ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

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  楽山の駄弁(3)
 
 楽山ツイッター
 
 
見せかけだけの善人・・バレてゆきます。偽善のセリフが、高慢を表します。丁寧語に、だまされないでくださいと言ってきたのは、このことです。楽山は、自壊してゆくのです。ごまかした嘘は、終わるのではなく、血塊となって積み重なり、噴き出すのを待っているからです。
 
幸福の科学を批判することもありますが、歪曲捏造はせず、公平でまっとうな批判を心掛けているつもりです。
 
ツイッター紹介文の、この部分は、以前は、書かれておらず、歪曲捏造し、不公平で、真っ当な批判など出来ない楽山の、後付けの、嘘と情報操作です。だまされないようにしてください。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
自分なりにこれまでの議論を要約しとく。
・楽山「ORはTSの霊界観、世界観を流用してる」
・P氏「高級霊の存在や次元構造や波長同通と憑依の関係じゃ人も社会も救えないんだよ。総裁は何度もそう言ってる」
・楽山「では総裁がそう言ってる部分を示せ」
・P氏はこれに応じない
 
このように追及されると多くの人は参ってしまうのでしょうか。つまり、これは、楽山が、他者を甚振(いたぶ)る時の詰めです。しかし、楽山こそ、示すべき根拠や、受け取った上での弁明をせずに、粘着している自分の有り様を、相手に当てはめて、逃げている卑怯者なのです。
 
「P氏はこれに応じない」・・決まったぜ・・とでも言うような勝利宣言ですが、楽山は、自分の欠点であるところの、神を幼稚な屁理屈で侮ったことについて、数々の詭弁、数々の嘘など、こちらの指摘に、無視をスルーと言って正当化するだけです。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
あのねえ、この議論は、Pさんがご自分の発言に責任を持てば、それですぐに終わる話ですよ。
 
このように、楽山にとって、相手の敗北宣言ほどの、ご馳走はないのです。自分のほうが上・・ということを確かめた気分になれるからです。このような楽山の攻撃をかわすには、ただ、関わらないこと、相手にしないこと、受け取らないこと、それだけです。
 
楽山に、成功報酬となるような、敗北を認めてはいけません。楽山に責められる対象よりも、はるかに、罪深い責任回避を、楽山は、スルー・無視というやり方で、まるで自らのカルト信条であるかのように、続けてきたのです。
 
「それですぐに終わる話ですよ」・・詐欺や脅迫に、よくある台詞でしょう。相手に、負けを認めさせたい、それが生き甲斐の、ペテン師で偽善者の楽山の、快楽追求のための習性と獣性、そして非人間性、即ち、卑怯きわまりない悪の、詐欺師によくある軽口のセリフに似ています。
 
楽山は気楽に終わり、相手は一生の傷になる、こういうことを、平気でやってくるのが、楽山のサイコパス・自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の所業なのです。とても、人間のやることとは思えません。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
でもPさんは「高級霊の存在や次元構造や波長同通と憑依の関係じゃ人も社会も救えないんだよ。総裁は何度もそう言ってる」という風な事を口走ってる。
これは救世のために霊的真実を告げ知らせようという真面目な信者の思いを無にするトンデモ発言でしょう。これはよくない。
 
「真面目な信者の思いを無にするトンデモ発言」「霊的真実を告げ知らせようという真面目な信者の思い」・・HSに戻りたいのでしょうか。何か条件交渉でもしたいのでしょうか。中立気取りでしょうか。少なくともアンチではないように思われます。
 
つまり、どう見ても、アンチの立場ではないことを、楽山は、言っています。楽山には、HSとかアンチとかの立場はないのです。楽山の立場は、結局、自分は評論家なんだ、インテリなんだ、特別なんだ、偉いんだ、という、妄想的な教祖願望でしかないのです。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
仏法真理では発言には責任がともなうとしてたはず。だったら総裁が上の発言をしたという証拠を提示するなり、うっかり間違った事を言ってしまったとして発言を取り消すなりしてケジメをつけてはどうかと思う。
 
のぼせ頭で「発言には責任がともなう」と言っている楽山こそ、自分の発言に、一切責任を負うたことのない自己中人間です。証拠などはもちろん、取り消しも、けじめも、一切、明確にしないし、持っていないし、忘れてしまうところの、無反省と無責任が、楽山の性根であります。
 
一見、柔和に見える、一見、理論家に見える、しかし、しばらく付き合えば、しばらく、よく見れば、柔和でも理論家でもない執拗なペテン師、それが、楽山です。このような者は、言論の場に、決して、いてはならない者です。
 
楽山・・誰にとっても迷惑な者であり、出会うことが誰にとっても凶事であります。
 
聖書のユダは後悔しましたが、楽山は後悔しません。それが自己愛性人格障害です。
 
楽山は、関係のないリツイートを載せて、ごまかしています。醜いです。
 
今日も、いい気になっている楽山ですが、何も求めず、嘘吐きの飾りで、何の実りもない時間を費やし続ける変質者です。「それですぐに終わる話ですよ」・・この軽々しい口調、楽山には、そう言った前歴か経験でもあるのでしょうか。
 
 
楽山の、すぐに終わる話ですよ

楽山の、すぐに終わる話ですよ
 
 
(2021年12月06日)
 
 
 
  飛んでけ
 
喧嘩の最中
強い方に頷(うなづ)きました
自分が嫌になりました
 
人に頼み事
愛想笑い
相手も笑いかけて
すぐに真顔
 
友人を作れなかった瞬間です
自分が嫌になりました
 
喧嘩には近寄らず
人々から離れて
滅多に笑うこともない
明け暮れ
でもなくて
ひゃんひゃん
と張り裂けそうな
笑い声か泣き声か
 
外へ出したら
おしまいです
鳥肌
 
外へ出たら
はじまりです
裸で風切って飛んでけ
 
 
  狭い展望台
 
車をあとにする
わずかの道のり
登る
ゆっくり
狭い展望台
岩山
景色
すぐに飽きる
勝てない
成れない
落書きを見る
○○老人会
平成○年
少し深く
息をしている
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら 誤ったら 素直に詫びて 自分 正さなくちゃいけない」「それが出来て 初めて人間だと それ出来ないなら 人ではないと」「嘘ばかり 重ねる君よ 保身だけの 卑怯者の君よ そんな君は 魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと 最大限の反省と共に 開いた出店を 畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
誰かが注意しても、聞く耳を持たない楽山は、反省も謝罪もしておらず、邪悪な性根の根深さが治りません。「人間の性」「自分もそんな風です」などと言って、人間一般のように、醜い詭弁の言い訳をしていますが、成り立ちません。自分を見ないで人のばかり言ってきた楽山の、人間離れの悪と罪と偽善です。
 
