二十代、十代があったんだよ、と
自分でも信じられないから
心に叫ぶのでしょう
 
今は違う若さから
成長してきた人々の間にいて
全然知らない人生の結実を垣間見ている
 
同じような風景でも
違う生き方の中で
たとえば空も
それを見ている人が
それを見ている間
その人の意味をもつものなのでしょう
 
忘れられない場面
重ねて
遠く
別の人にはまた別の
忘れられない出来事
 
心の層に積み重なって
見えないものは見えないまま
関わっている
人の動き
 
ある日 誰でもいい
人の笑顔が
妙に懐かしく思えるときがあります
 
 
 
  残照
 
窓からこぼれてくる
残照を
拾おうとしている
 
拾おうとした
あの日
抱きしめた偶像が
崩れていくのを拾おうとした
真っ白になった目の前で
ぽたぽた落ちて広がる
失った熱を引きずって
ぬるりと臭気の中で
足場がなくなるのを
切り裂いたものだと知った
 
もう二度と真っ白になれない
残照
残したもの
もうとっくに沈んでしまった
もう暗い
もう遅い
もう遠い
今は
あの山の向こうにでもあるんだろうよ
あの日壊れたものは
今も壊れたままだけどね
 
 
 
  黒い土
 
やっと見つけた黒い土を
しばらく見つめたのち
手に掬(すく)って
握りすぎて指の間からこぼれないように
持って帰って鉢(はち)に入れた
何も植えずに毎日水をかけた
ときどきは目を閉じて触ってもみた
日光に明るく照らされて土
寒い季節が終わる頃
知らない小さな芽を出してきた
未熟な緑
切り取らず
切り取られず
踏み付けず
踏み付けられず今度は
たくましく生きられたらと
語りかけた芽の下に
古い友人が眠っている
 
 
 
  こぴぺ
 
つめたくなでられる
ネガになる
みやすい
やすやすと
きえる
あらわれる
けされる
はられる
もどせる
としをとらない
でんし
おぼえる
わすれる
としをとる
ひと
ネガになる
もどせない
きかない もう・・・
フリーズ
 
 
 
 (抜粋)
 
 とても小さくて
 どこへ行ったのだろう
 とても小さくて心細そうだったのだけれど
 傷心のうちに隠れて見えないのだろうか
 闇の中に潜んでいるのか
 遠くからの光に吸い込まれたのだろうか
 光の中に散乱したのだろうか
 大きさも重さもない点の存在が
 広く広く果てもない波動に同期して
 焦点に向かって終息したというのか
 それとも収束と発散を
 宇宙と木陰を
 高慢と心貧しさを
 一筋の清らかな
 直線でも曲線でもなく
 時空とも呼べないところへ
 透き通ったまま通り抜けて行ったのだろうか
 水とも火とも
 あれは〇○○と
 名付けられる前に
 
 
希望は いつも 現在形

希望は いつも 現在形
 
 
(2022年07月03日、再録+加筆)
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
反省が出来ないことを「自分もそんな風です」などと、誰でもそうみたいに一般化できるでしょうか。否です。折に触れて反省、ときに謝罪は、人間らしさです。できないのは人間として異常なのです。それを「難しいんだよなあ」「人間の性」で済ませるのは、さらに異常~病気なのです。
 
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
棒氏は、アンチを論破したら粘着されたと言うけど、現実はこうでしょ。
① 棒氏はアンチに噛みつくも、返り討ちにあってアカ削除
② 新アカつくってアンチに噛みつくも、またもや返り討ちにあってアカ削除
③ ②を繰り返す。
論破されて粘着してるのは、アンチでなく、棒氏の方だよ。
 
楽山は、誰を論破したわけでもなく、しかも、いちゃもんを宗教批判に見せかけながら、ネットに粘着しています。化かし合いを楽しんでいるのです。良心を傷つけることを楽しんでいるのです。浮いてきた垢として、一日も早く、削除されるべきは、楽山の嘘と詭弁です。
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
棒氏は相変わらずだね。
年齢など、議題とは関係ない話に論点をずらしたり、慇懃無礼なやりかたで侮辱したり、アンチを論破したと嘘をついたり、粘着されてると被害者コスプレしたり…。
 
論点をずらして迷路に誘導して酷い疲労を与えたり、丁寧語や世辞で、慇懃無礼な言い方で、侮辱したり、平気で嘘を吐いたり、粘着されてると被害者面をしたりしてきたのが楽山です。そして節操もなく発作的に長い長い記事を書いたり、泡を吹くように、だらだら引用したりするのが楽山です。
 
楽山は、何の根拠もなくネットに寄生して、何の貢献もせず、人をディスってきたり、さらに、こちらが根拠をあげて批判しても、あざ笑って無視してきました。もはや、楽山の顔は、ひょっとこのように、人間らしさを失って、冥界のコメディアンならぬ受けない経読みの独り言師なのです。
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
これは典型的な棒四季論法ですね。
棒氏は、自分にとって都合の悪い話題になると、
そんなことには無関心なポーズをとり、
上から目線で適当にあしらうようなことを言い、
早々に話を打ち切ろうとします。
 
楽山は、自分に都合の悪い話題になると、何事もないかのように無視し、「上から目線で」「あしらう」ようなことを言い、勝手に、話を打ち切ったつもりです。しかも、その後、批判者を粘着ストーカー呼ばわりして雑言を言いまくっておいて、何事もなかったような顔をします。楽山ブーメラン全開です。
 
