ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

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  楽山の妬み2
 
 幸福の科学の元幹部たち
 2020年12月06日 楽山日記(LD)
 リンクなど、省略。
 
 
楽山は、人間が、無反省・無責任、訂正不能の体質のまま、かたよらない言論者を目指せば、モンスターにしかならないという例になるでしょう。それは、自分の負うべき責任を放棄したがゆえに、自分という存在が消えてゆくプロセスでもあります。
 
本を読んでも、他者の意見を聞いても、反省もなく、責任も負わず、自分を高めるための自己正当化だけが目的ならば、ゆえに、都合の良いことだけ拾って、都合の良いことだけ受け取って、都合の良いことしか書かないならば、そこに、学習も成長も解決もないからです。
 
敵か味方か分からないようなことを書いて、しかも、日によって変わってきて、向上心がないままの高慢な人格ならば、関わる者を、傍迷惑の渦に巻き込むか、破壊するだけでしょう。あらゆる信頼を失って、過ぎてみれば、何も言わなかったのと同じ世界が進んでいるだけなのです。
 
楽山は、また、人の意見を引用して、自分の記事を書いてきました。断りもなく人を利用して、無反省の無学習のままの楽山の人生は、責任を負わないことで、真実を求めて関わる人をオモチャのように傷つけて捨ててゆきます。楽山にだけは、利用されないようにしたいものです。
 
楽山は、孤独のうちに、誰にも借りはない、責任は負わない、という世迷言を繰り返し、自らの存在をも、だんだん消していって、最後に口を利かなくなるまでを、誰の信用や信頼を得ることもなく、過ごしてゆくのでしょう。結局は、迷惑なだけの、誰にも相手にされない人生なのでしょう。
 
楽山は、教祖になりたいが、なるための人望も力量もないので、もはや、存在したくないのかもしれません。だから、楽山は、欲と意地だけで、考察のないまま、煙のような実質のない存在となり、実体がありません。
 
何か言っても、楽山は、世辞と、ごまかしだけで、批判に、反論もせず、答えもせず、逆に、いちゃもんの悪口を、言いたい放題に言うことだけはやめないのです。楽山には、邪悪な宣伝・洗脳・煽動者として批判される悪と偽善以外に、存在様態がありません。
 
*元幹部
ツイッターをみてたら、このページが貼られていた。幸福の科学の幹部だった小澤利夫氏が、キリスト者になったという話である。
・創価学会幹部、幸福の科学幹部からキリストへ
 」
*馬鹿げたこと
これは誰のことを言っているのかは明白だ。
考えてみると知識豊かな日本であるのに、宗教関係に至ると、本当に馬鹿げたことを平気でやっている。昔も今も、世の指導者たちの権力と、名誉と、傲り以外の何ものでもないのです。
肉体を有する人間は、生きていても、死んでも人間に変わりありません。ところが日本の宗教界には、「我は神なり」「私は仏なり」等と言っている者たちがいます。
神仏であるなら、人智で計り知れない現代日本の深刻な経済を、好景気に変えてみよ。神仏であるなら、三百万人の失業者に対し、納得のいく仕事や職場を与えてみよ。
 」
教祖が神を自称したり、生き神様を崇拝したりというのは、馬鹿げたことといわれても仕方がないことではある。 
 
宗教を、悪口で否定するなら、それに代わる救いを提示しなければなりませんが、楽山は、言いっぱなしで、責任を、一切、負わないのですから、相当に、いや、いっそう、気味の悪い、馬鹿げた存在と言われても仕方がないのです。
 
仏様の心が分かるっぽいこと、霊が分かるっぽいことを、自らの超常体験として書いていて、ホラーが大好きで、自ら不思議な能力者気取りで、そして、難しい問題を解決するリーダーか評論家気取りで、記事を書いている楽山には、思想の実質が何も伴っていないのです。
 