楽山は、ツイッターで、他者に、議論?のつもりで、いちゃもんをつけて、遊んでいるようです。何を書いても、自己愛性人格障害として批判対象にしかならないのに、それでも、書いてくるのは、その病質によって、自分は出来るんだ妄想が膨らんでくるからでしょう。
 
今回は、前歴のような、嘲り言葉を発して、素性を臭わせる楽山です。事実は知りません。しかし、上から、過ちを認めるだけでいいんだよ・・そのあとに、(楽山に)逆らうとこうなるから、逆らっちゃダメでしょ・・とか、付いてきそうなセリフです。
 
 
 
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  楽山の駄弁(2)
 
 楽山ツイッター
 
 
いちゃもんをつけるだけなら簡単と、楽山は、引用+批判をツイートしていますが、いつものように、高慢と、思慮不足で、自慢になったり、断片的になったり、何にもならなかったりしています。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
私は、カクカク・シカジカの理由で大川隆法は嫌いだと書いてます。
でもPさんは、その理由の部分をはぶいて引用してます。その結果、私がただ大川隆法をくさしたかのようになってます。
こういう切り取り方は印象操作であって、正しくありません。
 
楽山の、ふざけた「カクカク、シカジカ」を信用してはいけません。理論家気取りですが、大方、詭弁です。楽山は、理屈めいた書き方をしていますが、嘘と印象操作など詭弁を弄し、結局、くさしているだけです。自己愛性人格障害によって、楽山は、自らをも、腐らせてゆきます。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
「誤読だ」「Pの解釈だ」と強弁し、
私は結論だけでなくその理由を書きます。理由の提示なしに結論だけを強弁してるのはPさんかと。
 
楽山は、根拠も理由もなく、霊能者気取りであり、上から見下ろして、言いたいことだけを言い、批判に対しては、ことごとく無視してきました。にもかかわらず、今も書いてくるのは、羞恥心がないからです。楽山の言は、嫌がらせ以上ではなく、はっとさせるものは皆無です。
 
総裁先生の悪口を言っても
 」
これについては上に書きました。
私が全く乗ってこないので
 」
いいえ、毎回反論してきてるでしょう。殆ど精神勝利宣言だけど。
 
楽山のほうが、鈍感を冷静と勘違いして、鈍いのに高慢な勝利が前提になっています。説得力も、思いやりも、罪悪感もなく、乗ってこないのではなく、都合の悪い他者の意見に反論も詭弁となり、自分の言だけを押し出してくる厚顔無恥の単方向が本質なのです。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
アナタはかなりお困りのようですね。
 」
私の意見は、Pさん以外の方々には理解してもらえてるようなので困ってはいません。
ただ同じようなことばかり繰り返し書くのは、さすがに面倒くさくなってきてますけど。
 
誰も楽山の言を理解していないと思います。楽山は病識がないので、理解されたと勘違いしていますが、実際は、楽山を受け入れることは、だまされていることを意味します。面倒くさいのは、本心を隠して、詭弁を捏造しているからです。
 
誰も感動していないのに、執拗に、ネチネチと同じようなことを書き続ける性懲りのなさが、楽山のやり方です。肝心なところでは、行き詰まるようなところでは、さっさと逃げて、都合の悪いことを、一切、無かったことにするのです。荒らしよりも悪質です。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
返信先: 
@komo266
あっ、そうだ。HSにはオリジナルの教えがありました。
「大川隆法は主エル・カンターレであり、神様である」
これはHS以外では、どこも言ってないオリジナルだと思います。絵文字(握った手)
 
楽山には、自分は霊が分かるっぽいと書いた記事があり、批判されても、無反応です。楽山にあるのは、霊能者気取りをはじめとする様々な気取りと、三文芝居と、現実と超常の混同と、不都合を無視するアドラー教からの自己中です。
 
楽山を相手にしてはいけません。疲労して、楽山と同じように、知性も感性も鈍麻して、自分に頷き続ける人形のような精神異常になる恐れがあります。それに、楽山には、オリジナルな思想は、何一つありません。都合のよいところを、拾って、引用~悪用するだけなのです。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
@komo266
さん
ちなみに、大川隆法を嫌だなと思うのは、人を尊敬せず、大切にしないところです。
教団初期は、谷口雅春や高橋信次から多大の恩恵を受けながら、その後はこき下ろした。
きょう子夫人についても五人の子供をもうけながら、その後はこき下ろした。
こういうところは嫌悪感を抱かないではいられない。
 
楽山を嫌だなと思うのは、人を尊重もせず、大切にもしないところです。楽山と長く遣り取りをして、異常な疲労感を覚えた人は少なくないでしょう。楽山は、温もりと潤いに満ちた人間らしさが欠落しているので、質の悪い歯車のような仕掛けで、堂々巡りし続ける迷惑分子です。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
HSのオリジナルな仏法真理は膨大だから
仕方がないのかもしれないネ
 」
いやいや、今どきHSに限らず、
オリジナルなんてものはそうそう無いです。
どんなものでも先行する何かに影響を受けてるものです。
 
楽山には、オリジナルなど全くないと言ってよいでしょう。このように、自分の欠点を、一般化して、自分を相対的に、正常に見せかけてきます。理解力がないため人真似も上手には出来ないので、言葉の端々だけ真似て、自分の意見であるかのように吹聴しています。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
それだから
先人の影響を認め、リスペクトする人は賞賛され、
オリジナルと言い張り、先人の功績を認めない人は軽蔑されるんですよ。
 