 
 
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  偽アンチ:楽山の機関銃
 

 幸福の科学とは何だろう?ブログ by 楽山
 「アンチ論法」と「棒四季論法」2022年06月27日

 http://mmknky21.blog.jp/archives/15340373.html

   を批判。
 
 
楽山の発作的引用による投稿です。HSを批判しているつもりです。自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)である楽山には、反省することや共感することが出来ません。楽山の、上から評論家口調で語るのも、学術用語を好んで使うのも、自己愛という妄想の産物です。
 
HS側の意見は画像なので省略します。HSについては知識不足で、かつ、そこに楽山を批判する焦点はないからです。楽山はHSを批判していますが、その批判に、楽山が無視しているか、気づかない、病質的な欠陥からの悪意と作為が表れていると判断して書いています。
 
決して楽山と遣り取りをしてはいけません。とても異常な疲労を受け取ることになります。
決して楽山を味方と思ってはいけません。楽山は平気で裏切ります、逃げます。
楽山は異常者です。信頼関係を築くことの出来ない人です。
 
 
棒氏のアンチ論法の感想を書いとこう。
まず①について。
大概のアンチ諸氏は、信者の意見でも、まともなものはまともだとします。何でも反対ではない。
棒氏に反対意見が殺到するのは、他人にしたことは自分に戻ってくる、批判したら批判されるというだけのことです。
 
「まともなものはまともだとします」・・楽山の肯定は、世辞か、何らかの狙いがあってもことですから、真に受けないでください。楽山は、人のことなど、どうでもいいのです。自分を高めたいだけです。楽山には「他人にしたことは自分に戻ってくる、批判したら批判される」が起こりつつあります。
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
②について
棒氏は、「誤読だ! 誤読だ!」と騒ぐくせに、文意についての質問には、答えをはぐらかして逃げてばかりです。
どこがどう誤読かの説明はしません。
ようするに、アンチに反対したいだけなのでしょう。
 
楽山は、自分に都合の悪いことには、屁理屈を並べるか、平気で無視してきます。無視の虫です。楽山は、正当な理路がないために、相手の理路が分からず、それを、ごまかし、疲れさせる迷路を用意しています。決して関わっていけない人です。
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
③について
棒氏は、ブーメラン発言ばかりするから、文意を入れ替えて返されるんですよ。
盛大なブーメラン発言をしておきながら、それを指摘するなというのは無理な注文だし、これを避けたいなら、人を責めるより、まず自分が気をつけることです(笑
 
批判したら、その批判が自分に向かってくる、というブーメランは、楽山に、ほぼ常態として表れてくる現象です。自分を見て反省するということが出来ないからです。「人を責めるより、まず自分が気をつけること」・・これは明らかに、楽山に向けられるべきことなのです。「(笑 」の嫌らしさ・・。
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
④について
これは⑫と矛盾してますね。
アンチ諸氏は基本的に、相手の発言に対する感想を述べるだけです。事実から離れて推論に推論は重ねません。
どちらかというと、棒氏の方が相手の心理を邪推し、相手の発言とは真逆の結論に持っていきがちです。
 
楽山の推論は、結論から始まります。「真逆の結論に持っていきがち」・・楽山の場合、自己中の結論から始まるのです。「事実から離れて推論に推論は重ねません」・・これは、いけないことでしょうか。推論は、理路によって、新たな水路に至ることはあるでしょう。
 
問題なのは、事実~現実から離れて、話を捏ねまわすことです。楽山は、霊能者気取りから、また、学者気取りなどの、現実離れしたことが大好きで、現実離れしてゆく傾向があります。それが、楽山の、履歴なのに、よく他者のことを言えるものです。楽山から楽山へのブーメラン全開です。
 
「相手の心理」を推測することが、邪推であるかどうか分かる前提で、楽山は言っているようですが、言ってみなければわからないこともあるでしょう。反省は、いつも、後から必要なことです。反省という言葉だけ書いて、反省をしたことのない楽山に言われたくはないものです。
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
⑤⑥について。
棒氏は、アンチは嘘をついていると繰り返してますが、これまでのところ、一度もアンチの嘘を証明できてません。
棒氏は「アンチは必ず嘘をつく」という暴言を吐いてましたけど、そういう嘘、侮辱は止めるべきです。
 
楽山は、他者の嘘を証明できない人です。いつも、別世界の自己満ワールドから物を言うので、楽山の理路の、始まりも、途中も、結論も、信頼するに値しないものになっています。だから、私は、楽山と、直接の遣り取りはしません。楽山の地獄のような詭弁ワールドの影響を防ぐためです。
 
楽山には、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の病識が全くありません。いつも、気取って物を言うけれど、そこから学べるものは、欠片ほどもないのです。他者を、人を、悩ませ、混乱させるのが、楽山の唯一の生き方であり、生き甲斐なのです。どうか楽山から離れてください。
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
⑦について。
HSの中にいるなら、HSの意見が主流だと勘違いするのも仕方ないかもしれません。
でも現実には、HSは少数派です。このことは幸福実現党の選挙結果からも分かるはずです。
HSは信じないのが多数派であり、一般の意見だというのが現実ですよ。
 