このように、楽山も、人の意見など聞かずに、自分の気持ちの良さと都合の良さだけで、言いたいことを言い続けています。オレこそ生き神じゃ・・とでも言いたいのでしょうか。そういう方向しか持っていないのです。楽山は、誰とも、真に仲良くは、なれない人です。
 
*人生は一冊の問題集
「人生は一冊の問題集」という考え方は、HSから離れても頭に残っているようだ。HSをやめた今でも、教えにはよいものがあると考えているのだろうか。
人生とは、まさに一冊の問題集です。
 」
 
問題意識など、持ったことのない楽山が言っています。総て、自分のうちに、自我によって、解決したつもりになって、忠告できるかのように勘違いしても、それは、人間世界に通用しない、無反省と無責任の言動となって、妄想的自己確信になってゆくのです。
 
あらゆる問題は、楽山に言っても、一定しない楽山の、保身と妄想によって、徒労と疲労を残すだけです。批判する前、最初の3か月、楽山とコメントの遣り取りをしましたが、一種異様な徒労感と疲労だけが残っています。
 
そこで、相手にしてはいけない人だったと気づきました。私一人のためならば、それで済むことでしたが、楽山は、キリスト教と信仰に対して、極めて幼稚な屁理屈で、無知~勘違い~偏見~妄想を表しながら、否定してきたので、以後、批判に転じています。
 
キリスト者(クリスチャン)には、議論や、理路について、苦手な人が多いようです。戒められている悪い言葉と批判を混同して、批判禁忌と思っている人もいるようです。悪意でキリスト教を否定してくる楽山は、反キリストのモデルでもあり、できるかぎり、批判してゆくつもりです。
 
*生き神様崇拝
ここでは、『太陽の法』を高評価してる。
でも、神を自称する教祖には、どうにも我慢がならないらしい。
宗教に無知な人々にとり、特に『太陽の法』という「幸福の科学」の本は、宗教の何たるかを、やさしく解き明かしたものです。だからこそ、わずか十年の歳月で、数十万人の会員が世界中からその神の教えを求めて集ってきたのだと、思っています。
でも残念なことには、「我は神なり」という誤解される教祖の言動に、その頃から、その会にもいられなくなりました。私以外にも、去る人々が少なくありませんでした。
今、世で「私は神仏なり」という者を真に受けるのは、危険なのです。宗教界の中で、己が神であり仏であるとは、その教祖が口にすべきことではありません。
 」
ふと思い出したが、フライデー騒動のころだったろうか。それより前だったろうか。小澤氏がテレビのインタビューにこたえて、大川隆法は間違ってると思ったら退会するというようなことをいっていて驚いたことがあった。
支部では、これについて、小澤氏は大川隆法が間違うはずがないということを前提としたうえで、たとえ話をいっただけだと説明されたが、小澤氏のその後をみると、これは本気だったようだ。
 
楽山のような理屈倒れの精神の貧困な者でない限り、神聖なる存在は、今まで知らなかったような、魂の解放を伴う何からの光を感じることがあるのだろうと思います。聖書の、キリストと、救われた人々との交流に、それは表れているのです。
 
楽山の言うことは、誰かが言いそうな月並みなことばかりです。一応、筋が通っているなどと思って、頷いてはいけません。誰かが言いそうなことは、誰でも言えること、人真似に過ぎないこと、そういうことばかりを、中庸を気取って言っている楽山を、決して信頼してはいけません。
 
*十人の九次元霊
そういえば、九次元には十人の神霊が存在して、エルランティ、エルカンターレ、イエスなどが上位にあるという話があったのだった。でもその中では、イエスでなく、エルランティがもっとも偉いというニュアンスだったと思う。エルランティが、他の惑星から人類を連れて来たとか、神の光をプリズムにかけて分光させてるとか。でもまあこの辺りについては記憶が薄れてきているので、自分が間違っているかもしれん。
幸福の科学においては、東京大学出身の大川隆法ご夫妻から、イエス・キリスト様こそ、天上界の十大天使の中で最高の霊力を持たれる「神の中の神」だと、教えられてきました。
イエス・キリスト様のことは、今では聖書的な教えから理解しておりますが、イエス・キリスト様こそ最高の方であることは、じつは幸福の科学時代から教えられていたことなのです。
 」
 