自らの不遇を、自ら英雄視しています。これが、自己愛性パーソナリティ障害NPDの自己顕示欲です。先人にも、聖書にも、書物にも、学ぶことが出来ず、ゆえに、訂正不能の自我によって、分かっているんじゃ芝居を、何度も何度も、意地になって、繰り返すしかないのです。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
アナタが「トンデモ発言」と毒づく仏法真理とは何なのでしょうね?
 」
これは誤読です。こんな感じかな。
楽山「P氏はトンデモ発言してる」
P解釈「楽山は仏法真理をトンデモ発言とした」
P氏にとって「私の言葉を否定するのは仏法真理を否定することだ」ということかな?
 」
 
違うようです・・相手がトンデモ発言していることを、楽山が毒づいていることの正当性を担保する仏法真理を、何なのかと聞いているようです。楽山は、答えることが出来ないので、また、詭弁を並べて返したつもりになっているようです。
 
嘘、詭弁、印象操作、妄想、霊能者気取り、無反省、無責任、罪悪感や羞恥心の欠如、無神経、冷酷、等々、楽山は、トンデモ発言製造工場のような、雑な木工細工なのです。人間の温もりがなく、生気がなく、曇った仮面の節穴から、いい加減発言を、正義であるかのように振り回してきました。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
ちなみに、私がORはTSワールドから出れないというのは、こういうこと。
・ORのすべての教えの土台には霊的真実がある
・この霊的真実はTSの霊界観に多くを依拠している
・ORがどんなに沢山の教えを説いても、この霊的真実を土台としている限り、TSの影響下にあり続ける
 」
★こも/楽山日記3
@komo266
ぶっちゃけ、ORは、神、霊界、霊的法則などの霊的真実以外の教えを説いているとか、高橋信次の影響は受けていないとかいうのは、
ORの言葉の上っ面だけ見て、その背景の思想とか、理念とかを全然感じ取れてないからだと思います。
 
「ORの言葉の上っ面だけ見て、その背景の思想とか、理念とかを全然感じ取れてないからだ」
・・ORのことを、自分は、背景も理念も、深く分かっている、という、楽山の自慢です。批判に答えられないのに、よく言います。背景、思想、理念、楽山から感じたことはないです。
 
教祖願望が強く、趣味のアニメから宗教に至るまで、霊と超常で語ろうとしてきた楽山は、全く、その器でないことに、妬みでもあるのでしょうか。それゆえ、他者について、「言葉の上っ面だけ見て」いると言い、自分こそ、人知も理念も、超常も、深く分かっていると妄想するのでしょうか。
 
実際は、人間一人の気持ちさえ察することできない楽山です。霊的真実も、何的真実も、楽山が言っても排泄に過ぎないのは、人間理解に関わることで、楽山の手に負えるものが何もなくて、何を言われても、感じず、考えず、無視して、言い張りだけを続けていられるからです。
 
楽山ほど厚顔になったら、人間としての言論生活や社会生活は、だます以外できなくなり、楽山のように、超常の宗教に、そして、妄想に、逃げるしかなくなるでしょうか。そうならないために、楽山には、関わらないでください。近づかないでください。楽山を相手にしないでください。
 
 
 
丁寧な口調で控えめなわりに、大きな話をする人。・・本当に、性格が控えめで丁寧な人は、大袈裟な話はしないだろうということを考えて、丁寧で控えめで・・のほうを疑って、様子を見てゆくと、やっぱり丁寧な口調は、カムフラージュで、高慢な偽善者だったと分かることがあります。
 
 
詭弁の雑言

詭弁の雑言
 
 
(2021年12月05日)
 
 
 
 キーワード:雑
 
 
  通過と圧力
 
次から次に礫(つぶて)を投げてくる口は
ちょうど列車が通過するガード下
を通過するように無言である
 
光を除外した反射を幾たびも経て
細く向けられる上目遣いの
耳を持たない微笑の眼差しは
うっかり渡ってしまった横断歩道上の
歩行者に迫り来る轟音(ごうおん)と雑言(ぞうごん)である
 
であるからであるを繰り返して
階段を下りてくる論理が
転げ落ちるしかなかったように
すべて嚥下(えんげ)して受けてしまったものは
 
下って落ちてゆくしかないものとして
すでに口を通過しており
食道を通過して胃を腸管を・・・
詰まりであるからも糞(くそ)もなく
 
ゆっくり潰しにかかる種々の圧力によって
ワームの消化管が失ってゆく容積に等しい
 
 
  人の往来
 
利発な新芽の子らは溌剌(はつらつ)として歩み
しばしば見つからない目標から外れながら
未だ懺悔(ざんげ)も罪さえも知らぬまま
長い後悔の旅を気づかずに始めている
 
辛辣(しんらつ)な林の大人は雑木の目測に遑(いとま)もなく
枝葉の区別も構わず枚挙に充(あ)てて
呆気(あっけ)にとられた日々を追う
 
街へ行く人
街から帰る人
ただ黙ってうろうろする人
雷雲の中を山から下りてきて
ずぶ濡れで稲光と轟音に囲まれ
身も心も冷えきって夏に震える人は
ポンコツのオートバイをさらに傷めて
ヒューズが飛んだ
ヒューズが飛んだ
方向指示器が点かなくなったと
狼狽(うろた)えて目を剥(む)いている
 
暢気(のんき)にここら界隈(かいわい)
呵々(かか)と笑う営みの声を聞き流し
今日一日を畳もうと出かけたときには
あんなに晴れていたのに
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら 誤ったら 素直に詫びて 自分 正さなくちゃいけない」「それが出来て 初めて人間だと それ出来ないなら 人ではないと」「嘘ばかり 重ねる君よ 保身だけの 卑怯者の君よ そんな君は 魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと 最大限の反省と共に 開いた出店を 畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
誰かが注意しても、聞く耳を持たない楽山は、反省も謝罪もしておらず、邪悪な性根の根深さが治りません。「人間の性」「自分もそんな風です」などと言って、人間一般のように、醜い詭弁の言い訳をしていますが、成り立ちません。自分を見ないで人のばかり言ってきた楽山の、人間離れの悪と罪と偽善です。
 