楽山と交わっていると、楽山の意見が、まともに見える人がいるでしょう。しかし、そこから汲み取れる真実も救いも、楽山は用意していません。楽山は、ただ、対立者に文句を言って、おとしめてくるだけです。説得力に見せかけている発言は、みな、自分自身を除外して言っているのです。
 
楽山には教祖願望、リーダー願望があると思います。元々霊能者気取りと、霊能を礼賛する性根があります。無神教カルトである楽山が信じているのは、いつか自分がリーダーになる欲望であり、そこに、救いとか愛とか共感とかの、人間らしい思いやりが、まるで無いのです。
 
リーダーの資格から最初に除外されるのが、楽山のような罪悪感のないサイコパスなのです。理屈屋の、いたずら小僧が、いい気になりたいために、思いやり芝居や、柔和芝居や、中立芝居をしているのが楽山です。高慢ちきとも言います。
 
(ネットより)
高慢ちき:
〘名〙 (形動) (「ちき」は接尾語) 年齢、経歴、実力などの点で、威張る資格がないのに、高慢であること。また、そのさま。また、その人をののしっていう語。
コトバンクより
 
楽山は、見せかけだけに生きている、とても惨めな人です。自分をコントロールできず、学者気取りで物を言い、よく読めば、恥ずかしい無理が、明らかになっています。拠るべき何ものもなく、その腹いせのように、通らない嘘と詭弁をぶつけて、あとは忘れて、責任を負わない人です。
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
⑧について。
一つ、二つの小さな難点があるからといって、全体を否定するのは大雑把すぎます。
でも、たとえ小さな難点でも、それが無数にあるなら、全体も駄目と結論づけるのは妥当でしょう。
ちなみに私は、演繹より帰納、合理主義より経験主義が好みです。
 
難点が、小さいのではなく、無数にあり、全体にわたっているのが、楽山です。そして「演繹より帰納、合理主義より経験主義」に見せかけてきます。実際には、バラバラな、その場しのぎの屁理屈に過ぎません。楽山の論理芝居に、騙されないでください。矛盾が矛盾を指摘する矛盾、それが楽山です。
 
楽山については、全体が身勝手で、難点というより、作為の矛盾、即ち、三文芝居の机上の辻褄でしかなく、生きている人間の実感がありません。本当と嘘を混ぜてくるのがいちばん厄介、という例になっているのが、楽山です。我が身を振り返ることのない自己中なのです。
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
⑨について。
既に指摘されてるけど、棒氏はノルマ議論において、「ノルマはなかった」⇔「過去の一定期間の出来事」と意見を変えてました。
他の議論では、行き詰まる度に「どうぞ、ご自由に」と逃げることを繰り返してた。
論点ズラシと逃避は、アンチでなく棒氏の得意技ですよ。
 
論点がなく、あるように見えても、一切、責任を負わないのが、楽山です。否定を言い、肯定を言ったから、断定してないから、責任問題は生じない・・とは、楽山の発言です。その場その場で、責任を捨ててゆく楽山の人生に、付き合ってはいけません。楽山の格好付けは、もはや襤褸(ボロ)なのです。
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
⑩について。
これは棒氏の誤読です。
アンチ諸氏は、過去の経験は、過去の経験として語ってます。またHS内で、大改革の号令がなければ、今もさして変わってないだろうとするの当然です。アンチ諸氏は経験と推論はきちんと分けて語ってますよ。
 
楽山の得意技は、自分が言ったことを、人の言ったことを、そっくり無視することです。いつも、その時の思いつきから言い始めて、過去を無視し、現在を否定し、未来を何も語れません。ゆえに、希望につながる感動が、まるでありません。その場しのぎなのです。
 
楽山を相手にすると、ふつうの理路が通じないことに苛立ち、疲労し、空しくなり、知情意が、そっくり鈍麻してゆきます。病原と言ったのは、このことです。病的ナルシストは、何も気にしません。都合の悪いことは、その感覚も、脳にも心にも残らないからです。
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
⑪について。
アンチ諸氏は、相手の発言をそのまま引用した上で、意見を述べてます。
一方、棒氏は、相手の発言を、歪めて要約した上で、否定してます。
ストローマン論法をしてるのは、棒氏の方ですよ。
 
(ネットより)
ストローマン(英: straw man)は、議論において、相手の主張を歪めて引用し、その歪められた主張に対して反論するという誤った論法、あるいはその歪められた架空の主張そのものを指す[1]。ストローマン手法、藁人形論法、案山子論法(かかし論法)ともいう。
1.相手が示した意見を歪め、あるいは一部のみを取り出して解釈し、それを相手が発言したかのように言い返す。
2.さらに発言を引用する形で一見では否定しがたい持論を作り出し、自らの発言の正当性を補強する。
3.相手の意見に同調する不完全な擁護意見を持ち出し、充分な主張・再反論がされたようにみせかける。
4.発言の中から一見関係ありそうな問題や考え方を取り出し、さも相手側の意見はこれを象徴するものとして非難する。
ストローマン(Wiki)
 
楽山は説明をしません。公共お構いなしの怠慢ですが、学があると見せかけるためです。人は、だいたい自分の器に合わせて、生きてゆきます。多くの経験と学習がそうさせるのですが、自己愛者は、学習しないので、自我を拡大して、人より大きく見せて満悦するのです。
 
