同じこと返す楽山
 
 論点整理(その他)
 2022年03月24日 楽山日記(LD)
 
 
楽山は、また発作のように、一日で8つの記事を書きました。たくさん書けばいい・・ってもんじゃないという典型です。自分が言われたことを、こちらに向けて反論のつもりだけというのは幼稚すぎると思わないのでしょうか。楽山の議論の戦略は、論理でも説得力でもありません。執拗な詭弁です。
 
発作的に、衝動的に、楽山が多量の記事を書くのは、恐らく、検索で、楽山を批判する記事より、私をけなす記事が、優先されることを狙っているのではないかとも思います。私は、私が努めるべきだと思っていることを、できるだけ、実行してゆくだけです。
 
 
*その他
最後に、その他の論点について、ざっと書いておきたい。
 
「ざっと書いておきたい」のだそうです。正確に、詳しく、書けないのが、楽山です。控えめな言い方をしながら、多量の悪口を書いています。その大方が、自分が言われたことを、単純に、こちらへ向けています。それで、書き得たと思う楽山は、文章も、人の気持ちも、受け止めるセンスがないのです。
 
 
*汚い。
st氏は、楽山は「汚い」ということを繰り返している。
これについては、私の方でも、st氏に対して同じ印象を持っている。正直言って、st氏のブログ、ツイッターは、憎悪、怨恨など…ドロドロした感情の貯蔵庫みたいになっていて読むに堪えない。
 
こちらの真似をした時点で、底の浅さが見え見えです。「同じ印象」と言いながら、今さら、真似して、何になるだろうってことですが、楽山は、オリジナルの印象的な表現を持たない言論の貧困を自分で表しているのです。貯蔵庫はドロドロしません。ドロドロしているのは楽山の生き方の澱(おり)です。
 
 
こういっては何だけど、st氏がシャローム氏や楽山の悪口を言ってるさまは、自らの吐瀉物にまみれて転げ回っているみたいだ。
嫌いなものに執着するのでなく、もっと明るいこと、美しいことを追いかけた方がいいと思う。
 
誰が「自らの吐瀉物にまみれて転げ回」っているのでしょう。楽山です。だから投稿発作が出ています。楽山が汚物だからです。汚さで、「明るいこと」や「美しいこと」をペテンの安物や汚れものに変えてしまう楽山がいなかったら、ネットは、どんなにか、さわやかだったことでしょう。
 
 
*丁寧芝居
st氏は、楽山は丁寧芝居で人を騙しているとしている。
でも過去の議論を見れば分かる通り、これは楽山よりも、st氏の方によく当てはまる。
楽山も、それからシャローム氏も、大体いつも同じ態度だが、st氏は当初は丁寧芝居をして、じきに本性をあらわしているのは、過去の議論を確認すれば分かることだ。
 
私は、丁寧よりも、正直な本音を大事にしています。なぜかと言うと、楽山の不正直、芝居、嘘、詭弁が、吐き気を催すからです。生きても、死んでも、こうなりたくない・・ということです。ゆえに、正直以外に、闘い方がないのです。
 
楽山は「同じ態度」のつもりなのでしょうか。驚きです。楽山の丁寧語は、芝居だとバレれば、ひどい大根役者のひどい三文芝居です。読んでいるほうは、嘘がきつくて、演技が酷くて、人の気持ちが分からない者の白々しい芝居に、偽りの落差とともに、反吐(へど)が出そうなほどです。
 
 
・st問題資料集(1)初期コメント
 
リンクは省略します。
楽山は、私が騙されていた頃を懐かしんでいるようです。今さら、そんなリンクを貼って、何の主張のつもりでしょう。賛同から批判への落差こそが、楽山の欺きの程度の酷さを表しているのです。
 
 
*被害者芝居
st氏は、楽山は被害者芝居をしているという。
これも、私よりは、st氏の方がよく当てはまるだろう。
st氏は楽山を口撃し続けているが、楽山はスルーを基本としつつ、時折、降りかかる火の粉を払うぐらいである。
もしst氏が楽山から被害を受けたというなら、それは楽山を口撃したら、返り討ちにあったというだけのことだろう。
 
楽山は、自分に向けられた批判に対して、スルー、即ち、答えず、改めず、無視することが、正当だと言っています。ここが、楽山が、人間ではないところです。まともな感覚とセンスが、身についていないのです。嘘吐きと言われたことを無視して、嘘を吐き続ける楽山です。
 
「時折、降りかかる火の粉を払う」ことが、一日に、8記事を書くことでしょうか。楽山の影響というものを考えれば、楽山は、執念深くて、自己中心の訂正不能で、決して言論や真実追求というテーマに関わってはいけない人です。関わる総てにおいて、破壊的でしかありません。
 