楽山は、ツイッターで、他者に、議論?のつもりで、いちゃもんをつけて、遊んでいるようです。何を書いても、自己愛性人格障害として批判対象にしかならないのに、それでも、書いてくるのは、その病質によって、自分は出来るんだ妄想が膨らんでくるからでしょう。
 
 
 
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  楽山の駄々
 
 ★こも/楽山日記3
 
 
数日、ブログの記事を書いていない楽山は、その分、我欲の知ったかぶり欲求を、ツイッターで発散しているようです。ますます何が言いたいのか分かりにくくなっていますが、はっきり言えるのは、何の反省もなく、人のことばかり言って、得意になっているだけということです。
 
楽山の、ストレス解消でしょうか、しかし、もはや、どこに書いても、何を書いても、信頼を得ることはないでしょう。多弁で、執拗で、これが、楽山の、ネチネチ言論ですが、言い捨てるクレームであり、独り言であり、言論になっていないのは、自分を見る目を、全く持っていないからです。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
結局、こも氏は『やめた自分が正しくて、総裁やHSや信者が間違っている』と言いたいのかな。
これが「執念の源泉」なのかな?
 」
私が言ってるのは、「Pさんはいい加減なこと言ってる。信者ならちゃんとORの教を学び、守りなよ」ということです。
 
楽山は、アンチとして批判している立場を自認していたような気がしますが、信者に、ORの教えをちゃんと学び、そして、守れと主張しています。優位に立てると思ったら、立場はお構いなしになっていることに、アンチでない楽山が表れています。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
私は基本的に、きちんと教えを学び、守ろうとしてる真面目な信者さんにはごちゃごちゃ言いません。でも、いい加減な信者に対してはその限りではありません。
 
楽山は、ごちゃごちゃ言いたいようです。きちんと教えを学ぶように教えています。どこがアンチなのでしょう。自分が何を言っているのか、分からなくなってきたようです。"気取り" だけだと、批判の軸がなくなるのが、よく分かります。楽山は、何も言うべきではありません。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
ところで、
Pさんは、言葉を軽視しすぎて、人の言葉を正確に読み取り、理解しようという意識が感じられないです。大川隆法の教えに対してもそうです。
「言葉にとらわれないこと」を「言葉を軽視すること」と勘違いしてるのでしょうか。もしそうなら気をつけたほうがいいです。
 
今まで、ずっと、人の言葉を正確に読み取り、受け取って、返すということが、まるで出来ていない楽山です。楽山は、ずっと、都合の悪いことを無視し、都合の良いことだけを、自分のために利用してきました。体質的に、議論の邪魔しか出来ない人です。
 
今まで、言葉を軽視、というより、言葉を愚弄し、自己中心に悪用してきたのは、他でもない楽山です。詭弁と嘘で出来ている楽山は、自分を見ないので、他者に言った言葉が、ブーメランとして、自分を斬っているのですが、それも分からないのが特徴です。
 
「気をつけ」る、ということが、まるで出来ていない楽山が言っても、無意味なのです。楽山は、アンチではありません。我欲が、混線~暴走しているだけです。気をつけたほうがいいのは、楽山のほうですが、本人だけが、気づかないのです。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
文言だけを切り抜けば
真逆の事を書いている箇所はいくらでもあるんだよ
そんな「言葉のコレクション」を付き合わせて比較しても、非難しても
何の意味もないのサ
これがこの世とあの世を貫く仏法真理だよ
 」
一口に「真逆」といっても、その中身はいろいろです。
 
楽山のボンヤリ言語です。"いろいろ" について、何も説明できない楽山の駄弁が始まります。気をつけてください、純粋な人ほど、傷が深いです。楽山には、罪悪感がありません。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
例を挙げればこうなる。
・方法論の場合(反省と光明思想など)
・事実認定の場合(きょう子夫人は文殊菩薩と認定するも、後に裏切りのユダとするなど)
方法論として真逆の教えを説くならまだしも、
事実認定がコロコロ変わるようでは失笑されても仕方ないです。
 
これで、何か説明したつもりなのでしょうか。楽山は、都合の悪いことを全て無視してきたので、方法論とか、事実認定とか、何を語るにしても、理路を通したことがありません。これが、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の宿命なのです。
 
よく読めば、自分の言いたいことが、まとまらず、理路の組み立てが、まるで出来ていないのが、楽山の特徴です。だから、「こうなる」と言われても、説明になっていません。公開しても、誰にも分からないように書いているのでしょうか。楽山の自己満悦に、付き合わないでください。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
あとは、思想の方向性というのもあります。
ORは「唯物論は間違いだ」とはいっても、「唯物論は正しい」とはいわないでしょう。
また、「神、霊界、霊的法則を信じることは救いにつながる」とはいっても、「神、霊界、霊界法則を信じても救われない」とはいわないでしょうね。
 
楽山は、ORの、良き理解者なのでしょうか。アンチを自認してもアンチとして成り立たない者が、理解者として成り立つでしょうか。とても幼稚なことを言って、理屈倒れの無残を、露呈しています。"霊が分かるっぽい"自覚があるからでしょうか、いえ、ただの鈍感です。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
つまり、HSの中核理論の一つという事ですね。
 」
92、3年頃から断続的に説かれてるという話から、
正心法語、仏陀再誕でも説かれてる中核理論だと変わってきてる…。
なんか、自分のトンデモ発言を正当化できる文言を必死に探してるみたい。
 
いかにも他者の言うことを把握しているかのような書き方ですが、だまされないでください、楽山は、他者の言うことを受け取ったことはないのです。つまり、人のことを言う楽山の言こそ、トンデモ発言であり、自己正当化の詭弁であります。問題外とするべきです。
 