ストローマン(案山子(かかし)、藁人形)は、楽山です。両手を広げて、世辞を言い、おとしめてくるが、自分は少しも動いていないのです。いつも、圏外から、評論家気取りで書いて、インテリを気取り、独りで満悦する世界に住んでいます。
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
⑫について。
引用は最小限に留めるのがルールです。
それなら引用スクショも最小限にするのは当然です。
にも関わらず、棒氏は「都合の良い部分だけスクショ」と、いかにも悪意でしているかのように決め付けてます。
棒氏はこういう邪推、印象操作が多いです。いい加減に止めて下さい。
 
スクショをどうのこうのと言っていますが、楽山は、呆れるような多数の記事を書いたり、偏見を根拠に悪口を言ったり、ルール外の、いかなる手段も使ってきます。個人情報の扱いには、十分、注意してください。楽山は、自分に有利なら、手段を選びません。
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
ところで、棒氏はいつものパターンになってますね。
①棒氏はアンチ批判の長文を書き連ねる
②アンチから論破される
③アンチを愚弄する捨て台詞を吐いて逃げる。自らのツイート削除
④しばらくすると、棒氏はまたアンチ批判を始めて、①②③を繰り返す
 
長文について、楽山に何が言えるのでしょう。楽山が削除しているものは深刻です。・・良心、反省力、責任感、思いやり、共感、修正機能、学習と成長、学者やインテリなど様々な気取り、等々、多くの良きものを捨ててきた楽山です。
 
似たようなことを何度も書いて繰り返すのも楽山の特講です。特に神否定については執拗です。代わりの救いを何も用意できていないのに、楽山は、助言者気取りで書いてきます。楽山のようになったら、人間は終わりだと思います。
 
 
*負けず嫌い
ツイッターをみてると、今も棒氏はアンチ批判を書き続けている。これを止めるつもりは、まったく無いらしい。なかなかの負けず嫌いだ。
 
楽山は「負けず嫌い」ではなく、一切の負けを認めない詭弁屋です。これは、自己愛性人格障害のベースにあり、症状を発現するところの、訂正不能の確信であり、しばしば、非合理で確信が強く訂正不能という妄想の定義に当てはまります。しかも、その内容は現実に影響するところ大です。
 
 ※
 
私は、楽山が書いた文章に表れるところの、私が考えてきた楽山の実像と異なるものや、楽山の体質的な精神の欠陥、そして、人の振り見て我が身を直さない楽山の病質などを、指摘して批判してきました。良心や共感のない者が、どのように暴走するかということを見てきました。
 
やたら長い、または、やたら数が多い、というのが、楽山の書く文章の特徴ですが、一方で、それ以外の文章には、何が言いたいのか分からない、実感のない、とても短い文章もありました。何ごとにも、自分の都合しか考えない自己愛性人格障害らしい筆致と内容と症状になっています。
 
まだまだ説明の足りないところがいっぱいあるでしょうが、神の前に、私は、修正可能の位置にいるつもりですから、楽山のような病的発作ではなく、できるだけ考えて、命があって書けるあいだは、こつことと批判を続けてゆこうと思っています。
 
 
乱心の装い

乱心の装い
 
 
(2022年06月30日)
 
 
 
  イザヤ書抜粋
 
イザヤ書46:4
わたしはあなたがたの年老いるまで変わらず、
白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。
わたしは造ったゆえ、必ず負い、
持ち運び、かつ救う。
 
イザヤ書54:7-8
「わたしはしばしばあなたを捨てたけれども、
大いなるあわれみをもってあなたを集める。
あふれる憤りをもって、
しばしばわが顔を隠したけれども、
とこしえのいつくしみをもって、
あなたをあわれむ」と
あなたをあがなわれる主は言われる。
 
イザヤ書57:15より
わたしは高く、聖なる所に住み、
また心砕けて、へりくだる者と共に住み、
へりくだる者の霊をいかし、
砕けたる者の心をいかす。
 
イザヤ書60:15
あなたは捨てられ、憎まれて、
その中を過ぎる者もなかったが、
わたしはあなたを、とこしえの誇(ほこり)、
世々の喜びとする。
 
 
  イザヤ書53抜粋
 
53:3
彼は侮られて人に捨てられ、
悲しみの人で、病を知っていた。
また顔をおおって忌みきらわれる者のように、
彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
53:4
まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。
しかるに、われわれは思った、
彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
53:5
しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲しめをうけて、
われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、
われわれはいやされたのだ。
 
 
 
  ヨブ記とお叱り
 
ヨブ記などを読んでみますと、
神様に叱られているような気がします。
 
一人称を用いるので恐縮ですが
 
お前(人間)は私(神)の造ったものだ。
私のものだ。
私のものを壊し塵に帰すのに
いちいちお前の考えに沿って辻褄を合わせ
説明し納得させ了承を得る必要がどこにあるか!
 」
 
被造物である私は泥の中に
ひれ伏すしかありません。
 
ヨブ記では神様が言葉をかけてくださる。
今の世においては神様の声を聞くこともできない。
異言も止(や)み、預言も廃(すた)れた。
 
しかし、いや、だからこそ
代わりにヨブ記も福音書も含む聖書があります。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
人間性を持たなず、良心を持たず、罪悪感を持たず、妄想的慢心に酔って吠えている楽山は、反省というものを一切しません。楽山は、いつもニヤニヤと笑っており、自信といっても妄想の炎から、的外れに指摘して、自らを省みずに、断罪したつもりです。
 