*語尾
st氏は、シャローム氏が「(笑)」を使うことに文句を言っていた。何度も何度もしつこく怒っていたのだった。
「(私)
ここでのシャロームの二つのコメントで分かるように
明るく軽やかに語る文脈ではないときに(笑い)を入れるのは
「明るく軽やかに語りたい」のではなく、
シャロームの、我を張るための、嘲笑いです。
2018/11/2(金) 午後 6:19st5402jp
「st問題資料集(4_1)笑いを憎む、北風と太陽」より(リンク省略)
 」
 
正直に、そう思ったからです。シャロームshalomの強がりの防衛なのでしょう。自分のほうが上だというセメントのガラガラ笑いです。楽山は、常時、上からインテリ気取り~三文芝居で、丁寧ゴカシに、嘲っているのですが、本人は、気づかないようです。ペテンが体の芯になっているからでしょう。
 
 
>>(シャローム)
笑いは人間関係、対話の潤滑油だという考えもあるようですし、福音寄席、落語によって伝道活動をしている人もおられるようです。人さまざまの生き方があるようです。
<<
 
「 (私のシャロームへのコメントらしい))
生き方ではなく、潤滑油でもなく、あなたは、火に油を注いで喜んでいる。
あなたと、あなたのコメントは、福音でも、伝道でもない。人を怒らせて喜んでいるサディストの所業です。この7年間続いた偽善が、ここで、潤滑油になると思って平気でいることが、既に、並外れた非道の無反省の現れです。
それは、どんなにごまかそうとしても、あなたの語ってきた妄想的信条の未処理と未解決の持続によって、人間関係は騙し以外にありえず、真摯に受けて書くことをせず、社交でごまかそうとする、あなた独特の体質的な、神と人を欺く悪意でしかないのです。
2018/11/3(土) 午前 2:34st5402jp
 」
「st問題資料集(4_2)笑いを憎む2、読書障害」より(リンク省略)
 
 
最近は、楽山の文体に文句を言っているようだが、そういう本筋とは大して関係ないことにイライラして難癖をつけるところは、いかにもst氏らしい。そんなに神経質で、過干渉だと、日常生活はさぞ大変だろうと同情する。
 
文章の書き方、筆致、文体、全てに、楽山の作為の偽り、即ち、嘘と詭弁が表れ、それを除くと、何も残らないと思っています。だから、楽山は何も出来ない人、という評価になるのです。つまり、偽りと詭弁が、楽山の本筋であり、そういうのは、ペテン師ということになるのです。
 
 
*邪推、妄想
 st氏の文章を読むと、相変わらず邪推、妄想が多い。そればかりだといってもいいくらいである。楽山の文章を読んで、心に浮かんだことをだらだら書きなぐるだけで、書籍や過去ログを確認することを怠るからそうなるのである。
 
私は、エディターに下書きをして、書いています。楽山は「邪推、妄想」と決めつけています。楽山は、いつも、決めつけて、そこから書いています。そこからしか書けないほど理路が成長していないのです。ほとんど職業的、または、本性としての、言論の粗雑な暴虐者としか思えません。
 
 
ただの感想文ならそれでもいいかもしれないが、他人を批判するなら、邪推や妄想による誹謗中傷ばかりでなく、きちんと事実確認をし、根拠を明確にした上で書かなくては話しにならない。
 
そのまま、楽山に当てはまり、楽山に向けるべきことです。事実を語る時には事実確認を、当為(「べき」の付くこと)を語る時には根拠を示すべきですが、楽山には、どちらもありません。
 
 
私は、言論の自由は尊重したいので、「批判するな!」とは言わないが、もし批判するなら、もう少しだけでもまともな批判にしてほしいと思う。
 
私は、楽山には言論を公開する資格はないと思っています。楽山は、社会悪です。・・嘘吐き、千三つ、ペテン師、偽善者、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)、サイコパス(精神病質)、そして、冷静を装う言論者気取り、信頼度ゼロ、等々・・「まとも」ではないのです。
 
 
*後記
以上、主要な論点について、自分の意見を書いてみた次第である。
 
次第が成り立っていません。順序もなく筋も通らないのが楽山の言論です。
 
(ネットより)
次第
[しだい]名詞
順序。"式のしだい"  
接尾語
名詞に付いて,その人の意向,またはその事物の事情いかんによるという意を表す。
"どうするかはあなたしだいだ" 
次第
 
 
書き漏らした論点があれば追記するかもしれないが、とりあえず現時点ではそのつもりはない。st氏の書くことは、妄想、投影、怨念がほとんどなので、
 
楽山は、投影という言葉に固執しているようで、私に向けて、よく使ってきます。シャロームも使ってきました。二人とも嘘吐きの偽善者です。そういうことなどから、二人の同一人物成りすましを疑っています。妄想、怨念、などは、罵詈雑言相当の侮辱です。詐欺師の、しらばっくれる様態でしょう。
 