数か月の遣り取りと、その後の、約3年にわたる楽山ブログ批判によって、楽山には、まとまった主張などないことが分かっています。楽山が理屈っぽく言っているのは、本質ではなく、楽山の自己顕示欲によるもので、それについて、考えること自体が、無意味です。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
今回の例では…。
・『高級霊の存在や次元構造や波長同通と憑依の関係じゃ人も社会も救えないんだよ』
(神、霊界、霊界法則は救いに関係ない。唯物論的)
・『高級霊の存在や次元構造や波長同通と憑依の関係だけじゃ人も社会も救えないんだよ』
(神、霊界、霊界法則は救いの一条件。宗教的)
 」
★こも/楽山日記3
@komo266
つまり、「だけ」があるかないかで、唯物論か、宗教的かが分かれる。
だからこれは下らない文言問題ではなくて、大きな思想問題になる。
さらには、こっそり「だけ」を付け足して意味を変えるのは、嘘、誤魔化しであり、卑怯な行為になります。
 
楽山は、HSの味方をするために書いているようです。楽山の、難しそうな書き方を信用しないでください。上の2つの命題の比較にしても、救うプロセスが、霊ではないのか、霊以外にもあるのか、という全否定か部分否定かの違いであり、唯物論か宗教的かが分かれるわけではありません。
 
宗教が何なのか、まるで分かっていない楽山には、宗教における理路も、成り立ちません。宗教について、楽山は、机上の辻褄だけで語ったつもりになりますが、そこは、大きな勘違いです。それを、訂正もせずに、今も語っているのは、妄想と教祖願望に過ぎないということです。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
『高級霊の存在や次元構造や波長同通と憑依の関係じゃ
人も社会も救えないんだよ』
総裁先生も同じ事を言ってるし
 」
もう何度も注意してることですが、
総裁は言ったではなく、
自分解釈だとした方がいいです。
でないと、嘘つきになりますよ。
 
嘘吐きが、人のことを、嘘吐きと言っています。これが、楽山の厚顔です。無反省、無責任、自己中、訂正不能の自我の誇大妄想、嘘と詭弁のペテン師、霊能者気取り、言いたいことはあるが聞きたいことはない・・という楽山には、他者の嘘を指摘する資格は、全くありません。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
Pさんは、ORは90年代初頭から何度も『高級霊の存在や次元構造や波長同通と憑依の関係じゃ人も社会も救えないんだよ』と言ってるというけど、大方、この手の誤読をしてるだけでしょう。
HS本の引用があれば誤読を明確に指摘できたろうけど、引用はしなそうだし、いい機会だからここで書いときます。絵文字(握った手)
 
楽山は、誤読というより、曲解しかしてこなかった人です。読書しても、読んだ・・という慢心だけで、実際は、自分に都合のよい文言を漁って引用して、自己正当化をしてきただけです。反省、とほほ・・などと書くことがありますが、その前後で、何の変化もないという大嘘吐きです。
 
なお、楽山は、誰とも、手を握ることも、手を合わせることもありません。それが、自己愛性人格障害です。自らが教えてやる・・というスタンスで生きてきたのでしょう。それは、人の交流において、いちゃもん屋にしかならず、決して、生き方にはならないものです。
 
楽山を、決して相手にしないでください。異常に疲れるだけです。楽山は、小中学校以後、成長していない人で、子供じみた理屈屋で、幼稚な教祖願望~野望をもって、ハナタカになっているだけの人です。楽山は、高慢が、詭弁付きで、訂正不能になっている精神病質者なのです。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
ちなみに、これはPさんのいうような文言問題ではないです。
Pさんは総裁が信仰を否定する唯物論的なことを言ったと主張するから、私は驚いたし、その証拠を求めたのです。総裁が本当にそんなことを言ったのか(思想問題)、Pさんの勘違いなのか(誤読問題)、その他諸々のことを確認するために…。
 
楽山は、人の言うことについて、文句を言ってきますが、正当な理路も直観も見られない、つまり、いちゃもんに過ぎません。楽山は嘘吐きです。楽山の読書は誤読で出来ています。思想問題も誤読問題も、楽山が、他者に対して指摘するのは、笑止であります。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
これはあくまで想像であるし、まちがってるかもしれません。ただそれでも、信者でありながらこれだけのトンデモ発言をしたということは、Pさんの思考回路は相当すごいことになってそうではあります。おそろし 絵文字(握った手)
 
「pさんの思考回路は相当すごいことになって」・・婉曲的な言い方ですが、侮辱です。楽山が、いちばん、快楽に浸るところです。自己愛性人格障害の言論サディストが、楽山の本性です。真剣には何事にも興味を持てない人なのです。
 
「想像で」物を言ってはいけないところで「想像であるし、まちがってるかもしれません」と書いてくるのは、楽山の、責任逃れの言い方です。白々しい謙虚芝居に過ぎません。楽山の言ってることに、決して理路を読み取ろうなどと思わないでください。理路は、楽山には、ないのです。
 
楽山は、散乱して使い物にならない自らの理路と鈍い感受性をごまかすために、丁寧語や反省言葉を書いてきますが、それは、保身のための、保険的な詭弁なのです。ゆえに、楽山は、卑怯者です。楽山には、人が発言するために必須であるところの、共感や思いやりなどの高等感情がないのです。
 
楽山と遣り取りをすることは、時間をドブに捨てて、心身をグルグル空回りさせるようなものです。批判する気のない人は、決して関わらないようにしてください。悪意と慢心を相手にして、いかなる議論も成立しません。そういう人だと知らせるために批判があります。
 
楽山は、頭に浮かんだ理路の断端を、まき散らして、評論家やインテリ宗教家を気取るペテン師です。自分の言ったことを分かりやすく説明するすべを持ちません。相手が理解するかは気にしないようです。楽山の頭は、まとまりません。そのような学習をしてこなかったからです。
 
 
散り散り断端のみ

散り散り 断端のみ
 
 
(2021年12月04日)
 
 
 