しかし、ブーメランとして、批判は楽山に帰ってくるのです。楽山に、ふつうの感受性があれば、自分の書いたもののために、立っていられなくなるでしょう。楽山には、当たり前の感受性が備わっていないので、亡者のように闇へ闇へと、燃え尽きてゆくのでしょう。
 
 
 
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  楽山ツイッター(3)2
 
 
2021年の楽山の、無理解からの、努力ではなく、使命でもなく、務めでもなく、真面目でもなく、ふざけ半分の、趣味のような、憂さ晴らしのツイッターです。生きる楽しみが、意地の悪い趣味以外にないのだろうかと思います。
 
心機一転★こも楽山
@komo266
·6時間
村上龍の「限りなく透明に近いブルー」の影響が垣間見えますな。
つーか、詩人、作家であれば、「限りなく透明」という表現は避けそうなもんだけどね。
午後8:15 · 2021年4月17日·Twitter Web App
 
村上龍の「限りなく透明に近いブルー」は、読んだことがあります。楽山は、この題名の「透明」の意味を分かっているのでしょうか。「透明」は、存在しないかのように、無視される、「ブルー」は、悲しみでしょう。
 
楽山は、「透明」を、まさか、透き通って美しい・・みたいな意味に捉えているのでしょうか。それで、「詩人、作家であれば」「避けそうなもんだ」、と言っているのなら、楽山の読解力は、ひどいものです。ひょっとして、読んでいないのではないかとさえ思います。
 
読んでいないのなら、上のような悪口は、それこそ、何の根拠もないことになり、村上龍をネタにしているだけだから、相手を選ばずに論(あげつら)う酷い侮辱です。楽山は、存在感もなく透き通って、人をブルーにする透明人間なのでしょうか。
 
 
心機一転★こも楽山
@komo266
·6時間
「自分の意思で信じています」と、わざわざ強調してあるところが、
二世、三世信者の現状を如実に表してるなあ…。
午後8:04 · 2021年4月17日·Twitter Web App
 
楽山に、宗教批判をする資格はありません。この3年余り見てきましたが、楽山の書く文章には、まともな根拠が、まるで示されていないからです。書いてきたのは、揶揄、嫌がらせ、いちゃもんだけです。なぜそうなるかと言えば、楽山が、無反省・無神経・無責任・無理解、そして鈍感だからです。
 
楽山の言うことだけは、どうか、信用しないでください。楽山は、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)から、ゴシップ好みで、笑って茶化しているに過ぎません。受け取っても、何の助けにも参考にもなりません。
 
 
心機一転★こも楽山
@komo266
·14時間
前半の話は聞いたことあるけど、後半の話は初めて聞きました。なるほど。
喜べる人はより喜べるようになり、嫉妬深い人はより嫉妬深くなり惨めになるというのは、恐ろしいけど、真実なんだろうな。
引用ツイート
Testosterone
@badassceo
 · 15時間
友人や知人の成功を一緒に喜んであげられる人になろう。それができれば友人や知人の数だけ喜べる数も増え、友人や知人に良いことがあるたびに自分も幸せになれる。逆に、それができない人は友人や知人の数だけ嫉妬の数も増え、友人や知人に良いことがあるたびに惨めな気持ちになる。この差は超デカい。
 」
午後0:04 · 2021年4月17日·Twitter Web App
 
楽山は、二進法のような安易すぎる是非の誤判断はしても、共感性がないので、喜びと悲しみを共にすることが出来ません。ゆえに、ルサンチマン的な嫉妬からの惨めな気持ち、そして、その反発として、敵意、揶揄、無責任な否定、幼稚な動機からの笑い、といった低次元の反応しかしてこなかったのです。
 
「喜び」と「惨め」さと書いて、心に響くような説明もなしに、物差しで測るような単純な理路で、「この差は超デカい」という、表現を強めるだけの軽薄な形容で、つまり、これも、笑いのネタにしているだけなのです。
 
楽山は、人間らしく喜ぶことが出来ないので、意地悪に笑えることだけを求めています。人格も、理路も、感性も、破綻して、「恐ろしい」事態になっているのは、楽山です。真剣味がなく、他者は雑談のネタに過ぎないのでしょう。
 
刹那的な常套句の遣り取りという見せかけだけの付き合いを続けて、長く親身になって付き合うことのできない楽山からの、にじみ出てくるような敵意と怨念が筆致の裏に隠されています。恐らく、真面目に考えるということが出来ない障害なのだろうと思います。
 
楽山には、人生の目的がなく、他者について、自らの惨めさから嫉妬して、怨念のようなものがベースとなり、そこから物を言うゆえに、感受する焦点がズレて、理路が歪曲し、理解から遠のき、他者の欠点ばかりをあげつらい、揶揄して、面白がるだけになっているのでしょう。
 
(ネットより)
ルサンチマン(仏: ressentiment、 (フランス語発音: [rəsɑ̃timɑ̃]) )は、主に弱者が強者に対して、「憤り・怨恨・憎悪・非難」の感情を持つことをいう。
・・・
ニーチェによれば、ルサンチマンを持つ人とは「本来の『反動』、すなわち行動によって反応することが禁じられているので、単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつけるような徒輩」[1]である。
 