楽山の「自分が間違っているかもしれん」を真に受けてはいけません。「記憶が薄れてきているので」ということと、同じ意味の、一種の安全弁なのでしょう。自分で、既に、間違っているかもしれないと思うなら、攻撃や否定をしてはいけないのです。
 
実際には、間違いを認める楽山などというのは、無反省・無責任の楽山において、見られたことがありません。上は、受け狙いの、白々しい謙虚芝居の "トホホ言語" なのです。
 
もし、楽山が、間違える自分を認めていたら、否定した後で、平気で、祈りの三文芝居など、するはずはないし、そのあと、対話形式で、また、否定するようなことも、ないはずなのです。好きなように、思いつくままに、キリスト信仰を侮辱して、独りで優越感味に浸るのが目的でしょう。
 
それが、自己愛性パーソナリティ障害NPDの人生なのでしょうか。結局、楽山は、楽山自身が積み重ねてきた負の実績によって、否定されてきたのです。今、ブログで書き続けているところの、他者を利用した雑言も、その類から外れるものではありません。
 
人を利用する、有名人も利用する、都合の良いところだけを拾ってくる、真剣味もなく繰り返し書いてくる、それらすべては、真実の追究ではなく、ただただ、自己愛性人格障害である楽山の忌まわしき因業であります。
 
*ファルコン告発
創価学会や、幸福の科学で経験したことの中には、なかなか文字にしにくいような事柄も、たくさんあります。イエス様は、
「さばくな、さばかれないためである」
と言われましたので、そうしたことなどはすべて、神様におゆだねしたいと思います。 
 」
ファルコン告発では、小澤氏がHS時代のことをあれこれ言わない理由について語られていたのを思い出す。
 
ファルコンというのはHNで、HSを批判した人のようです。小澤氏というのは、元HSの幹部らしいですが、よく知りませんが、創価学会 → 幸福の科学HS → キリスト教と、目まぐるしい人生を送った人のようです。
 
このように、公表するにあたっての説明が何もない、というのが、楽山の記事の特徴です。高等感情の鈍麻によって、気配りの情緒もないのでしょう。
 
「さばくな」という聖書のキリストの教えは、カルトが、他者に、批判するな、という言い分のために、悪用されやすい聖句です。ここで、楽山が言っているのも、似たようなものでしょう。裁くことではなく、人間同士が、議論し、批判し、弁明することが、信じるの追求の動力になります。
 
言論において、批判を許容する真面目な交流がなければ、言論は社交に堕して、真実追求など全然できなくなります。
 
*原氏
ところで、原氏について検索したところでは、今もスピリチュアルな方面での活動をしているようではあるが、プロフィールには、幸福の科学も、大川隆法の名前も見当たらないようだ。高橋信次については恩師として多く語っていることと比べると、その違いに驚かされる。
教団との取り決めがあるために沈黙しているのか、個人的に思うところがあって伏せているのか、それともほかに理由があるのか、判然としないが、何か深い事情がありそうではある。
 
楽山が、この記事を通して、次から次に、知らない名前をあげるのは、煙に巻くつもりでしょうか。誰がどうした、という話だけになっている楽山です。「驚かされる」「何か深い事情がありそう」などと、ごまかしも、いい加減にしてほしいのですが、楽山は、平気なのです。
 
それが、病質というものでしょう。楽山は、責任ある主張の出来ない人であります。反省・修正・責任感・直感・推敲・考察などといった言論のセンスを、自己愛性人格障害のために失い、長く続いて、人格も鈍感になり、論旨がまとまらなくなってゆくでしょう。
 