  々々破綻
 
無々と考えてあぐねて
捏(こ)ねた駄々が残るだけなら
むしろ念々に生きて
何も望まず
何も諦めず
虚々と鳴く鳥のように
何も信じず
何も疑わず
否々と猫のように
 
しかし叶わぬこと
すべてを疑い
すべてを信じ
すべてを諦め
すべてを望み
空転する日々
昏倒する年々は千々に綻び
離々と破れてゆくばかり
もはや何も
空々と痩せ犬のように弱音を吐いて
吼(ほ)え哮(たけ)ることも出来ないまま
 
 
  老いたる男
 
独り暮らしの老いた男は
もはや写真にさえ写らないのだ
彼だけしか使わないカメラによって
撮られた景色に彼が
いるのは確かなのだが
彼がシャッターを切る限り
彼は決して写らないのだった
写真は存在でも不在でもない
 
トイレで放屁二発
近所の犬が二声吠(ほ)える
フ、何吠えてやがる
ここから聞こえるのかな
と苦笑した後
はたと思い出したように
今日は満月だったかと
狼男は外に出て
欠けた牙の歯肉炎を
空に向かって剥(む)き出すのだった
ぽつりぽつり雨粒が顔に落ちて
頬を伝って流れていった
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら 誤ったら 素直に詫びて 自分 正さなくちゃいけない」「それが出来て 初めて人間だと それ出来ないなら 人ではないと」「嘘ばかり 重ねる君よ 保身だけの 卑怯者の君よ そんな君は 魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと 最大限の反省と共に 開いた出店を 畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
誰かが注意しても、聞く耳を持たない楽山は、反省も謝罪もしておらず、邪悪な性根の根深さが治りません。「人間の性」「自分もそんな風です」などと言って、人間一般のように、醜い詭弁の言い訳をしていますが、成り立ちません。
 
自分を見ないで人のばかり言ってきた楽山の、人間離れの悪と罪と偽善です。最近は、ツイッターで、いちゃもんを書いていますが、公開するに値するような、読者を理解を考慮した書き方が全然できていない、つまり、独り言なのです。
 
 
 
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  昔々書いた詩のようなもの
 
 
  祈り・実感を
 
もうしばらく傍(そば)に
いて下さいませんか
さびしい
と声に出してしまいそうですから
しかも調子外れの怒号のように
すでに出しているのです
 
でも声帯は震えているものの
咽喉(のど)の吸い殻の
泡沫を振動させて
歯間を開閉しているだけなのです
 
いつも傍にいて下さる
と教えられるだけでなく
すべての体液が覚えるほどに
染(し)み込ませることが出来たなら
ずぶ濡れになった厚紙の五感のために
五臓六腑に満々と
湛(たた)えられた廃液のために
動きの取れなくなった五体も
眠りすぎた疲労も
声なき吠(ほ)え面も
澄んだ自虐のうちに
然(しか)りは然り
否(いな)は否
と捌(さば)き捨てて
液体へ気体へ
霧散・昇天お許しを
流れるままに乞いゆきましたものを
 
(1999年06月21日)
 
 
  問いの小道
 
ある日
問いは
どこかの小道を
歩いていました
きれいな花や
しぼんでゆく花びらや
ささえている茎や
はぐくんでいる土にも
ときめいたけれど
切り取ったり根こそぎ
摘んでしまっては
わるいからと
めぼしいものを見つけては
クレヨンでスケッチ
クエスチョンでマーク
したりしたり
していました
 
家に持って帰って
スケッチを並べて
あいだをひらひら
舞う蝶には
なれないから
いつかスケッチを見ながら
スケッチブックをふくらませて
なつかしい小道を
目の前にありありと
うかべることができたら
そのときは生きてもいー
死でもいーと
ため息をつきました
 
とぼしいビジョンをかかえて
ため息はまた
すこしやせた問いになって
どこかの小道を
歩いていくのでした
問いは問いを生み
どこまでも問いのまま
いつか問いのまま
問われる先に
名前のないお墓が
明るく陽を浴びて
小道の花々に
隠されていくことを
願うばかりでした
おこってくれー
かくれないでくれー
 
(1997年4月1日)
 
 
  夢の肌
 
眠れない夜は
ひとつの世界
重なりあう思いに
乱れた欲望に
解き放たれようと
夢の肌を探る
天井と床の間で
さまよう視線が
繰り返す明滅のうちに
苦しみながら呼んでいる
ひとつの旅
光も闇も
夢と眠りの跡を
ゆるやかに流れ
消えて
忘れた言葉のような
弱々しい悔いと気分を残して
新しさにまだ気づかない
朝を迎える
夢の肌のあせるころ
 
(96年、またはそれ以前)
 
 
  夢の予告
 
目の前に丸い太い
ぶ厚い重い輪が
ぎらぎら毒々しく光る
これは経験から明らかに
(夢の中で経験が生きる?)
持病の偏頭痛の前兆だ
 
というところで目が覚めた
視野の中心から広がる
いびつな三角形の閃輝暗点
今度は紛れもなく経験から
偏頭痛の前兆だ
 
急いで頭痛薬を飲む
起きてしばらくすると
頭の左半分に軽い頭重感
痛みというほどではない
薬は効いている
 
夢が予告した?
網膜と神経に生じた異変を
浅い眠りの
夢の乱れた思考が
取り込んで表現したのか
肉体に対する警告
とても稀な
夢と現実の接触
 
(2006年03月29日)
 
 
  生死の拠りどころ
 
生きることが
死ぬことよりも怖くなるときでも
そうではないときでも
いちばん怖いものは
死ではない だから
いちばん大切なものは
生ではない
生よりも大切なことがある
だからといって それは
死でもない
それは生きることの
拠(よ)りどころとしているもの
と それに関わるすべてのもの
例えば信仰について
例えば詩のようなものを
書いている時間は
生よりも大切だ だから
その時間に事切れても
たとえ未完のまま息絶えても
その死ではなく
その生でもなく
その結実でもなく
その時間は
永らえるためにでも
けっして惜しんではならない
生よりも大切な命の時間だ
 