 
心機一転★こも楽山さんがリツイート
うさ@宗教2世・非定型うつ
@merry_ura
よく奇跡の体験などで「信仰して病気が治りました!」って体験談出てくるけど
信者 かつ 病気が治った人
を切り取っているだけに見える。他にもいろんな人がいるのにね。
同じ病気の信者と未信者を集め、長期的にデータをとって「信仰すると○%治る確率が上がりました」ってしないと納得できないよ
 」
午後0:37 · 2021年4月16日·Twitter for iPhone
 
データの選択による偏りを言っているようです。信仰は、病気が治る呪(まじな)いではありません。信仰は、心の救済であって、物や肉体の奇跡のご利益ではありません。また、信仰は、データを取って有意だから信じる、などというものではありません。超常のことは、神にお任せするのが信仰です。
 
楽山は、宗教に恨みがあって、おとしめたいので、こういう見方に賛成してリツイートするわけですが、楽山自身が、霊が分かるっぽい超常の自覚から、奇跡を起こす人になりたがっているのです。結果は、人をだまして面白がる悲惨な絶望への一方通行です。
 
 
心機一転★こも楽山さんがリツイート
藤倉善郎YoshiroFujikura@やや日刊カルト新聞総裁
@SuspendedNyorai
近所の人やキリスト教界隈の人等から情報が寄せられれば教会に確認したりとかできますが、そういう取っ掛かりがないと難しいんですよねえ。あと、仮に特定できたとしても公表するかどうかは事情によります。
引用ツイート
「「
サボ
@apple200apple
 · 7時間
返信先: @SuspendedNyoraiさん
クラスター感染を引き起こした教会が一体どこなのか、取材して特定して貰えませんか? お願いします。そんじゃそこらの宗教被害やカルト宗教よりも、話題性があるかも。
https://tokai-tv.com/tokainews/article_20210416_168068
午前9:14 · 2021年4月18日·Twitter Web App
 」」
 」
 
楽山の悪趣味に合わせて、教会のクラスター感染を載せて、キリスト教を間接的におとしめている悪意が、かえって露骨になります。クラスター感染があったのなら公表し対策を講じるべきでしょう。どんなときも、決して、楽山に関わらせてはいけません。
 
また、いつもの、他者の口を使えば、自分が言ったのではないから責任がないじゃろ・・という楽山の厚顔無恥の企みです。引用した責任というのが分からない楽山です。楽山という悪性スピーカーには良心がありません。嘘と詭弁によって刷り込んで欺く者は、医学では扱えない悪性の病原です。
 
下手に楽山を参加させると、自己愛性人格障害の意地悪、無反省、無責任ぶりに、近くにいるほど、長く付き合うほど、頼りにすればするほど、忘れられないほどの消耗と疲労を味わうことになります。決して関わらないでください。
 
 
独り言の人生

独り言の人生
 
 
(2021年)
(2022年05月28日)
 
 
 
  祈り・永遠の命
 
過ごしている時間と
過ぎた時間の
長さの違いのようなものだ
 
計られ記録に残る時間と
計れず記憶に残る時間
の違いのようなものだ
 
どんなに長くても短くても
誰がそれを掴むことができようか
 
途方もなく
知らない部分が多すぎて
大方は知らない時を過ごしている
 
長さでは計れない時に在って
私の時を御手に委ねます
と祈りながら耐えられず
さらに心のうちに呼ばわる
 
主よ、私ではなく、あなたが
永遠と名付けられたものを賜るなら
一生は一瞬でよいのです
 
 
  捨てる
 
破り捨てることは
いつでもできる
書くことはいつでもできる
わけではない
 
捨てることはいつでもできる
君の中の僕の記憶のように
何てやすやすと
僕はまだ生きているのに
 
書いたもの全部
引きずって
何て重たいと
つぶやいたのは
書かれたものたち
 
もう放しても
いいよ
 
 
  悲しい顔の先
 
生きている間に見るがいい
紛れもなく有機物である人間の顔
そこから目をくりぬき舌を抜き
耳と鼻をそぎ落としたとして
いくつかの穴だけを伴った
首の上に乗っているのっぺらぼう
 
どれが涙でどれが血かわからなくても
凄惨な穴と穴の
位置と形態のあり様は
やはり人間の顔の迫真であるはずだ
 
生きている間に見るがいい
やがて失われていく水分のために
無数のしわが隠していくもの
頭皮を剥ぎ皮膚と筋肉をそぎ落とし
さらに乾燥して光沢さえ見せるされこうべは
不気味に笑っているかのようで
そういった悲しみの成れの果てに
下顎が落ちて
転がった先を無機質という
 
生きている間に見るがいい
土と石の中から無機質のかけらを
拾っては丁寧に泥を取り去り
集めては手に取って眺め
つぶやくように
「下顎骨・・・」と
深く静かに息をつかせるもの
見られている先を人間という
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
世辞と芝居と嘘と詭弁で出来た人生は、朽ちてゆくガイコツのようなものです。「だよなあ」「恥ずかしながら」と書いても、実感などは無くて、しらばくれる卑怯さが、一種異様な臭みをもって、鼻を突き、目を乾かし、口を歪ませているだけなのです。実りなき偽りの人生です。
 
 
 
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  楽山の根腐れ
 
 ほんと、ワガママな人だなあ。(st氏のツイッター)
 2022年03月12日 幸福の科学とは何だろう?ブログ by 楽山
  抜粋して批判します。
 
 
「だなあ」で済むような問題ではないのです。語尾だけ、おどけています。本文は、殆ど、自己正当化と他罰精神に満ちています。表面だけ、柔らかく見せたつもりでも、楽山は、かかえた闇の最悪の単方向の自我を曝しています。既に、そういう人だと承知しています。
 