*期待
いろいろ難しいこともあるだろうけれども、元幹部には、できれば当時のことを率直に語ってほしいものだ。日々の平穏な生活を大事に思えば、口が重くなるのも致し方ないのではあるが、当時の本当の事情を知ることで救われる元会員、および現役会員とその家族は大勢いるだろうと思うので。
 
楽山は、元幹部に対して何かを勧め促すような器量があると思っているようです。反省せず、責任を負わず、思い付きで、いい加減なことを言い、それで、まともぶっている楽山は、ただ、ひたすら病理の袋小路を徘徊しているだけです。
 
誰からも信頼されていないことを、言葉でごまかして、ヒーロー気取りでいたいのでしょう。人間、堕ちると、こうも卑しくなるものなのでしょうか。取るに足らない楽山の、中身のない背伸びが続いています。楽山は、関わる人も集団も、結局、裏切るでしょう。宿命かもしれません。
 
何も、負うことのできない欠陥人間が、不都合を無視することで、万能を得たかのように、批判されても批判されても、自己正当化に明け暮れて、とうとう、自分の意見など、何も言えなくなって、何も成り立たなくなって、人の意見ばかり、貪っているさまは、実に醜いと思います。
 
 
ねたみ、すさむ

ねたみ、すさむ
 
 
(2020年12月08日)
 
(2021年12月10日、再録+)
 
貪る(むさぼる)
 
 
 
  哀歌・性
 
想いがうまく伝わらなかったり
想いが独り善がりに伝わりすぎたり
あるいは些細なことから
勘繰(かんぐ)り
疑い
妬(ねた)み
嫉(そね)み
ときに怒ってしまう
人間の性(さが)であろうか
そうなってしまう人間同士の
関わりというものが
哀しいね そんな
哀しいことばかりではないのだけれど
ただでさえ己(おのれ)の業(ごう)や罪の
重さに宿命のように
押し潰されそうなのに
だから もちろん
露骨な悪意を向けられたときには
Fight Fright
or Flight
抗(あらが)うか戦(おのの)き
竦(すく)むか逃げるか
することになるけれど
そうでない限り
本物か偽物か分からないと
疑う性を片隅に抱えながら
どんなちっぽけな出会いも
たとえイミテーションでも
込められたものは
とても壊れやすいかもしれないから
小さな宝石として大切に
そっと扱わなければいけないんだ
あるいは些細なことから
解(ほぐ)れていくまで
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら 誤ったら 素直に詫びて 自分 正さなくちゃいけない」「それが出来て 初めて人間だと それ出来ないなら 人ではないと」「嘘ばかり 重ねる君よ 保身だけの 卑怯者の君よ そんな君は 魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと 最大限の反省と共に 開いた出店を 畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
誰かが注意しても、聞く耳を持たない楽山は、反省も謝罪もしておらず、邪悪な性根の根深さが治りません。「人間の性」「自分もそんな風です」などと言って、人間一般のように、醜い詭弁の言い訳をしていますが、そうではなく、楽山固有の悪と罪と偽善だということです。
 
自己愛性人格障害の楽山には、病識がありません。効く薬もありません。信仰もなく、信仰をあざ笑っているので、救いもありません。人間以上だと思っているのか、自己正当化に酔うことしかないのでしょうが、これほど、自らに危機意識のない人は、むしろ、珍しいのです。
 
 
 