(2006年03月08日)
 
 
  静けさ
 
心静かに
静かな夜に眠れない
心静かに・・・
 
それは
暇人にも追い詰められるような
瑣事や心配事は
いろいろあるのだけれど
眠れない夜に
不安がいっぱい周りで騒いでいるけれど
負えない荷物に潰れてしまいそうなのに
重さは別のところにあって
ぽつんと独りの
しかも眠れない夜にあるのだ
 
もう将来と呼べるものもないのに
自らの死と
肉親の死に狼狽することしか
待ってはいないのに
やけっぱちでも投げやりでもなく
あきらめでも達観でもなく
とても無さそうな時と所に
眠れない夜
苛立ちとは別に
経過してゆくのだ
 
(2007年06月01日)
 
瑣事(さじ)
さ‐じ【×些事/×瑣事】 の解説
取るに足らないつまらないこと。ささいなこと。小事。「―にこだわる」
 
 
真実 孤独

真実 孤独
 
 
(2021年11月12日、再録+)
 
 
 
 楽山のツイッターですが
 
★こも楽山/楽山日記3
@komo266
·4時間
こんな話は、はじめて聞いた。
星と三日月サラディンに会いたい
@saladin4733
以前聞いたことある話
ブラジル人の現地信者でもの凄い伝道成果を上げた人が日本に来た。
日本の信者は彼ほど伝道実績がなく、彼を褒め称えた。
最初は謙虚だった彼は
「なんだ日本の信者は主のもとに生まれたから素晴らしいと思ったがたいしたことはない」
と慢心し、ブラジルに帰って教祖になった。
午後0:04 · 2021年11月10日
 」
午前6:20 · 2021年11月11日
 
「はじめて聞いた」話を、楽山は、議論に耐えるセンスがないために、キリスト教への悪口として無節操に書いてきます。どこでも、宗教には、曲解する人々は当然いるわけですが、楽山が面白がって書いてくるのは、生産性がなく陰湿な反キリストそして偽善者だからです。
 
理路も情緒も整わないために、検証とか考察とかが全くできない楽山ですから、悪口を言って溜飲を下げたいだけで、結果として、卑しい性根を表して、どこまでも、どこまでも、とても原始的な自己愛性人格障害という自分を、自分で証明しているのです。どうか関わらないでください。
 
楽山のような、羞恥心も罪悪感もない反キリスト・反宗教は、自分の言ったことに責任を負わないし負えない卑怯者で、他者の忠告を無視し、一方では、他者の話を食い物にします。そういう醜態を繰り返すほどに分別がないのは、楽山には、まともな自分という人格の尊厳がないからでしょう。
 
 
 
 楽山日記へのコメント再録
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら 誤ったら 素直に詫びて
 自分 正さなくちゃいけない」
「それが出来て 初めて人間だと
 それ出来ないなら 人ではないと」
「嘘ばかり 重ねる君よ
 保身だけの 卑怯者の君よ
 そんな君は 魅力の欠片もないのに」
「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は
 最大限の償いと 最大限の反省と共に
 開いた出店を 畳むしかないんだよ」
「人間で在り続けるのなら
 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、
これを実践するのは難しいんだよなあ。
恥ずかしながら、自分もそんな風です。
これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
誰かが注意しても、聞く耳を持たない楽山の、邪悪な性根の根深さが表れています。「人間の性」などではなく、楽山固有の悪と罪と偽善です。一つ一つ批判して、性根を暴いて、否定してゆくしかありません。ほとんど、ワームと言っていいくらいです。
 
 
 
 
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  渇き、悲鳴、再録2
  
    終わりに楽山ツイッター批判
 
  渇き
 
 
カラコロチリンと
グラスの中の氷が奏でるように
乾ききった手に雫を運んで
顔も見ないままに
私たちは狭い風穴を共にした
 
噛み合わないシナプスで
血液の味を免疫に高めるのに
静止画の乾いた表面で
動画のピクセルを節約する拙筆が
支離を閉じようと短絡し
取り残された玩具の
ヒョレアの座標を集めては
籠る狂気の微睡む限界を超えようと
やたら草色や肉色を集めようとした
 
命の懐に絆を確かめようと
幾つもの唖然と沈黙を
塗っては乾かしてみるけれども
ほどよく設えた春の夜に
少なくともそう呼んだ時間に
スリットを抜ける光の誤差を
罅割れそうな器に
語らうように
魂の欠片をよそっていた
 
ここだけの反乱は抵抗にもなり得ないで
青白い光子の掠め去る暗闇に
ひとつひとつの屈折を
グラスの濡れた咽喉の非対称が描くものに
私たちは息を潜めるしかない
 
 
(2016年03月21日、同日一部修正)
(2020年02月29日、さらに一部修正)
 
奏でる(かなでる)
雫(しずく、滴)
風穴(かざあな、ふうけつ)
玩具(がんぐ、おもちゃ)
ヒョレア=舞踏病
籠る(こもる)
微睡む(まどろむ)
懐(ふところ)
絆(きずな)
設える(しつらえる)
罅割れる(ひびわれる)
欠片(かけら)
掠める(かすめる)
咽喉(のど、いんこう)
潜める(ひそめる)
 
 
 
  悲鳴
 
 
いつからか
私の目の前には
いつも悲鳴が鳴り響いているようだ
 
それは通り過ぎるときに
刃物のように何かを
切り裂いてゆくようなのだが
紙のように何か
切り裂かれているようでもある
 
飛び散るものが音も声も
さらに引き裂いてゆくようで
 
耳を塞いでも聞こえてきて
眼を閉じても見えてくるのに
一度も正体を見せないのだ
 
私はそこに
自分の泣き顔を
置いてみたくなることがあったけれど
それは一度も
乗せてはくれない
 
とても冷たくて
なのに
血のように熱して
しぶきのように
閉塞の壁にぶち当たっては
そこから行方知れずなのだ
 
夕焼けだろうか
それは一度も
消息など告げてはいないのだったが
 
いつの日からか
曲線の
細くふるえて
声が声であることを否みながら
この世で最も激しく
沈黙のように打ち消しあって
 
私は耳を塞いで
首を激しく振りながら
なぜか大きく口を開けようとしている
 
 
叫び

叫び(さけび)
 