楽山は、また、ツイッターをコピペして、自分に有利な文脈を捏造しています。このような卑怯な細工が、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の楽山の生業(なりわい)であり、楽山は、そういう作為の故意の悪意に生きているということです。今日も、厚顔無恥が全開です。
 
恐らく、断片的な意見であるツイートの中から、自分に都合のよいものを載せて、刷り込んでいると思います。楽山の、底知れない悪意と、性懲りの無さと、理路も文脈も弁えないで書くことに、良心の呵責も罪悪感もないサイコパスの性根を見逃さないでほしいと思います。
 
私のツイートは、楽山が既にコピペで載せているものもあるので省略します。それに付けた楽山の記事の文章に、楽山の体質が表れています。傍若無人であり、それを、いかにも被害者であるかのように書いてくる善人芝居です。怒らせて、乱したいのです。ここまでの狡猾な悪意は珍しいと思います。
 
 
*出入り禁止
前記事の追記でも触れたが、st氏は自身のツイッターに、楽山はコメントしてはいけないと書いてた。
これは理不尽な要求だが、こちらとしてはst氏に譲歩し、彼のツイッターにはコメントしないことにした。
 
楽山と直接の遣り取りをすることは、詭弁の迷路に嵌って、徒労~疲労~人格破壊の罠に落ちることです。経験済みです。それが、楽山の、人間性を失って、丁寧芝居、被害者芝居で、自己正当化を図る唯一の手段なのです。楽山は、決して関わってはいけない変質者だということです。
 
 
*メンション
でも、どういうわけか、st氏は、「@komo266」を入れたツイートをして、こちらの視界に入ってくるのだから、わけが分からん。
私宛のツイートをしていながら、反論コメントは禁止だというのは、さすがに自己中すぎるだろう。 
 
楽山批判ですから、楽山のHNを書くのは当然です。当たり前に、楽山の視界には入れようとしています。しかし、批判の主目的は、私のブログ・ツイッターに書いて、広く、楽山の赦しがたい悪の情報を敷衍することです。楽山を変えようとすることは既に諦めています。訂正不能の悪だからです。
 
楽山に反論コメントを赦したら墓穴を掘るようなものです。双方向の、まともな遣り取りなど、楽山は出来ません。楽山の汚い詭弁に直接さらされるのはごめんです。経験済みです。ゆえに精神衛生上、直接の遣り取りだけは避けています。楽山は、つまり、精神衛生上の加害者であり、精神の病原なのです。
 
 
*支離滅裂
そういえば、st氏は以前から、楽山と話をするつもりはないと言いながらも、自分を無視するのは許せないなどと怒ることが多かった。
今回もこれと同じだ。楽山は出入り禁止と言いながら、楽山の視界に繰り返し侵入してくると…。
いやはや、こういう人にはどう対応したらいいか分からんね。
 
「自分を無視するのは許せない」と怒った覚えはないです。楽山の、無反省、無責任、嘘、詭弁、などは赦せないということです。楽山の対応など求めていません。一般の読者への情報として書いています。楽山は体質的な根腐れのサイコパスなので、直接相手にすることは、自傷~自殺行為となりえます。
 
このツイッターのような、ふてぶてしい嘘の吐き方が、楽山の根底を流れ続ける犯罪心理クリミナルマインドなのです。呆れ芝居の良心のない攻撃が、3年余りの批判の流れの中で、しばしば顔を出してきました。しらばっくれて相手をおとしめる・・という筆致が、楽山の根腐れを表してきました。
 
 
◇◆ 追記 2022.3.12 ◆◇
*もう一つ
今になって気がついたけど、支離滅裂といえば、これもそうだ。
「 
楽山からの反論なるものは、反論ではなく中傷であり、論理ではなく詭弁であり、思考ではなく疲労物質です。寿命を縮めるような楽山は、ずっと、出禁です。
 」
これほどまでに楽山のことが大嫌いなのに、楽山のブログ、ツイッターを何年にも渡って追いかけないではいられないというのは、ほんと、どうかしてる。
 
批判するのは批判対象の楽山を変えるためではなく、身の毛がよだつような楽山という鬼畜の情報を一般読者に知らせるためだという批判の在り方が、楽山には分からないようです。楽山の知性と感性は正常人より酷く劣っています。だから、普通では考えられないような不感不応の嘲りが出来るのです。
 
楽山には、常識と良心からの反応ができません。こちらが「寿命を縮めるような」と書いても、「ほんと、どうかしてる」という、楽山特有の軽口の侮辱を平気で書けるのです。高等感情、つまり、思いやり、共感、羞恥心、罪悪感、などが、致命的に欠けている者の筆致です。
 
まさに「楽山からの反論なるものは、反論ではなく中傷であり、論理ではなく詭弁であり、思考ではなく疲労物質です。寿命を縮めるような楽山は、ずっと、出禁です。」ということです。批判を続けるのは、私の安全のためではなく、誰も、楽山の犠牲者になってほしくないからです。
 
楽山には、誰も関わってはいけません、近づいてはいけません。ましてや、コメントの遣り取りなどは、飛んで火にいる春夏秋冬の虫です。楽山は、誰の意見も心情も無視して書いてきます。楽山の害から逃れるためには、楽山が何を書いてきても、楽山を虫として無視して意識から削除することです。
 