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  楽山のお祭り騒ぎ
 
 『宇宙の法―エローヒム編―』を見た。
 2021年10月12日
 幸福の科学とは何だろう?ブログ by 楽山
 
 
 (ネットより)
「エロヒム」は、ヘブライ語聖書で「神」または「神々」を表す。ヘブライ語の文法的には、末尾の -im は通常、男性の複数形を指す。しかし神としての「エロヒム」は、通常文法的に単数であり、単数動詞や単数形容詞と共に使用される。現代ヘブライ語では、ヘブライ語の複数の男性名詞を示す -im が語尾にあるにも関わらず、しばしば単数形で用いられる。[1][2]
一般にエロヒムは、北西セム語系で神を表すエロア eloah から派生したと考えられている。[3] ヘブライ語以外の同系語には、カナン人のパンテオンの創造神であり主神であるエール El、ウガリット語のイル ilhm、聖書アラム語のエラーハ Ĕlāhā 、シリア語のアラハ 'Alaha「神」、およびアラビア語のイラー ilāh「神」、またはアッラー Allah「(単一の)神」がある。
El は通常、「強くなる」または「前に立つ」というアラム語の lh が語源と考えられている。[3]
 
超常についての楽山のお祭り騒ぎのようです。箇条書きですから、まとまりはありません。何かを主張するのではなく、面白がって、興奮しているようです。神(エル、エロヒム、ヤハウェ)を相手に、楽山は、こう言う態度しか持っていないのです。信仰を語れるわけがありません。
 
『宇宙の法―エローヒム編―』を見ながら心に浮かんだ感想をメモしておいたので、ここで整理してみる。
HS映画はいつも映像はきれいだ。これは今回も変わらない。
いきなり舞台背景の説明がはじまった。これはファンタジーあるある。
地球における善悪を知れって…普遍でなく、あくまで地球限定の善悪か。
白色彗星ならぬ、赤色彗星か? しかも艦隊の攻撃でも撃破できないとは…まるで、『さらば宇宙戦艦ヤマト』のようだ。
 
「映像はきれい」「ファンタジー」「宇宙戦艦ヤマト」「艦隊」「攻撃」「撃破できない」・・アニメを見るように、宗教と信仰を見ている楽山です。楽山は、ずっと、同一性(アイデンティティー)が発育不全か、壊れているのでしょう。
 
人物の絵は、みんな止まっている。人物と背景が分離している。なんだか無味乾燥だ。人物は生きてない。蝋人形だらけ。これでは感情移入し難い。
♪~きた、きた、わたしはきた~♪♫ 歌ありの音楽と、歌なしの音楽とでは落差が激しい。もちろん歌なし音楽↑、歌あり音楽↓。
ヤイザエル、強すぎ。ドラゴンボールみたい。強い女戦士を設定するとはHSらしからぬフェミ系への配慮もあるのだろうか。
ベガの女王、一瞬、きょうこ夫人に見えた。
彗星でなく、隕石爆弾? 流星爆弾みたいだな。
 
SFかホラーの映画で、子供が燥いでいるような感想です。
 
あまりに漫画すぎる。普段アニメは全然見ない人は、退屈するのではあるまいか。
 
「漫画」「退屈」と言いながら↓
 
会話がいちいち教義紹介になってる。教義紹介をしたいのは分かるが、その方面に興味がない立場からするとうざったい。
 
教義は、"うざったい" のだそうです。何を求めているのか不明です。
 
ヤイザエルが泥酔している兵士たちを叱ってる。千眼美子(清水富美加)が泥酔者を叱るというのはおかしい。
もののけ姫のタタリ神みたいのが湧いてる。
ひとりの英雄、いやヒロインが戦況を一変させてる。漫画すぎる。
 
魔界のような超常の話です。この次元で、楽山は、宗教と信仰を考え、キリスト教と信仰に、いちゃもんをつけてきたのです。常識的にも、未熟~異常です。何の救いにも、さらに、救いのヒントにも、全くなりません。薄気味悪い話です。
 
アモール(イエス・キリストのエネルギー体)が、悪魔よ立ち去れの一言で戦いを終わらせている。
ヤイザエルが反省している。悪を倒すのにためらわなかったが、もしかしたら自分には愛が足りないのではないかと…。
 