 
(2017年10月18日)
(2019年10月17日、一部修正)
(2020年11月08日、若干修正して再録)
 
(2021年11月10日、再録+)
 
 
 
 楽山のツイッターですが
 
★こも楽山/楽山日記3
@komo266
「>なにか行動を起こす上では、なにか「目的・目標」があるはずだと。その事です。」
話はズレるかもしれませんが、この考え方はやばい臭いがします。
「人生には目的がある」「あなたには尊い使命がある」という教えに染まりすぎです。
午前7:13 · 2021年11月9日
 
楽山には「人生には目的がある」が、やばい臭いだそうです。楽山は、目的もなく生きているのでしょうか。夢~妄想で、身にそぐわない教祖願望を望んでも、叶えられそうにないからでしょうか。人をだましてばかりで、本当の自分を見失っているからでしょうか。
 
「あなたには尊い使命がある」・・「染まりすぎ」なのではなく、楽山のように、無反省、無責任、無学習では、望むこと自体が、おこがましいのです。楽山は、病質によって、書いても書いても、人を目覚めさせるどころか、人の役には立たず、迷惑ばかり掛けているのです。
 
楽山は、短く呟いても、自己愛性人格障害の我欲によって、中身が自己中になるだけでなく、言葉遣いも成長せずに、雑になり、弾力性も創造性も、欠けてゆくのでしょう。短文に詰め込もうとして、勢いだけになり、ズレた書き方になっています。
 
短い文章さえ、言葉が全か無の雑な短絡になり、教えや使命を信じるな・・みたいな姑息になって、質の問題を、「染まりすぎ」などという程度の問題にして、まとめてしまいます。言葉を使うのが面倒になると、焦点が定まらなくなります。
 
「染まりすぎ」と言って、"染まる" ということについて、肯定してしまい、豪語の一面性や欠点を暴けなくなっています。楽山のように、言葉を疎かにして、訂正不能に生きていると、言葉がメインなのに、乱暴な短絡表現が増えてゆくという例になります。
 
 
★こも楽山/楽山日記3
@komo266
こういう理想の背景には、メサイアコンプレックスというものがあるともいいます。
自己肯定感の乏しい人が、人のために尽くすことで、自分には存在価値があると確認、満足しようとする心理らしい。
午前6:56 · 2021年11月9日
 
「(ネットより)
 
 メサイアコンプレックス、メシアコンプレックス:
 
救世主妄想とも呼ばれる。個人が救済者になることを運命づけられているという信念を抱く心の状態を示す言葉である[1]。狭義には誇大妄想的な願望を持つ宗教家などに見られる心理状態を指すが、広義には基底にある自尊心の低さを他者を助けることからくる自己有用感で補償する人々をも含める。
 
自分は不幸であるという感情を抑圧していたため、その反動として自分は幸せであるという強迫的な思いこみが発生するとされる。さらにこの状況が深まると、自分自身が人を助ける事で自分は幸せだ(自分には価値がある)と思い込もうとする。
 
このような論理になるのは、幸せな人は不幸な人を助けて当然という考えを自らに課す事で「自分は幸せである、なぜなら人を助けるような立場にいるから」と考えられるからである。本来は人を援助するその源として、まず自らが充足した状況になることが必要であるが、この考えは原因と結果を逆転させている。
 
そうした動機による行動は自己満足であり、相手に対して必ずしも良い印象を与えない。また相手がその援助に対し色々と言うと不機嫌になる事もある。しかもその結果が必ずしも思い通りにならなかった場合、異常にそれにこだわったり逆に簡単に諦めてしまう事も特徴的である[2]。 
 
メサイアコンプレックス
 」
 
まさに、楽山の、教祖願望に、よく当てはまることです。人のことを言って、あるいは、人に言ってるつもりで、自分を表してしまう例でしょう。楽山の実際は、人に迷惑ばかり掛けているのです。自分が上という意識で、批評したり、アドバイスすることのマニアになっているのが、楽山です。
 
楽山の批評やアドバイスを真に受けてはいけません。人に意見していますと見せかけているだけです。自己満足の部屋から、無責任に、何の役にも立たないことを言ってみても、他者の立場に立って考えたり、自己を見つめることがないので、独り笑って籠の中をうろついているだけなのです。
 
楽山の本質は、自己肯定が成り立たない人生であり、その分、嘘吐きのカルト教祖と変わりがないのです。誰も聞いていなくても、上から見下ろして、ああだこうだと言うが、実は、ああでもないこうでもない戯れ言であり、聞いている仮想の聴衆を想定するだけで満悦するのでしょう。
 
読んでみると、自己愛性人格障害のエゴのために、まとまらない自己中の独り言でしかありません。短い文章がそうだから、長い記事になると、詭弁と自己正当化だけが支離滅裂に、胡散臭さを放つだけの、それこそ、自己満足からのお邪魔虫に過ぎないのです。
 
 
 
 楽山日記へのコメント再録
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら 誤ったら 素直に詫びて
 自分 正さなくちゃいけない」
「それが出来て 初めて人間だと
 それ出来ないなら 人ではないと」
「嘘ばかり 重ねる君よ
 保身だけの 卑怯者の君よ
 そんな君は 魅力の欠片もないのに」
「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は
 最大限の償いと 最大限の反省と共に
 開いた出店を 畳むしかないんだよ」
「人間で在り続けるのなら
 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、
これを実践するのは難しいんだよなあ。
恥ずかしながら、自分もそんな風です。
これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
誰かが注意しても、聞く耳を持たない楽山の、邪悪な性根の根深さが表れています。「人間の性」などではなく、楽山固有の悪と罪と偽善です。一つ一つ批判して、性根を暴いて、否定してゆくしかありません。楽山は、人間であり続けることが、ずっと出来ないままなのです。
 
 
 
 
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