(ネットより)
投影
[とうえい]
名詞
1.物の影をある物の上に映すこと。また,映った影。
2.(比喩的に)ある物事を他に反映させて現し出すこと。
"作者の屈折した心情をとうえいした作品"
3.数 平面図形あるいは立体に平行光線を当てて,平面上にその影を映したもの。平行光線が平面(投影面)に垂直なとき,これを正投影,垂直でないとき,斜投影という。
4.心
ある状況や刺激に対してなされる解釈・判断・表現などに,心理状態やパーソナリティーが反映されること。
投射に同じ。
(ネットより)
投影
 
 
傍からあれこれ言ってもどうにもならないし、過去のやりとりを読み返せば論点はすでに語り尽くされ、議論は終わっているのは明らかなので。
というわけで、またスルー体制に戻ることにする。あしからず。
 
楽山には、論も論点もありません。我欲からの、訂正不能の嘘と詭弁と罵詈雑言の類です。まるで論者であるかのような丁寧語に騙されないでください。全て、決めつけです。真実が、ひと言も含まれていませんでした。弁明と反論の出来ない楽山の、芝居と言いがかり、最低です。
 
「スルー」には、書くだけ書いたら、一目散に逃げる楽山が表れています。こうやって、不都合を、ことごとく無視してきたのです。言葉面だけ覚えて、言葉の意味も深さも理解していない楽山に、どうか、決して、近づかないように、関わらないように、だまされることのないように、祈っています。
 
 
人格破綻(はたん)

人格破綻(じんかくはたん)
 
 
(2022年03月28日)
 
 
 
  々々破綻
 
無々と考えてあぐねて
捏(こ)ねた駄々が残るだけなら
むしろ念々に生きて
何も望まず
何も諦めず
虚々と鳴く鳥のように
何も信じず
何も疑わず
否々と猫のように
しかし叶わぬこと
すべてを疑い
すべてを信じ
すべてを諦め
すべてを望み
空転する日々
昏倒する年々は千々に綻び
離々と破れてゆくばかり
もはや何も
空々と痩せ犬のように過ぎ去って
吼(ほ)え哮(たけ)ることも出来ないまま
 
 
  欠落の森
 
欠落の森にいつもあなたはいる
空白の重みに耐えながら
裁かれるために来たかのように
それでも変わらず土は天を仰ぎ
樹木は光を呼吸し
風は生殖器を広げ
岩は頑なに居場所を確かめる
それらは生き物であり
ここでは人が事物なのだ
 
人が動いて起こるもののために森は騒ぐが
人が何かを起こすためではなく
人そのものが事件なのである
そうして人が過ぎ人が果てて時を刻む
 
あなたはずっといつも森にいる
人の移ろいという季節を見守るために
しかし人があなたを見ることはなく
事物があなたを見るはずはないのだ
 
事物が周辺を中心にしてしまうから
森を見れば木々は少なく空が丸見えで
生き物を見れば小さくて軽いからと
土の上の枝を岩に投げつける風
 
実はそうして気づかぬまま
人は投げ飛ばされ
欠落は深くなり
重くなるばかりの空白を
事物の人と生き物の森のために
支え続けるあなたこそ
何ものにも何ものとも
欠落や空白とさえ
この森に一刹那吹く
息のような小さな風ほどにも
認められることのないまま
故なく裁かれ続けるのである
 
 
 
★こも/楽山日記3
@komo266
こういう切りかえが上手な人は尊敬します!
引用ツイート
>>· 3月26日
どの世界にも意地悪な奴はいる。見つけたら、いたいた、と思っとけばいい。いちいち相手にするのは時間の無駄。はいはいはい、と唱えて視界から消しとけばいい。他人に敬意を払わない無礼な人とは関わらないのが一番だね。必要とされる場所でこそ、輝いたれ!
おはよう、日本
今日を精一杯生きたろう
<<
 
楽山は、不都合が嫌いで嫌いで、無視してきました。そして、批判を意地悪と決めつけて「視界から消し」て、悪い奴にも騙されて敬意を払ってくれる人だけを求めています。楽山のようなペテン師が必要とされる場所など、どこにもないのに、偽評論家として偽宗教家として、ヒクヒク輝いているつもりです。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
楽山は、どういう生き方をしてきたのでしょう。そして、どういう死に方をするのでしょう。関心事ですが、私が、それを知ることはないでしょう。ネットだからということもありますが、私は高齢で、楽山より先に死ぬからです。どうか、誰一人も、楽山に関わらることのありませぬように。拝。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
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