(ネットより)
アモル・アモール
ラテン語:Amor
スペイン語で愛のこと。es:Amor
クピードーの別名。
アモール (小惑星) (Amor) - 第1221番小惑星。
アモール群
アモール - 『ドラゴンクエストVI 幻の大地』における架空の町。回復アイテム「アモールのみず」の産地。
 
キリストの愛ということから、エネルギー体と呼んでいるのでしょうか。ヤイザエルは、架空の存在のようです。「愛が足りない」と言って、説明がありません。楽山には、著しく、愛は、足りないか、欠損しています。
 
ミカエルとルシフェルが双子というのは、レムリアで言ってたのと同じだ。
 
ミカエルは天使、ルシフェルは悪魔の名前ですが、好きなように扱って、超常の神話~ホラーとして扱っています。それを面白がる楽山はピエロにでもなるのでしょうか。
 
話のテンポが遅すぎる。あらすじも簡単すぎる。地球を侵略しようとする宇宙人を撃退するというだけ。ヤイザエルにしても、その他の人物にしても、さほどの悩み、葛藤はない。物語を通じて、大きく成長していない。したがってストーリーに起伏がない。だから退屈。
 
宇宙人の地球侵略の話になっています。「大きく」も小さくも、「成長していない」楽山の、まとまりもなく、説明にもなっていない感想文です。このように、宗教と信仰を、遊びとしてしか捉えていない楽山です。宗教・信仰・なくてはならない真実について、語る資格などないと思います。
 
私は、人間が受け取れる信仰について考えてきました。それを、否定し、著しく妨害して、混乱を招く方向しか持っておらず、到底、受け取れないホラーに化けさせているのが、楽山です。茶化しであり、ふざけており、真実に対する悪意以外の何ものでもないと思います。
 
正しいと思うことを自由に述べてよろしいと、エロヒムは言論の自由を認めてる。
ヤイザエルのヘルメットの額のところ、シャアと同じ形に変わってる。
アモールが山を動かしている。この山動きて海に入れか…。
 
楽山が、言論の自由と言うとき、それは、好き勝手に無反省に発言して、責任を負わないことを意味します。認められるはずがありません。超常話で、神エロヒムに認められているかのような楽山の主張は、鼻クソです。
 
楽山は、霊が分かるっぽい?という自覚を語っていましたが、楽山が動かせるのは、山ではなく、嘘と詭弁、悪口、・・やはり、鼻クソだけです。真実を求める方向性のない楽山には、かさぶたを剥がすことも出来ません。
 
戦争が肯定的に描かれている。正義の戦争は善であるということらしい。自分は考え方としては右ではあるが、こういう戦争の描き方は受け入れがたい。戦争というものは聖戦だろうが、自衛だろうが、どのような名目があったとしても、多くの人々が悲惨に殺されてゆくものだ。大勢の血で大地を染めることを正義だとか、善だとかいうのはどうかしている。
 
楽山は、平和主義みたいなことを語っていますが、嘘です。楽山は、殺人を含む事変に関与したらしいA級戦犯を讃えていました。このことから、正義を理解しない者が、平和を語り、戦争反対を語り、つまり、騙(かた)って、受けをよくしようと、空しく、あがいているだけだと思います。
 
ヤイザエル、二度も油断して敵に背後をとられている。歴戦の勇士がこういう不覚をとるわけはあるまい。
パングルって、らんま1/2…、いや呪術廻戦か? 本作は特に先行作品との類似性が見受けられるけれども、これはオマージュというやつなのだろうか。
 
そして、楽山は、格闘~戦闘シーンに興奮しています。ホラーアニメ・漫画の、空想の世界にしか、生きられない楽山の象徴的~特徴的な表れです。
 
(ネットより)
オマージュ(英語: hommage)は、芸術や文学において、尊敬する作家や作品に影響を受け、似た作品を創作すること、またその創作物を指す語である。しばしば「リスペクト」(尊敬、敬意)と同義に用いられる。
 