楽山の丁寧語や冷静を装う芝居は、よく見れば、罵詈雑言の類だと分かります。客観や中立を装うのは、読者を誘導し、読者に印象を吹き込むための、楽山の企みですが、文脈と表現のあちこちに、楽山からの軽蔑と底知れない悪意は、ずっと表れてきました。自分を見ることだけは出来ない人だからです。
 
楽山は、他者の言うことを、マニュアルのようにしか見ていません。心が無いからです。ゆえに、マニュアルのように書いてきます。ときに、くだけた表現を使いますが、なごみの心を持たず、世辞と同じような芝居に過ぎません。結果として、自分に異常を感じることが出来ません。
 
そして、受け取って理解して反応して書くのではなく、自分が言いたいことだけを書きます。だから、永遠に、議論のプロセスにも結論にもなりません。楽山には、前もっての自分の結論しかないからです。楽山との議論は成立せず、楽山の自己満足だけが、楽山にだけ残る脳のプロセスなのです。
 
3年余りも批判されて、楽山の反応は、受け取って考えることがないのです。つまり楽山は単方向だけで、学習も成長もないのです。極めて時間の無駄なのです。それで、議論ではなく、こちらも、楽山の言を引用して批判することに専念しています。楽山との議論は、誰にとっても禁忌だと思います。
 
楽山は病的な自己中なので、客観的に自分を見ることができません。認識の中心が自我で満たされて、そこから離れられず、いつも上から裁く態度で見ている、それが、楽山の本能的な姿勢です。成長しようがない幼稚な妄想自我です。ゆえに、悔いることなく嘘を吐けるのでしょう。
 
 
悪意の 虚偽の 誘導 狼狽

悪意の 虚偽の 誘導 狼狽
 
 
(2022年03月14日)
 
 
 
  (拙作断片)
 
笑いはがらがらと震え過ぎた紙の声
派手な衣装は次から次へと去ってゆく
この街も変わりましたねえ
深みのない視線で見渡せば
遠い山から吹いてくる風が神の声にも聞こえよう
人格の崩れゆくとき
悪意と作為を拒んだときから
愛は悪い夢の中で目覚め
流涎して悪い現に夢を見る
 
 
子供の靴下よりも
大人の袋や箱よりも恐いもの
悪意や誘惑のプレゼントを配っては
心の中にキーンキーン
キーンキーンと響きを忍ばせて隠しておくんだ
見えない足跡を残しておくんだ
 
 
  世捨て人の
 
世捨て人の夢見るものは
虚無のやさしさで
無為の速度で
自棄の靴紐を絡め
退廃の旅支度を過ごし
厭世の渡し舟を待ちながら
絶望の気道を開いて
暗黒の呼気を促し
怒気の吐息を拾い
悪意の杭を抜いて
憎悪の河に流して
せめて見送れるだけ見送ることだ
 
 
  朝を行く
 
ゆるやかに焼土と化してゆく町の
紙切れ一枚に託された
朝の光と入れ替わるように
みずみずしく滴り落ちてゆく
悪意
覚えはないという
廃虚に燻り炭化して肉質を離れる
かつての
そしてこれからの
痕跡
ほら今日もこんなに光っている
開いた肉芽を屈折して通る宝石の
切通しに立ち竦(すく)む
覚えられることを拒むかのような
幾つもの折れた眼差し
 
 
 
楽山日記のコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 」
 
 
楽山は、恐らく人格と能力の不足のために、小児期~思春期に、不都合を経験し、ルサンチマン(弱者に募る怨念)が蓄積して、他者無視そして不都合無視の、自己絶対が固定されたのかもしれません。それによって、内省、反省、罪悪感、共感性、などが、さらに欠損してゆくのです。
 
楽山が死んだとき悲しむ人がいるだろうか・・と思います。ネットで、インテリ常識人を気取っていますが、やっていることは、インチキ占い師やペテン師レベルでしかありません。いつか、公共において暴かれるでしょう。前に言っていた、責任問題は生じない、など、通用しないのです。
 
 
 
 ※
 
楽山の仲間でしょうか、私のツイッターの通知欄に、楽山ツイッターのタイトル画像と、楽山の発言を載せてきています。明らかな嫌がらせです。逆らう者には、そういうことをしてくる楽山です。楽山に関わることの災いを表しています。人としての品格の欠片もない楽山、下種の極みであります。
 
楽山は、マニュアルのようなアニマル、決まり文句を覚えても、その文脈を考えて書くことが出来ず、我欲の本能任せに、仲間を頼んで、ウイルスのような毒性をまき散らすヒト型肉食獣、または、人間界に巣食う悪性黒色腫のような、どこまでも汚い癌細胞なのです。
 
楽山の仲間ということは、早晩、楽山とともに堕ちてゆくのでしょうか。楽山の底知れぬ恐ろしさを思います。感じることも考えることもできない楽山の罠に堕ちることは、人間としての良心や真善美の感性から、限りなく乖離してゆくことを意味します。肛門周囲炎のような臭い熱を感じます。
 
今回のことで、楽山には、仲間がいる、または、だまされて同類になった人がいる、または、複数の成りすましをしている・・などという可能性が高くなります。どんどん悪の性根を表してくる楽山です。荒らし軍団の登場です。実に不潔です。最終的には、この中の誰かが、楽山をぶん殴るのでしょう。
 
 
 
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