さまざまな個性を持つ者たちが集い、お互いの短所を補い合い、発展してゆくという考え方はよいと思う。
 
誰が、楽山に、善悪・良否の判断を仰いだと言うのでしょう。求められてもいないのに、考えることも出来ないのに、妄想的な楽山は、高みから評価し裁いている風情でしょうか。正義にも良識にも反しながら、なお、良し悪しを語る不治の病質が表れているようです。
 
地球神は時間を戻せると…。取り返しのつかない大きな過ちを犯しても、地球神が時間を戻してなかったことにするって…。いや、もしかしたら、幻魔大戦のように地球は滅びたものの、一瞬間のうちに滅びていない世界を想像したのだったりして。
 
呪術廻戦に加えて、今度は幻魔大戦が出てきました。漫画の世界に、どっぷり浸かって、そこからだけ、正義を語る楽山に、近づかないでください。「滅びていない世界を想像したのだったりして」・・こういう軽口をたたくために、宗教・信仰・真実をけがしてきた楽山です。
 
ダハールを追って行ったまま戻ってこないヤイザエル。これは軍規違反にならないのだろうか。
エローヒムの演説でシメ。
最近のHS映画は、HS色が薄まってきていたようだが、今回は原点回帰したのか、HS色が非常に濃厚になっている。HSの世界観だけで物語がつくられている。そのせいか、HSを信じていない自分はあまり感情移入できず、退屈したというのが正直な感想である。
 
「感情移入できず、退屈」とは、裏腹に、興奮が表れている楽山です。恐らく、楽山は、超常カルトというレベルでしか、宗教を考えていない、ましてや、信仰など、何とも思っていないし、持ったこともないと思います。
 
本作はHSとその信者にとっては尊い映画ではあろうが、HSも、エローヒムも信じていない一般に理解されるのは難しいだろうと思う。
 
楽山は、神エロヒムも信じていませんし、その尊さも信仰も分かっていません。なのに、「一般」を、自分より下に見ている筆致です。楽山は、「一般」にも達していないのです。破壊の、煩わしいチンケな主体であり、破壊に抗えない対象であり、かつ、どちらも見せかけだけなのです。
 
◇◆ 追記 2021.10.13 ◆◇
*ツイッター
ツイッターの方でも、映画について呟いたので、ここに貼っておきます。
心機一転★こも楽山
@komo266
·2021年10月13日
返信先: @hidenoeさん
映画の良い面をまとめれば、そのようになると思いますが、個人的には戦後育ちのせいもあってか、身分制、聖戦を肯定してるところは気になりました。
 
良い面をまとめたつもりのようです。この記事と、今までの記事を踏まえると、「身分制、聖戦を肯定してるところは気になり」・・楽山が言うと、恐ろしく軽くなります。
 
最も尊い存在が、最も嫌われる下層階級の仕事をすすんでするとか、戦争回避、和平への努力がもっと描かれていれば、さらに良かったと思います。
 
「さらに良かった」と肯定的にアドバイスしていることに楽山は気づかないのでしょうか。楽山も、超常アニメのレベルでしか宗教を語れないし、教祖願望があるために、つまり、教祖に憧れているために、さらに、既に教祖気取りであるために、全否定が出来ないのです。
 
「戦争回避、和平への努力」・・それより前に、楽山には、はしゃぐことはあっても罪悪感や後悔や反省力を持たない自分を改善するべきです。しかし、自己愛性パーソナリティ障害NPD(自己愛性人格障害)には無理なのでしょう。
 
心機一転★こも楽山
@komo266
あとは…敵味方が入り乱れて戦った戦場では、敵味方の死体の山ができるだろうし、生き残った者は自身の血と汗はもちろん、返り血を全身に浴びることになるでしょう。戦傷者はさらに酷い有り様になるでしょう。
戦争を描くなら、その悲惨さもきちんと描写すべきだったと思います。
午前7:09 · 2021年10月13日
 
死体の山と、血と汗と、返り血と、血まみれの傷病兵を、もっとリアルに見たいという楽山のリクエストです。今まで、興味本位だけで、勝手な感想を書いてきて、なお、戦争のリアルな悲惨さ見たさに飢えている楽山です。味わうことになるかもしれません。
 
楽山には、高等感情がない、とりわけ、悲しみへの共感がないのです。いわゆる、モンスターです。いくら、気取っても、言動に表れてくるでしょう。今までも、無味乾燥の筆致として、また、不祥事を他者のせいにする自己中として、訂正不能の妄想として、表れてきました。
 
実際には、迷惑~犯罪~惨劇を、他者に企んで望んでいるのは、楽山かもしれません。何度か書きましたが、いわゆる、サディストです。人が困る、あるいは、疲れる様子を見て、同情のように見せかけながら、文脈として、筆致として、満足げに、笑っているのが楽山です。
 
 
サディスト、モンスター

サディスト・モンスター
 
 
(2021年10月14日)
 
 
 
 (伝道の書、口語訳)
伝道の書/ 07章 15節
わたしはこのむなしい人生において、もろもろの事を見た。そこには義人がその義によって滅びることがあり、悪人がその悪によって長生きすることがある。
 (伝道7:15、旧約聖書)
 
楽山が、いちゃもんとして言うような、神がいたら人の不幸・惨劇は起こらないはずじゃろ・・という話は、既に、昔の人が、万感の想いを込めて語っているわけです。つまり、信仰者は、地上にいるあいだ、信仰があれば現世的な良い報いを得る、というわけではないということです。
 
信仰者は、神への希望とキリストの同伴に、祈りを通して支えられながら、苦難の地上を生きるのです。安物の文具の性能をもてあそぶように、楽山が書いてくる宗教と信仰への雑言などは、また言いますが、鼻クソです。その汚れた指で、楽山は、繰り言をなすりつけてくるの傍迷惑な偏屈です。
 
 
 
キーワード: 血
 
  散る
 
紅く色づいていく木々の
にぎわいに、にぎわうだけで
例えば薄い木の葉の
もうすぐ散ります
という最後の音信さえ
数知れず見過ごして
この目に見られないまま
どこからどこまで見過ごされて
散ってゆく
 
破り捨てた手紙
最後の便り
破りかけた手紙
風の便箋
破れかけた手紙
歪んだ字を
書いているペンを
握っている手
見ている眼
赤く充血していく治癒の
道行きに拙い言葉の
いつか最後の音信
どこからどこまで過ぎて
散ってゆく
 
 
  季節の約束
(これは、かなり自由連想してます)
 
針に置ける軌跡を知らないかな
脈管のさまよえる路地で待ってる
そこから先はとんがっていれば大丈夫だ
ケラケラ笑うかけらばかり
握って角度がゆっくり南に傾いて
光る曲線がいちばん長くなる所だ
行き止まりなんてあるものか刺さなくていい
血は嫌いだ綺麗な喪主を
街の眼で汚したくない
もう寒くないだろう標的の入り口付近
宝石を数珠(じゅず)に巻かないように
切り貼りして過ごせばいい
飽きたら呼び鈴を忍ばせて
カジュアルでいいから日暮れを待ちなさい
思い込みは駄目だよ紅茶色だ、いいね
たぶん木馬が飛ぶ頃になると思うよ
ただ屋根のないタクシーが
黒い額で潰しに来るから気をつけて
そろそろ芽も味方してくれる
鋭角に切り落としたら一休みして
グラスに注げる口癖もあるさ
好きな水晶玉でも探して
菜の花の夜を見つけよう
帰りは直線で別れる前に
ちらっと月夜を弾いておくれ
じゃ葬列に出会ったらよろしくね
切るよ
 
 
 
 
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